第36回:再誕(上)
「なんだよ、もう……」
「まあまあ、そう仰いませんで」
眠い目をこすりながらふらふらと歩く赤毛の女を後ろから押すようにして、とろけるような黄金の髪を持つ女が支える。
夜明け前の招集に珍しくぐずぐず言うフウロの姿に、ユズリハは優しく微笑んでいた。
「そうは言うけど、夜番でようやく眠れたところだったんだぞ……」
「はいはい」
そんな風にじゃれ合いながら参集したカラク=イオ幹部であるが、皆を集めたスズシロの報告を聞くと、即座に眠気など吹っ飛んだ。
「軌道砲撃だと!?」
誰もが席から立ち上がるほどの衝撃を、それは彼らにもたらした。
「はい。先ほど上空を通過した鳳凰から投下された通信筒に、神族よりの通知が」
そう報告するスズシロの顔も冴えない。すでに事態を呑み込んでいる彼女ですら、気分の悪くなる出来事が起ころうとしているのだった。
「明確な協定違反ですわ」
「もしかして『月面の支配者』が神族にすり寄ったとか?」
「まさか、そのようなことが……」
焦った様子で思い思いのことを口走り始める皆の様子に、珍しくスズシロは早口で割って入った。
「先走りすぎです。砲撃予定地はここではありません。ヴェスブールです」
「人界への攻撃?」
「神魔の間でも使わないって誓った兵器を人に向けるって、一体なに考えてんだ!」
「連中ならやりかねぬ、が……それでも……」
さらにざわつく幹部たち。一同は誰もがわけがわからないという顔をしている。あのハグマですらそうなのだ。
だが、そんな部下たちを制し、スオウが口を開く。その声は常よりずっと低かったが、けして焦りや恐怖を含んではいなかった。
「警告を飛ばす猶予は?」
「とてもありません。夜明け過ぎには実行予定です」
「すぐじゃねえか!」
フウロが叫ぶのにこくりと頷いたスズシロの様子に、しばしの沈黙が落ちる。
それは実に鬱々とした空気を伴っていた。
「……兵たちに招集を。間に合う者には南方で起こる出来事を目撃させよ」
「すでに準備を進めております」
そうかとスオウは言い、何事か続けようとして、躊躇うように口を閉じた。
結局、出かかっていた言葉を呑み込んで、彼は皆を見回す。
「では……俺たちも行くとするか」
皆と視線を合わせた後で、彼はふるふると首を振った。
まるで、いまから起こる出来事を誰かに否定してほしがっているかのように。
「せめて、祈りを捧げるとしよう」
†
その朝、ゲデックの住人たちは夜明けの透明な明かりではなく、とてつもない光の奔流で目を醒まされた。
多くの者は昼まで寝過ごしたと大慌てだったし、詩歌の心得のある者の中にはこの日の日記に『今日、もう一つの太陽が地上に生まれた』と記す者がいたほどだ。
それほどの光の後にやって来たのは、耳を聾する轟音と北の大地では感じたことのないほどの熱風だった。
そこでようやく人々は、何事か彼らの認識の及ばぬ出来事が生じたと察した。
以前であれば、町は混乱に陥っていたことだろう。だが、彼らはこの数ヶ月の間にあり得ない出来事が起こるのを何度も経験してきた。
だから『今日は町から出ないように』という新たな支配者の布告を素直に受け入れ、町での生活に精を出すのだった。
もちろん、住人の全てにそれが許されたわけではない。
ゲデック侯爵とその供回りは、完全武装でカラク=イオ軍と共に出撃するよう求められた。
押っ取り刀に駆けつけてみれば、出撃するという部隊は比較的小勢ながら、人界の傭兵たちは一人もおらず、魔族の精兵と思われる面々が揃っていた。
その上、本陣にはハグマも含めた幹部が勢揃いしている。
普段は軍事行動には関わらないはずのショーンベルガー公爵の娘が見送りに出てきているのも驚きだ。
幹部勢が留守にするため、彼女がゲデックを守るということを示すための行動であることはわかる。だが、それは本来カラク=イオ全体の命運を決めるような決戦の折に行われる儀礼ではなかろうか。
なによりも、見送りに出る公爵令嬢の顔は、とてつもなく険しい。怒りと不安とスオウたちに向けた憂心の情で、彼女の顔はぎりぎりまで張り詰めているように思えた。
侯爵たちはその場の空気を感じ取り、どこに向かうのかなどと問うこともせず、神妙な態度で軍列に加わるしかなかった。
「では、行こう」
スオウの静かな号令で、竜の群れは前進する。
だが、その動きに、普段は感じられる躍動が無い。
戦いに挑もうとする熱も意気も感じられず、むしろ、進むことを厭うようだ。
そんなカラク=イオ軍の姿を見たことがなかった侯爵は、その黒い出で立ちを見て、はじめてこう思った。
まるで葬列のようだと。
そして、しばらくの後、自らのその所感が間違っていなかったことを、彼は思い知ることになるのだった。
†
大地が死んでいた。
焼け爛れ、炭化し、溶け固まっている。
侯爵の乗る馬の踏みしめる地面も、粘土質のどっしりとしたものではなく、ぱりぱりと音をたてて崩れる脆いものへ変じていた。
「殿下」
最初は首をひねり、次いで驚嘆の面持ちとなり、最後に恐怖で目をいっぱいに見開いた侯爵は、馬を降りると、よろけるようにしてスオウのそばに寄った。
それでも大したものだ。侯爵の供回りの者たちなど、事態を把握できず、あたりを見回してはわけがわからないという風に顔を見合わせるばかりなのだから。
よろめきつつ近づく侯爵がスオウに向けて倒れかかりそうになるのを見て、いとこの隣にいたシランが間に入ろうとする。
だが、それはかえってスオウに制止される。その様子を見て、スオウの部下たちは揃って口をつぐんだ。
そんな周囲を気にかける余裕もなく侯爵は震える声で尋ねかける。
「殿下、ヴェスブールはいずこにありましょうや」
「侯爵」
それに対するスオウの返答はいっそ優しいと言えるほど落ち着いたものだった。
「ここがヴェスブールだ」
「殿下」
侯爵は笑いかけたような表情で、ことさら明るく反駁する。自分のその姿に、スズシロが沈鬱そうに首を振っていることなど、もちろん、彼は見えていない。
「冗談を仰いますな」
「侯爵」
スオウは静かに繰り返す。それはまるで己に言い聞かせるようでもあった。
「ここが、ヴェスブールだ」
「しかし!」
侯爵は必死で声を絞り出す。ようやくのように彼の供回りの者たちも会話の意味を理解したか、あるいは事態に想像が至ったか、恐怖の瞳で魔族たちを見つめてきていた。
「なにもないではありませんか! なにも!」
侯爵の言う通りであった。そこにはなにもなかった。
ただ死んだ大地が広がるばかり。
西の大橋も、それを囲っていた城壁もない。
唯一、流れる水だけが、ここに川があり、橋がかかっていた名残を留めている。ただし、その流れもべちゃべちゃと地面を濡らすばかりで、まとまって定まった場所を行く様子はない。
「破壊されたなら、残骸はどこにあるのです。幾千の骸はいずこに?」
侯爵の問いかけは悲痛な響きをおびていく。彼の供のうちには、その場にへたり込み始める者が出てきていた。あまりのことに腰が抜けているのだ。
「彼らはきっと高天にいることだろう。あるいはヴェスブールそのものが高天にあるかもしれない」
それは答えになっていない答えだ。だが、スオウにはそれ以上のことは言えなかったし、侯爵も求めはしなかった。
「だが、我らに……現し世に残されたのはこれだ。空っぽのヴェスブールだ」
彼は、目を血走らせる侯爵をまっすぐに見つめ、はっきりと告げる。
「侯爵、ここがヴェスブールだ。かつて、ヴェスブールと呼ばれた場所だ」
かつてそこには都市があった。
名をヴェスブール、あるいはペトルスの渡し。セラート大河を渡る唯一の橋『西の大橋』を擁する、川辺の街。
定住する者はそこまで多くはなかったものの、ソウライと南方を結び付ける中継地点として栄え、合わせれば常に数千の人々がその地にあった。
近々は雷将ヴィンゲールハルトを迎え、万を超える人々がその地で過ごしていた。集まった兵たちを目当てに、商人たちも増えた。
おそらく、ここ一月ほどのヴェスブールの人口は二万に届いていたことだろう。
「ここが……ここが、ヴェスブールだと。そう仰るか」
だが、いま、その面影はどこにもない。
河を渡るのを待つ商人が時間を気にしていらついている風景も、牛牽きが疲れたヨロイウシをなだめながら荷を牽かせる様子も、酔っ払いが大言壮語して周囲にやじられる喧騒も、どこにもない。
人の姿は無く、獣は鳴かず、鳥の歌もいまは絶えた。
強突く張りだが、子供にだけは優しかった宿の主人は死んだ。
ゲール帝国でこつこつと金を貯め、ようやく独立して三度目の行商に来ていた商人は死んだ。
戦王国群での争いに疲れ、これを最後の傭兵稼業と心に決め、マテウスの軍に参加した兵は死んだ。
ヴェスブールの男は死んだ。
ペトルスの渡しの女は死んだ。
ゲデック侯爵の名目上の支配地の南端に生まれた赤子は死んだ。
骨の一片、瓦礫のひとかけらすら残さぬ徹底的な破壊。
残るのは、死んだ大地の骸だけだ。
「ならば、ならば、教えていただきたい。誰がそれを為し、何が起こったのかを!」
「自分でもわかっているだろう、侯爵」
腕を広げて暗褐色の地面を示しながら、スオウはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「このようなことを為せるのが一体誰であるか。この地の破滅を、誰が望み、誰が決したかを」
ゲデック侯爵の供をしてここまで来た男たちの誰もが顔を覆った。
スオウのもたらした答えを受け入れることを拒み、目の前の事実から目をそらすためであった。
彼らは、それまでの人生で自らが信じてきたものを守るために、そこにある事実を受け入れるわけにはいかなかったのだ。
一方で、侯爵はついに悲鳴をあげていた。
いや、違う。
それは吠え声だ。
それは挑戦の雄叫びだ。
目の前に生じた大理不尽に対する激怒だ。
それを為した者をけして許しはしないという、宣戦の音声だ。
「呪われよ! 呪われよ、呪われよ!!」
叫びは、徐々に意味のある言葉に変じる。喉も裂けよとばかりに彼は呪いの言葉を放ち続ける。
「神などと二度と呼ぶものか。虐殺者どもめ。どのような理由があろうとも、これだけのことをしでかす貴様らを、儂はけして受け入れない。どんな小さな事でもいい。貴様らの害となるならば、儂はそれを為そう。儂が生きている限り、貴様らにきっと仇なすと知れ!」
息が切れたか、喉が嗄れたか。
ようやくのように呪いを放つのをやめたゲデック侯爵が見たのは、居並ぶ魔族たちの恭しい礼であった。
それを示す相手が自分であると理解し、彼は困惑しつつもそれを受け止め、返礼する他なかった。
「祝福を、ゲデック侯爵」
そうして、魔族たちの先頭で頭を下げていたスオウが顔をあげ、はっきりとこう告げるのだった。
「おめでとう。貴君はいまこのときより『魔族』となった。新しき我が同胞よ」
†
「殿下、言わんとするところはわからないでもないですが……」
驚愕による硬直から冷めた侯爵は、そんな風に苦笑で返そうとした。だが、それに対して、スオウの脇に控えていたシランが割って入る。
「ところがねぇ。比喩でもなんでもないのよ。あなたはもう魔族だし、それこそが魔族のあり方なんだからぁ」
「いえ、しかし……」
「まあ、お待ちください」
議論が始まりそうになるのを、スズシロが体ごとねじ込んで止めに入る。彼女は手を振って、一同に左手側のほうへ注目するよう促した。
「詳しいことは戻ってからでもいいでしょう。それよりも、なにかあったようですから」
彼女の示すとおり、彼らに向かって駆けてくる騎竜兵が数騎ある。
先頭を走るのは、ミズキの部下であるキズノのウズ。
彼女は幹部勢が自分たちに気づいているとわかると、途端に声を張り上げた。
「殿下! 生存者です!」
スオウたちはヴェスブールの跡地に到着してから、周囲を警戒する部隊を展開させていた。その任務の中には、調査はもちろん生存者の探索も含まれている。
だが、実際に生存者が見つかるなどとは、誰も思ってもいなかったに違いない。
それは実にはかない、ありえないような望みであったから。
それが発見されたという。
ウズに先導され、彼らは救助用の天幕へと駆け込んだ。他の部隊を指揮していた幹部も、全員がそこに参集した。
「静かになさいまし」
ばたばたと乗り込んできた一同を、発見した部隊の指揮官であり、その天幕の責任者でもあるミズキがたしなめる。
「いや、すまん」
素直に動きを鎮めるスオウ。それに倣って、皆が動きを緩めた。そんな様子にミズキは淡く微笑みを浮かべる。
「顔見知りでしてよ」
発見された生存者が、ということであろう。
だが、人界のこのあたりに知り合いなどいただろうか。
幾人かはゲール帝国第十一皇女の顔を思い浮かべたが、すぐにそんなはずはないと思い直す。
彼女のもとには仲間たちが派遣されている。ここまで出てきているなら報告がないわけがない。
では、誰が?
不思議に思いながら、一同はミズキの案内でその人物と対面することとなった。
「や、これは……」
簡易寝台にくくりつけられるようにして固定され、布で身体中を覆われたその女性を見て、ゲデック侯爵は小さく驚きの声をあげずにはいられなかった。
布の隙間からわずかに見える顔は、彼がよく知るものであった。
「ヴィンゲールハルトの娘御ではないか」
「ほう」
侯爵の声で否応なくその正体を暴かれた女性を皆が見つめ、幾人かが呟く。
「なるほど」
もちろん、その中にはその女性が身分を偽ってカラク=イオの軍を探ろうとしていたことを知っている者もいる。
自分たちと敵対していた勢力の首魁の娘とわかり、納得することも不思議に思うことも色々とあったことだろう。
だが、いまはそれよりも気にかかることが皆にはあった。
「いや、しかし、さぁ」
赤毛の女が、どうにもわからないというような顔で首をひねる。
「なんだって生き延びられたんだ? こいつが誰だろうとあの攻撃には耐えられるもんじゃないだろ。外の様子からしたって……」
「そのあたりは、彼女の纏っていた鎧と、大事そうに抱えていた杖かなにかのおかげと思われますわ」
まあ、いまはどちらも炭とそう変わりはないのですけれど、と付け加えてから、ミズキは天幕の隅を指差す。
そこには、おそらくは彼女の体から剥ぎ取られたとおぼしき破片が転がっていた。ミズキの言葉通り、炭と変わらない焼け焦げた塊でしかないそれらが、もともとはなんであったかを想像するのは難しい。
「神界の技が使われていたということでしょうね。皮肉な話ではありますが」
スズシロは慎重にそれらの残骸を手に取り、そして、いくつかをまとめて天幕の外に持ち出すよう兵に命じた。
神界の息のかかった品であれば、用心するにこしたことはないのだ。
「とはいえ、それも彼女の命をなんとかつなぎ止めはしても、救ったわけではありませんわね」
その言葉に問いかけるような視線が飛ぶ。だが、ミズキはそれに応じることなく、彼女の後ろで負傷者の様子をみていた女性にその場を譲った。
専門の医官らしい女性は、急に幹部たちの視線を浴びて動揺していたようだが、すぐにひとつ咳払いして落ち着いた様子で話し始めた。
「熱傷がひどすぎます。この患者は元々は健康かつ頑丈だったようですが、それでも三日もつかどうかでしょう。あるいは幸運に恵まれれば、十日生き延びるかもしれません。ですが、それ以上は無理です」
「なんとかならんか」
最初に頼み込むように尋ねたのはゲデック侯爵であった。
「今日はもう人が死にすぎておる。これ以上はたくさんだ」
「そう言われましても……。いわば内臓が煮えてしまっている状態ですからね。元に戻すのは無理なんです。これが我らならばともかく……」
「わたくしたちの体であればなんとかなると?」
医官の漏らした言葉にユズリハが食い付く。医官はその勢いにたじたじになりながら、なんとか答えた。
「まあ、その……ごっそり取り替えるという手もありますし。人の身には無理な話ですけれど」
内臓のいくつかを丸ごと取り替えるという荒業は、魔界でもそうそう行われるものではない。だが、必要となれば行うし、行えることでもある。
もちろん、それが人の体に通用するわけがない。
「なるほどな」
医官の説明に、落胆の空気が流れる中、唯一人スオウだけが諦めに同調していなかった。
「侯爵の言う通り、今日はすでに万を超える命が散った。もう、これ以上そこに加える必要はなかろう」
「そのお気持ちは実に貴いものです。私もできる限りのことをするつもりです。しかしながら、根本的には……」
「ああ、わかっている。いまの彼女に移植による治療は難しい。だが、その一方で、放っておけば数日のうちに確実に死に至る」
スオウはそこで医官に改めて確認した。
「そうなのだろう?」
「無理矢理にそれ以上引き延ばすことは、苦痛を増やすだけかと。不可能とは言いませんが、実に惨いことです」
仕えるべき相手に対する返答としては、少々つっこんだ物言いであったが、スオウをはじめ、患部たちはそれを咎めない。医官が医官として自らの職能に誇りを抱いて発言していることを理解しているからだ。
「そうか」
一つ頷いてから、彼は大声で笑い出した。
自棄にでもなったものかと驚いたのは、わずかに侯爵と医官だけであった。
後の者たちはスオウのその行為にかえって気を落ち着け、彼の行動を観察することに努めた。
自らが為すべき事を、いつ主たる人物が示すのか見逃さぬように。
「神々を僭称する者共よ。恐れおののくがいい。今日は驚嘆すべき日だ」
その宣言には、なんの疑いも絶望も含まれていない。
「一人の魔族が生まれ、一人が貴様らの死の手より逃れるのだ」
それは、はっきりとした確信と自信からもたらされるものだ。
そんな彼の様子を眺めるシランの片目が、奇妙な色で輝いていた。
まるで、これから起こることを知っているかのように。




