十六、愛する者へ
暗い。暗い。真っ暗だ。
視界が暗転し何がなんだかわからなくなる。とその時だ。私の目にある景色が映された。
古くボロボロの部屋。私は薄汚れた服を着た女性に首を絞められている。もがこうと手を伸ばすが、私の手はあまりに小さく非力であった。次第に薄れてゆく景色。
しばらく暗闇を眺めていると、再び視界は鮮明に辺りを映しだす。次に見たのは華やかな着物を着た女性。横にいる男の指示を受け、震える手で私に刃物を振り下ろす。痛みが身体を震わせる。辺りが赤く染まり、しかし女性はそれでも手を緩めることはない。そのうちに私の視界は暗転していった。
次に目を開けた時、私は途方もないほどの空腹感を覚えていた。呼吸は浅く、心臓が力なく脈を打っている。すると一人の女性が視界に入った。しかし彼女は私に目もくれず、何かを食べている。少し腕を上げたところで体の力が抜け、視界は黒く沈んでいった。
突然意識がハッキリとしてくる。私の心は、底無しの憤怒で満たされ、母親への復讐を望んでいる。頭の中には、母との嫌な思い出が溢れかえり、それは次第に殺意へと研ぎ澄まされてゆく。
さあ、あの女を殺しに行こう。
「……そうに。……あった。」
殺しに行こう。
「おも……しい。……んかいだ。……ははぎ……はなし……」
殺しに行け。
「少しずつはな……じ間はある。……だけは忘れてはならん。」
殺せ。殺せ。殺せ。
「母君は、心からお嬢さんを愛している。」
魂が引っ張られるような感覚に陥った。
気が付くと、一人の女性が私を見ている。寝そべった私は、女性が持つ玩具に夢中で手を伸ばす。
「伶奈ちゃん楽しいねー、うふふ。愛しい我が子……」
誰だ? 私を知っている? ……いや、私も知っている。私の、大切な人。
「ママ?」
突如視界が開けた。私は体の八割ほど、堕閫童磔に呑み込まれているではないか。首までなんとか外に出し振り向くと、帯刀と咲が視界に入る。
「伶奈ー! 大丈夫?!」
咲は心配そうな顔で見つめている。体は現在進行形で呑まれているのに気が付く。そんな状態でも冷静に周囲を把握し、身体中の全感覚を研ぎ澄ませる。手にはまだ短刀の感触が残っていた。そこから思いっ切り刀を上に引っ張る。
「きぃゃああああああ!!」
甲高い奇声とともに、私は体の半分程度解放された。腕はまだ埋まっているが問題ない。そのまま体を引き抜きながらヤツの体を斬ってやる。
もう一つ悲鳴を上げた時、切り目の先に何が見えた。
そこでヤツは再び活動を再開させる。流動するヤツの体に身動きが取れなくなり、再度呑み込まれてそうになってしまう。
「あああああああああ!!」
絶叫とともに何かが近づいてくる。不安定な体勢ながら、声のする方をなんとか確認した。
まずい! 多羅女がこちらに飛び込んできたのだ。しかし多羅女は私に手出しする気配はない。それどころか、多羅女の大量にある顔から、これまた大量の腕が伸びて堕閫童磔を抑え込んだ! さらによく見ると、堕閫童磔の足元にも、赤ん坊が群れをなしてヤツを抑えている。
……今しかない! もう一度斬りかかり、切り目に手を伸ばす。何か柔らかい物が手に触れた。もっと腕をねじ込むと、頭はほとんど埋まってしまう。
……掴んだ!
思い切り引っ張るが、地面から浮いているため思うように引けない。空いた片方の手で二人に手招きをしていると、その手を思い切り引っ張られた。
私は手につかんだ何かごと、堕閫童磔から引っこ抜かれる。掴んだ何かをかばって、私は腰から思い切り着地した。見計らった帯刀は、ただの黒いドロドロと化した堕閫童磔に駆け寄る。
「これで終わりよ、このクズめ。」
帯刀はそう言って何か唱えると前回同様小瓶を近づけ、その途端ヤツは小瓶にズルズル吸い込まれていった。
残された、生者三人と死者の親子。次の瞬間多羅女の顔から、果実が落ちるように人の頭が落ちてくる。落ちた頭一つ一つが人の体に戻り、何かを探し始めた。そう、自分の子供だ。よく見ると彼女達の身なりは、ほとんどが古風な物で、現代的な格好をした人は数人程度だった。そして彼女達は自分の子供を抱き上げると、皆私達に近付き、一礼して消えてゆく。誰もが安堵の表情をしていた。
しばらくして、私に向かい土下座する女性が現れる。よく見れば、近所に住んでいたおばさんではないか。私にひたすら謝っているところを見ると、咲の言う通り彼女が私を攻撃していたのだろう。……その後ろで赤ん坊が彼女の服を引っ張っている。
「息子さん、待ってますよ。行ってあげて下さい。」
そう伝えると、彼女は涙を流しながら頭を下げた。そして子供を抱き上げ、ゆっくり消えていった。
そうして幾人も消えていった後に残されたのは他でもない、錐馬の多羅女その人だった。他人の顔を纏わぬその姿は普通の人間であり、おかしなところなど見当たらない。彼女は私の元に来ると、私の手元を見つめている。
「ああぁ! あぁ!」
突然手元の黒い何かが鳴きながら動き始めた。
そうか。これは……いや、この子は、多羅女の子供なのだ。
私は赤ん坊を彼女に手渡すと、愛おしそうに抱き上げる。もはや、人の形でさえない我が子。
彼女は私達に一礼すると、他の人とは違い、歩いて道の先へと、暗闇の中へと溶け込むように去っていった。




