episode4 夏の夜の花畑
「はい拍手。」
担任に促されるまま、俺達は拍手をした。
この既視感の理由が分からないが、心の中に何かが刺さっている。
初めましてという感情が沸かない。
「とりあえず机増やしてみたから、みんな出席番号順に席を変えてください。茅ヶ崎さんは、立花くんの後ろの席、彼が立花くんね。」
担任がテキパキと指示を出しながら、俺を指して説明した。
この展開にも身に覚えがある。
「あ、あの、よろしくな茅ヶ崎さん。」
俺が振り返りそう言うと、彼女は黒髪を耳にかけ、
「よろしくね、立花くん」と呟いた。
少し大人びた女性のような仕草もどこか見覚えがあり、不思議に感じた。
「ついでに彼女のこと校内案内したってくれ。」
「…わかりました。」
やっぱり来たこの展開。なぜか既視感がある。
「お昼休みにでもお願いね。」
後ろの席をちらりと見ると、黒髪を耳にかけ、茅ヶ崎さんが会釈をした。
この仕草も雰囲気も何故か既視感があり、昼休み、担任から頼まれた校舎案内を切り出す為、女子生徒が群がる中心にいる転入生に声をかけた。
「茅ヶ崎さん、ご飯食べ終わったら校内案内するから、声かけてくれ。」
声をかけると、転入生は貼り付けたような笑顔で周りの対応をしていた。
「立花くんお待たせしました。ありがとうね。」
茅ヶ崎が黒髪を爽やかにたなびかせ、俺の目の前に立った。
「色んな人に色々聞かれて疲れたろ。行こうぜ。」
「…ちょっとね、みんな優しくてアットホームだね。」
茅ヶ崎はそう呟いて、俺の後に続き歩きだした。
「こっちが理科室で、奥が準備室。たまに社会科で映像見るのに使ったりもする。次こっち部室棟、渡り廊下は風強いから気をつけて。」
茅ヶ崎に説明しながら隣の棟へ向かう。
「下の1階は運動部、2階のここは文化部、3階は放送部と生徒会室と、今は廃部の天文学部の部室がある。」
「立花くんは何部なの?」
唐突な質問だが、何処か身に覚えがあり、俺は振り向いた。
「え?…あぁ、俺は帰宅部だ。」
「3年間ずっと?」
「あぁ、まあな。」
そっか…と呟く茅ヶ崎の顔を見ながら、朝見た夢がぼんやりと映し出される。
「天文部の部室、見に行ってみるか?」
気が付いたら俺はそんな言葉を口にしていた。茅ヶ崎は少し意外そうな顔で俺を見る。
「えっ、…そんな気になるような顔してた?」
「あぁ、なんとなく。今は廃部になってるけど鍵開いてるから部屋には入れるんだ。行こうか。」
「うん、ありがとう。」
茅ヶ崎を案内するように階段を上り、放送部の部室をすり抜けた奥の突き当りにある天文部の部室を開けた。
転入生は廃部した天文部に一歩踏み出し、教室を見回すと、長い黒髪を風にたなびかせて振り向いた。
「手慣れてますね。もしかしてここで授業サボったりして?」
「はは,まぁな。ここは人が来なくていいんだよ。」
茅ヶ崎とそんな会話を交わしながら部室に入っていく。
少し埃っぽい部室の匂いに顔をしかめ、俺はカーテンと窓を開けた。
「えーっと、茅ヶ崎さん?」
「茅ヶ崎でも琴美でも自由に呼んでください。」
そう言うと茅ヶ崎はまだ埃っぽさが残る天文部の部室内を歩きだした。
「じゃあ遠慮なく、茅ヶ崎。もしかして天文部に興味あるの?」
俺は部室を見回し、天体望遠鏡を覗き込みながら琴美に問いかけた。
「うん。私、夏の星座が好きなんだよね。知ってる?夏の大三角形。」
「あぁ…アルタイルとベガとデネブだよな?」
昔、カオリから聞いた星座知識を絞り出しながら答えた。
「そう。一等星のベガからアルタイルをつなげてデネブに繋げると夏の大三角形。」
茅ヶ崎がすらすらと夏の大三角形を空に書き込むように、指を動かした。
「私の名前、ベガつまり琴座から由来してて、琴座が美しいで琴美なの。」
茅ヶ崎は振り向き、そう呟いた。そして、
「ちなみに、この学校は何人集めれば、正式な部活動として認められるんですか?」
と不意を突くように聞いてきた。
「えっと、確か5人の部員と1人の顧問を見つけたらいいはず…。」
俺は生徒手帳をポケットから取り出しそう説明した。
「ふーん…。じゃあその部員数が達しなくてここは廃部になっちゃったんだね。」
茅ヶ崎は近くにあった天体模型を手に取り、呟いた。
「去年の3年生が引退してから、廃部になったんだよな。確か。」
少し埃をかぶった地球儀を回しながら、俺はうろ覚えに言った。
「立花君は、星見るの好き?」
「天体観測したこと1回あるよ。小学6年生の林間学校の時。えーっと。シリウスとプロキオンと…」
「シリウス、プロキオン、ベテルギウス、冬の大三角形だね。」
「そう!それだ。それ見た以来だな。」
「冬は寒いから、星がよく見えるよね。でも夏の星も綺麗だよ。」
窓を開けた茅ヶ崎が、真昼の空を眺めながら三角形の線をなぞる。
「ねぇ、天文部再建したいって言ったら驚く?」
「いや、なんでだろうな、なんとなくそんな気がしてた。」
「立花くん部員になってくれる?」
「あぁ…やるよ。」
そう答えることが正解な気がしてそう呟いた。
『キーンコーンカーンコーン』
タイミングが良く予鈴が鳴る。
「予鈴鳴ったな。戻ろうか。」
そう言って慌てて教室へと戻った。
茅ヶ崎ってどこか大人びているのに笑った顔が年相応でちょっとお茶目なところがありそうだな。不思議だな、何故だかそう感じる。俺は心の中でそう呟いた。
「今日はここまで。明日は小テストするから絶対忘れんなよー。」
ホームルームが終わり、部活に行く連中はそそくさと荷物を持って教室から離れていく。
帰宅部の俺には無縁な話だ。
ゆっくりと荷物をまとめていると、後ろの席から背中を定規で突かれる感覚があり、振り返った。
「どうしたの。」
「3人見つけたよ。」
「何が?」
「天文部の部員」
「えっ?いつの間に?」
俺の問いに茅ヶ崎は少し身を屈めて、耳元で内緒話のように呟く。
「10分休みの間に少し校内を回ってね。内部進学で余裕のある人とか後輩とか探してみたの。」
「茅ヶ崎コミュニケーション能力高いな。人生2週目だったりする?」
「ふふ、それは内緒。」
確かにうちは付属高校なのである程度の成績があればそのまま大学にも進学できる。
後ろに気配を感じ、振り向くとにやりと微笑む幼馴染が立っていた。
「あっ、お前もしかして…」
「掛け持ちでいいって言うしほぼ幽霊部員になるけど、一応春高バレーでうちら3年は引退したんだから。」
「なんだよそのしてやったり顔は。」
俺とカオリで睨み合いになる。
「あとは、立花くんと同じ帰宅部の水無月さんと、書道部の田中君が掛け持ちで入ってくれるし、副担任の佐藤先生にお願いしたらOK。元々去年まで顧問やってらしたんですってね。」
俺は茅ヶ崎の根回しと人材収集能力に振り回され、あれよあれよと部活動申請書の部長の欄に名前を書かされ、それを持った茅ヶ崎とカオリが生徒会長を捕まえに行ったので、仕方なく天文部の部室へと向かった。
帰宅部の水無月さんに身に覚えがなかったが、部室に着くと水無月さんであろうショートカットの女の子が部室の掃除をしていた。
「あ、君が水無月さん?」
俺が問いかけると小さくこくんと頷いた。
「掃除、手伝うよ。」
そう言って彼女の足元にあるバケツにかかった雑巾を手に取った。
「確か1年生だよな?」
心の声が漏れ出ていたようで、水無月さんは少しびっくりした顔で俺を見て、
「はい、立花先輩ですよね?えっと、琴美先輩に休憩時間の自販機前で声を掛けられて…。興味があったので入ることにしました。よ、よろしくお願いします。」
「あぁ、よろしくな。」
小さくなってお辞儀する水無月こと後輩の水無月に会釈を交わし、掃除を始めた。
何でそう思ったんだろう。一年生なんてほとんど関わりがなく、会った事すらないはずなのに、なんで俺、水無月が1年だって知ってたんだろうか…。上履きの色で判断したのかな。
俺が窓を拭いていると扉が開く音がして、振り返ると高身長の男子学生が暖簾をくぐるかのごとく扉をくぐって入ってきた。
書道部の田中って、隣のクラスのイケメンかよ。
俺と水無月さんが驚いて手を止めると、この雰囲気を察知した田中が、
「天文学部の部室ってここ?」
と確認する様に俺に聞いてきた。
「嗚呼、ここだけど。お前、書道家の家系の書道部一筋の田中だろ?ここ天文部だぜ?」
俺は、よく女子から流れてくる噂話通りの印象をそのままぶつけ、何用でここに来たのかを尋ねた。
「秋の展示会まで暇だって言ったら、廃部した天文部再建するから高校最後の思い出に入ってみないかって誘われたんだよ。あぁ、お構いなく。ぼくはここに座ってるから。」
長机に鞄を置き、パイプ椅子に座る田中を見ながら、俺は茅ヶ崎の度胸と勢いに改めて感心した。
再び窓ガラスに向き直り、窓を拭いてると後ろから田中の「1年生?」という驚く声が聞こえた。
再び、自己紹介をする水無月の声を聞きながら俺は窓ガラスを拭き続けた。
「あれ、もうみんな集まってる。」
のんきなカオリの声が聞こえてきて振り返ると、部活申請承認のハンコが押された申請書を持った茅ヶ崎とカオリが部室の扉から顔を出して部室を見回していた。
「早く入って来いよ。もう掃除も終わって、ただただ雑談してたんだからな。」
「ちょっと陸人怒ってんの?掃除はありがとうだけど、私達だって遊んでたわけじゃないんだからね?」
「はいはい。じゃあ何してたんだよ。」
むっとしたカオリが俺の向かい側、水無月の隣に座った。
「はい、生徒会長の判子もらってきました。」
茅ヶ崎がみんなに見えるように掲げた申請書にはきっちり生徒会長のハンコが押されていた。
「正式に提出するのは明日だから、立花くん朝一番に一緒に判子取りに行こうね。」
「あ、お、おう。」
俺が目を丸くして答えると、茅ヶ崎が両手を広げた。
「じゃあ説明しますね。明日からここは天文部になります。顧問は佐藤先生で部員は今いるみんなです。」
しっかりとみんなを見回しながらそう説明をする。
「とりあえず、挨拶しましょ。時計回りで田中くんから。」
ぱんっと手を叩き、茅ヶ崎が自己紹介を田中へ促す。
「僕は3年3組、書道部部長の田中裕理です。秋までは特に展示会も発表会もないですし、掛け持ちでいいといわれたので入りました。よろしく。」
「時計回りってことは次、水無月ちゃんだね。頑張って。」
少し緊張した表情の水無月にカオリが声をかける。
「はい、1年1組の水無月みなみです。先輩に入りたい部活無いなら作るからおいでと誘われ入りました。終バスまでしか活動できませんが、よろしくお願いいたします。」
「次…私ですね。今日この学校に転入してきました茅ヶ崎琴美です。みんな自由に呼んでください。部活の出席は絶対ではありませんが、来てくれると嬉しいです。」
「はーい、次3年2組の筒井香里です。元バレー部セッターでしたが、春高バレーで負けちゃって引退したので、セカンドキャリア?みたいな感じで琴美ちゃんに誘われて入りました。まぁ後輩にアドバイス行ったりするからほぼ幽霊部員になるけど、みんなよろしくね。ほら、最後なんだからびしっと締めなさいよ。」
カオリはにこやかに自分の挨拶を終えると、俺を指さし注文をつけた。
「えーっと、夏の大三角形が見たくて入ることになりました。同じく3年2組の立花陸人です。元々帰宅部だったのでまぁ新しいことできるならちょっといいかなって思ってます。よろしく。」
全員の自己紹介が終わると、茅ヶ崎がホワイトボードを引っ張ってきた。
この程度じゃあもう動じない自分がいる。
「じゃあ、活動内容言いますね。まずは、天体の観測。先輩たちが残したこのノートと部屋中にある天体図鑑を元に勉強していきましょう。今は初夏で暗くなるのも遅いけど、暗くなくても観測できる星はあるので、大体18時くらいにはこの天体望遠鏡をもって屋上に行きます。屋上の許可も、明日には取り付けてくるから安心してね。大体この時期から夏にかけて見れる星に関してまとめた資料あるから配るね、回していって。」
俺は茅ヶ崎の用意周到さに圧倒された。
他のみんなも同じようで、驚きながら資料を回し、それぞれ確認し始めた。
ー初夏の天体観察についてー
金星と木星の大接近(6月上旬)
日没後の西の低空で、金星と木星が寄り添うように輝く。最接近時には肉眼でもしっかり確認できるほど華やかな光景を観測できる。
惑星のパレード(6月中旬)
水星の東方最大離角の前後には、西の低空に水星・木星・金星が並び、そこに三日月も加わりパレードのように連なる光景を観測できる。
6月27日 うしかい座流星群
ゆっくり流れる流星群が見物。
6月30日 ストロベリームーン観測
6月の満月。空の低い位置を通るため、大気の影響で普段より赤やオレンジ色に見える。アメリカでは苺の豊穣期のためストロベリームーンと名付けられました。
「こんな資料いつ作ったんだよ。」
田中が不思議そうに茅ヶ崎を見る。
全くもって同感だ。席が前後なのに全く資料を作っているような節を感じることはなかった。
「え?生徒会長の説得をカオリさんにお願いしてる時にスマホで文章作成して、職員室で佐藤先生に話してる時に職員室のコピー機を使ってコピーして持ってきました。」
「えっ、そんなことしてたの?全然気づかなかった。」
一緒にいたはずのカオリまでそういうもんだから、みんな驚いた。
「謎に行動力があるのは父に似てるんだそうです。」
少し恥ずかし気に琴美が呟いた。
「まぁとりあえずはこの観測を目指そう。ほらスマホ出して?みんなでグループ作ろう。」
カオリが話を変え、各々ポケットを探りスマホを取り出し、みんなと連絡先を交換し始めた。
数秒後には、天文部のグループチャットの申請が来ていた。お前も仕事早いな。
「えっと…とりあえず今日は、曇りだしこれで解散します。ちなみに部長は立花くん、私茅ヶ崎が副部長です。ただ形式的なものなので何かあったら何でも言い合いましょう。」
そうして今日の天文学部の活動はお開きとなった。
「立花くんは自転車通学?」
「嗚呼、寝坊しない限りは自転車通学だな。ちが…」
「陸人、帰ろ。」
「カオリ…、へいへい。じゃあ茅ヶ崎また明日な。」
「琴美ちゃん、立花くんまた明日ね」
俺の言葉を遮り、カオリがやってきた。当たり前のように隣にいるカオリと歩きながら、自転車置き場に向かう。
「茅ヶ崎って不思議だよな。」
「琴美ちゃん?確かに最初はクールビューティだと思ってたら行動力あるし、不思議な求心力あるよね。中学時代の陸人みたい。」
「いやなんか、初めて会った気しないんだよな。マジで不思議。」
「いい子だよね、琴美ちゃん。色んな人に分け隔てないし。というか人のパーソナルスペース図るの上手。」
一等星のように人を吸い寄せる人柄…。
「琴美か…。名は体を表すってあるんだな。」
「ちょっと、私を見ながら言わないでよ。私だって気品あふれる香織、なんだからね」
ぶつぶつと何かを言うカオリを後ろに乗せ、自転車で校門を抜け出ていった。
正式に部として認められてもう2週間経つんだから、そろそろ部長の貫禄出て来てもよくない?」
「強引に部長にしたの琴美だからな。」
カオリと言い合いをしながら鞄をパイプ椅子に引っ掛け、ドサッと座った。
「2人、仲良しだね。」
「お隣さんのよしみで仕方なくだよ。ほんと私が助けてあげなきゃこの高校の入学だって怪しかったんだから。」
「もう3年以上前のこと掘り起こすなよな。」
「ほんとのことじゃん!陸人のパパとママ、じいじとばあば、それに担任と、学年主任の先生。あんなに大人の人に感謝されたの初めてだったからね。」
俺がこの高校に受かるようにカオリはかなり尽力してくれて、うちの家族含め色んな大人がカオリに感謝したのは本当のことだ。
「あの時のことは散々礼も言ったし、春高バレーも欠かさず応援に行っただろ?」
「また進級試験は近付いてきてるんだからね。今度は応援じゃ割に合わないよ。」
「私の魔法のノートもね。」
琴美がにっこりと笑って俺にだけ聞こえる小声でそう呟く。
俺は琴美に手刀で詫びた。
「あれ…何やってんの?そろそろ天体望遠鏡を屋上に運ぶよ?」
扉の前で不思議そうな顔をして立ち尽くしている田中がいた。
「あぁ、そろそろ運ぼうぜ。」
田中と二人で天体望遠鏡を持ち上げ、女子2人は天体記録ノートや方位磁石などの細かなものを持ってきてもらった。
水無月は少し遅れて、部室ではなく屋上に直接来た。
「遅くなってすみません。」
「みなちゃん待ってたよ。今日はいい感じに雲がないから綺麗に見えると思います。水星、木星、金星、月のトロピカルパレード。」
琴美が迎え入れて、天文部の部員が揃った。
「もうちょっと待っててください。」
その後、顧問が活動を見守りに来て、今は琴美が1人でテキパキと天体望遠鏡をセッティングしている。
「こっち側だから…よし、見えるよ。みんな望遠鏡に触らないようにして、ここから覗いてください。」
セッティングが終わったのは18時10分を過ぎた頃だった。
「3つの惑星と月が連なってるの見えます。ほらみんなどうぞ」
琴美はセッティングが終わるとさっと場所を開け、ノートに方位と角度をメモし始めた。
望遠鏡の前には田中、水無月、カオリ、顧問が並んでいる。佐藤先生も久しぶりの天体観測に浮足立っているようだった。
まぁ俺は最後でいいやと考えながら、琴美がノートに書きこんでいる内容を見つめた。
「琴美、絵上手いんだな。」
「えっ?あぁ、天体だけ。小さな頃から天体図鑑を見続けていたのと、後は母が上手だったのでその血筋かなぁ。それより、見なくていいんですか?」
「嗚呼、俺は最後でいいよ。みんな綺麗に見えるって喜んでるな。今日晴れてくれてほんと良かったよな。」
「りっちゃん優しいですね、いつもみんなを最優先して。」
「今見ても後で見ても星の輝きは変わらないだろ?」
「全然違います。星の輝きは何億光年前に輝いた一瞬が今の私達に届いてるんですよ。」
琴美はそう言うと望遠レンズのついた一眼レフで写真を撮り始めた。
このカメラは佐藤先生の自腹で買ったもので、使用許可が下りているのは使い方をなぜか熟知している副部長である琴美だけだった。
琴美の後を付いていき隣から覗き込む。
「写真と動画も撮ってんの?」
「うん、もしかしたら文化祭で使えるかもでしょ?」
「確かに…。てかこっちでもよく見えるな。」
俺は琴美の手元にある望遠レンズ付きの一眼レフカメラを覗き込んだ。
「望遠レンズ使ってますからね。ほら、今届いた光は何億光年も前に瞬いた光が今、このレンズに届いたんですよ。ロマン感じるでしょ?」
嬉しそうに熱く語り始めた琴美に頷こうと顔を上げると数cm先に琴美の顔があり、慌てて身を引いた。
「おわっ…あっ、すまん。近すぎたな。」
「急に動いたら危ないですよ。あっ…望遠鏡空いたみたいです。見てきたらどうです?」
琴美は、驚くことなくさらっと流し、三脚にカメラをセットし直して、俺を望遠鏡の方へと押し進めた。
「おぉ…。」
肉眼ともカメラの望遠レンズとも違った見え方に思わず感嘆の声が漏れた。
「ね?凄いでしょ。超楽しいよね。天体観測」
「カオリが見つけたみたいになってるけど、セッティングしてくれたの琴美だからな。」
「そんなことわかってるわよ。でもこの感動はみんなで分け合いたいじゃない。ほらみなちゃんまた見てご覧!」
終始カオリはハイテンションで、ぐるぐると何度も何度も交代交代でこの惑星のパレードを見ることになった。
夏の音が聞こえてくる6月27日。
やっと解禁になった夏服のワイシャツの腹筋あたりの生地を掴み、パタパタと仰いでいると後ろから『うぃーん』という音と共に生ぬるい風が背中を撫でた。
驚いて振り向くと、いたずらっ子のような微笑みで琴美がこちらを見ていた。
「おはようございます。やっと夏服に慣れてきましたね。はい、ハンディーファン。貸してあげますよ。」
「何このミニ型扇風機。」
「だから、ハンディーファンです。無いよりマシでしょ?」
半ば押し付けられるような形でハンディファンを受け取った。
「じゃあホームルーム始まるまで有り難く借りとくわ。」
俺がそういうと満足そうに頷いて、琴美は予習に戻った。
「それなんの予習?」
「英語です。明日からテスト本番ですし、山を張って出そうなところ予習してるんです。」
「へぇ、真面目さんだなぁ。」
「真真面目は母譲りなんですって。」
「へー、そうなんだ。あ、カオリおはよ」
2人で雑談してると教室にカオリが駆け込んできた。
「もー、寝坊したぁ!隣なんだから起こしてくれてもいいじゃんよー。」
「カオリが俺より遅く起きるなんて思ってねぇから気付かなかったんだよ。」
「昨日、夜遅くに月の観測してたら寝坊しちゃったのー。」
「へー、部活動に積極的で、次の日遅刻は本末転倒じゃね?」
「うるさいなぁ…。遅刻じゃないし、ギリギリセーフ!」
むくれるカオリをからかいながら、ホームルームの時間を待った。
英語の授業中、背中を定規で突かれる感覚がありしれっと振り向くと、琴美がノートの切れ端を綺麗に畳んだ手紙を手渡してきた。
『今日は晴れ予定になってよかったね』
『あぁ、ぎりぎりまで小雨予報だったもんな。』
『みんなうしかい流星群見るの楽しみにしてたもんね。みんなで見られるの楽しみ』
『今回は裸眼でもいいんだっけ?』
『一応備品扱いでみんな用の双眼鏡買ってもらったよ。うしかい流星群は少ない数の流星がゆっくり流れていくのが特徴だから。』
『副部長気合入ってますねぇ』
『部長も気合入れてくれていいんですよ?』
他愛もない手紙のやり取りが意外と楽しく、書くスペースが無くなったら同じようにノートを破って切れ端に返事を書いて楽しんでいた。
19時、部室棟の屋上にて。
夜間活動の為、今回も佐藤先生が同伴している。
「月の明かりが邪魔するからみんな四方八方に分かれて、流れたらこの観測計を押してください。双眼鏡は使わなくてもいいけど、くっきり見たい人いたら使ってみてね。あっ、お願い事も忘れずにね。」
琴美はにっこりと笑って、みんなにNikonの双眼鏡とバードウォッチングに使われるような計測器を渡した。
琴美と3m隣で、流星群の観測を開始する。
なかなか観測が出来ず、諦めかけていた19時40分。
きらりと目の端で何かが光った。
「…………になれますように。」
同時に隣の琴美が何かを呟く声が聞こえた。
そっと覗いた顔はいつにも増して真剣な表情で思わず驚いた。
それから何もなかったようにみんなの方へ振り向き、
「こっち2つ観測できました」
と報告した。
「新しい筆、新しい筆、新しい筆。こっちも1つ観測できた。」
田中が願い事を呟いた後、続くように言う。
「あっ!きたぁ!春に大学生、春に大学生、春に大学生。」
カオリも琴美の助言通りに願いを唱える。
水無月も懸命に空を見回している。
顧問の佐藤先生は観測報告のあった場所に行ってはカメラで写真を撮っている。
俺も見つけたいなぁ。なんてその場に座り込み、空を仰いだ。
「真上見たって駄目ですよ?」
キラキラと微笑む琴美の顔が上からそっと覗き込んできた。
「お前って…なんか一等星みたいだよな。」
心の声がそのまま言葉に出ていて、俺は言ってから後悔した。今のはキモすぎだろ…。
引かれたかと思ってすぐに俯いた。
「ふふっ…そっか。ふふふ…。」
隣にしゃがみ込んだ琴美がくすくすと笑い声を立てるので、そちらをちらりと見ると、
「りっちゃん、正解です。夏の一等星はね、こと座のベガなの。凄い…偶然ですよね。」
そう言って、同じように空を仰いだ。
『あっ』
2人の声が重なった時、流星がゆっくりと流れていった。
「りっちゃん、お願い事出来ました?」
「やべ、忘れてた。琴美は?」
「私はさっきしたので大丈夫です。」
「そっか…。」
20時には完全撤収の為、一旦部室に戻り、全員自分の定位置の机に双眼鏡を置いて部室を出た。鍵当番をしてくれた佐藤先生にお礼を言って、帰路に着く。
下校道は自然と別れ、バス通学の水無月、自転車通学の俺と家が近いカオリ、徒歩帰宅組の田中と琴美だ。
「じゃあ、また明日学校でな。」
各々が手を振り、分かれる。
「落とさないでよね。」
「勝手に自転車の荷台に乗って文句言ってんじゃねー。落とされたくなかったらしっかり掴まってろ。」
俺は、後ろにカオリを乗せて坂道を下る。
あの初めて流星群を見つけた時、琴美は何を願っていたんだろう。
そんなことを考えながら、自転車のスピードを減速していった。
いつの間にか習慣化していた部室で昼休憩を過ごす日々。
いつも通り弁当袋を携えて渡り廊下を歩き、天文学部の部室を目指す。
「あれ、琴美だけ?他のみんなはどうしたんだ。」
俺は定位置に座る琴美の向かい側に座った。
「なんだっけ、伝説のメロンパン?をみなちゃんが食べたことないとかで、買いに行くの手伝うって3人で出ていかれました。何なんですか?伝説のメロンパンって」
「あぁ、メロンパンの移動販売車が月2回だけ来てくれるんだよ。ただ月2回な上に数量限定だから争奪戦になるし、水無月1人だと押しつぶされて終わりだろうな。」
俺は笑いながら弁当を広げた。
「焼きそばパンって炭水化物に炭水化物だよな」
俺が琴美の昼食を見つめながらついつい独り言がこぼれ出てしまった。
「エネルギーを沢山摂取してるんです。効率的に。」
「他の栄養素全て置き去りじゃねぇか。焼きそばのキャベツに野菜の栄養素背負わせんな、荷が重すぎるぞ。」
「そう言えば、廊下に貼り紙が貼ってあったんですけど、花火大会…?もうすぐみたいですね。」
「花火大会?あぁ、もうそんな時期か…すっかり忘れてたなぁ。」
「何ですか、その苦虫嚙み潰したような、変な顔。」
俺の顔を見て真似するかのように眉間にしわを寄せてピクピクと痙攣させている。
「いや、うちの家族祭りになると気合が入ってじいちゃんばあちゃんと両親が張り切って出店を出すから。いつも1人なんだよなぁ」
「そうなんだ。詳しいんですね。よかったら、一緒に行きません?」
「あぁ、それ…」
「お待たせー。見て3つも買えちゃった」
俺の言葉を遮って、カオリたちが部室のドアを大きく音を立てて開き、購買で買ってきたであろうメロンパンを机の上に並べて見せた。
「田中君は甘いの苦手なんだってー。だから残りの1つ2人でシェアしたらどう?私はねぇ、このピスタチオで、みなちゃんがストロベリーなんだよね。それで余りが夕張メロンなの。めちゃくちゃ正統派でいいでしょ?2人で分けて食べて。」
そういうとカオリは俺に夕張メロンパンを渡して各々手に取ったパンに噛り付いていく。
どうやら今日弁当を食べているのは、田中と俺だけのようだった。
女子群がパンを食べる中、俺たちは、茶色一色の母親特製スタミナ弁当を食していく。
「あ、そういえば今年の手持ち花火はもう激安の王道ショップで買ってきたから、あとで半額ね。」
「なんだ、あれ今年もやるのか。」
「あれしないと夏来たーって感じしないでしょ?」
「2人で花火するんですか?」
水無月がきょとんとした顔で聞いてきた。
「嗚呼、昔からの厄介な決まりだよ。花火大会を見てから手持ち花火で遊ぶっていう」
「厄介?線香花火しないと夏にならない!って昔は散々言ってたくせに。」
カオリはちらりと俺の顔を見てから、さっと目をそらしそういった。
「幼なじみっていいですね。昔からの繋がりなんて今からじゃ構築できないもん。」
「水無月に同意。僕も昔から炭の匂いをまとって筆と半紙が友達だったから。」
「わかります。私も一生一輪車乗ってました。」
知らぬ間に田中と水無月が共鳴し合い、深く頷き合っていた。
琴美は窓の外をぼーっと眺めている。
「琴美…琴美?なぁ、どした?」
「えっ、あぁ晴れるといいですよね。」
俺の声かけに驚いたように振り向いて、ふふっと笑って見せた。
それからは貰った夕張メロンパンを琴美と分けながら、それぞれ夏休みの予定と、天文学部の課外活動について話し合った。
『キーンコーンカーンコーン』
終礼が終わり、僕はゆっくりと帰り支度をしていた
「先、部室行ってるからねー。」
「ったく、カオリの奴、教室に響くような大声で言わなくても聞こえてるっつーの。それと、後ろで笑ってるの聞こえてるからな琴美。」
俺が振り返らずにそう言うと、琴美はふふっと笑って、
「ふふ、ごめんね。」
と茶目っ気たっぷりに言う。
「琴美は…行かねぇの?」
そう言い振り返ると、琴美は後ろにおらず、教室のカーテンを一つ一つ丁寧に閉めながら、一言呟いた。
「ねぇ、縁日って屋台がたくさん並ぶよね?」
どこか遠くを見る琴美の視線とは絡まらない俺の視線。
「あぁ、俺の家は焼きそばだな。」
俺がそういうと琴美はそっと目線を合わせ、
「私、あんず飴より、りんご飴派なんです。」
そう言って笑って見せた。
「おお、他には?」
俺は机に腰かけてそう笑う。
「絶対買うのは綿あめです。それと広島焼きよりも大阪のお好み焼きの方が好きです。あと、金魚すくいよりヨーヨー釣りの方が好き。」
「他には?」
「たこ焼きより焼きそば派で、フランクフルトよりイカ焼き派です。それに射的は絶対取れないってわかってるのに、大きなクマのぬいぐるみとか狙っちゃいます。」
「いいね。俺も射的は好き。」
「それと…。」
最後のカーテンに手を掛けた琴美が口を開く。
「りっちゃんと花火大会にいきたい。」
俺の座る机に、カーテンの隙間からこぼれ出た夕暮れの太陽の光が差す。
「えっ」
「なんちゃって。」
琴美は間髪入れずにそう言うと、にっこりと笑って振り向いた。
俺は何も言及しなかった。
「じゃ、そろそろ部室行くか。」
「そうですね、みんな待ってるだろうし。次の野外活動の日付決めましょうか。夏休みになっちゃうけど精力的に活動したいなぁ。夏の大三角形もまだ見れてないし。」
話しながら教室を出て、部室棟へと向かった。
結局その日は、前回の観測とうしかい座流星群についての記録を話し合い、7月28日の夏の大三角形を見る野外活動の申請書と日時の確認をして解散となった。
7月27日、花火大会当日。
祖父と父はお昼からテントの設営や鉄板の準備などで出払い、祖母と母がキッチンで食材を準備しているのを感じながら背を向けて、ソファーに横になり、テレビをごろ寝しながら見る。
「陸人、あなた今年も縁日始まってから来るのよね?」
「あぁ、カオリが浴衣着るらしいから、その着付けが終わってから自転車で行くよ。」
「あぁ、お義母さんそれは向こうで混ぜるそうなので、カットした野菜だけ混ぜて5人前ずつに分けて入れましょう。」
母はテキパキと俺と祖母に指示を出しながら、にんじんを短冊切りにしていく。
「陸人もぼーっとしてるなら手伝ってよ。そこの段ボールにラムネ瓶入ってるからガレージに4箱持って行って。あぁクーラーボックス2つもその箱の横に置いておくのよ。お父さんの声聞こえたら冷凍庫から6kgの氷出して渡してあげてね。」
母の勢いに負かされて渋々ソファーから立ち上がり、段ボールをガレージの扉前に積んでいく。
「重っ…。」
段ボールを3回に分けて運び、空のクーラーボックスを2つ肩にかけて段ボールの横にそっと置く。
「おう、手伝ってくれとんのか」
クーラーボックスを置くと同時にガレージに続く扉が開き、父が顔を出した。
母の指示通り、父がラムネ瓶の段ボールをミニバンの後ろに積んでいる間に冷凍庫から氷を6kg抱きかかえて戻り、クーラーボックスに押し込んだ。
「母さん、野菜の準備はできた?」
父がガレージから声を張り上げる。
そうすると奥のキッチンからパタパタと急ぐ足音が聞こえ、祖母が山のような野菜を小分けにした袋を抱えて持ってきた。
俺はもう一つの空のクーラーボックスを開けて野菜入りのポリ袋を詰め込んだ。
「陸人、お前今年もカオリと一緒に回るのか?」
「まぁ、そんなとこ。」
「こっちは例年通り出店で忙しいからな。楽しめよ縁日。」
父はクーラーボックスを持ってミニバンへと乗り込んだ。
楽しめって言われてもな…例年通りだし。
午後7時、家を出て近くの公園へ自転車で向かう。
いつもの待ち合わせ場所だ。
「おーい。遅いぞ」
「カオリが浴衣着るのもたつくと思ってたんだよ。早く後ろ乗れ。」
「やったー、これで下駄で歩かなくて済む」
カオリが自転車の後ろに横乗りになり、腰に腕が回った。
俺は力を入れてペダルをこぎ始めた。
「今年は特別だから千発打ち上げるらしいよ。」
「そんなに打ち上げるなんて費用すげぇかかってそうだな。」
「今年は特別なんだから大掛かりにしたんだろうね。」
「じゃあ1時間くらい花火大会やるのか?」
「そうみたいよ。有料で観覧できる観覧席売ってるみたいだけど、いつもの場所でいいよね?」
「あぁ、あそこなら早くいけば空いてるしゆっくり見れるからな。」
慎重に自転車を漕ぎながら坂道を下っていく。
せっかくならみんなであの場所を満喫した方が良かったかなぁと琴美の顔が浮かび、「天文部の皆、誘えばよかったかなぁ…。」と呟いた。
「…鈍感。」
「ん?なんか言った?」
前を見ながらカオリの方に耳を傾ける。
「…んっ、もう、もっと早く漕げって言ったの!出遅れたらあんず飴買えなくなっちゃうし。」
神社境内に続く石段が見えて来て、屋台の並ぶ通りに到着した。
カオリを下ろし、入り口付近にある自転車置き場に自転車を止める。
「ねぇ、あれってみなちゃんじゃない?」
カオリが見つめる方向を見ると、以前見せてもらった浴衣に身を包んで友達と談笑する水無月がいた。
「おお、水無月だ。制服じゃないって、なんか不思議な感覚だな。それに友達と一緒で楽しそうだな。」
「ねっ。楽しそうにしてるし、私達も早く縁日行こっか。」
様々な屋台や出店が並ぶ路面をカオリと2人並んで歩く。
射的やヨーヨー釣り、金魚すくいなど昔ながらのものもあり、子供達がお面をつけて走っていく。
カオリと二人で縁日を見回りながらふと、琴美のことを思い出した。
見に行かないって言ってたけど、本当に来てないのだろうか…。
歩き進んでいくうちにフルーツ飴の屋台が見えて来て、カオリが小走りで近づいていった。
「あっ、あんず飴買いたい。」
いちご飴にぶどう飴、パイナップル飴やみかん飴、定番のりんご飴など、色とりどりの飴を眺めながら、カオリがあんず飴を手に取り購入する。
あんず飴よりりんご飴…。あの日の会話を脳内で反芻しながら、フルーツ飴を眺めているとカオリがくるりと振り返った。
「陸人の家は今年何を出してるの?」
「あぁ、焼きそばの屋台だよ。」
「へぇ、良いね。じゃ後で寄ってみようよ」
「えっ?あぁ、そうだな」
焼きそばの屋台を目指して歩いていると、金魚すくいや射的などの屋台が立ち並びだした。
「ねぇ、金魚すくいあるよ。勝負しようよ、どっちが取れるか。」
「ヨーヨー釣りじゃねぇの?」
「えー?昔から遊んでたのは金魚すくいの方でしょ?」
「昔やってたなそんなこと。久しぶりにやってみるか。」
各々300円を支払い、ポイを受け取る。懐かしい感触にくるくると回して見せた。
お椀を近づけて、狙いを定める。この小さな金魚なら、脆弱なポイでもすくえるだろう。
斜めの角度でそっと水にポイを刺し入れ、優しい手つきでお椀に金魚をすくい入れる。
カオリの方を見るとすでに失敗しており、ポイには大きな穴が開いていた。
俺のポイはまだ破れてはいない。
同じように小さな金魚に狙いを定めすいすいと泳ぐ金魚の向かう方向へポイを滑らせるように水に潜らせ、金魚をお椀に入れる。
「えっ、凄い破れずに2匹も獲れてるじゃん。」
「兄ちゃん上手だねぇ。」
「2匹だけで十分なんでもう大丈夫です。」
屋台のおじさんにポイを返し、2匹が仲良く入ったビニール袋をカオリに差し出した。
「えっ、良いの?」
「でっかくなるまでちゃんと育てろよ。」
嬉しそうに笑うカオリにそう言い、2人で金魚を眺めた。
「ねぇ、射的もやろうよ。」
「別にいいけど、荷物が増えても持ってやんねぇぞ。」
そのままスライドするように移動して、射的屋に入った。
「1回5発、600円ね。」
射的屋の主人に声を掛けられ、2人でお感を払い、コルクを受け取った。
景品をパッと見たところ有名なゲームから子供向けのぬいぐるみまで様々なものが陳列されていた。
出た。絶対に落ちない大きなクマのぬいぐるみだ。
俺は何となくそのクマ目掛けて数発のコルクを放つ。
「うーん、当たらない」
カオリが懸命に何かを狙っている。
「何狙ってるの?」
「あの、あれ…、クジラの置物。」
「あぁ、あれか小さいな。」
そこからは2人でクジラの置物を狙って射的をする。
「当たる気がしない。」
「いや軌道修正はできた。絶対落ちる。」
俺は最後のコルクを詰め、引き金を引いた。
『ポンッ』
とコルクが当たり、クジラの置物がコロンと落ちた。
「わっ!当たった。当たりだよ!」
嬉しそうに跳ねるカオリに主人から受け取ったガラスのクジラを渡す。
「いいの?ありがとう」
カオリは大事そうにクジラを受け取りかご巾着の中にしまいこんだ。
そこから少し歩いた先に焼きそばの屋台があった。
俺は祖父と父にからかわれるのが嫌で、カオリを1人焼きそばの屋台に行かせて、俺は隣の綿菓子屋を見ていた。
絶対に買うのは綿あめ。意外と甘いものが好きなんだよな…。お土産に1つ買っていこうかな。
そう思い立ち、1つ綿菓子袋を手に取り500円を支払った。
「あっ」
いつ渡すんだろう。買ってから気付いてしまった。綿菓子の賞味期限っていつぐらいなんだろう。
慌ててスマホで検索をかける。まぁいいか、明日は天文部の野外活動の日だ。明日持っていけばいいだろう。
「ねぇ見て!特盛。300円でおまけしてもらっちゃった。」
スマートフォンをポケットに入れていると屋台から戻ってきたカオリが、嬉しそうに特盛の焼きそばを見せてきた。
「こんなに食えるの?」
「陸人もいるから平気でしょう。お箸も2膳貰ってきたし。」
「じゃあ、イートスペースで食おうか。」
「うんっ。あれ陸人、綿菓子好きだったっけ?」
大木の下にあるベンチに腰掛けた時、カオリが俺の手にある綿菓子の袋を見て不思議そうにつぶやいた。
「ん?あぁ、琴美が言ってたんだよ。縁日で綿あめはマストだって。」
「そっか…。じゃ、いただきまーす。」
「いただきます」
今日は花火のせいで天体観測は上手にできないだろうな…。
カオリと焼きそばを分け合いながら、そっと空を見上げた。
中学の同級生と合流した私は縁日の屋台を見て歩いていた。
「あっ」
視線の先には立花先輩とカオリ先輩だ。私は挨拶をするべきか少し悩み2人を見つめる。
2人は楽しそうに、屋台で焼きそばを買ってベンチで分け合っていた。
2人の仲睦まじい雰囲気を察し、私は声をかけるのを諦めて、友達の輪の中に戻った。
「ねぇみなみ、焼きそば買ってみんなでシェアしよ?」
「私イカ焼きも食べたいな。」
「ねぇ広島焼きもありじゃない?」
「じゃあ少しずつ買ってみんなでシェアしよっか。」
友達とバラバラに分かれて屋台に並び、それぞれ焼きそば、イカ焼き、広島焼き、そして私はたこ焼きを買って集合場所に戻る。
集合場所に戻る際、綿菓子屋の前を通った。
そういえば琴美先輩はコットンキャンディーのアイスが好きって言ってたなぁ。
琴美先輩や田中先輩、立花先輩にカオリ先輩、天文部のみんなで来ても絶対楽しかっただろうな。
来年にはみんな卒業してしまう。今年が最後のチャンスだったのかも…。友達と見て回るのも楽しいけれど、きっと先輩たちと来ても楽しかっただろうな。
もしかして琴美先輩も見に来ているのかな…。
軽く辺りを見回しながら、集合場所へと戻ったのでした。
花火大会は7時30分からの為、続々と人が集まってくる。
人混みに流されないように、カオリをかばいながら花火が見やすい展望台の方へと歩く。
地元の人間のみが知っている展望台にいち早く移動した為、まだ展望台には人がいない。花火が見える位置にあるベンチに2人で腰掛けた。
「やっぱここは穴場だね。」
「あぁ、地元民しか知らない場所だしな。」
「でもちょっと早めに来ないとこのベンチは埋まっちゃうんだよね。」
「だから焼きそば半分残してでも移動してきたんだろ?」
「じゃあ、花火大会が始まるまで焼きそば食べて待ってようよ。」
「そうだな。箸くれ。」
カオリから箸を受け取り、やっと半分ほどに減った焼きそばに再び手を付ける。
「んーまっ、やっぱ陸人のじいじ天才だね。」
「作れるの焼きそばだけだってばあちゃんいつも嘆いていたけどな。」
「すき焼き作るのもじいじでしょ?」
「下準備するのはばあちゃんと母さんだからな。不満も言いたくなるんだろう。」
そんな雑談をしながらも、カオリはぺろりと特盛焼きそばを完食した。
「あんず飴は手持ち花火した後にたーべよ」
「まだ入るのかよ…。」
花火大会開始まであと10分。
展望台にも続々と人が集まってきた。有料観戦席を見降ろせる展望台で、花火が上がるその時を待っていた。
「もうすぐだね。千発の花火楽しみだなぁ。」
カオリは嬉しそうに空を眺める。
『ヒューッ』
花火特有の打ち上がる音がして、空に花が咲く。
黄色や赤色の花々が次々と星夜の空に咲いては散っていく。
「綺麗だね。」
「あぁ、綺麗だ。」
俺はキラキラな笑顔で空を見つめるカオリを見つめ、同意した。
「始まったばっかりなのにもう終わらないでほしいって考えてる」
そう少し照れた顔でカオリが呟く。
ベンチに着いた手と手が触れ合う。
咲いては散る夜空の花火を見ながら、どちらからともなく手を重ねた。目線は空に向けたままに。
空に咲く花は形を変え、ハートマークやニッコリマークも空に浮かぶ。
俺たちは何も発しないまま、手を繋いで花火を見続けていた。
枝垂桜のような花火が咲き散った時、カオリが口を開いた。
「来年も一緒に見られる?」
「なんだよ急に。」
「だって、来年は大学生でしょ?」
「それはそうだけど、俺たちは変わらないだろ?」
「そろそろ…変わるかもよ?」
「えっ?」
俺は思わずカオリの横顔を眺めた。
「私、陸人が…」
『バーン』
花火が空へ飛び、散っていく。
地元の人だけが知る展望台に辿り着くと、そこにも人はたくさんいて、遠くから眺めることになった。
友人が皆夜空の花火に夢中になってる中、私は一つのベンチに目を向けた。
立花先輩とカオリ先輩が2人でベンチに座りながら、手を繋いでいる。
そっか、2人ってそういう関係だったんだ。
私は花火から目をそらした。
きっとこれは二人の大事な思い出になるだろう。私が目撃していいものじゃない。
咲いては消える夜空の花々を眺めながら、私は2人の幸せを祈った。
スマートフォンが鳴り、友人に断りを告げて反対を向いて、電話に出た。
電話は、過干渉気味の母からで、帰宅時間を問うものだった。
「終バスまでには帰るよ」
そう話しながら視線を彷徨わせていると、自然と高校の方向に目線が留まった。
あの屋上からでも花火が見えそうだな。
もしかして誰かあそこから見てたりして…。
そんな風に校舎を眺めながらぼーっとしていると、後ろから声を掛けられた。
「みなみ、話し終わった?花火もピークだよ。」
「あぁ、ごめんごめん、今終わったとこ。」
私は振り向き、友人と共に花火を見ることにした。
千発の花火大会が終わり、ぞろぞろと人々が去っていくのを見送り、人がいなくなった頃合いを見て立ち上がる。
「そろそろ行くか」
「そ、そうだね。」
さっき何を言ったのか聞き直そうとしたが、タイミングを見失ってしまった。
展望台を下り、自転車の後ろにカオリを乗せて川沿いへと向かう。
「ねぇ…。陸人は大学何処に行くか決めた?」
「あぁ、内部進学でそのまま上がるつもり…かな。実家から通えるし。」
「そっか…。私も内部進学かな。その為に高校受験頑張ったし。」
「まぁ、どうなるかはこれからだろ。」
「そうだね。」
将来をぼーっと予想しながら、自転車を漕じていく。
いつもの河川敷に到着し、自転車のかごから花火セットとバケツを取り出す。
バケツに川の水を汲み、手持ち花火に火をつける用のろうそくを立てて、火を灯す。
『パチパチ』
手元で火花が輝く。手持ち花火も悪くない。
カオリが楽しそうに手持ち花火を回して見せる。
「手元で見る花火も綺麗だね」
「ああ、空にあると手が届かないからな。」
「これ、最後の。一緒にしよ?」
カオリが手渡してきたのは線香花火だった。
同時に線香花火に火をつけ、小さな火花がパチパチと小さく爆ぜる。
「陸人って子供の頃からずっと、線香花火好きだよね。」
「あぁ、小さな打ち上げ花火が手元にあるみたいで好きなんだ。」
「そういうとこ、子供の頃から変わらないね。」
「カオリだって絶対線香花火買ってくるじゃん。」
「だって陸人が好きだもん。」
「えっ?」
ポトリと線香花火の明かりが落ちた。
カオリが俺の目を見て言う。
「陸人が好き。」
「お、俺…」
俺はどうなんだ…。
昔からずっと一緒にいる幼馴染。小さい頃はお風呂も寝るのも一緒だった。
嬉しいことも悔しいこともずっと一緒に共有してきた。
ただ、好きの境界線が曖昧で、恋人になりたいのか、人間的に好きなのか自分の中で分からずにいた。
「俺…、ごめん。自分の気持ちが分からない。」
俺は震える手で自分の胸を叩いた。
「俺もカオリのことが好きだ。ただそれが特別なのか、そうじゃないのか。今すぐに判断できない。」
カオリの目は涙で潤んでいた。
「わかってる。何年鈍感くんと幼なじみやってると思ってるの?待つよ。陸人の気持ちがはっきりわかるのを。」
カオリを乗せた自転車をゆっくり漕いで帰路に着く。
俺の心の中に反芻していたのは琴美の言葉だった。
『ヒューーッ…ドンッ』
大きな花が夏の夜空に咲いて散る。
そんな風景を、私は校舎の屋上で眺めていた。
空高く昇っては散りゆく花火を眺めながら、私は短く息を吐いた。
「次が最後だぞ。わかっているよな」
一人の青年が私に声をかける。
本当なら人生に一度しかない高校生最後の夏を私はもう四回も繰り返していた。
「わかってる。次が最後。最後まで楽しみたい。」
私がそう言い振り返ると、田中くんは少し寂しそうな表情を見せた。
「分岐点はこの夏しかないの。ごめんね。でも次で最後だから。」
私の言葉は空に吸い込まれるようにスーッと夜空に消えた。
『pipipi』
アラーム音と蒸し暑い空気に目が覚める。
目を開けるとそこは俺の部屋の天井で、体を起こす。
湿気がこもって、じめじめとしている。ベッド横の窓を開いて換気をする。
ふっと壁のカレンダーを見ると、カレンダーは6月を示していた。
そうだよな。今は6月17日、6月の中旬に間違いない。
でも何故だ?何かに違和感がある。先程までクリアに見えていた夢の内容がだんだんとぼやけて消えてきて、今はなんだか思い出せない。
何故なんだろう。何か大事なことを忘れている気がしてしょうがない。
どうしてだろう。俺の記憶から何かが抜けている。
確かに重要な何かがあったのに…。そんな気がしてならない。
「陸人、遅刻するわよー。」
下の階から母親の声がする。
俺は慌てて制服と鞄を持ってリビングのソファーに置き、洗面台へ駆け込み顔を洗い歯を磨く。
なんだろう。何も間違っていないはずなのに何かが違う気がして止まない。
制服に着替え、ポケットにネクタイをねじ込み、鞄に弁当袋を詰め込んで、家を出る。
「いってらっしゃーい」
「ん」
母の言葉に適当に返事し、自転車のカゴに鞄を入れ、学校まで漕ぎ進める。
このジメジメした空気も身に覚えがある。そりゃ毎年この憂鬱な梅雨の時期を乗り越えてきたから、身に覚えがあって当然なのだが、何かが違う気がする。
憂鬱な気分のまま下り坂をゆっくり下がっていく。
高校の自転車置き場に自転車を止め、鍵を指先で回しながら校舎に入っていく。
3年2組の教室に着き、自分の机に座りネクタイを結ぶ。
「おっはよー。おはよ、おはー。おっ陸人、おはよう。今日は意外と早いね。」
色んな人と挨拶を交わしながら、幼馴染のカオリが近づいてきて隣の席に座った。
「ねぇ陸人、今日うちのクラスに転校生来るって知ってた?」
やはりどこかでその質問を投げかけられた気がして、言い返してみた。
「それって黒髪ロングの色白美少女だったり?」
「えっ、なんだぁ。陸人知ってたの?」
「やっぱり…」
何故だろう。どうして既視感があるんだろう。そんな不思議な気持ちを抱えながら、机に鞄を掛けた。
「はい、ホームルーム始める。席ついて。」
本鈴が鳴り、担任が教室に入ってきた。
「今日は転入生が来てます。紹介します。転入生おいで」
疑心暗鬼で扉を見つめていると、黒髪ロングをたなびかせた白い肌が特徴的な女子生徒が教室に入り、黒板前へと立った。
「彼女の名前は、茅ヶ崎琴美さんです。茅ヶ崎さん、挨拶してくれるかな。」
呼ばれた女子生徒はお辞儀をした。
「初めまして、家庭の都合で引っ越してきました。茅ヶ崎琴美と言います。皆さんどうぞよろしくお願いいたします。」
どうしてだろう。俺は彼女を一目見て心がざわついた。




