謎の手記と伝承の絵本
事件から二週間がたった。
あの日以来、ジュリアの家をおとずれる者は絶えていた。明けの空の者も、セッチやミックが唐突に遊びにくることもなくなった。
なくなった。そう感じるのは、どれだけ待ったとことろで、もう二度とそんな日は来ないであろうことをジュリア自身が充分わかっていたからであろう。
ジュリアはただ黙々と、日々の雑事をこなしていた。自分の身の回りのことはもちろんのこと、この家はまだまだ手のかかるところが多い。
それでも掃除などをしていると、どうしても気づいてしまう。あすこのスミに積んであった古いクッションが、知らぬまにこちらのソファの下へと移動してきているのを見つけたときや、客用にと、まとめて重ねておいたカップや皿が綺麗に仕分けされて置かれているのをみつけたときなど、嫌がおうにも、ここに確かにいた他者の余韻といったようなものを感じられて、すこしだけしんみりするのだった。
いつまでもへこんでいてもしょうがない。
元来ジュリアはそう考えられる人間だった。ただ今回は、色んなことが重なったうえ、もうひとつ前の悩みごとまでがぶり返しておぶさってきたものだから、すこしだけ引きずってしまったのだ。
だがもう大丈夫、そう自分にいえるまでには回復した。
もう大丈夫。
ある日の朝、ジュリアはそう自分にいうことができた。
ジュリアは行動を開始した。
あの瞬間、あのハネモグラの眼がずっと気になっていた。あの怒りの眼。まるで理不尽に怒られたような気分になる、あの眼差し。なぜ彼、もしくは彼女は、あんな瞳を私に向けたのか······
それを知るには、もっと彼らのことを、あの沼沢地でおきていることを知らなくては。いまだ自分が知らずにいることがあるのではないか。
叔母がなにか遺しているのではないか。そう考え至ったのは、彼女が明けの空と調査に協力する取り決めをかわしていたことを思い出したからだった。
あのときの手紙にはこうあった。
──先代からの盟約により、云々と。
だとしたら、叔母がどちらよりの立場だったのかは別として、なにかしらの資料を遺してあってもまったく不思議ではない。いま起こっていることを知るなら街にゆきたいところだが、まずはそこから調べても遅くはあるまい。ジュリアはこれまでまったく手をつけずにいた、叔母の部屋の扉をひらく決心をした。
こうやって部屋のまえに鍵をもって立つと、なにやらすこしだけ緊張してきた。
べつにこの部屋に入ることがはばかられた、というわけではない。ただあまりにもほかに手をつけるべき箇所がおおすぎて、ずっと後回しになってきただけだ。
いつかは片付けねばならぬと思っていはいたし、げんにこうして部屋のまえに立っているわけだが、やはりなんとなく、この部屋はいちばん最後にと、無意識にも敬遠してきたのもまた事実だった。
鍵穴はまったくいたんでおらず、鍵を入れてまわすとガチャリと簡単に開いた。
「おじゃましま~す」
なんとなくそう声をかけて、ジュリアはうかがうようにして部屋へ入った。なかはしんとして、まるで時間が泊まっているかのような感覚におちいる。
ずっとカーテンを閉め切っていたため、何年分かの夜がそのまま居残ったかのように暗い。窓とカーテンの隙間からはいる沼地のよわいわずかな光でさえ、彼女がたてた埃をきらきらと浮かび上がらせるのには充分なほどだった。
つくりはいまジュリアが使っている部屋とたいして違いがないが、こちらのほうがやや広いだろうか。
窓際にはどっしりとした机がよせてあり、その背後の壁には、分厚い本から小冊子までが詰まった年代物の書棚が控えている。
研究者にとってはまことに理想的な配置だ。反対側の壁には一枚の絵が質素な額縁におさまってかかっており、机の反対側の奥まった場所にベッドがおいてあった。
とにかく暗いので、とりあえずカーテンを開ける。
一瞬まばゆい光がはしったように感じられ、反射的に目をほそめた。
机のうえはきれいに片付いており、ならんでいる本もごくわずかであった。装丁からみてもどうやら覚え書きや日記のたぐいなので、そちらには手を付けず、ジュリアはまっすぐ書棚に向かって立った。
棚のなかもきっちりと分類されていたが、本の重さについては無頓着なようにみえた。普通だったら棚を傷めそうな重くて分厚いものは下のほうへ置いていそうなものだが、そういうものほど、ちょうど目線の高さにくることが多かった。これはおそらく、歳を重ねた叔母がいちいち重い書をしゃがんで引っぱり出すのが辛くなってそうしたのだろう。
「つまり、重要なものやよく使っていたものほど見やすい場所にあるわけか······」
ジュリアは丁寧に、行儀よくならぶ本の背表紙をおっていった。なかには古くなりすぎてタイトルの文字がかすれてしまっているものもあり、ちょっと面倒であった。
口中でちいさく「ニモオ、ニモオ」と繰り返しながら、目のつく高さから中腰になる位置のものに指をはわせてみたが、めぼしいタイトルは見つからない。
ジュリアはちいさく溜息をつきながら、最下段に挑むべく身をかがめた。
つもった埃がふわりと宙に舞うなか、光がはいるよう気をつけて身体をうごかしながら、膝をついて本の題名を注視した。
書棚の右隅のいちばん目立たないところで、ジュリアは息を呑んだ。
──植物魔法の機能について──
おもわず首をひねった。いまさらなんでこんな書が、ここにあるのか、と。
この書は植物をあやつる魔法をまなぶ者なら最初に読むであろう、基本の書だ。ジュリアもこれを足がかりにしていまの術を身につけた。
叔母はながく魔女をやっていただけあって、様々な系統の術に精通していたから、まああっても不思議ではない。不思議ではないのだが、その思わせぶりな場所が気になった。
ひきだしてみてパラパラとページをめくり、ならんだ文字に目を走らせてみる。すこし懐かしい気もするそれは、実際ずいぶん久しぶりに見たが、だからといってどこがどう変わっているといったものでもない、ごく普通のものだった。とくに注釈なども書き込まれていない。
だがページをどんどん進めていくと、ごとりと音がして、紙を滑らせる指がとまった。
「なにこれ。ページがくり抜かれてる···」
そこには、それ以降のページを台無しにするような四角い穴があけられており、さらにもう一冊の書がおさめられていた。
これはどうしたことか。まるでどこかの物語のようなことを、あの叔母がするとは。どうみても書を大切にしていた彼女らしくない行為だ。だからこそ、なにか特別な意味を感じる。
書き物机のある明るいほうにもっていって、その文庫本サイズの書をくわしく見てみた。
小さいが、くりぬかれたページの枚数から、なかなか厚みがあるようだ。装丁はおさえめな色調の茜色の表紙に、錫でてきた金具がついたシックなものだ。扉の腹には小さな鍵穴がみえる。
となると、うかつには触れない。
魔女にとってそれは物理的な鍵というわけではなく、術による鍵である可能性が高い。だが手段はある。
ジュリアが術探査の法をつかって掌からでた光で撫でると、カチッと音がして留め金が外れた。
一瞬ヒヤリとしたが、どうやら心配はなさそうだ。おそらくはジュリアの魔力そのものに反応するよう仕込んであったのだろう。ジュリアはすこし緊張しながら、その書を手にとった。
見た目どおりに、その書は手にもってみるとノシリと重かった。
「おおいなる庭······」
タイトルを口にだしてみる。なんとはなしに詩的で、ここから察すると研究専門書のようには思えない。
なかを開いてみると、それはおそらく叔母の手書きによるものだろう書で、内容は研究メモ・兼雑記帳といった感じだった。ところどころに表や図解などもおりこんだ、なかなかにしっかりとしたものだ。
「これは······」
読みすすめてみると、どうやら沼地における天候、水質などとハネモグラの関連性などについてまとめたものがメインであるようだ。この叔母の研究によると、昔この沼地には、もう少しマシな澄んだ水が存在していたらしい。
「この沼地は最初からこうではなかった······?」
現在の有様からはとても想像はできない。だが、この書の著述反論を許さないほどにしっかりとしており、記録されている情報にも隙はなさそうだ。
でも、じゃあなぜ今はこんな······
ジュリアはあやしみながら次のページをめくる。そこにはおおきくこの書の主役ともいうべき存在の絵が載せてあった。
ハネモグラ······
「お婆ちゃん、もってきたよ」
大切なものなので、おもかったけれど落とさないように頑張りながら、セッチはそれをゆっくりと老婆の前においた。
もう百歳にはなるんじゃないかというようなオババ──なんせふたりの祖母よりも歳がうえなのだ──はきこえていなかったのか、やや遅れて「おうおう」と返事した。
セッチとミックがオババを正面にして左右に分かれて座ると、オババはゆっくりとした手つきで、目の前にある革表紙の本をひらいた。
それは一見茶色くなったただの古い革の束で、どうもハネモグラの革をなめしてこしらえられたものらしい。とても大きくて、ちょっとした座布団くらいはある。
「語りの本」と邑では呼ばれているが、本と言っても文章や言葉が書いてあるのではなく、お話ごとに一枚絵が描かれていて、どちらかというと絵本だ。お話そのものは、古老や大人たちが代々口伝えで語り聞かせ、いままで残ってきた。
オババは目がかすむのか、一頁ごとに絵を確かめるようにしながら、ゆっくりゆっくりとひらいていく。セッチとミックはじっと黙って、オババが語りだしてくれるのを待った。
あの日。
じかに狩りをみるまでは、昔話なんてたんなる愉しみでしかなかった。
けれどあんなことがあって、そのことに、大人のくせに妙に危なっかしい、邑のそとのあたらしい友達が関わることになってしまった。だからどうしても、もっとしっかりと知っておきたくなったのだった。
「···むかしむかし。太陽と月とが千回空をいききするほどにむかし」
オババはひと息吸い込むと、ふかいふかい水底からいでるような、よくよく使いこまれた声で、昔話のお先文句からはじめた。
われら豹紋族はながい放浪の末、この地へとたどり着いた。
そこはすでに他族のすまう土地だったが、山の民である我らが山に生きることを他族の者はゆるし、以来山と地上でそれぞれの営みをつづけ、またよしみを深めていった。
それから百年ほどもたったころ、この地にまたあたらしい者たちがやってきた。彼らは先にいた他族の友たちをはるかな地へと追いやり、勝手に里をつくっては我が物顔でそれをひろげていった。
そんな無礼なものたちにも、我ら豹紋族は公平だった。だがあたらしき者たちは我らが山をおりることを嫌い、我らを山に閉じこめた。
そうしてどこからか、水と大地を潤すものを連れてきて、野に放った。
我らはそれを、恵みの竜、ヌワングと呼んだ。その偉大な生き物はふえ、しだいにあたらしき者たちの手におえないようになってきた。大地は潤いすぎて腐り、水はその清さを失っていった。
我らの祖はそれを嘆き、ついにその偉大なるものを討つことを決意した。
仇となるとはいえ、その偉大なる獣にふかい尊敬の念をおぼえていた我らの祖は、一族とともにその偉大なる獣にたいしても、正々堂々と戦った。
かくして、我らとヌワングとの不思議な縁がはじまった。
我らは死に、大地に還る。そしてヌワングとひとつとなり、また子孫のもとへ戻った。
だが、その調和が崩れたときがあった。
水は濁り、沢は泥で埋まった。
祖はあわてふためき、偉大なるものを狩った祟たたりかとおそれた。そんなおり、どこからか不思議な力をつかうものがこの地をおとずれた。
その不思議な力をつかうものは、平野にすむあたらしき者らの嘆願によって、問題のもとをさぐるべくヌワングの巣に近づいた。そしてついにそのもとをつき止めた。
その不思議な力をつかうものは、考えたすえ、我ら豹紋族のもつおおいなる知恵に目をつけた。
不思議な力をつかうものは、我らに助力をこうた。
どうか下界にすむ者たちのために、貴方がたの知恵の極みを貸していただきたいと。
我らが祖ははなしあったすえ、その者に知恵をかすことを決めた。
かくして、この地にすむ者すべての未来をかけた戦がはじまった。たが、不思議な力をつかうものや我々の奮闘もむなしく、ヌワングの怒りはなかなかおさまらなかった。
万策尽きた我らに、不思議な力をつかうものがいった。
このうえは我が身と我が力をもって訴え、その怒りを鎮めるしかない。この儀式のことは決して絶えることなく後の世に伝えていただきたい。
そう言い残すと、不思議な力をつかうものはやおら断崖から見を踊らせ、滝壺の奥へと沈んでいった。
その日以來、七日にわたって雨がふり続けた。
ヌワングたちの荒ぶりもおさまり、かくして事はなされた。
我らが祖は不思議な力をつかうものとの約束を守り、ここにこうして、その話を刻みつけたのだ·········」
とうとうと、ゆっくり、よどみなく語られた話がおわった。
しばらくはその余韻が場を支配するかのように、ふだんは賑やかなふたりだけの聴衆も口をつぐんだままだった。
ゴクリと、喉をならしてセッチがおそるおそるといったふうに訊ねた。
「それで···」もう一度ためらってからつづける。「天と地はもとのとおりに戻ったの?」
「ああ」オババは励ますように、さきほどより声を明るくしてこたえた。
「もどった。不思議な力をつかうものとヌワングのおかげでな」
「その天地の危機って、そのときだけだったの?」
ミックの問いには首を横にふった。
「うんにゃ。過去にもう一度だけあったと伝わっておる」
「そのときも、不思議なちからをつかう者とご先祖が、その儀式、っていうのでこの地をすくったの?」
うんむ。オババはうなずいた。
「我々はご先祖からうけ継いできた儀式の秘法を守りついでおった。そのことが功を奏したのじゃ」
「その儀式をするのって、その不思議なちからをつかうひとでなきゃ駄目なの?」
セッチはとがめるような目をミックにむけた。
まったくこのコは、ふだんだんまりなくせに、こういう誰もがこわがるようなことは平気な顔できく。
「うむ。かれらのもつ不思議な力で、ヌワングと心をつなぐ必要があるでな。おそらくは、かれらのうちよりひとりだけが、ヌワングによって選ばれる」
セッチは愕然とした。じゃあ、まさか、それって·········
「ひょっとして、もしそんなことが起きているんだとしたら、そのお役目に選ばれるのって···」
オババはにべもなくうなずいた。
「もし事がおこっておるのなら、お前たちが親しくしていた、あの帽子の女が選ばれるということになろうの」
お寄りいただき、ありがとうございました。
少々突貫だったので、直しがはいるかもしれません。




