6 プール開放
夏休み最後のプール開放の日にもなると、学校へ来る児童はあまりいなかった。藤城皐月は誰かしら友達が来ているかと思っていたが、プールには下級生が数えるほどしかいなかった。浅い方のプールのコースは低学年の子どもたちで賑わっていた。
(まあこの方が落ち着いて泳げるか……)
皐月は走るのは苦手だけれど泳ぐのは得意で、潜水で25メートル泳げるのが自慢だ。クロールも得意だけれど、潜水の方が楽に泳げる。平泳ぎは疲れるし、あまり上手に泳げないから嫌いだ。
何度も何度も潜水をしていると、プールの端と端以外では顔を出さないという奇妙な行動になっていた。下級生の男子たちが皐月の泳ぎに気が付いて近寄ってきた。
「ねえ、何やってるの?」
「潜水だよ。25メートル一気に泳いでる」
「すげー!」「マジか!」「魚みてー!」
皐月の想像以上に受けが良かった。
「どうやって泳ぐか教えて!」
「いいよいいよ」
潜水なんて身体をうねうね動かすだけでぐんぐん進んで行くから簡単だ。少し教えただけで、みんなすぐに泳げるようになった。集まってきた3人の男子は全員潜水で25メートル泳げるようになり、大喜びをしていた。
「お兄さん、ありがとう」
「みんなすぐにできちゃったね。すごいすごい。友達に自慢しちゃいなよ」
気が付けばすっかり気分転換になっていた。誰も誘わずに一人で来なければこんなことはなかっただろう。もうこれで目的は果たせたので、皐月はプールから上がろうと思った。
皐月がプールサイドに向かって泳いで行こうとしたら、近くにいた一人の女子が声をかけてきた。
「あの〜、私にも潜水教えてもらえますか?」
その少女は五年生を示すラインが入った学校指定の水泳帽を真面目にかぶっていた。水面が陽の光を反射させていたせいなのか、整った顔立ちがキラキラと輝いて見えた。年下の女の子にドキッとしたのは皐月には初めての経験だ。
「いいよ」
少し声が上ずった。皐月は年上の芸妓や同い年の栗林真理だけでなく、クラスの同級生の女子と話すのにも慣れている。だが、年下の女子とは同じ通学班の子以外はあまり話したことがない。
しかもこの子は息を呑むほど美しい顔立ちだ。どう接したらいいものかわからず、皐月は少し戸惑っていた。
「女の子が一人で泳ぎに来るなんて珍しいね」
「私、泳ぐのが苦手だから、こっそり一人で練習しようと思って来ました」
「学校のプールって人気がないから、人が少なくていいよね。おかげで好きなように練習できる」
「はい。でも誰にも教えてもらえないから、なかなか泳げるようにならないんです。さっき先輩が男の子たちに泳ぎを教えていたから、私も教えてもらおうかなって思って、来ちゃいました」
男子を相手に泳ぎを教えるのは簡単だ。言葉で伝えにくいところは手取り足取り教えられるからだ。しかし相手が女子だとそういうわけにはいかない。男子が水着の女子の体に触れられるわけがない。
「泳ぎが苦手なんだね。どういうところが難しいの?」
「バタ足しても後ろの方でボッチャンボッチャン音がするんだけで、なかなか前に進まないんです。」
「それは空気を蹴っているからだよ。空気を蹴っても抵抗がゼロだから、推進力が得られないよね。水を蹴るというか、掻かなきゃ前に進まないよ」
言葉が難しいかな、と思った。だが皐月はこの少女と話していて、聡明に違いないと感じていた。
「一所懸命バタ足してるんですけど……」
「膝を曲げ過ぎているのかもね。足が水面から出るくらい大きく動かすと、自分では泳いでいるような気になるけど、それって意味がないんだ」
彼女の手を取って教えるわけにはいかないので、皐月は実演して見せた。ダメなパターンといいパターンを見比べて、納得してもらおうと思った。
「あと息継ぎが苦手で、特にクロールが全然ダメなんです」
「そっか。息継ぎは難しいよね。でも潜水だったら今言ったことは全部解決できるよ。息継ぎしなくてもいいし、ぐんぐん前に進むから」
「私でもできるかな?」
「大丈夫。マジ簡単だから余裕だって。とりあえず潜水だけでいい?」
「お願いします」
彼女の真剣な思いに応えなければならない使命感と、裸に近い女の子を目の前にした非日常に皐月はまだ戸惑っている。
「名前なんていうの?」
「入屋千智です。五年です」
「僕の名前は藤城皐月。六年だよ」