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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第三部:人界侵攻・龍玉編
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第27回:雷将(中)

 まだ夜も明けぬ時間、シランは野営地の指揮所で報告を受けていた。

 報告をしているのは、彼女の副官アシビである。


「で、いくらだって?」


 自分の鱗から削り出し、顔の形に合わせて作った眼帯をこつこつと叩きながら、シランは問いかける。

 いまこの時、ヴェスブールに集い、ソウライへと進撃を始めようとする軍勢の数について。


「おおよそ、一万六千」

「読み違えたわね」


 スズシロはじめ、カラク=イオ側の読みでは、ヴィンゲールハルトが動員できる兵数は最大でも一万を大きくは超えないはずであった。

 実際、シランの偵察大隊がヴェスブールに対して挑発と攪乱を繰り返しつつ得ていた情報では、その概算はそれほど大きく外れていないと思われていた。

 ところが、ヴィンゲールハルト、あるいはヴェスブールは一部の兵を渡河させず、その気配すら悟らせずに隠していたらしい。


「ゲデックに報せは?」

「送りました」


 一万六千という数字は、予想のおおよそ二倍に当たる。

 これまでの戦略を早急に考え直す必要のある数字だ。

 そのことをアシビも心得ていたために、シランに許しを得る前に情報だけをスオウたちのもとに送っていた。

 シランはそれに頷く。


「ありがとう。じゃあ、全部隊に作戦中止を命令して」

「撤収ですか」

「ええ。最終的にはね」

「最終的には?」


 アシビが不思議そうに問い返すのに、シランは難しい顔で続けた。


「残念ながら、作戦目標は達成できなかったわけだけど」


 彼女の言う通り、カラク=イオ軍はヴェスブールの軍を引きずり出すことが出来なかった。

 全軍の進発の準備が出来る前に消耗戦に持ち込もうとする彼女たちの企図は果たせていない。


 多少の被害は与えられたものの、それは個別的な勝利であって、全体の勝利に貢献するものではない。

 そのことを、シランもアシビもわかっていた。


 予想より多くの軍勢がいることよりも、その軍勢がしっかりと準備を整えて進軍を開始することのほうが彼女たちにとってはよほど脅威なのであった。

 しかし、それでもなお。


「なにもお手上げってわけじゃないでしょ?」


 その言葉に、アシビはくっと口角を持ち上げる。


「一撃を加えますか」

「ええ」


 シランは真顔のまま、静かに命を下した。


「合流したら、一気にみんなで突っ込んで、そのままゲデックに帰るわ。簡単よね?」

「もちろんですとも」


 上官の命をしっかり把握して、意気揚々とアシビは指揮所を出る。

 その背を見送り、必要なものをまとめはじめるシランは、露わになっている片目をくりんと回して、こう呟いた。


「戦なんてものはね。軽んじられたら終わりなのよ」


 と。



                    †



 高空の薄い空気を切り裂いて、とてつもない速度で空を行く者がいる。

 鳥でもなく飛竜でもなく、鯨でもないそれこそ、空中母艦クールマを守るように美しい編隊を組む空中戦闘艇カルラの群れだ。


 神々が用いる中で最も一般的で、最も機動力を持つカルラは、総体の打撃力では勝るものの速度がそこまで出ないクールマと離れないよう、あえて蛇行するような動きをしながら、空を駆けている。

 そんな時、先頭を行くカルラから、左最後方のカルラに向けて信号が放たれた。


「シュリー」

「なんだ、パークシャー」


 この部隊を率いるシュリー――マハーシュリーとヴァイシュラヴァナの二重襲名を果たしている女神――は軽い調子で応じる。

 副隊長格のヴィルーパークシャーが、作戦行動中に用いる呼称ではなくシュリーという名で呼びかけている以上、緊急の事態が起こったとは考えにくいからだ。


「アウストラシアで動きがあったことは知っておりますか?」

「動き?」

「気になさっていたでしょう。例の魔族たちですよ」

「ああ……」


 シュリーは後悔するように応じる。

 空間戦闘艇(カルラ)はただの兵器ではない。

 それは、神々の体どころか精神とも合一する、生きた機械であり、神々のもう一つの肉体なのだ。

 それ故に、それが発する信号は肉体で交わす会話と同じように、いや、それ以上に深く、発する者の感情を伝えてしまう。


「気にはしていたのだが……。どうにもこちらのほうが……な」

「それは仕方の無いことですよ、シュリー」


 パークシャーの返答からは明確な慰めが感じられる。

 いまも彼女たちがおこなっている出撃は、ただの哨戒行動などではない。彼女たちは会敵を目的とし、戦場へと向かっているのだ。


 神々の別の一派、『崑崙クンルン』との戦いはいまも続いている。

 いかに人界に侵入した魔族の一派のことを憂慮していても、自らの戦いで手一杯なシュリーにはどうしようもなかったのであった。


「ともあれ、その魔族たちですが、これに対して立ち上がった勢力があったようで」

「ほう!」


 愁いを帯びた口調が、一転喜びに彩られる。その様子に、パークシャーは苦笑のような感情をわずかに漏らしたが、シュリーはそんなことは気にならなかった。


「どこの者だ? 時間があれば祝福の手はずを整えてやりたいところだが……」

「あなたのお気に入りの、旭姫ですよ」

「おお!」


 喜びはさらに増し、周囲の空間を揺らすほどのものとなった。神々の感情は時にその信号を伝え合う識空間を飛び出て、現実にすら影響を及ぼす。

 カルラと神機合一しているいまならば余計にそうだ。


 神々の肉体や精神と合一したカルラは、その主の思いを示すために、より強い作用を生み出してしまう。

 幸いにも神々以外は飛ぶ者とてない高空であるため、シュリーの歓喜の爆発は周囲の気流をわずかに乱したくらいで、被害を生むようなことはなかった。


「あれは篤信家だからな。親子揃ってそうだ」


 誇らしげに言うシュリーに、パークシャーは面白がるように続ける。


「ええ。それでですね」

「うん?」

「今日の我々の受け持ちは、北極圏でしょう。ですから」


 そこまで聞くと、シュリーにも彼女の言いたいことは理解できた。


「なるほどなるほど」


 いま、彼女たちは本拠地であるマハ・メル、すなわち大陸のほぼ最南端とも言える場所から、北極圏に向けて飛行を続けている。

 多少は寄り道になるが、魔族たちが侵攻してきているはずの土地の上空を通ることも難しくはない。

 作戦行動には、時間の余裕も燃料の余裕も組み込まれているのだから。


「よい提案だな。パークシャー」

「では、再計算した航路を送ります」

「さすが用意の良いことだ」


 ヴィンゲールハルトやローザロスビータの様子を見に行くのに適した経路を計算して寄越すパークシャーの手回しの良さに、思わず笑みを漏らすシュリー。


「では、ひとつ、吉祥を授けてやるとしようじゃないか」


 そうして、空中母艦クールマを中心とした空間戦闘艇カルラの編隊は、当初の予定を変更して、ソウライ上空へとひたすらに駆け始めるのだった。



                    †



「うらあ!」


 渾身の力で振り抜いた戦鎚が確かな手応えを伝える。

 その強烈な衝撃にさらに両手に力を込めながら、男は笑みを浮かべた。

 それは、先ほどまでの手応え――まるで湿った木材を叩くかのようなべとつく嫌な弾力――とは違い、しっかりと相手に打撃を加えられたと確信させるものだったからだ。


 いかに目の前の怪物といえど、それなりの痛みは覚えるはず……と考えた男の目に、自らが振るった戦鎚の先端の姿が目に入る。

 鎚の先端は、人の拳より二回りほど大きな鋼鉄の塊で出来ている。鎚という名がついているとはいえ釘や杭を叩くわけではないのだから平滑な断面など作っておらず、相手を打ち砕くため三角錐を二つ重ねたような姿になっていた。

 その三角錐の先は、人の二倍はあろうかという巨大な獣の鱗を打ち抜き、肉に達している。男の予想ではそのはずであった。


 たしかに、鱗は開いていた。

 先ほどまで何度も男とその仲間が切りつけ、打ちかかり、刺し貫こうとした鱗は、開いていた。

 おぞましいことながら、鱗に包まれ、人よりもはるかに巨大でありながら、全体の輪郭で見ると女性であるということが如実にわかるような、そんな姿のちょうど乳房にあたる場所の鱗が。


 だが、それは男の膂力で振るわれた戦鎚のためではない。

 彼の武器が、小型の竜と人の入り交じったような忌まわしい獣の鱗を断ち割ったわけではない。


 目の前の獣がにぃと笑う。

 目の無い顔についた口と、両の乳房に開いた口で。


 そう、彼の鎚は、乳房を割って開いた牙だらけの口によって受け止められていたのだった。


 その様子に呆然となる彼を助けようと、仲間の兵士二人が、鱗持つ女の姿をした魔族に打ちかかる。

 だが、それも無駄であった。

 真の姿を露わにした魔族は、男の戦鎚をその乳房の口で易々と噛み砕くと共に、三つの口からびゅうと音を鳴らして液体を吐く。


 戦鎚を砕かれた男も、彼のために気を逸らそうと突っ込んでいった二人も、同様にそれを浴びた。

 触れた途端じゅうじゅうと音を立てて膚を焼くそれを。


「ぐがああ!」


 三人の男を動かしたのは、吐き出された液体を浴び、焼け焦げる肉体がもたらした反応であったのか。

 あるいは、このまま動かねば死ぬという本能の叫び故であったのか。


 いずれにしても、彼らは膚が焼ける強烈な痛みが走る中、抵抗することを選び、そして、相手にしていた魔族の巨大な爪のように変形した腕で刺し貫かれ、命を奪われた。


 それは、けして珍しい光景では無い。


 周囲ではそれと同じように死んでいく兵が数多くいる。

 中には魔族に対して有効な攻撃を加えられた者もいるにはいるが、それはごくわずかだ。


 固い鱗や分厚い毛皮を持ち、巨大な体躯を誇る魔族と戦うことに、誰一人慣れてなどいなかった。

 まして、彼ら魔族は人間たちが想像も出来ないような能力を持っていたりする。ただでさえ、体格や腕力でも敵わぬ上に、奇妙な力を用いられては対処のしようがない。


 いかに人間たちのほうが数の上では多くても、それを活かすだけの下地が彼らにはなかった。

 ましてや……。


「奴らめ、我らのみを狙っていますね」

「まあ、当然そうするだろうね」


 三百ほどの魔族に突っ込まれている軍の中央部で言い交わすのは、ローザとヴィンゲールハルトだ。

 ローザは戦いの場に出ることも考えて、分厚い鎧を身に纏っているが、ヴィンゲールハルトのほうは、寝椅子のようなものに身を任せている。

 これを近習がかついで運ぶのだが、いまはローザの立つ横に置かれていた。


「まずはまとまりのあるところを崩す。一番ばらばらなところを突くのと同様、常道だよ」

「ええ。さすがに間抜けではない。それに、少数での崩し方も知っているようです」

「まあ、数が多いことにも難点はあるからね」


 ヴェスブールを進発した軍は、おおよそ一万六千。

 輜重や連絡などを担当する後衛の兵員を除いても、おおよそ一万が戦場近傍にいる。

 対して、彼らの軍に食いついている魔族は三百。後ろに控えている分をあわせても五百か、多くて六百というところであろう。

 実にその数、二十倍。


 だが、その数だからこその問題も生じていた。

 一万の兵がまとまって進軍するのは尋常ではない困難さを引き起こす。よほどに訓練された軍以外では、いくつかの塊に分かれて動くしかない。


 加えて、ヴェスブールを発した軍は、三つの指揮系統を持っていた。

 そのうちで、強力な統制力を持つのはヴィンゲールハルトの軍のみであろう。大手の傭兵団を破格の報酬で雇い入れているヴェスブール戦王マテウスの軍がそれに次ぐ。

 ソフィア修道会の各騎士団は、これは各々が動いているに過ぎない。鉄の規律を持つために、他と連携するのに支障はないものの、誰かに一元的な指揮権があるわけではなかった。


 故に、彼らはゆるやかにはまとまりつつ、ばらばらに進軍するしか無かったのだ。


 ことに修道騎士団の多くは周囲の警戒のため、騎士団ごとに行動しており、本隊とは距離があった。

 その騎士団の警戒網をあっさり抜かれ、本隊に取りつかれたことになるのだが、これは仕方のないところであろう。

 突撃前に降りた者もいるが、魔族たちは彼らの前に現れるまで、その全員が竜に乗っていた。

 騎兵の機動力ならば、散開している軍をすり抜けるのは容易い。


 ともあれ、そうして散らばっていた軍は、容易に集結することが出来ずにいる。

 さらに、魔族たちの中で突入を果たしていない後方の三百程の騎兵が、近づこうとする軍を攪乱し、翻弄していた。

 結果として、ヴィンゲールハルトたちは自分の軍だけで戦うことを余儀なくされている。


「ひとまず、マテウス殿たちが包囲を進めてくれるのを待ちましょう」


 全軍ではないにしても、いま、ここには五千からの兵がいる。

 彼らが耐えている間に、その他の軍でがっちりと包囲してしまえば、魔族どもを殲滅できる。

 カールフランツやマテウスなら魔族の妨害を受けつつも包囲を完成させるくらいはやってのけるだろう。


 ローザはそう考えて時間稼ぎの策を進めようとした。

 しかし、その父は同じようには考えていないようだった。


「どうだろうな」

「え?」

「包囲がうまくいきそうになったら、きっと、彼らは逃げるよ」

「逃げますか」


 寝椅子に身を任せている父にはその目で戦場を見ることは出来ていない。

 それでも、おそらく自分より的確に戦場を把握しているだろうとローザは考えていた。

 故に、彼女は父の言を蔑ろにしたりはしない。


「そのための後衛さ。そもそもそうでなくては、あれだけの数で突っ込んでくる意味が無い」

「あれは三千程度の軍に匹敵すると思いますが……」

「それでも逃げるだろう。それに、それだけの軍なら囲むのは危険だ。いくら一万でもね」


 そこで、ヴィンゲールハルトは声の調子を変えた。

 より、深刻に。


「それよりも、三合トリムルティがうまく機能していないように思えるね? どうだい?」

「たしかに……」


 ローザもまた彼と同様に苦しい声で応じる。

 彼女は戦場の様子を改めて観察し、結論づけた。


「そう見えます」


 三合トリムルティ

 それは、かつて神々がはじめて人の前に姿を顕した時に説いた宇宙の調和――それは憎むべきことに魔族の背反によって汚され損なわれた――から発想を得て編み出された戦法であり、その戦法を実行する三人組の名でもある。


 単純に言えば、敵兵一人に対して三人で戦いを挑むという手法である。

 二人を相手にするのでもなかなか大変であるというのに、三人に襲われて無事に済む兵はまずいない。


 三人で三人を相手するのではなく、三人で一人を相手にするのを繰り返す。

 そうすることで、圧倒的有利な状況で戦い続けることが出来る。

 三合トリムルティとはそうした戦い方であり、その戦い方を実行できるよう訓練された三人組のことである。


 彼らは三人で連携して次々と相手を打ち倒す。

 さらには、その三合トリムルティを三つ組み合わせ、一人の指揮官を置いて一隊とする。

 この一隊がまた大きな三合トリムルティとして働くのである。


 だが、いま、その三合トリムルティが機能していない。


 理由は簡単だ。

 魔族一人を相手にするのに、三人では足りないからだ。

 ならば、一隊で相手にすればいいと思うところだろう。

 ところが、十人単位の隊では、通常全員が一つの目標に対して動くということがない。


 隊長は三合トリムルティ二つを働かせ、一つの三合トリムルティを休ませるというように運用していくのが常であった。

 危急の折に三方に向けて三合トリムルティ三つを動かすことはあっても、一つの大目標に向けて、三合トリムルティ三つを結集させてけしかけるなどということはなかった。

 九人いなくては倒せない相手など、人界にはいなかったのである。


 ところが……。

 ここに、それが出現した。

 九人どころか、十五人、二十人でかからねば、圧倒できるわけもない相手が。


ほむらの形を取ろうか」

「父上、それでは」


 父の発言に、さすがのローザも慌てた素振りを見せる。

 炎の形とは、休備やすみぞなえをなくし、全てのそなえ――兵の塊を敵にぶつけ続ける、後先考えぬ攻めの陣形である。


 ひたすらに戦い、相手を踏みつぶす戦い方だ。

 圧倒的有利の状況に使うべき陣形をいま用いることに、彼女は驚きを感じていた。


三合トリムルティが上手く働かないなら、それを補う攻撃力が必要だよ」


 だが、足萎えの雷将はそんな攻めの姿勢をとることを、なんでもないことのように言った。


「ましてや、いまは味方が周りを固めてる。あれらを追い払うのに兵を休息させる必要なんてあるものか」

「わかりました」


 むしろ楽しげに笑う父の姿になにを思ったか。

 ローザは深く一礼すると、その鮮やかな髪を振るい、下知を発した。


「全軍を押し出せ!」


 そう、美しくよく通る声で。

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