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竜の末裔と豹紋族


 朝。

 夜明け前にジュリアはゴソゴソと起き出した。

 べつに慣れない環境で眠れなかったわけではない。いつもの習慣で、日の出とともに目が覚めてしまうのだ。


 沼地の夜はずいぶん静かで、街のそれとは大分に違った。だがそれでも、もともと自分が住んでいた所も都会の端っこのほうだったので、静かなのには慣れている。ソファも寝るには若干小さかったからすこし腰が痛いものの、気にするほどではない。

 彼女は立ち上がるとあくびをひとつしてから、うーんと縮こまっていた背を伸ばした。それから昨夜閉めていたカーテンをシャッと開けた。

 空は相変わらず陰鬱気味の曇天だったが、それでもその奥に隠れた朝日の色で、なんとなく血の気が通ったようにぼうっと輝いているようだ。


 ジュリアはさっそく外出の準備にとりかかった。


 まず(かまど)に火を起こしてから、外へ水を汲みにでた。一歩踏み出ると、思わずぶるっと震えがきた。

 辺りは白い靄がかかっており、予想以上に冷えるようだ。肩のへんをこすりこすり井戸までいくと、水を汲み上げた桶で直接顔を洗い、歯を磨く。そして畑の方へ向かって残りの水を開けると、もう一度汲んで鍋に溜めた。


 家に戻ると、その一番左奥にある、元・叔母の寝室のベッドの手入れにかかる。

 窓を開け、誇り埃がすこし積もったタオルケットとかけ布団をばさばさとはたくと、うんしょうんしょとキッチンまで抱えていった。それを暖炉のちかくから壁に向かってはられた洗濯物干し用のロープにかけておいた。

 本当なら日光と新鮮な空気でフカフカにしたいところだが、この土地ではなかなかそうもいかない。それに今日は街まで出かける。もしもその間に天候が悪くなれば目も当てられないことになる。とても干しっぱなしにする勇気などでなかった。


 ある程度今晩の寝床の確保がすむと、こんどは朝食だ。

 といっても、メニューは温め直した昨夜の豆スープの残りとパンのみの軽いものだ。手間いらずなので、先に昼食用の弁当にとりかかろう。

 パンと保存のきくハムに、庭にほぼ自生状態になっていた菜っぱをはさみ、軽く塩をきかせて一丁上がりだ。それを幾つかと、デザート兼甘味となる飴玉をみっつほど自前の編み籠にスカーフを敷いていれ、蓋をしめてカチリと留め金を下ろした。



 すべての準備をすませ、ゆっくりとの食事を終えると、彼女はいつもの外出の恰好へと着替えた。

 紺のワンピースに茶のポーチつき太ベルトを斜めにとめ、左の二の腕には誓いのミサンガ。

 両手には指の部分を切り詰めた黒の手袋。今日はさすがによそ行きのコートではなく、フィールドワークには相性抜群の苔緑のジャケットを羽織る。

 脛まで隠れる長いやや厚めの生地のスカート部分には、太股中部にまでくるスリットが入っており、そこから右脚がチラ見えしているのがポイントだ。お洒落と動きやすさを兼ねているところが気に入っている。

 足許をかためるブーツは一転して少々武骨な造りだが、これまた野歩きにはよい。踵は鉄の小プレートで覆い、爪先がすこし反り返っているところが、魔女としてのこだわりである。


 自分の頭からわずか(のぞ)くほどの丈のバックパックを背負い、姿見のまえでちょいと帽子を直してみたりした。どうも叔母が買い出しに使っていたものらしく、みる限りどこも傷んでいない丈夫な品だ。自前のものを使ってもよかったが、どうせならたくさん入るこっちで行こう。



 玄関を開けると、すこしだけ大気は緩んだようであった。ジュリアはジャケットの襟を留めると、愛用の長柄斧をもって家を後にした。


 魔女なのに箒をもってないし、空を翔べずに不便じゃないの? なんて訊かれることがいまだにある。


 それはあくまでも伝承だ。実際の魔女はそんなことはしない。

 というか、出来ないし、出来たならどんなにかよいだろう。それにこのご時世、木の棒とかわらぬもの一本でなにが護れるものでもない。

 魔女は各自、己の身を護る得物を好んでもつようになっており、それが彼女の場合は、この斧だった。


 魔女の自分がこのようにゴツいものを携えているとよく驚かれるのだが、ジュリアは体格に見合うほどには力持ちだ。

 どちらかというとインドア派のイメージがもたれがちな魔女のなかでも、山野に遊ぶことを好む部類なので、一般の人に知られるとすこしガッカリされることもあった。普通の人からみれば、やはり魔女ならば、暗がりで大鍋だの壺だのの中身をぐるぐるとかき回していてほしいらしい。

 だが自分たち若手からすればそんな決めつけはナンセンスで、そりゃあそんなことも必要ならするが、いつの時代だよって感じである。

 そんなわけだから身体を動かすことは大好きだし、自然と力もつよくなる。硬いの木の柄に、まるでオオコオモリが翼をひろげたような形をした肉厚の斧をぶんぶん振り回すこともまったく苦にはならなかった。

 ただひとつ。

 個人的に面白いと思うのは、ジュリアがこれまで見知ってきた魔女たちは、たいがい長いリーチの得物を好む傾向にあるということだ。

 それはやはり、武道の達人というわけでもないのだから、出来るだけ間合いを離したいという心理もあるだろうし、探索などでもなにかと重宝するという現実的な利点もあるのだろう。

 だがそれとは関係なしに、やはり、なにがしか長い棒状の相棒を好むのも、太古の先達から受け継がれてきた遺伝的ななにかが作用しているのではないか······。そんなことをジュリアは想うのだった。




 でかいバックパックを背負い、長柄の斧を右手に沼地をヒョコヒョコ渡るジュリアの姿は、遠くからみれば随分とユーモラスにみえたかもしれない。

 それくらいこの沼地は広大で、だだっ広い。

 途中までまばらに生えている木ものきなみ背は低く、視界を遮るものといえば、身体に纏わりつくようなモワモワとした霧だけだ。やはり陽の光が充分に足りていないのだろう。

 ジュリアは足下と進む先を交互にみながら、慎重に足をすすめた。本当に広い。そのうえ視界も良好とはいえないから、常に左手に下げた方位磁針を確認しなければならない。


 こうして独りで沼地を歩いているといろんなことを考えさせられる。

 それは、捨ててきた生活のことだったり、過去に犯してしまった失敗だったりと、えてして自らを(さいな)むようなものが多かった。


 まるで人の心の弱みに少しずつ浸透してくるような霧。嫌な霧だ。


 ジュリアはつとめて内側へ(こも)ろうとする考えを、できるだけおおきく広げることにつとめて歩を進めた。



 五里霧中──もちろん今現在の自分はばっちり針路をとれているが、この風景とかけるにはピッタリの言葉だ──といえば、当世の世情もそうだ。

 大山脈をへだてた大陸の北では六大国が一触即発だというし、我らがロズ十市国の内部でも常に火種は絶えない。

 もともとが勝手気ままに育ってきた都市が国家となったものが、なんとなく境を接しなからより集まっているだけなのだから、無理もないといえばそうなのかもしれないが。



 そんなことを考えながら進んでいたのがいけなかったのだろうか。その異変の兆しである物音に、ジュリアは一瞬気づくのが遅れた。




 不意に、むかいの繁みからけたたましい音を立てて鳥が数羽飛び立った。ハッとして気を戻すと、続いてかすかな振動。おもわず身の毛がよだった。



「ヤバ───」


 独り言さえ続かなかった。下から一気に突き上げが来て、ジュリアは立っていられずにその場へへたり込んだ。



 ───ズズーン───



 まるで沼の底から突き破るように、とんでもない重量であるはずの泥をものともせず、その巨体は悠然と姿を現した。



「──ハネモグラ!!」



 全身の色は肌色。まるで羽根をむしられた七面鳥かチキンのような風体だが、その(おお)きさは比較する気にもならない。

 自分はまだ海を見たことはないが、そこに生息するという鯨とかいう生き物と比べたって、書物で読んだかぎり遜色はあるまい。

 どんな種に属するのかというのも今日まで学者たちがさんざん討論してきたが、どうやらドラゴン種の退化したものらしいという方向で意見はまとまりつつある。

 ちなみにハネモグラというのは俗称で、正式名称はニモオ・ピグモラケヒ・アムニモ──この世界の言葉で、ブタに似たもの、という。この名もかの伝説の種族の末裔だということになれば、すこしは改まるかもしれない。


 その名残といえるだろう、腹の脇に生えた、身体に比べれば小さな翼をぱたぱたやりながら、少しでも長く空中に留まろうとしているかのようだ。そして実際、飛び出してくる勢いが凄まじかったのか、あの巨体でかなりの時間、中空に留まっている。

 首が退化し、胴と見分けがつかなくなった頭部、そこについている金色をした瞳が、じろりとこちらを捉えた。

 そうして、腰を抜かしてぽかんと自分を見上げているジュリアを一瞥(べつ)すると、もんどりうつように巨体を翻し、津波かと思うような泥の壁を巻き上げながら、また底さえあるのかも怪しい沼に戻っていった。


 幸い生き埋めにはならなかったものの、腰の辺りまで泥に埋もれてしまったジュリアは、しばらくそのまま動けなかった。

 突然現れた大自然の洗礼に驚いたというのもあったが、彼女にとってハネモグラはむしろ馴染み深いものもので、その存在からして、彼女の人生のかなりの部分をしめるものでもあったからだった。


「······まさかこの辺りがハネモグラの棲息地だったなんて·········」


 叔母は知っていたのだろうか? だから誰にも何と言われても、ここを離れなかったのだろうか。


「?」


 思案する彼女の耳に、明らかにかの巨獣のたてた余波とは違う、もっと小刻みなバチャバチャという音が聞こえてきた。それに気付いて耳を澄ませてみると、たしかに人の声で助けを求めている。


 ジュリアはサッと顔色を変え、泥の中から立ち上がると、周囲に目を凝らした。

 ただ沼地はあまりにも広く、しかもあんなにでっかいものを見た直後では、なかなか離れた人間のような小さなものを捉えるのは難しい。


 いた。

 ちょうどハネモグラが飛び出してきたあたりの沼面に、盛大に黒い飛沫を上げている何かがいる。

 あのへんは水分が多く、他と比べて下が緩いのだろうか。もうひとつ、近くに浮かんでいる影は動かない。もしも人だったら真剣にまずい、急がなくては。


「待ってて、すぐ行くから! あとあんまり暴れないで! ますます沈んじゃうよ!」


 聞こえたかどうかはわからない。だがジュリアは精一杯の大声でそれを伝えると、頭の隅に引っかけていた帽子の中から一本の草の蔦を引き抜いた。

 それを泥の中に先だけ出して埋めると、その場に膝まづいて片手を大地にあてがい、口中でモゴモゴと祈りの言葉を唱えた。

 と、同時に、彼女の周囲に淡い霧のようなものが立ち込め、さきほどの蔦が植わったほうへと流れていき、たどり着いたかと思うとその場で螺旋を描きはじめ、泥の上に翠の発光をともなう魔法円を描きだす。


 ジュリアがさらに気合いをこめ、もう一度大地に手を押しつけると、にわかにその光の円は色を失い、それを受け継いだかのように植わった蔦が輝き鳴動をはじめた。そうしてあっという間に、それは巨大な(つる)へと成長したではないか。



 ジュリアは気を静めると、泥の沼のうえに一歩を踏み出した。彼女が足を踏みだすと同時に、その翠の蔓は沼内に浮きつ沈みつしてその先へ先へと、導くかのように延びていく。




 動けば動くほど自身が泥に呑まれていくのを感じる。まだ子供とおぼしき人影は、はっきりと足の下に底知れぬ虚無が広がっていることを悟り、全身の血が凍りつくような思いだった。

 たまらず悲鳴を上げるが、その口のなかにさえ泥は侵入してくる。言葉はたちどころに塞がれ、一気に鼻の下までが暗泥に沈みこむ。子供は涙と泥で顔をぐちゃぐちゃにしながら、最後に残った左手で精一杯虚空をつかんだ。


 だが、それも無駄なことだった。

 息が詰まる。苦しい。黒い靄のようなものが目の前にチラつきはじめ、意識さえも深淵に沈もうとしたとき───



「大丈夫!」



 わずかに開かれたその眼で子供はみた。


 ──天使······?


 いや、そうではない。その人には話に聞く鳥のような翼はない。白く長い衣を翻しているわけでもない。それでもその人は、たしかに泥沼の上にしっかりと立っている。足を踏み入れたものすべてを呑み込んでしまう泥の上に、その人影は──人影?


「~~~~~」


 声にもならない呻きを振り絞りながら、子供は必死に左手をその人影のほうへ伸ばす。その影は優しい手で子供の手をつつみ、まさに死の淵から引き揚げてくれたのだった。






 あれから一刻はたっだろうか。少々靄が濃くなってきた。

 この分だと今日のところは街へでることは出来そうにないし、こんなところで野宿するわけにもいかないのだろう。もし状況が許すなら、この子達をつれて一度家へ戻りたいのだが······。


 ジュリアは気の根元に座り込み、傍らに寝かせたふたつの寝顔をのぞきこんだ。ふたりともいまだ昏々(こんこん)と寝込んでおり、意識が戻るにしてももう少しかかりそうだ。


「どうみても、異民族の子──よね」


 全身泥まみれになっているが、その衣装の拵え(こしら)は、たしかに自分たちとは趣を異にするものだった。

 フードつきの毛皮のベストに、鮮やかな色──であろう──腰布。その下にはやはり革のズボンを穿き、ひとりは裸足だが、もうひとりの片足に残っているものから、革紐で編んだサンダルを履いていたらしい。その顔はまだあどけなく、歳は十にどどくかどうか、といったところだろうか。


 ふと、そのフードについている布地に余りがあることに気づいた。つまんでみると、頭頂部から耳元のほうへかけてぐるりと、何やら三角の装飾がついているのがわかる。ご丁寧に綿をいれて厚みまでもたせている。


「可愛い···」


 ジュリアはしばらくその三角のものをふにふにしていたが、そこでやっと思い至った。


「──そうか、このコ達、豹紋族の···」


 豹紋族。

 正式にはタルガシャグ族といい、南方の山岳地帯に生きる民である。

 基本的には狩猟民族として知られているが、放牧なども営み、彼らのつくるチーズなとが最近都では愛好されている。

 その生活様式は様々で、なかには街での生活を選び定住し、商売をするものなどもいれば、文明をうけ入れつつも伝統的な山野にを糧を求める生き方を選ぶ人たちもいる。

 このコ達はどうやらそちらの生活を好む一族のようだ。むき出しなっている腕は一般的な子供よりも痩せてはいるが、よく引き締まって鍛えられているのがわかる。

 ふたとりも髪は長いほうで、ひとりはくせ毛を首のあたりまで垂らし、もうひとりは腰の辺りまでもあるきれいな直毛を、三つ編みでひと括りのおさげにしている。

 おそらくくせ毛のほうは女の子で、おさげのほうは男の子。もしかすると兄妹かもしれない。


 そのとき、くせ毛のほうの子が、んっと呻いて身じろぎした。ジュリアが優しく顔にはりついた髪をかき分けてやると、熱い(まぶた)のしたからうっすらと、綺麗な金の瞳をのぞかせた。そのままゆっくりと上半身を起こしたが、突然息を詰まらせ、両手をついて地面に泥の塊を吐きだした。


「おちついて? 泥はもうほとんど吐き出せたから息が詰まることはないよ」


 子供はしばらく咳き込んでいたが、ジュリアが差し出した水筒をうけとると、それでがらがらとうがいをし、口をゆすいで中に残った泥を完全に吐きだした。


 荒い息をしながら、またゆっくりと横になる。

 ジュリアはめくれあがった布団代わりの毛皮をかけてやった。昨夜家で見つけ、すこしでも足しになればと持ってきたものだ。


「ミック···は?」


 少女とおぼしき豹紋族の子供は、ぱちぱちと音を立てる焚き火を眩しそうにみつめてから、その向こうに寝かされているもうひとりをみやって言った。


「大丈夫。さっき目を覚まして泥も吐いたから」


 少女は一瞬、おおきく目を見開いてジュリアを見つめたが、もう一度眠っている仲間のほうへ視線を向けると、ゆっくりと瞼を閉じ、うなずいた。





「ねえ! これ、どうなってるの?」


 うねうね動く謎の土台に支えられた担架に横になりながらも、豹紋族の少女は興味津々だった。もともとが好奇心の強い性格なのだろう。ちっとも怖がってはいないようだ。


「私の風土魔法。草木の力を借りて貴女たちを運んでもらってるの」


 頑丈な蔓数本でできた四輪つきの輿を先行させながら、ジュリアは苦笑した。さっき死にかけたというのに大したものだ。これならもう大丈夫だろう。


「風土魔法ってなにさ。って、魔法? あの、魔法? じゃあアンタ魔女なの?」


「アンタじゃなくて、ジュリア。ジュリア・アルカムゥ。せめてお姉さんくらいは言ってほしいわね」


「お姉さん? オバさんじゃなくて?」


「ちょっと? 命の恩人にたいしてそれはないんじゃないの?」


 顔を引っ込めた少女は愉しそうに、手で隠した口許をクフフとふるわせる。

 ジュリアも、なんだか久しぶりに人と話した気がして、すこし嬉しかった。ここに来てまだ一日ちょっとしか経っていないのに。やっぱり自分は田舎暮らしには向いていないのかもしれない。




 いっそこのま自分の家で介抱するという手もあったが、さすがにもう日も沈む頃でそれもはばかられる。それに、自らをセッチと名乗った一見少年っぽい少女が、(むら)は近くにあるというものだから、ジュリアはふたりを送っていくことにした。


 しばらく沼地のなかを、即席の乗り物にのったセッチに、あっちだこっちだと導かれながら進むうちに、大きな山の麓までやってきた。

 とても大きな山で、もう暗くてよくはわからないが、ひとつの山というよりは、山脈、といった方がよさそうな風である。


「もうここでいい」


 セッチはそう言うと、乗り物からピョイと飛び降りた。溺れかけた影響はもう残っていないらしく、元気なものだ。乗り物に揺られているうちにミックというらしいお下げの少年のほうも意識がはっきりとし、この頃には歩けるまでになっていた。だが、


 とはいえね······。


 今から回復したての身体でこの山を登るのはさすがにきついだろう。いくら通い慣れた道だといっても、とても手放しで見送る気にはなれない。


「やっぱり送っていこうか? ちょっとくらいの山道なら、まだこのコに任せて平気だし」


ううん、とセッチは首を横に振った。

「こうみえてけっこう入り組んでるし、道も狭いの。たぶんこの乗り物じゃ通れない」


「大丈夫、僕ももう自分で歩ける。そのほうが安全だから」


ミックもそう言って譲らなかった。


 こっそり邑を抜け出してハネモグラに近付いたあげく、船をひっくり返されて溺れかけ、全身泥まみれになった。

 このうえ送ってらったとあっては、さすがにふたりも帰りづらいのだろう。もしくは、見知らぬ人間を邑に連れてくることは禁じられているのかもしれない。

 心配ではあるが、ジュリアは黙って送り出すことにした。


「じゃあ、ちょっと待って······これを」


 背に負った荷から包みを取り出すと、それをふたりに押し付けた。


「これ、お弁当。途中で食べようと思ってたけど、食べ損ねちゃったから。

 そっちの水筒にはレモングラスっていう薬草でいれたお茶が入ってるから。胃の働きをたすけて下痢を抑えてくれるの。もしよかったら」  


 ミックは遠慮したが、セッチは「本当にもうすぐ傍なんだけど」といいつつも、礼を言ってうけとった。


「じゃ、ふたりとも気をつけて。元気でね」






 数日後。

 あらためての買い出しや、家内のあれやこれやの片付けをひと通り終えたジュリアは、やっと落ち着くことができた。


 沼地の朝はたいてい暗い。晴天の日でも太陽は山に遮られて昇るのが遅く、その光が泥沼の生む蒸気を温めて、まるで朝霧のような靄を育てるには正午近くまで待たねばならない。

 その靄が陽の光をとりとめのないものにして、周囲を気怠そうに浮かび上がらせる。 


 湿気は増すし、うす寒いし、そのせいで一日中微妙に暗い。だがその光景はどこか幻想的といえないものでもない。

 パチパチと控えめに焚いた暖炉の火で暖まりながら、ジュリアは立ったままゆっくりとティーカップを口元に運んでいた。


 あれからすこし経つが、あの豹紋族の子ふたりは元気だろうか。無事に邑まで帰りつけただろうか。とはいっても生まれ育った場所だ。山まるまる自分たちの庭のようなものなら、そこまで心配することもないのだろうけれど。


 そんな想いに耽っていると、ふいに、聞き慣れない音がした。

 なんだろう、また古木拵えの建物が家鳴りでもしているのだろうかと聴き入っていると、また同じ音が、まったく同じリズムを繰り返した。


 それが扉をノックする音だと気づくのに時間がかかったのは、我ながら意外であった。

 ここはそれほどに訪れる客も少なく、またジュリア自身の心中にあった、もう自分に会いに来る者などいまいという気持ちが蓋をしていたことは確かだろう。

 そんな自分にもすこし驚きつつ、またいったいどんな人物が──そもそも人だとしたらだが──やって来たのだろうかとどきどきもしつつ、ゆっくりと玄関のドアを開いた。


 にゅっと、視界いっぱいに籠が飛び込んできた。


「これお土産。このまえの御礼」


 すこし身体をずらしてみると、それを差し上げるセッチの元気な笑顔があった。



まことにありがとうございました。

今回でてきましたヘンテコな生物、ハネモグラがお話のキーとなります。

ブタににているのに名前がモグラで、おまけにドラゴン······煩雑でごめんなさい。


またお会いできれば幸いです。


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