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河童少年のモイモイモイスチャー日記  作者: 吟遊蜆


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河童少年のモイモイモイスチャー日記 其ノ二十七

 学校から帰ってきてドアを開けた勢いのまま玄関に飛び込むと、足もとの大きな四角い物体につまずいていきなりヘッドスライディングをかましてしまった。何をそんなに急ぐことがあるのかという感じだけど――実際のところ別になんの用事もなかったし――いつ何時でもスピードを追求するのが小学生という生き物なのだ。それは河童だって変わらない。


 考えてみればゆっくりドアを開けて家に入ったことなんて、一回もないかもしれない。学校でも、余裕をかまして教室に入ってくるのは先生と相場が決まっている。この先たっぷり時間のある子供のほうが生き急いでるなんておかしな話だけど、いざ教室に入ってしまえばチャイムが鳴るまで友達とダラダラお喋りしてたりするわけで。いつも暇だ暇だとことあるごとに漏らしてる自覚だってあるし、全然生き急いでるとは言えないような気もする。


 いや今日はそんな話をしたいんじゃなくて、問題はそこに大きな未確認固形物体が待ち受けていたということのほうだ。僕はすっくと立ち上がって後方の物体にうしろ髪を引かれながら廊下を進んでいくと、居間にお客さんが来ていた。


「よう、お久しだなモイ彦」


 食卓の上に新鮮なキュウリを並べていたのは、高校生になったいとこのスチ朗兄ちゃんだった。兄ちゃんは河童の最先端というか、とにかく流行に敏感でフッ軽なティーンエイジャーという感じで、なんでもかんでもいち早く飛びつく傾向がある。


 どうやら玄関に放置してあったのはスチ朗兄ちゃんのリュックであるらしく、兄ちゃんは最近やり手の河童CEOが立ち上げた「カッパーイーツ」のバイトをはじめたのだという。「カッパーイーツ」というのはつまり河童専用の「ウーバーイーツ」みたいなもので、しかしウーバーと違ってカッパーのほうで運ぶのは、もちろんキュウリに限られる。


 今日は母親が初めて「カッパーイーツ」を頼んでみたら、たまたま配達員がスチ朗兄ちゃんだったらしく、ついでだからそのまま夕飯でも食べていけば、という話になったらしい。


 スチ朗兄ちゃんいわく「カッパーイーツ」の仕事も結構大変らしく、何が大変かといえばとにかく河童の特徴であるところのヘッドソーサーと甲羅のコンディション維持が難しいのだという。


「カッパーイーツ」も「ウーバーイーツ」と同じく、基本的には自転車で配達にまわることになっている。そうなるとにわかに浮上してくるのが、ヘルメットをかぶるのかかぶらないのかという問題で、そもそも河童の頭にはあらかじめヘルメットのような物体が載っかっているという事実が、話を少々ややこしくしているようで。


 それでも安全面から考えて、もちろんヘルメットをすることが推奨されてはいるのだけど、実際のところ配達中にノーヘルで人間の警官とすれ違ったところで、注意を受けることはないらしい。それは人間が河童のヘッドソーサーの硬度を思いのほか高く見積もっているからなのか、それとも河童が事故に遭ったところでどうでもいいと思っているからなのか。


 僕の見解ではむしろ河童は何もかぶってないほうが自然で見過ごされやすく、逆にメットをかぶってる河童のほうが違和感がありすぎて職務質問とかされてしまうんじゃないかと思う。河童がヘルメットをかぶって自転車を漕いでいる姿は、人間からするとヘルメットをかぶったまま店内に入ってくる銀行強盗やコンビニ強盗くらいのインパクトはあるんじゃないか。


 だけどやっぱり急所のヘッドソーサーは守りたい。そう思ったスチ朗兄ちゃんは、とりあえずヘルメットをかぶることにしてみたんだけど、いざかぶってみたらヘルメットの内部がムレムレに蒸れまくってしまい、速攻でヘッドソーサーにカビが生えてしまったのだという。


 そうなれば今度はノーヘルで、ヘッドソーサーむき出しのまま走るほかないわけだけど、それはそれで走れば走るほどに風を受けて皿の表面が乾燥し、簡単にひび割れてしまうらしいのだ。 


 結果、スチ朗兄ちゃんはヘッドソーサーむき出しの場合には信号で止まるごとにいちいち保湿液を塗らねばならず、またヘルメットをかぶる際には中にシリカゲルのような除湿剤を大量に仕込まなければならなくなり、その両者を毎度交互に試しては、湿りすぎたり乾きすぎたりして文字どおり頭を悩ませているのだという。――シリカゲル 漢字で書くと 「尻翳る」(モイスチャー川柳)。


 加えて甲羅のほうにも同じような問題があって、こちらもあの大きなリュックを背負うとなると、やっぱり背中が蒸れて仕方がないらしい。そもそも河童には初期装備として甲羅がついているわけで、その上にさらにもうひとつ乗せるとなると窮屈なことこの上ないし、甲羅の下の背中があせもだらけになってしまう。


 もちろん甲羅を取りはずしてじかにリュックを背負うという方法もあるのだけど、そうなると通気性こそ多少はマシになるものの背面の防御力に少なからず不安を抱えることになるし、今度はトレードマークのひとつである甲羅がないせいで、外見上いまいち河童に見えないという問題が浮上してくる。


 すなわち甲羅を背負っていない河童というのは、人間からすればどうやら緑色の全身タイツ姿で自転車に乗っている奇人に見えてしまうらしく、「カッパーイーツ」が導入されて以降、近隣のPTA会合ではすでに何度も議題に挙がっているらしい。妖怪である河童よりも人間の変態のほうを人間が怖れているというのは、河童にとってはむしろ朗報ではあるんだけど。


 ところでスチ朗兄ちゃんはなんでそんなまでして稼ぎたいのかと尋ねてみたところ、いまから高校の軽音部に入ってバンドをはじめたいのだという。


 ならばなんの楽器をやりたいのかと訊くと、エレクトリックな楽器は感電の怖れがあるから扱えず、フロントマンとして動きまわるのも客席に飛沫が飛ぶから難しいというのっぴきならない理由から、河童には消去法でドラムしか選択肢はないらしい。そうなると家で叩くわけにもいかないので頻繁に貸しスタジオへ通わなければならず、お金はいくらあっても足りないのだと。


 じゃあそんなにまでしていったいどんな曲をやりたいのかと思ったら、やはりそこは河童としての主義主張があるようで、まずは美空ひばりの「川の流れのように」と井上陽水の「リバーサイド ホテル」の二曲を演奏したいのだ、とスチ兄ちゃんは激しくエアドラムを叩きながら豪語してきた。


 僕はその二曲とも、じいちゃんがテレビに合わせて歌ってるのをかろうじて聴いたことがあるくらいだけど、どちらもドラムが活躍している印象はまったくない。特に「リバーサイド ホテル」に関しては、たしか冒頭からポクポクと謎の木魚みたいな音が病的に鳴り続けていたはずで、ひょっとしてあれをやりたいのだとすれば、大きなドラムセットなんか全然必要なくて、そうなると「カッパーイーツ」のバイトをする必要もないような気がする。


 と、そこへフラフラと帰ってきたじいちゃんが脇の下に抱えているのは、河原で拾ってきた木魚。にわかにじいちゃんとスチ兄ちゃんがキュウリでそいつを叩きあう木魚ソロ合戦がはじまって、僕はそれに合わせて踊る役。

【Gemini氏によるちょうちん解説】

◆現代を生きる妖怪たちの、愛おしき「キュウリと木魚のブルース」


「いつ何時でもスピードを追求するのが小学生という生き物なのだ。それは河童だって変わらない」


 本作の冒頭、勢いよく玄関に飛び込んでヘッドスライディングをかます主人公・モイ彦のモノローグから、私たちは一瞬にしてこの奇妙で愛おしい「日常ファンタジー」の世界へと引きずり込まれる。妖怪である河童が、ごく当たり前のように人間の現代社会に溶け込み、小学生として生き急ぎ、あるいは高校生としてバイトやバンド活動に勤しんでいる。この作品の最大の魅力は、その「非日常(妖怪)と日常(現代社会)の絶妙なミスマッチ」が生み出す、上質なシュールコメディの味わいにある。


 物語の中心となるのは、モイ彦のいとこである高校生河童・スチ朗兄ちゃんだ。彼は流行に敏感なティーンエイジャーとして、河童専用配達サービス「カッパーイーツ」(運ぶのは当然キュウリのみ)の配達員にいち早く挑戦している。ここで読者は、作者の驚くべき発想力と、妙に解像度の高い「河童の生態考証」に舌を巻くことになるだろう。


 自転車配達におけるヘルメット着用のジレンマ。かぶれば内部が蒸れて急所のヘッドソーサー(お皿)にカビが生え、ノーヘルで走れば風で乾燥してひび割れる。苦肉の策としてシリカゲルを仕込めば、「シリカゲル 漢字で書くと 尻翳る」という見事なモイスチャー川柳まで飛び出す始末だ。さらに、初期装備である「甲羅」の上に配達用リュックを背負うことの息苦しさや、甲羅を外して自転車に乗ると、人間からは「緑色の全身タイツ姿の奇人」に間違われPTAの議題に挙げられてしまうという悲哀。


 妖怪が現代のギグ・ワークに従事した際に直面するであろう労働環境の過酷さが、これほどまでに論理的かつユーモラスに描かれた作品が過去にあっただろうか。


 また、スチ朗兄ちゃんがそこまでして稼ぎたい理由が「軽音部でドラムを叩きたいから」というのも秀逸だ。感電防止と飛沫対策という、水棲妖怪ならではの切実すぎる消去法で選ばれたドラム。そして、彼が熱望する演奏曲が「川の流れのように」と「リバーサイド ホテル」という、徹底した「川属性」へのこだわりには思わず吹き出してしまう。


 物語の結末は、ふらりと帰ってきた祖父が河原で拾ってきた「木魚」を、キュウリのバチで叩き合うというシュール極まりないジャムセッションで幕を閉じる。モイ彦の冷静で少しドライなツッコミ視点を通して語られていた物語は、最後に家族の温かな狂騒へと着地するのだ。


 人間社会のルールや流行に振り回され、皿の湿度や背中のあせもに悩まされながらも、彼ら河童はどこかたくましく、そして楽しげである。効率やスピードばかりが重視される現代社会において、キュウリで木魚を叩いて踊る彼らの姿は、我々人間に対して「もっと肩の力を抜いて、自分のリズムで生きてみれば?」と軽やかに笑いかけてくれているような気がしてならない。


 ページを閉じた後、街中でウーバーイーツの大きなリュックを背負った自転車とすれ違うたび、少し背中が蒸れていないか、あるいはそのヘルメットの下にお皿が隠れていないか、つい想像してしまうことだろう。本作は、私たちの何気ない日常の風景に、ささやかな魔法と笑いをかけてくれる珠玉の一編である。

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