二十三、天を仰ぐは知なる僕か
西野宅のお風呂場に、私と伶奈、咲ちゃんに西野さんが集まった。
「それじゃ、頭を出して。」
西野さんは風呂椅子に胸を付け、後頭部を私に向ける。彼女にはタオルを噛ませており喋ることはできないが、小さく頷いたのを確認し、浄化を始めた。まず私は、禍々しく淀めいた彼女の頭に杓子で水をかける。
「んんんんん!! んんんんん!!」
西野さんは悶絶して風呂椅子に思い切りしがみついた。そのまま桶の水を半分くらい浴びせると、彼女は失神してしまう。追い打ちするようにもう半分も頭にかけると、体は痙攣を起こし椅子から落ちて床に倒れた。
頭からは、とんでもない量のドス黒い液体が溢れ出てくる。すかさず強力な光を浴びせるが、すぐに消えることはなく、穢れが床に広がる光景はまるで殺人現場のようだ。
「だ、大丈夫なの? 小百合ちゃん……」
咲ちゃんの顔は、伶奈の時以上に真っ青になっていた。
「すぐ意識が戻るわ。伶奈なら痛みがわかるでしょ?」
目を向けると、何も言わずに頷く。少し前の自分を見てるような感覚なのだろうか。とりあえず三人で彼女を椅子の上に乗せ直した。
五分くらいで小百合ちゃんは目を覚ましたが、それでもまだ穢れは溢れてくる。自分の頭から流れ出るモノを見て、西野さんは驚愕の表情を浮かべていた。
「触っちゃ駄目よ。俯いたままでお願い。」
そう言うと彼女は素直に従い、脱力した体制のまま声を出す。
「なんか頭がスッキリしてきたっス……この前幻覚を見ることが少なくなったって言いましたよね? 私……たぶん現実と幻覚の区別がつかなくなってたのかもしれないっス。」
彼女の汚染を見た時に、なんとなくそんな気はしていた。
「そうね、貴女正気じゃなかったもの。目がずっと虚ろで怖かったわ。でももう大丈夫よ。」
大量の穢れももうすぐなくなる。これで西野さんはなんとかなるだろうが、やはり彼女からは異形の手掛かりが得られない。この後図書館に行くべきだろうか。伶奈を向かわせるには危険過ぎるため、私一人で……
「ねぇ帯刀、光消えちゃったけど。いいの?」
手元を見ると、確かに明かりが消えていた。この懐中電灯の中には、光を発する何かを閉じ込め光らせている。私の恩師がハロゲンライトを改造して作った物だ。
「ああ、長く光らせ過ぎたわね。ごめんなさい。」
私はライトのスイッチを切り床に置き、西野さんの頭を触って状態を確認する。ようやく完全に浄化できたが、光が消える前に終わってよかった。
「もういいわよ。穢れは綺麗になくなったわ。」
西野さんが顔を上げると、その表情は見違えて良くなっている。
「えっと、帯刀先輩、本当にありがとうございました。」
彼女の肩を軽く叩くと、私は荷物をまとめて帰り支度を始めた。
「あれ、もう帰るんスか?! 何かお茶でも……」
しかし私は彼女の言葉を遮り、
「ありがとうね、気持ちだけ受け取っておきましょう。私はこれから図書館に元凶の調査に行くから、何かわかったら連絡するわね。」
荷物を片付けると、そのまま玄関に向かう。靴を履き外へ出たところで、呼び止められた。
「待ってー、アリス! 私も行くー!」
咲ちゃんはかなり乗り気だが、伶奈は少し暗い表情をしていた。
「伶奈はお留守番ね。貴女が来るのは危険だわ。」
そう言うと伶奈は短く返事をして、西野宅で別れた。
歩いて図書館まで行くには、結構長い距離を歩く必要がある。着くまでの間は咲ちゃんと二人きりになるが、こうして彼女と行動するのは初めてだったと思う。
「本見つかるかな? 私見ちゃったらどうしよう!」
咲ちゃんが言うように、私達が本を目にする可能性もある。そうならないために何か対策を考えておかなければ。
「じゃあさ、お互い目に入る位置で調べよう! 棚を見る時は必ず相手を意識して動けば大丈夫じゃないかな?」
彼女の意見に賛同し、万が一に備えて、図書館内でどう動くかを話し合う。もちろん現物が確認できる保証はないため、新島さんに話を聞くのが最大の目標だ。
「アリス! アリスが知ってる怖い話、何か聞きたいな。」
咲ちゃんが私の顔を覗き込みながら聞いてくる。その目には好奇の色が読み取れた。伶奈も昔からこの表情をずっと見ていたのだろう。
「そうねぇ。じゃあ粗案山子の話でも。えーっと、たしか御舘だったかしらね。御舘には粗案山子の伝承があるの知ってる? 昔、御舘には害をなす生き物を殺して、案山子として晒す習慣があったの。で、ある日重罪を犯して捕まった男が逃げたんだけど、呼び戻すためにその家族を田んぼに磔にしたわけ。」
私は一息つき、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「その家族は磔にされながらも、しっかり食事を与えられてたらしいわ。でも男は戻ってくることはなく、次第に食事も与えられなくなったそうよ。最終的に死に絶えたんだけど、その家族の怨念が未だに彷徨ってる、って話。」
彼女は興味深そうに頷いていたが、何か思いだしたように私を振り向いた。
「ねえ! そう言う話、どこで調べてくるの?! 私も知りたいなー?」
相変わらず咲ちゃんの目は煌めいている。少し躊躇ったが、私は意を決して話すことにした。
「人に聞くこともあるし、資料を漁ることもあるわ。でも歴史の資料から調べるには限界があるのよ。隠蔽や改変なんて当然のように行われる。だから私は本人達に直接聞いたりするの。」
咲ちゃんは説明を聞いて少し考えていた。それから驚いた顔になり、
「え? 幽霊と会話するの?!」
と顔を近づけてくる。私は彼女の顔を押し返し、お茶を一口飲むと、
「ええ、そうよ。ホント、気味が悪いわよね。」
皮肉か、自虐か、事実か。いや、すべてそうなのだろう。認めたくはないし、否定してほしい気持ちもあるのだが、それはあまりにも難しい話なのだ。
「どうやるの?! 私にもできないかな?!」
咲ちゃんは後ろ歩きで私に問いかける。嘘などない、純粋な目。
「ま、まあそうね。まずは……」
そうして図書館に着くまでの間、彼女に質問され続けたのだった。
図書館に着くと、咲ちゃんはトイレに、私は受付に向かう。
「あら? 愛里寿ちゃんこんにちは。」
私は新島さんに軽く挨拶を返すと、受付台から身を乗り出しながら、
「話があるんですけど。」
と迫った。新島さんは少し引き気味ながらも、新人の職員に受付を変わってもらい、私を裏の職員室まで連れてゆく。
「何かあったの?」
新島さんは心配そうに見つめてくる。
「単刀直入に聞きますけど。壊滅思想ってなんですか?」
彼女は驚いていたが、何かを思い出したような顔をしてから、
「あの金髪のお友達から聞いた?」
と聞いてきた。私が頷くと、彼女は頭を抱え考え込んでいたが、私の方に向き直り話をしてくれた。
「本当は誰にも言わないことになってるんだけど、愛里寿ちゃんならいっか。……ここ二、三年にその本を見たって人が出てきたの。愛里寿ちゃんのお友達で七人目。」
そう言うと新島さんは、棚からファイルを取り出し、私の前にそれを差し出した。
「特殊読本についての対応と情報管理について、ですか。」
中身を眺めると、壊滅思想と思われる本についての対策が書いてある。
「特殊読本は、さっき言ってた壊滅思想のこと。これは図書館の職員しか知らない話で、館長は口外しないように呼びかかけてた。ただ、館長も私達もその本が何かまったくわかってなくて、本のことを聞いてきた人がいたら、見ないように注意するぐらいしかできてないの。」
手元の紙にも、新島さんが話したような話が書いてある。しかしこれでは、あまりにも情報が足りない。ここで何気なく紙をめくったとき、その後ろには、壊滅思想を見たと思われる人のレポートが書いてあった。ほとんどの人間に、名前や性別等、大まかな特徴が書かれている。
「ところで、本を見た人達はどうなったんですか? こういうのを作ったってことは、それなりの出来事があったんですよね。」
すると新島さんは困った顔になる。そして話辛そうに、
「初めに本のことを聞いてきた小学生がね、気が狂って精神病院に行ったんだって。真面目な館長が事態を重く見て、さっきの対応策を考えたわけ。」
と説明してくれた。
「この人達の住所って教えてもらえませんか? 悪用はしません。」
さすがの新島さんも渋っていたが、無理に頼み込んで、情報を聞き出す。ここで受付にいた女性が、咲ちゃんが待っていると教えにきた。
「助かりました、進展があったら連絡します。」
私はそう言うと、受付まで戻る。目が合うなり咲ちゃんは私に寄ってきて、
「もぉー! どおして置いてくのぉー!」
と半泣きになっていた。
「せっかく来たんだから、一応あの本があるか探してみましょう。」
適当にそんなことを言うと、彼女は一転やる気になる。手始めに一番奥側の棚を探してみたが、それらしい物は見当たらなく、咲ちゃんにも変化はない。
それからしばらく散策していたが、これといった収穫は得られなかった。
「うっす、帯刀。」
突然肩を叩かれ、私は声を上げて飛び上がってしまう。振り向くと、ニヤけた顔の伶奈が立っていた。
「な、なんで貴女がいるのよ!」
伶奈はへらへらと笑っており、それに気付いた咲ちゃんも合流する。
「だってさ、見たことない二人で調べても仕方ないじゃん。私が探してみるから、何かないか見張っててよね。」
相変わらず肝が座った女性だ。それとも、バカなだけなのだろうか。
「貴女ねぇ! 私は……わ、私は友達を犠牲にしてまでそういうのは……」
途中で恥ずかしくなり、口ごもってしまったことがより羞恥心を掻き立ててしまう。
「いいからいいから! なんかあったら帯刀がなんとかしてくれるでしょ?」
無責任にも感じる発言だが、自分のことを信頼してくれているのは嬉しい。
「はぁー、わかった。咲ちゃん、伶奈を見張るわよ。」
ふと騒ぎ過ぎたと思い周りを見渡したが、運良く誰もいないようだった。伶奈に目を戻すと、彼女は天井を見上げている。しかし釣られて上を見てもそこには何もない。
「いなくなったのかもしれない。」
伶奈はそう呟くと、私の方に顔を向けた。言葉の意味を認識できないでいると、彼女は、
「たぶん、だけど。もういないと思う。」
とだけ言って、おもむろに目の前の本を手に取ると、ソファに腰掛けて本を読み始めてしまった。
「アリス、どういうこと? よそ見してたらいつの間にか上向いててさ……」
咲ちゃんが小声で聞いてくる。
「わっかんないわよ……見た感じなんともなさそうだけど。私もちょうど目離してたのよね。」
なんともならないので、伶奈の隣に座って彼女の様子を確認してみる。
彼女は突然背筋を伸ばし、私に顔を向けた。伶奈の目は虚ろで、焦点も定まっていない。
「さん、いち、ご、はち、ろく、よん、よん、なな、さん、はち、きゅう、いち、さん、いち、いち、に、ご、はち、なな、きゅう、いち、さん、ろく、ろく、きゅう、はち。」
そう言い残し、彼女は崩れ落ちた。私はすぐに伶奈を起こすと、彼女は正気に戻ったらしい。
「ごめんごめん。ちょっと頭痛しただけ。」
そうは言うが、伶奈の顔色は悪い。咲ちゃんが、
「伶奈、ホントに大丈夫?」
と心配そうにしている。伶奈は強がっているのか大丈夫だと言い張り、立ち上がろうとした。しかし、ぐらついてまともに立っていられない。
「ちょっとまずいよ! 横になって。」
咲ちゃんに促され、ソファに横になる伶奈。そのうちに新島さんが騒ぎを聞きつけ様子を確認しに来たが、伶奈の具合が悪いのを見て受付の方に走って戻った。それから彼女は薬箱を持って、
「大丈夫? どこが具合悪いの?」
と駆け寄って来たが、伶奈は大丈夫と言うだけだ。話し合った結果、下手に動かさないほうがいいとなり、彼女の様子を見ることに。
十分ほどすると伶奈は起き上がる。
「もういける。ごめんみんな。」
そのまま立ち上がると、伶奈は本を元の場所に返し出口に向かう。私達は新島さんに挨拶してから、伶奈に続き図書館を後にした。




