河童少年のモイモイモイスチャー日記 其ノ二十九
近ごろは雨ばかり降っているからといって河童が喜ぶと思ったら大間違いだ。川が増水すれば河童だってもちろん溺れるし、単純に遊び場もなくなってしまう。たしかに河童は雨が嫌いではないけれど、薄暗い曇天だとやはり憂鬱になるのも確かで。
つまり河童にとってのベストウェザーは「天気雨」で、どうやらそのことを《キツネの嫁入り》と言うらしい。どうせ意味なんてたいしてないんだから、《河童の婿入り》でも別にいいんじゃないのか。
人間にとっての不思議さ度合いでいうならば、どっちだって変わらないだろう。いやむしろ河童のほうがレア度が高くて驚かれるくらいかもしれない。それに河童のほうが終始濡れているイメージはあるはずだから、雨にふさわしいのはどう考えてもキツネよりは河童のほうだ。金田一なんちゃら先生にはぜひ考え直してもらいたい。
ちなみにじいちゃんは雨が降ると甲羅と背中のあいだがシクシク痛むらしく、雨の日にはラジオのCMでお馴染みの「痛散湯」を飲んでいる。たしかになんの痛みにでも効きそうな無敵感のあるネーミングだけど、河童の痛みにまで効くのかどうかはわからない。たぶん説明書にもそうは書いてないと思う。逆にそう書いてあったら人間には効かないような気がする。
そういえばこのあいだ大雨で川が増水していた日、じいちゃんと一緒に川へ様子を見に行ったら、まるで嘘みたいな話だけど、本当に川上から猛烈な勢いで桃が流れてきた。
といってももちろん童話のように巨大な桃なんかではなくて、本当に普通にスーパーで見かける標準的なサイズの桃で、流れるスピードも速すぎてとても捕まえることなんかできずただ呆然と見送るほかなかった。
それでもとんでもない濁流に飲み込まれることもなく、むしろ波の表面を巧みに乗りこなしているように見えたのは、やっぱり中に人がいたからなんじゃないかと僕はにらんでいる。たぶん中にはサーファーみたいな姿勢で、横向きで膝を曲げてバランスを取っている小さな桃太郎がいたに違いない。
それに川の手前には、桃を追いかけるように併走する野良犬だっていたし、僕の橫にいるじいちゃんの甲羅と背中のすきまからは濡れた猿のようなにおいがした。川の上にはキジだって飛んでいたように思う。いや鳥になんか全然興味はないので、それがキジなのかどうかなんて見分けはつかないけれど、たしかになんらかの鳥はそのへんを飛んでいたはずだ。そういえば濡れた猿のにおいなんか一度も嗅いだことはないけど。
そうして桃を見送った僕とじいちゃんは、そのまま川沿いのベンチに腰かけて次の桃を待っていた。すると今度はピンク色のフィルムを巻かれた、500mlサイズの中身のないペットボトルが流れてきて、僕は即座にそれがピーチ味の炭酸飲料であることに気がついた。やっぱりこの川には、どうやら桃関連の物ばかり流れてくることになっているらしい。
だけどそうなると、桃の実はすっかりすりつぶされたうえに飲み干されてしまっているわけで、それってつまり桃太郎の――さっき流されていった桃の中にいる桃太郎とはまた別の桃太郎がいればの話だが――敗北を意味するんじゃないかと思った。つまり桃ジュースというのは、鬼の圧倒的な勝利を意味するのかもしれない。
でもよくよく考えてみると、あの手の炭酸飲料はたしか無果汁であったような気がする。だとすれば桃太郎はジュースの原材料ではないということになるが、そうなると今度はその飲み物のどこがどう桃なのかがすっかりわからなくなってくる。
「無」であることを誰しもが勝手に名乗って良いならば、なんだって自称してしまえば言ったもん勝ちなんじゃないか。桃の無果汁を名乗って良いならば、ドラゴンフルーツの無果汁を名乗っても良いわけだし、もっと言えば僕が無果汁の河童を名乗ったって構わないのかもしれない。いやそもそも僕は果物じゃないし、河童ってむしろいろいろと汁をしたたらせがちなほうなんだけど。
――なんてどうでもいいことを考えながら荒れ狂う川を眺めていると、今度は上流から何やら真っ赤なパック飲料のパッケージが流れてきた。するとじいちゃんが、ほじっていた鼻の穴から抜きたての指でそれをさして言った。
「あれは酒の空箱だな。よくある鬼ころしってやつだ」
つまり桃太郎の鬼退治は成功したってことなのか。しかしなにも殺さなくたっていいのに。そうやってあらゆる平和を願いながらじいちゃんと家に帰り、やはり桃ではなくキュウリばかりの夕飯を食べ終えたころには雨上がり河童隊。




