ジョルジュの切望(ジョルジュ視点)
アイリスを初めて目にしたのは俺が十歳の時。
王宮では毎年、年が明けると国王への貴族方の謁見が行われるのだが、その後で新年最初のパーティーが盛大に開かれる。
父親であるヘンダーソン伯爵もそこに居並ぶ面々の一人。
そして母親と長男の俺もパーティーに招待されていた。
王宮の大広間でのそれはさすが豪華絢爛で、出される食事はもちろん、テーブルを彩る花々や壁に飾られる絵画、仕える使用人、給仕の数々、奏でられる心地良い音楽。
そのどれもが目を奪われる素晴らしさだった。
実はその場に招待されていたのは貴族方だけではない。
隣国の王太子や友好国の国王夫妻といった、高貴な方々も招待者だ。
ただの単なる新年のパーティーではない、その年一年の、そして未来を占う大事な会なのだ。
全てにおいて計算され、考え尽くされていたと思う。
父上と母上も着飾り過ぎない程度に正装。
でも、それだけでは目立てない。
いかにして存在感を示し、力を貴族方にわからせるか。
その画策とも言えるものが大事なのだ。
俺はというと、ちょうど適当な婚約者を探している最中だったせいもあって、窮屈なくらいの格好。
『いい事? ジョルジュ。 我が伯爵家を継ぐ貴方の縁談相手は私達に任せて、 貴方は皆様を観察しながら目と力を養うのよ』
それはつまり、より強いオーラと秘めた権力を持った人間の肩書きと行いをじっくりと見定めろという事だ。
でもだからといって、たかが十歳の子供を相手にするほど大人達も困ってはいない。
自分の身分が危ないような生活をしている人間なら、誰かがすり寄って来てもおかしくはないが。
見たところ、王宮に集まった貴族達の中にそんな下衆な人間はいないようだ。
誰もが高らかに笑い声を上げ、誰かを指しては囁き合っている。
強いオーラを持った人間というのはひと目でわかるもので、それが例えば良くない雰囲気なら排除しようという意識が動くものだ。
そしてそんな中に、一人の男が視界に入って来た。
その男はある爵位を賜ったばかりの所謂、成り上がりという俗物だ。
どんな手を使ったのかわからないが、たいした功績も上げていないのに貴族の仲間入りしたのだと父上達が蔑むように話していたのを聞いた事がある。
俺は成り上がりという生き物に会った事がなかったので、どんな生態をしているのだろうと興味津々だった。
ところが、その男は地位を持つ事に何の迷いも揺るがないらしく、年頃は父上よりも少し上か同じくらい。
成り上がりの元平民なら精一杯の着飾り具合なはずなのに、その男はまさに生まれつきの貴族といった雰囲気。
本当に爵位を賜ったばかりの成り上がりなのだろうかと疑問に感じるくらいだ。
そのせいか、周りに集まった者達は少しも爵位を賜ったばかりの成り上がりだとは気付かない。
むしろ気品さえ漂うのだ。
まるで、昔どこかの王だった、なんて言われても納得してしまいそうな。
納得させられそうな、そんな貫禄と圧倒的威圧さえ。
俺はそれ以上そこにいたら自分が霞んで卑屈になりそうな気がして、立ち去る事にした。
そしてもっと他の人間も見てみたくなった。
まだ子供の俺は背が低く、身体も小さかったので、ぶつからないように気を付けないと足を踏まれたり邪魔だと言われて突き飛ばされたりする事も少なくない。
そこで、とにかく周りに気を付けながら大広間を歩いてみた。
すると、そこにいたのは天使。
いや、天使と間違えるくらいの清純さと儚さを持つ聖女かもしれない。
綺麗な長い髪と控えめに立つ姿勢。
ドレスは決して豪華ではないが、似合うデザインが何かをよく知っているようだ。
そして、麗しい瞳の中に宿る炎と熱情。
俺は一瞬で恋に堕ちた。
『綺麗だ』
目を奪われるとはこんな感情なのか。
身体の奥から沸き上がる熱い感情に満たされるのを感じた。
俺は彼女に声を掛ける事にした。
彼女の名はアイリス・キャンベル。
この王宮で開かれるパーティーには初めて招待されたのだと言う。
『あの、もしかして……?』
彼女の父上はさっきまで観察していた、あの成り上がり男だったのだ。
俺は神に感謝した。
あの、成り上がり男にも。
今日もしも彼女に出会えていなかったら、いつかどこかの男と恋に落ちるか、或いは縁談が来て婚約者になるかもしれないのだ。
そう思ったら、俺の取る行動は一つしかない。
そんな俺の思惑を知ってか知らずか、彼女が言った。
『あちらにいらっしゃる方はどなたですか?』
彼女が手で指し示すそこから少し離れたところには、大人に囲まれて楽しそうにお喋りをしている集団。
『カークス・ウォーカー、伯爵家の嫡男です。 俺の幼馴染みで友人なんです』
『隣にいらっしゃる方は?』
『婚約者のメリル・ベネット子爵令嬢ですよ。 お似合いのお二人でしょう?』
当時、既にメリル嬢を婚約者に据えていたカークスはそのパーティーにも婚約者として同伴させていた。
正式な婚約はまだ少し先になるが、貴族方にはその事実は広く知られ、大人からの祝福を受けて二人とも嬉しそうだった。
『そぉ。 婚約者ですの……』
当時のアイリスは八歳。
そしてメリル嬢は確か七歳だっただろう。
幼いながらにも、カークスとメリル嬢の二人の仲の良さと育ちの良さ、そして幸せそうな雰囲気は感じられたはずだ。
ただ、まだ子供だった俺は人の心に眠る感情には何も気付いていなかった。
『ねぇ、ジョルジュ様』
その日のパーティーを終え、ヘンダーソン伯爵邸に戻った俺は父上と母上に思いの丈を伝えた。
二、三人の縁談候補を見付けていた両親は当然の如く、良い顔はしなかった。
それはそうだ、アイリスは元平民なのだから。
父親である、あの男はどんな手を使って爵位になったのかわからない。
そんな家系の女を伯爵家に迎え入れるわけにはいかない。
それでも俺は諦めなかった。
どうしてもアイリスと婚約したい。
彼女でなければ駄目なのだ、今でなければ。
アイリスが熱い視線を送っていたカークスに既に婚約者がいたとしても、この先どう関係性が転ぶかわからない。
一刻も早く、アイリスと婚約の儀を結ばなければ。
そしてアイリスも言ったのだ。
『私を婚約者にして下さらないかしら、ジョルジュ様』
カークスから視線を俺に移したアイリスの瞳にはもう熱は残っていなかったが。
それでも構わないと思った。
アイリスの愛は今はなくとも、婚約者でいればいつかその瞳が俺だけに向けられるはずだと信じて疑わなかったから。
俺は本当に子供で、何も知らない男だった。
☆ ☆ ☆
アイリスはあの時から俺の婚約者で、もうすぐ妻となる女。
式も間近に迫っている。
本来ならこの時期にというより、わざわざ自分が苦しくなるような事をすべきではない。
そんな事わかっているし、百も承知だ。
それでもこんな手段を取ったのはアイリスを愛しているからだ。
彼女を妻にする為に俺がどれだけの想いをしてきたか。
カークス、全てを手にするお前にそれがわかるか。
アイリスが求め、願った愛はお前なのだ。
そしてそのアイリスの願いを叶えさせてやりたいと願う俺の想いもまた愛なのだ。
例え、間違っていたとしても。
☆ ☆ ☆
執事のアルトに俺とカークスのコートと帽子を渡し、部屋へと向かった。
アルトのおかげで室内は温かい。
俺達が戻る前から暖炉に火を灯してくれていたようだ。
「アルト、もう遅いから休んでいいよ」
「承知致しました、お休みなさいませ」
今日は外がいつもより冷えていたから、パチパチと燃え踊るそれが俺の身体の奥を擽る。
俺の冷えた心だけは外に残したまま。
「アイリスは向こうの部屋にいるよ」
二人連れ立って俯き加減に向かう。
部屋の前まで来ると、そこで立ち止まってカークスを振り返る。
「さぁ、カークス。このドアの先で待つのは未知の世界だ」
一緒に行こう、地獄へと。
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