第12回:逃走
「あれがこの集団の頭首であったとはな」
六脚竜の広い背に設けられた輿の上で揺られながら、彼女は前を行く竜の背にまたがる男を見つめる。
父と似た目をしていると妙にいらつかされた当の相手が、まさか人界を侵略する首魁であったとは。
しかも、その男は魔界の皇太子であるという。
彼女も戦王国群において赫赫たる名声を誇る戦王ヴィンゲールハルトの娘だ。だが、旭姫と名高いローザロスビータからしても、一種族を束ねる皇帝の後継者という立場は想像の外にある。
わざわざ自分たちの尋問を覗きに来たり、正直、どう判断していいかわからなくなってくる人物であった。
「それはともかく、女性が多い理由はなかなか面白かったな」
「そうでしょうか? 親衛隊に入ることで妃候補とならんとするとは……」
「女性も普通に軍に受け入れられるという前提あってこその話でしょうが、奇異に聞こえますな」
ハンスたちはひそひそとそんな話をする。
声を抑えているのは、ローザたち一行が乗る六脚竜を操る兵に聞こえないようにだろうか。
ただし、聞こえたとしても問題のない会話ではある。
ここで語られている情報をもたらしてくれたのも、魔族の兵であったのだから。
魔族たちの主が魔界の皇太子であり、そもそもこの集団はその皇太子の親衛隊から生じたものなのだと。
そして、女性ばかりなのは、近しい場にあれば妃になることもあるだろうと各氏族がこぞって美しく優秀な女性を送り込むためだと。
「そうだろうか」
ローザはハンスたちの反応に微笑んで応じた。
「権勢を誇る者に近づこうとするのはむしろ当然の所作だろう。まあ、それが盟友といったものではなく、血縁を生じる女に偏るのはなんとも直接的だとは思うが」
それでも、と彼女は続ける。
「その部分に限れば、私はむしろ安心した」
「安心、ですか?」
彼女の言葉に、一同は面食らってしまったようだった。その様子にローザは小さく頷いて続ける。
「ああ。魔族にも人と共通するところがあったのだとな。権力者に近づき、自らの富貴を望む……。いかにもありそうな話ではないか」
「それはそうですが……」
たしかに軍という組織に限らなければ、権力者の身近に寵姫たりうる人材を置くのは普通に行われることだ。
その点では人も魔族も変わらないのだろう。
だが、変わらないことがどうして安心となるのだろうか。
「我々は魔族を理解しなければならない。様々な意味でな」
ローザはさすがに無難な表現で、自分たちの目的を思い出させる。
彼女たちは知らなければならなかった。
魔族を打倒するために、彼らの戦う術を。
「たしかに……手がかりにはなるかもしれませんね」
侍女頭のリリィが遠慮がちにそう言う。彼女たちの表情を見れば、その共通点とやらもどうにも怪しいものだと思っているのは確実だった。
「まあ、それよりも」
ローザはそのことには気づかないふりをして、前方を睨みつけるようにした。
「あれはどういうことなのだろうな」
彼女の視線の先には、魔界の皇太子と知らされた男と談笑する少女の姿がある。
リリィは、頭に布を巻き付けて髪を完全に隠しているその様子を見て、ひとつ嘆息した。
「たしかに、ああした習俗が流行っているのなら、取り入れておけばよかったですね」
魔族に怪しまれるのを避けようと迂遠な言葉運びではあるが、侍女頭はローザの輝くような髪を染めた事を後悔しているようだった。
「まあ、それもないではないが、そうではなく」
ローザは苦笑してリリィの勘違いを訂正する。
「あれは人間だろう?」
「そのようですな。なんでもショーンベルガー公爵のご令嬢だとか」
「つまり、立派な貴族なわけだ。私などとは比べものにならない身分だろう」
魔族に話した『お話』では、彼女は亡国の姫ということになっている。だが、いまローザが話しているのは、実際の境遇のほうだろう。
そのことがわかるために、直接の臣下たちはそれに反応するのが少し遅れた。
「比べるものかどうかはわかりませんが、貴い立場の方ですな」
代わりに、ソフィア修道会に属するクリストフがそんな風に応じる。その声には、どこかたしなめるような響きもあった。
ハンスたちを困らせるなという意味か、あるいは、この後に続くローザの台詞を予期していたか。
「であろう」
一方でローザはクリストフの声に込められたものなど気にした風もなく、苦々しげに続ける。
「では、なぜあのように親しげなのだろうな」
その言葉通り、二人は実に仲睦まじい様子であった。
「婚約なさっておられるからでしょう」
「そこが信じられぬ」
ローザは本当に信じられないというような素振りで目を剥いた。
「見ろ。お互いに竜にまたがってすら、身長もかなり異なる。種族が違うのだ」
「それは、しかし……」
周囲の者たちはどう言っていいかわからなくなる。
彼らとしてみれば、魔族の人界侵攻にあたって最初にその攻撃を受けたショーンベルガーが生き残るために採った策を、否定することもできない。
ローザと同じく、魔族と婚約などしていいものだろうかと思うところはある。だが、それ以上にしかたのない選択であったろうとも思うのだ。
「勘違いするなよ。私はショーンベルガーのしたことを責めるつもりはない。強大な敵に抗することが出来ぬなら、相手に降るのも一つの手であろう。残念ではあるが、それはしかたない」
ローザはひょいと肩をすくめてそう言った。
「だが……」
なにも婚姻でなくてもいいではないかと思うのだ。
いや、結婚という手段をとるしかなかったとしても、わざわざよその都市を征服する軍勢についてくるまでする必要があるのだろうか。
それも、あんなにも楽しそうに笑い合うほど、おもねる必要が。しかも、おそらくは魔界の言葉を覚えてまで。
なにがあの少女にそこまでさせるのだろうか。
彼女はそんな風に思いながら、前を行く二人を睨みつけるのだった。
†
「なるほど、そうなるとエリがハイネマンに留学していた当時の関係者はハイネマンにはいないわけか」
「はい。当時の学生も教師も、おそらくは一人もいないことでしょう。人界は魔界ほど教育が整っておりませんから、研究するにも後援者を得なければ……」
ローザの注目を集める二人は、そんな話をしていた。
かつての国都ハイネマンの話から、エリがその地に留学していたことに話が及んだ結果である。
「エリの昔なじみは後援者を求めて各地に散らばっているというわけだ」
「ええ。さすがに大陸南部にまでは行ってないと思いますけど」
「どうだろうな。リディアの後援を受けている者がいないとは限らないぞ」
「そう言われると……」
スオウの言うとおり、南方にはゲール帝国がある。
学問を後押しすることに明確な展望を持つ第十一皇女だけではなく、相談相手として学者を抱えている貴族も多いはずだ。
研究資金を得るためならば、そこまで出向いている者もいないとも限らない。
「ところでスオウ様」
「ん?」
話が少し途切れたところで、エリは声をひそめ、スオウに近づくようにしながら尋ねかける。
その様子を眺めて、スオウは彼女が実に能く竜を操るようになったものだと感心していた。
「どうした」
だが、声をかけた後で躊躇うような顔付きをする少女。そんな彼女に、スオウは優しく尋ねかけることにした。
「いえ。その……。私、あの人に嫌われるようなことしましたかね?」
「あの人?……ああ、あれか」
エリが後ろを気にしているのに気づき、スオウは苦笑する。彼はちらと『亡国の姫』を見て、ぐっと身を倒し、エリに顔を近づけた。
「心配するな。あれが嫌ってるのは俺だ」
「そ、そうでしょうか?」
耳元にささやかれたのがくすぐったのか、エリは楽しげに身を震わせる。
「ああ。俺が嫌いだから、俺に近づいているやつを皆嫌う。きっとあれはカラク=イオに関わる者全てを嫌っているだろう。いまのところはな」
「いまのところ、ですか?」
スオウの声と息にくすくす笑いながらも、彼女はその物言いに不思議なものを感じる。
この先は違うというようなものを匂わせるそれを。
「ああ。幸い、あれは嫌うのに理由をつける性質のようだ。であれば、いずれ味方に引き込めるかもしれんからな」
「どういうことです?」
そこで、ようやく身を離し、スオウはひょいと肩をすくめた。
「まず、前提として、俺はとんでもない数の者に嫌われてきた。まあ、好かれもしたが」
エリが言葉に詰まるのに、スオウは笑みを深くする。彼女の気遣いはそれだけで伝わってきていた。
「生まれが生まれだからな。しかたあるまい」
そこで彼は照れたように自分の顎をなでた。
「まあ、俺の場合、自ら嫌われていたところもあるが……。いまから考えると愚かしいと思う部分も……。いや、いずれにしても、糧にはなった」
話が逸れそうになったと彼は自らの言葉の行く先を修正する。
「そこで感じたことがいくつかある。今回はその一つだ」
「はい」
「とはいえ、エリが人に嫌われることなど滅多にありそうにないから参考にはならんだろうけどな」
「どうでしょうか」
からかうように言うスオウに、エリも楽しげに応じる。そんな風に二人は空気を重くしすぎずに話を続けた。
「人が人を嫌う時はな。いくつかのやり方がある。一つは感性で嫌うものだ。とにかく性に合わない。そういうやつだ。これはもうどうしようもない」
「合わないものは合わないですか?」
「ああ。合わない。不幸だが、どうしようもない。これはもうできる限り関わらないのが一番だな。関わらざるを得ない時は儀礼的に接するといい」
「なるほど……」
エリとて、全ての人とわかり合えるだろう、好き合えるだろうと思うほどお人好しではない。
合わない人というのはあるのだろうと彼女も思う。
彼女自身にはそこまで徹底的に嫌う相手がこれまでいなかっただけで。
「次に、自分で嫌おうとするものだ。これは最初の印象が大きいな。最初にその人物を知ったときに、いけ好かないと思ったら、もうだめだ。そこからは自分で相手を嫌う理由を見つけていく」
「それが彼女ですか?」
「いや、違う。いま言っているのは、その人物を見て嫌うものを増やしてくやつのことさ。たとえば、ある人間が背が高いのはいいのに、他の人間が背が高いことは気に障るとかな。要はそいつを嫌うと決めているんだ。実際には『背が高い』という要素が嫌いなわけじゃないのさ」
「はあ」
いまひとつエリには実感のわかない話である。
だが、スオウの言うとおりだとすれば、そうした人物はかなり意地が悪そうだと彼女は思った。
「彼女の場合、スオウという男が嫌いなんじゃない。俺を嫌うのは俺に付随するもののためだ。たとえば魔族であるとかな」
「最初に魔族というものを嫌っていて……。だから、スオウ様が嫌いだと?」
「おそらくはな」
しばしエリは考える。
彼の言うことは筋が通っているようにも聞こえるが、問題もあった。
もし彼女が魔族という種族そのものを嫌っているのならば、彼が好かれることなどありえないではないか。
彼女は素直にその疑問を彼にぶつける。
「でも、スオウ様。スオウ様が魔族であるのは……」
「ああ。それは不可分の要素だ。だが、所詮は一つの要素に過ぎないよ。彼女のような者は、それに目が眩んで、俺のことが見えていない」
「それを除いて、スオウ様そのものを見るようになれば……?」
魔族であることすら忘れ、スオウという人物を知ることになれば、心変わりすることもあると、彼は言っているのだった。
「ああ、そうだ。自信満々だろ?」
「自分で言いますか」
二人はきゃらきゃらと笑い合う。そうしている間も、自分の背中に視線が刺さるのをエリは感じていた。
「それにな」
同じように睨みつける女性の目を意識しているだろうに、彼はなんでもないように言う。
「人を嫌うのに理由は必要になるかもしれない。だけど、人を愛するのに理由は必要ないのさ」
そう言う彼の目はとても透明で、蠱惑的で。
エリは凝視のことも忘れて、寸時、彼に見とれてしまうのだった。
†
「なんということだ」
そう漏らしたのはハンスである。
だが、一行の誰もが同じことを思っていただろう。
彼らの視線の先では、ディステルの大門が開け放たれている。
それだけではない。
ローザたち一行を含む集団――つまりはスオウを守る一軍――の先頭はすでにその門へと入り始めているのだ。
「頭首自らディステルに向かうと聞いて、嫌な予感はしたが」
門が開け放たれ、街を攻撃した軍が自由にそこを通る。
どうしようもないほど説得力のある光景を見せられ、ローザは呟く。
「やつらの言うとおり陥落していたか、ディステルよ」
さらに言えば、スオウたち一行が都市内に入ろうとする脇を、普通に人々が通り過ぎていく。
さすがに兵たちからは距離をとっているものの、急に逃げ出したり、妙な行動を取る者もない。
魔族たちの都市制圧がすでに日常風景となっている証左であった。
「この様子では、やつらが言うとおりの時に街が陥ちたな」
「姫様……」
「行くぞ」
不安そうにリリィが自らを呼ぶのに、旭姫と呼ばれる女性はきっぱりと言い切った。
「手はず通りに!」
「承知!」
一声叫ぶと、彼女はリリィを抱え、そのまま輿から飛び上がった。
目指すは六脚竜に並行して進んでいた四脚竜。その鞍上にある女だった。
ローザは驚異的な身体能力で、見事にその女の体まで飛んで見せた。
「わっ」
突然に飛びかかられ、女は鞍の上で姿勢を崩す。ローザとリリィ、二人分の重みがかかるとなれば、耐えられるものではない。
四脚竜を操っていた女は、鐙に足をひっかけてひきずられるのより、素直に地面に落ちることを選んだ。
驚いたのは、そうして落ちた女より、急に上に乗るものが変わった竜のほうだった。
二人の人界の女性を乗せ、無茶苦茶に駆け出す四脚竜。
周囲の騎竜兵たちは、それを押しとどめるより、自らの乗騎を興奮させないように、暴走させないようにと抑えるのに必死であった。
少なくとも残されたハンスたちにはそう見えた。
「さあて……我らが望みは成った」
「あとは時間稼ぎですな」
仕えるべき姫と共に愛する妻を送り出した男の声に、禿頭をなでながらクリストフが応じる。
残る二人も不敵な表情で周囲を見渡している。
だが、彼らが輿から飛び降り、剣を抜いたところで、意外な声がかかった。
「ああ、暴れない暴れない」
それは、先ほどローザが飛びかかり、地面にたたきつけたはずの女であった。
だが、どこか痛む素振りすら見せず自分たちに対していることより、その流暢な北方語に彼らは驚愕していた。
魔族たちは、ほとんどの者が人界の言葉を話せなかったのではなかったのか。話せる者でもミズキのような者はごく稀で、他は片言ばかりではないのか。
だが、もちろん、そんな疑問に彼女が答えてくれるはずはなかった。
「あんたらだって死にたくはないでしょ?」
「抵抗するなと?」
「いや、違うって」
いつでも斬りかかれる体勢を保ちながら周囲を警戒し続ける四人に、彼女は苦笑を見せる。
「逃げていいからさ」
「なんだと?」
「だから、逃げていいんだってば。さすがに竜はあげられないから、徒歩だけど」
ハンスはクリストフと視線を交わす。その間も、もちろん周囲から注意を逸らすことはない。
だが、周りの魔族たちは身構えるでもなく、竜をこちらに寄せるでもなく、何一つ敵対行動を見せようとしない。
集団の頭目である男を守るように兵が集まっているが、これは当然の反応であろう。
さすがに、その一群に突っ込もうとはハンスとて思わない。
「ともかく、あんたらと戦って殺しても別にこっちはなんの得もないからさ。さっさと行っちゃって」
結局、その女の言葉に押されるように、彼らはじりじりと後退することになる。剣を構えたまま、まるで攻撃をしてこない魔族たちを不気味なものを見るようにしながら。
そうして、ようやく彼らが背を向けて駆けだしたあたりで、兵の群れが割れ、スオウが進み出る。
「行ったか」
「ええ。これでよろしいでしょうか? 殿下」
ローザに襲われ、男たちに逃げろと迫った女が声をかけられ、頭を下げる。跪こうとしたのをスオウが制したためだ。
「ああ。逃げるかどうかはわからなかったが……。逃げるなら、それはそれでいい。あれらがどう伝えるかはわからんが、人界はもう少し魔族のことを知っていいはずだ。……それより、怪我はないか? キズノのウズ」
「はい。お心遣いありがとうございます。これでも辰砂の『手』ですから。この程度で怪我なんかしていたら、姫になにを言われるか……」
顔をあげたウズが情けない顔をしているのを見て、スオウは笑い出しそうになった。
ミズキの防諜部隊は、色々と手厳しいようである。
「ウズはよくやったと伝えておくよ。俺からミズキに直接な」
「ありがとうございます」
それから、彼女はもう一度彼にすがりつくような目を向ける。
「本当にありがとうございます」
ウズの目に、感謝を越えたなにかが光るのを見て、スオウはついに笑いをこらえきれなくなるのだった。




