第26回:雷将(上)
ヴィンゲールハルトが足萎えの雷将と呼ばれるのには、いくつかの謂われがある。
前半の部分については、誰も異論はないだろう。
後半については、雷のように素早く苛烈に攻めるからだというのが、最も人口に膾炙している由来であろう。だが、その為人に触れると雷に打たれたようになって心酔する者が多くいるからだ、などという話もある。
そして、もう一つ、彼が雷の将たる所以がある。
その細身に似合わぬ雷声である。
深く響くその声は、まさに雷のごとき轟きをもって戦場を駆け抜ける。
だが、その朝、居並ぶ軍を前に、彼はその喉から大音声を放たなかった。
まだ夜明け前の、光よりも闇が支配する時間。
わずかに高い空が照らされる淡い光の中に、その軍勢は並んでいた。
指導者たちの揃う壇上から見て右翼にあるのは雷将の率いる軍である。雷将と旭姫に従い、戦王国群で戦いを続けてきた生え抜きの兵たちである。その雰囲気は無骨ではあるものの、野卑とまではいかない。
中央にいるのは、ヴェスブールの軍。その財力にものを言わせてかき集めた兵たちは、当然ながら統制の面で劣っていた。左右の軍に比べれば、明らかにその隊列は不格好でだらしのないものだ。
だが、彼らは金を稼ごうという意欲だけはあふれていた。身に着ける武装もまた他の者たちよりずっと派手である。
そして、残る左翼は不気味に沈黙していた。整然とした隊列を維持し続けるその集団は、まるで彫像であるかのように身じろぎ一つしない。その場所だけ空気が固化したかのように音すらしないのだ。
掲げている旗や装飾はそれぞれ異なり、複数の集団がいることは明らかだというのに。
彼らこそ、ソフィア修道会の修道騎士団だ。
そんな三つの様相の異なる軍の前で、雷将は彼に似合わぬ小さな声で口を開いた。
「よく集まってくれた、諸君」
三軍の誰もが彼の言葉を待っていた。
マテウスが金にあかせて兵を集めようと、ソフィア修道会が数々の騎士団を送り込もうとも、この集団の統率者が、足萎えの雷将ヴィンゲールハルトであることを疑う者はなかった。
「今日は諸君に紹介したい人物がいる」
彼の言葉に従って、ヴィンゲールハルト、ローザロスビータ親子、マテウス、『聖鎚の守護者』団の団長カールフランツという顔ぶれの揃う壇上に上がって来たのは、冴えない小男であった。
別に誰もその男を弾劾するつもりもないのだろう。だが、戦いを生業とする者たちが、なにを場違いなという視線を向けるだけで容易に人を威圧する。
ましてや、ずらりと列を作っているのだ。壇上の男は、彼らに見つめられるだけで震え上がった。
だが、そんな様子を気にした風もなく、雷将は男の紹介を続ける。
「彼の名は、エドムントゲルブルト。ソウライで商売をやっていたそうだ。しばらく前まではね」
その静かな声が、皆の注目を集める。自然と男を圧倒する視線はヴィンゲールハルトのほうに移った。
「行商をやっていたのだったかな?」
「そ、その……その時々で、高く売れるもんを仕入れて、売りさばくのを、はい」
ヴィンゲールハルトに尋ねかけられた男は、おっかなびっくりという風に答える。
「ヴェスブールでは安いけんど、ハイネマンまで行ったら高いもん、ベーアでは安くっても、南に流せばそれなりに高くつくとわかってるもん……色々と、ええ」
しかし、目の前に居並ぶいかつい兵たちではなく、椅子に座って穏やかに話しかけてくるヴィンゲールハルトだけを相手にしていればいいとなると、多少は舌も回ってきたようであった。
「それでも、なんとか食ってはいけてました。ええ。これでもかかあ一人養うくらいは出来たんです。息子は、はぁ、三つで逝っちまったもんで」
夜明けの光の中でもぴかぴかする鎧を身にまとうカールフランツや、見るからに勇ましい分厚い鎧姿のローザなどを視界に入れないようにして、ようやく男はまともに喋れるようになっていった。
「それに、弟もいましたからね。俺以上の風来坊で、若い頃に南に飛び出ていっちまってたが、最近は近くにおったんですわ。このヴェスブールの街で見張りを、へえ、巡回の兵士をやらせてもらっていたようで」
訥々と身の上を話す男の様子に、兵たちは耳を澄ましはじめる。
彼が壇上に呼ばれた理由も、そして、彼の話が行き着く先も、なんとなく想像がついたというせいもあった。
「ところが、あいつらが……」
男の声が途切れる。
その時、彼の顔に表れていた感情を怒りと決めつけるのは早計であろう。
それは怒りであり、憎しみであると同時に、言いようのない何かであった。
彼はその表情をたたえたまま、続ける。
「あいつらがやってきました。俺が出会ったのはファーゲンです。はぁ。仕入れていたもんは全部駄目になりました。それでも、その時は……魔族どもから逃げ出した時はそれでもいいと思ったもんです。俺は生きのびたんだって」
男は両拳を何度も開いては閉じ、開いては閉じしていた。その手が汗でびっしょり濡れていることが、その場の皆には、たとえ見えていなくてもよくわかった。
「同じように生きのびたにしたって、魔族どもの支配する街で暮らすなんてまっぴらごめんですや。その点、身一つにしたって逃げられた俺は運が良い。そんなことを思ってましたっけ」
エドムントは首を振る。何度も何度も首を振る。
「でも、いけなかったですなあ。ええ、いけませんでした」
「いけなかったのかね」
「ええ。いけませんでしたわ。あいつらぁ、逃げても逃げても、どこまでも追ってくる。ファーゲンから戻った俺は、かかあを連れてディステルまで逃げましたよ。ところが、奴らときたら、ゲデックを素通りしてディステルまでやってきたんですよ。信じられますか?」
ヴィンゲールハルトが話を促すのに、男はもうつかえることもなく言葉を舌の上にのせる。
「あいつらときたらね。一度街を占領してしまったら、出入りは自由だとくるんですわ。こりゃあ、ひどいぺてんですぜ。出入りは自由、けんども、それはあいつらの土地だからってわけですよ。あいつらの土地であいつらに金を支払うなら好きにしていいってね」
そんなの耐えられますか?
エドムントは誰に尋ねるでもなく、そう問うた。
実際、それは問いでもなんでもなかったのだろう。彼の中では答えが決まっているものであったし、この場にいる者はその答えに同意したであろうから。
「だから、俺ぁ、弟を頼ってここに来たんですわ。ところがねぇ」
ひょいと彼は肩をすくめる。
それまでのやぼったい動きの中で、これだけが妙に洒脱で、奇妙なおかしさを感じさせる。
だが、見る者によってはそれは悲しみを連想させた。
なぜなら、この男にこの仕草が軽妙に染みついた理由を本能的に察したから。
幾度も、幾十度も、幾百度も、彼はあきらめと共にそんな仕草を繰り返してきたのだろうと。
「弟は、とっくにおっ死んじまってましたよ。橋が焼けた夜にねぇ。俺が知らないうちにねぇ」
嘆くでもなく言う男の姿を、曙光が照らし出す。
いつの間にか地平線から太陽が顔を出していることに、兵たちは気づいた。いまだその姿の全てを現していなくても、陽の光は暗闇になれた目を強烈に見開かせていた。
「それから、かかあは先が怖くなっちまったんでしょうなあ。気鬱で飯を食わなくなりましてね。おとつい、とうとう眠ったまま死んじまいました。ええ。俺は、一人ですわ」
しんと、あたりは静まりかえっていた。いつしか兵たちは男の話に聞き入っていた。
「俺ぁね、臆病もんです。拳で殴り合うんならともかく、剣を抜くなんて考えもしなかった。そんなことになるよかあ、逃げたほうがいいってそう思ってましたからね」
そう言って再び彼は肩をすくめる。
「弟にはいつもからかわれてましたよ。兄貴は、慎重だなって。ありゃあ、臆病だって言いたかったんでしょうよ。それが、一応は兄貴だと思ってね。言葉を選んでね」
くいと彼は唇を曲げる。
それが、昔を懐かしむ笑みだと気づけた者がどれほどいただろう。
「がきの頃に家をおん出てね、それで戦王国に行って傭兵をやろうって弟ですわ。そりゃあ、胆がすわってました。傭兵をやって、金をためて、ようやっと、ここで……」
エドムントの喉が詰まる。
それ以上はどうやっても言葉が出てこなくて、彼はその話を呑み込み、違う言葉を選び取った。
「俺ぁ、臆病者です。でもね、逃げてもどうしようもなかった。そん時聞いたんです。あいつらを追い出そうとしてる人がいるって。リ=トゥエ大山脈に追いやろうとしている人がいるって」
なにかにすがるように、彼はヴィンゲールハルトを見つめる。その視線を、雷将は堂々と受け止めていた。
「だから、ここにいるんです。その人たちと一緒に戦うために」
それから、彼はぐっと拳を握り込んだ。
さっきまで何度も開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していたその拳を、ぎゅっと握った。
「俺ぁ、剣もろくに使えねえ、槍も知らねぇ。でも、戦えるはずだ。そうでしょう? こんな臆病者でも出来ることがあるはずだ。違いますか?」
「その通りだ」
温かな調子でエドムントに声をかけた後で、ヴィンゲールハルトは軍勢に向かい、冷たい声をあびせかけた。
「諸君。聞いたかね? 彼は自らを臆病者と言った。それは違う。この場に臆病者はいる。だが、それは彼ではない」
彼の腕が上がる。
その指が真っ直ぐに兵たちを指していた。
「君たちだ」
居並ぶ兵の誰もが、自らを指差されたと感じた。
その指の先に、見たことも無いほど厳しい雷将の顔があることも。
「君たちは武器を持っている。その扱いを知っている。その剣を振るう体も頑強だ。なのに、なぜいまだにここにいる?」
その問いかけに、ざわりと場が揺れた。
修道騎士たちですら、目配せを交わし合うほどに。
「君たちの足は、私のように萎えているか? 一人で歩けぬような病を得ているか?」
ぴしゃぴしゃと彼は自らの脚を叩いた。立つことすら出来ぬ自らの下半身を見せつけるように。
「違う。違うだろう? 君たちはその足で歩くことが出来る。進むことが出来る。武器を手に、鎧をまとい、戦いを挑めるはずだ」
ヴィンゲールハルトは呆れたように続けた。
「それなのに、君たちはここにいる」
壇上ではエドムントが目を丸くし、ローザ、マテウス、カールフランツが沈黙を守る。
一方で、兵たちのざわめきは強くなっていった。
「なぜだ? なぜ、君たちはここにいる?」
何故、と聞いていた。
彼らを招集し、組織し、まとめあげたはずの男が何故と聞いている。
それに対し、どう応じれば良いというのだろう。
「人界が魔族に侵略されているというのに。彼のような被害者が増え、悲劇がどんどん生まれているというのに、君たちはただただここにいる」
ヴィンゲールハルトの声は、地を這うように響いた。
「あえて問おう。諸君、いつまでここに留まるつもりだね?」
答えは無かった。
兵たちはただ戸惑うように顔を見合わせ、声を発して良いのかどうか、迷っているようであった。
その様子に雷将と呼ばれる男は、ため息を吐く。
「エドムントくん」
「はい!」
急に声がかけられた男は、びっくりしたように甲高い声を出した。
「君は戦うと言ったね?」
「はい」
「剣を取ると?」
「剣がいいんなら、ええ」
「槍を使えるようになると?」
「そちらをお望みなら」
それから、ヴィンゲールハルトは片目をつぶって試すように尋ねかける。
「私を背負えるかね?」
「ちょっくら心地は悪いかもしれませんけんども」
「では、行こうじゃないか。私たち二人で」
それから、彼は手を広げて、周囲を示した。
「ここにいる意気地無しどもなど置いてね」
その言葉には、さすがに皆の感情が爆発した。
「俺は行くぞ!」
「俺もだ!」
「置いてくなんて言うなよ、親爺!」
「俺たちがいたほうが心強ぇだろ!」
「こっちにも戦わせろよ!」
轟々と熱の籠もった声の上がる中、壇上ではローザがその父の前に跪いていた。
「父上、私に剣を捧げることをお許しください」
「ふむ」
そして、マテウスが古くからの盟友の肩に手をかける。
「俺も連れて行けよ、ヴィン」
「そうかね?」
カールフランツはさっと剣を抜き放ち、自らの体の前に保持した。
「『聖鎚の守護者』団はじめ十一騎士団、身命を賭してこの戦に取りかかる所存」
「なるほど」
それと同時に、ソフィア修道会の全騎士が、それぞれの武器を手にヴィンゲールハルトに敬礼を示していた。
「では、再び問おう」
敬礼を解かぬままの面々に彼は尋ねかける。
「魔族が人界の北方を支配するいま、君たちが目指すことはなんだね?」
「魔を討つことです」
ローザはそう応じ、
「やつらを魔界へ追い返す……いや、滅ぼし尽くすことだな」
マテウスは熱っぽくそう言い、
「そして、人界の支配を人間の手に取り戻すのです」
カールフランツは言い放って剣を収めた。
「その通りだ」
満足そうにヴィンゲールハルトは頷く。
「我らの目的は、二つ」
彼は、言い聞かせるようにこう告げるのだった。
「すなわち、討魔覆滅、北域回復」
討魔覆滅。
北域回復。
二つの句が、兵たちの耳に届く。
そして、彼らはそれを自ら囁いてみた。
「討魔覆滅」
「北域回復」
いつしかそれは重なり合い、韻律を伴ってまとまっていく。
「討魔覆滅!」「北域回復!」
「討魔覆滅!」「北域回復!」
手が打ち鳴らされ、足が踏み鳴らされる。
そして、何千もの声に支配されたその場で、ついに雷将が雷声を放つ。
「今日のこの日、この時をもって!」
その時、太陽が地平からその姿を現しきった。
強く澄んだ朝の光が、ヴィンゲールハルトが掲げた指の先を照らし出す。
「魔族に対する人類の反攻を開始する!」
目指すは魔族に支配されたソウライ。
目的は、魔族の撃滅。
討魔覆滅、北域回復の大合唱を伴い、足萎えの雷将が出陣する。




