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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第一部:人界侵攻・開戦編
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第20回:展望(下)

「もちろんだが、あてはない」


 エリにもう休めと言い渡して天幕に戻した後で、スオウはきっぱりとそう言い切った。


「あったら驚きます」


 それを受けるスズシロの答えもあっさりとしたものだ。


「だよなー……」

「エリちゃんにはああ言わざるを得ないわよねぇ」

「わたくしたちの他は魔族であろうとも、そうですわね」


 大隊長たちもスオウのはったりをある程度は察していたのだろう。大きな驚きもなく受け止めているようだった。


「真龍を仲間にしたいというのは本気だ。だが、おそらく交渉が出来るようになるのは、こちらも力を持ってからだろう」

「でしょうな。とはいえ、それとは別に、エリがいないからこそ話せる勝算もあるのではないですか?」


 自分たちを残したのは細部を詰めていくという目的だけではないだろうと、ハグマの視線は言っていた。

 スオウはそれに応じて、懐から一粒の珠を取り出した。彼は、虹色の珠を目の前の卓にとんと置く。


「これは、エリから分けてもらったものだ。人界では、通貨として通用するほどあふれているようだ。いまでも、な」

「これ、神石リンガムですよね」

「そうだな」


 近寄ってきたフウロがそれをひょいとつまみ上げる。皆に見えるように掲げると、天井から吊されている灯火を受けて、それは七色に煌めいた。

 彼女はそのまま指に挟んだ珠を押しつぶすようにした。親指と人差し指にぐっと力を込めると、その小さな珠から炎が吹き出す。


「うあちっ!」


 慌てて神石リンガムを放り投げるフウロ。

 飛んできた神石リンガムをシランがぱっと受け取った。その時にはすでに先ほどの炎の片鱗も無い。


「無茶するわねぇ。火傷は?」

「ああ、大丈夫。手だけ獣化させた」

「器用なことするのね」


 珠を持っていた右腕を体の後ろに隠すようにするフウロ。おそらく、皆に見えないその右腕は、刃と化しているのだろう。

 体の一部だけを獣化させることは不可能ではないが、強い集中力を求められるため、あまりやる者はいない。


 あるいは、フウロはとっさのことだからこそ出来たのかもしれない。


「それにしても、圧力をかけると炎を出すというのは本当なのねぇ」

「文献によれば雷を発するものなど、色々とあるはずですわね」

「最も数が多いのは、こうして炎を発するもののようだ。なにしろ煮炊きに使えるからな。だが、ユズリハの言うように、様々な効果を持つ神石リンガムが普及している」


 自分もつまんでまじまじと珠を見つめるシランや、なにかを思い出すように斜め上を見ているユズリハの言葉にスオウが頷く。

 その後を補足するようにスズシロが継いだ。


「火を放つもの、雷を放つもの、風を吹き出すもの、その場の音と光を記録するもの、与えた力の何十倍もの衝撃をもたらすもの……。様々な効果を持つ神石リンガムを神界は人々に与えました。それは、自ら生み出した技術もその裏付けたる智恵も失ったこの世界の人々をたしかに助けたのでしょう。しかし……」

「人は易きに流れる」


 固い声でスオウは言い切った。

 与えられるものが便利であればあるほど、人はそれに頼り切りになる。


 まして、この世界は、人間にとってお世辞にも生きやすい環境とは言い難い。

 試行錯誤が許容される度合いは実に低く、すでに確実性があるとわかっているものを利用することが優先される。

 それはどうしようもないことだ。


神石リンガムは、人を助けると共に飼い馴らす道具と化した。神界は神石リンガムの供給を操ることで人界を支配するようになったんだ。まあ……ちびた神石リンガムを貨幣として利用するようになるのまでも計算のうちだったかどうかはわからんが」


 神石リンガムはその利用に伴ってわずかずつ小さくなる。いずれは見えないくらいにまでなるとも言われるが、そこまで使い切ろうとする者はまずいない。

 ある程度の大きさが残っていれば、それを集めて新しい神石リンガムと取り替えてもらえるためだ。


 実際の交換には様々な条件があって面倒ではあるのだが、その保証が貨幣価値を担保していることは間違いない。


神石リンガムの巧妙な点は、それそのものには信号を発する単純な機能しか備えていないことだ。人々には、複雑に暗号化された信号を受けとって実際の効果を発揮しているもの――須臾の細かさにまで至った機械の存在など想像もできまい。それが大気中に漂い、自分も呼吸したりしているなどとはな」


 いまここにもあるはずだ、とスオウは腕を広げる。どれだけ目をこらそうと見えはしないが、それはそこにあるのだ。


「分解しても仕組みがわからないどころか、そこには仕込まれていないのですからね……。模倣しようがなければ、技術を学び取ることは不可能です。その上、人がかつての……伝説のような古い記憶から何かを見つけ出そうとするのも神々は禁じています」

「禁じるだけではなく、作ったものを取り上げてしまいますものね。火薬や印刷技術の再発見が何度闇に葬られたことでしょう。わたくしたちが知らないうちにも、それは繰り返されているはずですわ」

「そうだろうな」


 スズシロとユズリハの言葉に頷いてから、スオウは目を閉じた。静かに何かを思う彼の様子に、周囲も厳粛な面持ちとなる。


「我が祖ハリはそんな神々のやり方に我慢がならなかった。自ら神石リンガムを作り出したことも後悔していたと伝えられている。彼が望んでいたのは人々の助けとなることで、愛玩動物のように扱うことではない」


 彼はそこで目を開き、そこに集う皆の顔を見回した。


「そして、お前たちの祖先もまた、我が祖の理念に共感し、共に魔族となった。そのはずだ」


 全員が無言でそれに同意を示す。


「俺にとって、本当の勝算は、真龍なんかじゃない。人間そのものだ。彼らを我が民とし、我が同胞とする。その結果として、彼らが神界から切り離されることで生まれてくるもの……。それこそが勝利につながると、俺は確信している」


 しんと静まりかえる天幕内。その沈黙を破ったのは、ハグマの静かな、けれど厳しい声だった。


「時間がかかる上に、確実とはいきませんな。人を誘導するならば神界と同じになってしまいます。しかし、それをせずに流れに任せるというのは……。それは、あまりにも危うい期待です。もし、部下からこんな提言があったなら、絵空事だとどやしつけることでしょう」


 旅団長の辛辣な言葉に、天幕の空気は凍り付いたようになった。

 シランが皮肉を言ったり、フウロが混ぜっ返すならまだわかる。だが、この男が正面切ってスオウに諌言するような事が起きるとは。

 しかし、老練の将は、驚きのあまりかぱくぱくと口を開け閉めしているスズシロや、あまりのことに目をつぶってしまったフウロの顔を見回して、温かな笑みを浮かべるのだった。


「しかし、他ならぬあなたが仰ったならば、この命をかける価値のある理想となります」

「……買いかぶりかもしれんぞ? 元々、俺が神であろうとい女がいればものにしたいと放言していたのはハグマも知っていることだろう。祖先にかこつけて、ただ女を漁るつもりかもしれん」


 正にしろ負にしろ、これほどまで強烈に己の意を示すハグマには、スオウも戸惑っていたのかもしれない。

 話の流れからして、いまする必要のないことを彼は口にしていた。


「いいえ、スオウ様。あなたは人を愛することの出来るお方です」


 一方のハグマも、普段は口にしないような言葉でそれを受けた。周囲の者たちは口を挟むことも出来ず、固唾を呑んで二人のやりとりに耳を澄ませていた。


「愛だと?」

「そうです。この老骨に言わせてもらえば、人を愛するというのは才能なのですよ、スオウ様。そして、あなたはその才にあふれておられる」

「どうだかな。色好みについてはあだ名にもなるくらいだが」


 皮肉げに唇を歪めるスオウに対して、ハグマは静かに首を振った。


「いいえ。スオウ様。思い出してみてください。思宮おもいのみや殿下とのご婚約に際して、なんの騒ぎも起きなかったのはなぜでしょうか?」

「それは……。皆、身を退いてくれたからだ」

「そうでしょう。当時、殿下は幾人もの女性と愛を交わしておられた。その上で、彼女たちが静かに去っていったのは、皇室の威故にではありません。殿下を思ってのことでしょう」


 複雑な顔つきでそれを聞くスオウであったが、否定することはない。ハグマはそのまま続けた。


「かつて私は、スオウ様のご母堂アマナ様とその妹君アカナ様をお育て申し上げました。不遜な言をお許し願えるならば、お二人については妹とも娘とも思う存在です」


 そこで彼はシランに目礼した。母の名を出された彼女も静かに礼を返す。


「そのアマナ様を娶ったヤイトは、非常に残念なことに、人を愛する才に乏しい男でした。彼の血統にかしずくクコは受け入れられても、共に歩もうとするアマナ様を受け入れることは出来なかった」

「……そうかもしれないな」


 幼い頃に亡くした母を思い出しているのか、スオウの瞳は暗く沈んでいる。そんな彼の目をまっすぐ見つめながらハグマはさらに続けた。


「対して、スオウ様は人を愛することが出来ます。愛というのは、自分とその相手だけに限るものではありません。その相手を大事に思う者たち、その縁者、そして、これまでその人物を支えてきた者たち、それを作り上げた伝統、生き方、そして死に方まで。なんらかのつながりをもつ全てを尊重する、そんな尊い行為です」


 ハグマは妻帯したことがない。

 あるいは、愛に対するこの真摯すぎる姿勢こそが彼を婚姻から遠ざけていたのかもしれない。


「スオウ様。あなたには、メギやヤイトに復讐する正当な権利も、魔界を取り戻すという大義もおありだ。それなのに、この人界にあることを受け入れ、人を神界のくびきから解き放つことを選ばれた」


 関を閉じられたことなどは問題ではない。スオウがそうと望めば、魔界に戻る手立てをどうにかして見つけ出す。それが親衛旅団の責務だ。

 だが、それを承知の上で、彼は命じなかった。

 その代わりに三界を制覇し、魔族の存立のもといとなっている夢を果たそうと彼は言ったのだ。


「あなたには、人を愛し、その人々を受け入れるお心の広さがある。

 女漁り! 結構ではありませんか。

 神であろうと人であろうと、あるいは龍であろうと、い女はその手にしてしまいなされ。三界の姫の全てをその愛で虜にしてくだされ」


 ハグマはすっと立ち上がり、スオウに向けて、頭を垂れた。


「どうぞ、お心のままにこの大地をお駆けください。この老骨をこき使ってくだされ。喜んで殿下の大望の礎となりましょうぞ」


 スオウは頭を下げたままのハグマをじっと見つめた。彼の視線の先で、老将の体は揺れもせずにいる。

 頭を上げるように言い、短く尋ねるスオウ。


「……一度しか聞かん。罪滅ぼしなどとは思っていまいな?」

「そのような愚かしい思いから動けば、アマナ様に顔向けできなくなります」

「よし。わかった」


 きっぱりと言い切り座り直すハグマと代わるように彼は立ち上がり、天幕を見回した。


「他になにかあるか?」


 皆が顔を見合わせ、結局フウロが口を開いた。


「あー。あたしとしては大まかな展望はつかめたんで、後は細かい所かなって」


 元から積極的だったフウロとしては当然の言であろうが、他の面々もそれに同調しているようであった。

 ハグマにああまで言われたらもう言うことはないという感覚が大勢であったろうか。


 少なくとも、スオウが自暴自棄に突っ走っているのではなく、それなりの見通しを持って覚悟を決めたことははっきりとしたのだから。

 後は、その決定をどう実現するかが、彼女たちの仕事である。


「そうか。では、話を進めようか」


 スオウは満足げに頷いて、腰を下ろした。それを受けて、スズシロが発言する。


「殿下。明日は、兵にお言葉をいただけるということで、準備を進めているわけですが」

「ああ」

「それについて、一つ提案があります」

「うん?」

「ちょっとした噂を流しましょう」


 彼女は本当に何気ないことのようにそう言ったのだった。



                    †



 その夜から翌日の朝にかけて、一群の噂が陣の中を風のように駆け抜けた。


 曰く、魔界で天変地異が起こったようだ。

 曰く、帝が崩御なされたらしい。

 曰く、九氏族が真っ二つに割れて内乱中である。

 曰く……。


 どの噂も出処は不確かで、内容も曖昧で、中には与太話としか思えないものも混じっていた。

 しかし、いずれも魔族たちの心をかき乱すものであり、かつ、どれにも共通した内容が含まれていた。




 曰く、鳳落関が関を閉じ、我々は人界に取り残された――と。

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