episode2 願いを星に
「はい拍手。」
担任に促されるまま、僕達は拍手をした。
この既視感の理由が知りたい。
初めましてという感情がわかないのはなぜなんだ。
「とりあえず机増やしてみたから、みんな出席番号順に席を変えてください。茅ヶ崎さんは、立花くんの後ろの席、あの子…彼が立花くんね。」
担任が俺を指さし、テキパキと指示を出しながら、説明した。
この展開にも身に覚えがある。
「あ、あの、よろしく茅ヶ崎さん。」
俺が振り返りそう言うと、彼女は黒髪を耳にかけ、
「よろしくね、立花くん」と呟いた。
少し大人びた女性のような仕草もどこか見覚えがあり、不思議に感じた。
「ついでに彼女のこと校内案内したってくれ。」
「え?…わかりました。」
「お昼休みにでもお願いね。」
昼休み、担任から頼まれた校舎案内を切り出す為、女子生徒が群がる中心にいる転入生に声をかけた。
「茅ヶ崎さん、ご飯食べ終わったら校内案内するから、声かけてくれ。」
後ろの席の茅ヶ崎さんに声をかけると、転入生は貼り付けたような笑顔で周りの対応をしていた。
「立花くんお待たせしました。先生の無茶ぶりでお手間かけてごめんね。」
茅ヶ崎が黒髪を爽やかにたなびかせ、俺の目の前に立った。
「色んな人に色々聞かれて疲れたろ。行こうぜ。」
「ううん、みんな優しくてアットホームだね。」
茅ヶ崎はそう呟いて、俺の後に続き歩きだした。
「こっちが理科室で、奥が準備室。たまに社会科で映像見るのに使ったりもする。次こっち部室棟、渡り廊下は風強いから気をつけて。」
茅ヶ崎に説明しながら隣の棟へ向かう。
「下の1階は運動部、2階のここは文化部、3階は放送部と生徒会室と、今は廃部の天文学部の部室がある。」
「立花くんは何部なの?」
唐突な質問だが、何処か身に覚えがあり、俺は振り向いた。
「え?…あぁ、俺は帰宅部だ。」
「3年間ずっと?」
「あぁ、まあな。」
うーんと唸る茅ヶ崎。
「天文部の部室、見に行ってみるか?」
気が付いたら俺はそんな言葉を口にしていた。茅ケ崎は少し意外そうな顔で俺を見る。
「えっ、…そんな気になるような顔してた?」
「あぁ、なんとなく。今は廃部になってるけど鍵開いてるから部屋には入れるんだ。行こうか。」
「うん、ありがとう。」
茅ヶ崎を案内するように階段を上り、放送部の部室をすり抜けた奥の突き当りにある天文部の部室を開けた。
転入生は廃部した天文部に一歩踏み出し、教室を見回すと、長い黒髪を風にたなびかせて振り向いた。
「手慣れてますね。もしかしてここで授業サボったりして?」
「はは、まぁな。ここは人が来なくていいんだよ。」
茅ヶ崎とそんな会話を交わしながら部室に入っていく。
少し埃っぽい部室の匂いに顔をしかめ、俺はカーテンと窓を開けた。
「えーっと、茅ヶ崎さん?」
「茅ヶ崎でも琴美でも自由に呼んでください。」
そう言うと茅ヶ崎はまだ埃っぽさが残る天文部の部室内を歩きだした。
「じゃあ遠慮なく、茅ケ崎。もしかして天文部に興味あるの?」
俺は部室を見回し、天体望遠鏡を覗き込みながら茅ヶ崎に問いかけた。
「うん。私、夏の星座が好きなんだよね。知ってる?夏の大三角形。」
「あぁ…アルタイルとベガとかなんとかだよな?」
昔、カオリと見た星座図鑑の知識を絞り出しながら答えた。
「デネブだよ。アルタイル、ベガ、デネブが夏の大三角形。」
茅ヶ崎がすらすらと夏の大三角形を答えながら、望遠鏡を覗き込む。
「私の名前、ベガつまり琴座から由来してて、琴座が美しいで琴美なの。」
茅ヶ崎は振り向き、そう呟いた。そして、
「ちなみに、この学校は何人集めれば、正式な部活動として認められるんですか?」
と不意を突くように聞いてきた。
「えっと、確か5人の部員と1人の顧問を見つけたらいいはず…。」
俺は生徒手帳をポケットから取り出しそう説明した。
「ふーん…。じゃあその部員数が達しなくてここは廃部になっちゃったんだね。」
茅ヶ崎は近くにあった天体模型を手に取り、呟いた。
「去年の3年生が引退してから、廃部になったんだよな。確か。」
少し埃をかぶった地球儀を回しながら、俺はうろ覚えに言った。
「立花君は、星見るの好き?」
「天体観測したこと1回あるよ。小学6年生の林間学校の時。冬の大三角形。えーっと。シリウスと…」
「シリウス、プロキオン、ベテルギウス。」
「そう!それだ。それ見た以来だな。」
「冬は寒いから、星がよく見えるよね。でも夏の星も綺麗だよ。」
窓を開けた茅ヶ崎が、真昼の空を眺めながら三角形の線をなぞる。
「ねぇ、天文部再建したいって言ったら驚く?」
「いや、なんでかな、なんとなくそんな気がしてた。」
「立花くん部員になってくれる?」
「あぁ…いいよ。」
『キーンコーンカーンコーン』
タイミングが良く予鈴が鳴る。
「予鈴鳴ったな。戻ろうか。」
そう言って慌てて教室へと戻った。
茅ヶ崎ってどこか大人びているのに笑った顔が年相応で不思議だな。俺は心の中でそう呟いた。
「今日はここまで。明日は小テストするから絶対忘れんなよー。」
ホームルームが終わり、部活に行く連中はそそくさと荷物を持って教室から離れていく。
帰宅部の俺には無縁な話だ。
ゆっくりと荷物をまとめていると、後ろの席から背中を定規で突かれる感覚があり、振り返った。
「どうしたの。」
「3人見つけたよ。」
「何が?」
「天文部の部員」
「えっ?いつの間に?」
俺の問いに茅ヶ崎は少し身を屈めて、ぽつりぽつりと呟く。
「10分休みの間に少し校内を回ってね。内部進学で余裕のある人とか後輩とか探してみたの。」
「茅ヶ崎コミュニケーション能力高くね?それとも本当は年誤魔化してんのか?」
「ふふ、それは内緒。」
確かにうちは付属高校なのである程度の成績があればそのまま大学にも進学できる。
後ろに気配を感じ、振り向くとにやりと微笑む幼馴染が立っていた。
「あっ、お前もしかして…」
「掛け持ちでいいって言うしほぼ幽霊部員になるけど、一応春高バレーでうちら3年は引退したんだから。」
「なんだよそのしてやったり顔は。」
俺とカオリで睨み合いになる。
「あとは、立花くんと同じ帰宅部の水無月さんと、書道部の田中君が掛け持ちで入ってくれるし、副担任の佐藤先生にお願いしたらOK。元々去年まで顧問されてたんですね。」
俺は茅ケ崎の根回しと人材収集能力に振り回され、あれよあれよと部活動申請書の部長の欄に名前を書かされ、それを持った茅ヶ崎とカオリが生徒会長を捕まえに行ったので、仕方なく天文部の部室へと向かった。
帰宅部の水無月さんに身に覚えがなかったが、部室に着くと水無月さんであろうショートカットの女の子が部室の掃除をしていた。
「あ、君が水無月さん?」
俺が問いかけると小さくこくんと頷いた。
「掃除、手伝うよ。」
そう言って彼女の足元にあるバケツにかかった雑巾を手に取った。
「確か1年生だよな?」
心の声が漏れ出ていたようで、水無月さんは少しびっくりした顔で俺を見て、
「はい、立花先輩ですよね?えっと、琴美先輩に休憩時間の自販機前で声を掛けられて…。興味があったので入ることにしました。よ、よろしくお願いします。」
「あぁ、よろしくな。」
小さくなってお辞儀する水無月さん改め後輩の水無月に会釈を交わし、掃除を始めた。
何でそう思ったんだろう。一年生なんてほとんど関わりがなく、会った事すらないはずなのに、なんで俺、水無月が1年だって…。上履きの色で判断したのかな。
俺が窓を拭いていると扉が開く音がして振り返ると、高身長の男子学生が暖簾をくぐるかのごとき扉をくぐって入ってきた。
書道部の田中って、隣のクラスのイケメンかよ。
俺と水無月さんが驚いて手を止めると、この雰囲気を察知した田中が、
「天文学部の部室ってここ?」
と確認する様に俺に聞いてきた。
「嗚呼、ここだけど。お前、書道家の家系の書道部一筋の田中だろ?ここ天文部だぜ?」
俺は、よく女子から流れてくる噂話通りの印象をそのままぶつけ、何用でここに来たのかを尋ねた。
「秋の展示会まで暇だって言ったら、廃部した天文部再建するから高校最後の思い出に入ってみないかって誘われたんだよ。あぁ、お構いなく。ぼくはここに座ってるから。」
長机に鞄を置き、パイプ椅子に座る田中を見ながら、俺は茅ヶ崎の度胸と勢いに改めて感心した。
再び窓ガラスに向き直り、窓を拭いてると後ろから田中の「1年生?」という驚く声が聞こえた。
再び、自己紹介をする水無月の声を聞きながら俺は窓ガラスを拭き続けた。
「あれ、もうみんな集まってる。」
のんきなカオリの声が聞こえてきて振り返ると、部活申請承認のハンコが押された申請書を持った茅ヶ崎とカオリが部室の扉から顔を出して部室を見回していた。
「早く入って来いよ。もう掃除も終わってただただ雑談してたんだからな。」
「ちょっと陸人怒ってんの?掃除はありがとうだけど、私達だって遊んでたわけじゃないんだからね?」
「はいはい。じゃあ何してたんだよ。」
むっとしたカオリが俺の向かい側、水無月の隣に座った。
「はい、生徒会長の判子もらってきました。」
茅ヶ崎がみんなに見えるように掲げた申請書にはきっちり生徒会長のハンコが押されていた。
「正式に提出するのは明日だから、立花くん朝一番に一緒に判子取りに行こうね。」
「あ、お、おう。」
俺が目を丸くして答えると、茅ケ崎が両手を広げた。
「じゃあ説明しますね。明日からここは天文部になります。顧問は佐藤先生で部員は今いるみんなです。」
しっかりとみんなを見回しながらそう説明をする。
「とりあえず、挨拶しましょ。、時計回りで田中くんから。」
ぱんっと手を叩き、茅ヶ崎が自己紹介を田中へ促す。
「僕は3年3組、書道部部長の田中裕理です。秋までは特に展示会も発表会もないのし、掛け持ちでいいといわれたので入りました。よろしく。」
「時計回りってことは次、水無月ちゃんだね。頑張って。」
少し緊張した表情の水無月にカオリが声をかける。
「はい、1年1組の水無月みなみです。先輩に入りたい部活無いなら作るからおいでと誘われ入りました。終バスまでしか活動できませんが、よろしくお願いいたします。」
「次…私ですね。今日この学校に転入してきました茅ケ崎琴美です。みんな自由に呼んでください。部活の出席は絶対ではありませんが、来てくれると嬉しいです。」
「はーい、次3年2組の筒井香里です。元バレー部セッターでしたが、春高バレーで負けちゃって引退したので、セカンドキャリア?みたいな感じで伊織ちゃんに誘われて入りました。まぁ後輩にアドバイス行ったりするからほぼ幽霊部員になるけど、みんなよろしくね。ほら、最後なんだからびしっと締めなさいよ。」
カオリはにこやかに自分の挨拶を終えると、俺を指さし注文をつけた。
「えーっと、後ろの席の茅ヶ崎に勧誘されて入ることになりました。同じく3年2組の立花陸人です。元々帰宅部だったのでまぁ新しいことできるならちょっといいかなって思ってます。よろしく。」
全員の自己紹介が終わると、茅ケ崎がホワイトボードを引っ張ってきた。
いやそれ何処から持ってきたんだ。
「じゃあ、活動内容言いますね。まずは、天体の観測。先輩たちが残したこのノートと部屋中にある天体図鑑を元に勉強していきましょう。今は初夏で暗くなるのも遅いけど、暗くなくても観測できる星はあるので、大体18時くらいにはこの天体望遠鏡をもって屋上に行きます。屋上の許可も、明日には取り付けてくるから安心してね。大体この時期から夏にかけて見れる星に関してまとめた資料あるから配るね、回していって。」
俺は茅ヶ崎の用意周到さに圧倒された。
他のみんなも同じようで、驚きながら資料を回し、それぞれ確認し始めた。
ー初夏の天体観察についてー
・金星と木星の大接近(6月上旬)
日没後の西の低空で、金星と木星が寄り添うように輝く。最接近時には肉眼でもしっかり確認できるほど華やかな光景を観測できる。
・惑星のパレード(6月中旬)
水星の東方最大離角の前後には、西の低空に水星・木星・金星が並び、そこに三日月も加わりパレードのように連なる光景を観測できる。
・6月27日うしかい座流星群
ゆっくり流れる流星群が見物。
「こんな資料いつ作ったんだよ。」
田中が不思議そうに茅ヶ崎を見る。
全くもって同感だ。席が前後なのに全く資料を作っているような雰囲気を感じることはなかった。
「え?判子もらいに行きながらスマホで文章作成して、職員室のコピー機使ってコピーして持ってきました。」
「えっ、そんなことしてたの?全然気づかなかった。」
一緒にいたはずのカオリまでそういうもんだから、みんな驚いた。
「謎に行動力があるのは父に似てるんだそうです。」
少し恥ずかし気に琴美が呟いた。
「まぁとりあえずはこの観測を目指そう。ほらスマホ出して?みんなでグループ作ろう。」
カオリが話を変え、各々ポケットを探りスマホを取り出し、みんなと連絡先を交換し始めた。
数秒後には、天文部のグループチャットの申請が来ていた。お前も仕事早いな。
「えっと…とりあえず今日は、曇りだしこれで解散します。ちなみに部長は立花くん、私茅ヶ崎が副部長です。ただ形式的なものなので何かあったら何でも言い合いましょう。」
そうして今日の天文学部の活動はお開きとなった。
「陸人、帰ろ。」
「今日も後ろに乗せろってか?」
「いいじゃんもう部活引退したんだから。」
当たり前のように隣を歩くカオリと歩きながら、自転車置き場に向かう。
「茅ヶ崎って不思議だよな。」
「琴美ちゃん?確かに最初はクールビューティだと思ってたら行動力あるし、不思議な求心力あるよね。中学時代の陸人みたい。」
「いやなんか、初めて会った気しないんだよな。マジで不思議。」
「いい子だよね、琴美ちゃん。色んな人に分け隔てないし。というか人のパーソナルスペース図るの上手。」
「琴美か…。名は体を表すってあるんだな。」
「ちょっと、私に見ながら言わないでよ。私だって気品あふれる香織、なんだからね」
ぶつぶつと何かを言うカオリを後ろに乗せ、自転車で校門を抜け出ていった。
そして緩やかな坂道を下りながら今日の怒涛の一日を振り返る。
茅ヶ崎琴美、転入早々に他クラスや後輩にまで声をかけて廃部だった天文部を建て直した。やってることは大胆不敵。でもどこか知ってるような気持ちになった。
俺は彼女に間違いなく振り回されている人間だが、それすら不快に感じないあの人間力はどこから来たものなのだろうか。
男女に隔てないコミュニケーション能力と、我を通す力にそれを不快にさせない人柄。
『無駄に行動力あるのは父親譲り』
茅ヶ崎の言葉が脳内で反芻する。
「ねぇ、陸人ってば聞いてるわけ?」
「んぁ?なんだっけ?」
「だから、今年もあるでしょ、緑台の夏祭り。」
「嗚呼、じいちゃんが今年も屋台出すって張り切ってたよ。」
「家族総出で屋台の手伝いするから、最後の花火もどうせ一緒に見てくれる人いないでしょ?」
カオリに図星を付かれた。うちは代々祭りごとになると火が付く家庭で、じいちゃんが発起人となり、両親も駆り出されて屋台をやる。小学五年生からずっとそうで、その時からずっと俺は最後の花火大会をカオリとベンチから見ていた。
「うるせぇ…。図星ついてくんじゃねぇ。」
「ふふっ、毎年のことだよね。今年も居ないんだ?一緒に見てくれる人。」
「別に。まだわかんねぇだろ。」
「えっ、何それ誰か目星付けてるの?もしかして…いやまさかね。」
そんなやり取りをしていたらあっという間に家に着いた。
俺の家の隣の一軒家がカオリの家でカオリは軽く駆け出し、
「仕方ないから今年も付き合ってあげよっか?」
と言いいたずらっ子のように微笑んで家に入っていった。
仕方ないってなんだよ。そうぼやきながら、自宅に辿り着いた。
今日は怒涛のように過ぎていった。でも不思議な高揚感がある。
自室にまっすぐ向かい、ベッドに倒れこんだ。
サッカー部の練習よりも疲れたかもしれない。それでもなんだか、今後を楽しみにしている自分がいる。
瞼が降りてくる。抗うことなく受け入れ、そっと寝落ちした。
6月中旬なのに寝苦しさで目が覚めた。
時刻は朝7時。ちょうどいい時間だ。
何故だか今日はすっきり起きられる気がしていた。目覚まし時計を止めて大きく伸びをする。
今日は、延期になっていた天文学部の天体観測会の日。梅雨のせいで全くできていなかった天体観測会が今日やっとできる。
何故だか俺はずっと楽しみにしていた。心を躍らせながら洗面台へと向かった。
いつもより早く起きた為、気持ちがよくいつもより朝ご飯をゆっくり食べてネクタイも鏡を見ながら結んだ。
「いってきまーす」
祖父母に声をかけて自転車に乗る。
まとわりつくような湿気を振り払うように下り坂を自転車で下っていく。
今日の天気予報は曇りのち晴れ、夕方には晴れる予報だ。
自転車で悠々とカーブを曲がり、バイクに抜かされながらも小高い丘の上にある高校を目指していく。
「りっちゃんおはよう。今日なんかすっきりした顔。」
教室に着き、席に座るなり後ろから声が飛んできた。
「おお、琴美おはよう。今日なんかいつもより早く起きられたんだよな。」
この数週間、部活以外でも話す機会が多く、茅ケ崎と俺は、りっちゃん、琴美と呼び合う関係になっていた。
「今日英語の小テストですね。」
「…昨日早く寝たから今日早く起きられたわけでさ。つまり、言いたいことわかるよな?」
「予習する前に寝ちゃったと。」
「ちくしょう。すげぇいい目覚めだったのに。代償がでかすぎんだろ…。」
「これ。10分だけノート貸してあげます。」
神の恵みならぬ琴美の恵みで、この後すぐに控えた英語の小テストを乗り切ることが出来た。
小テストの後、俺をからかいに来たカオリにドヤ顔で返せるほどには、いい点を取れた。
俺らは部室が出来てから習慣的に昼ご飯を部室で食べるようになった。
今日も弁当を持って立ち上がった。
「先輩、おはようございます。」
尻すぼみな挨拶が聞こえてきて振り返ると水無月が立っていた。
「水無月、おはよう。購買派だっけ?」
「い、いえ、友達に頼まれてて。」
「そうか。じゃあ、部室でな」
少しの違和感を覚えながら、部室へと階段を登ろうとした時、階段の上からカオリが降りてきた。
「それ本当に友達?」
「カオリ?急にどうした」
そう問う俺の言葉をすり抜け、水無月に近付いていく。
「い、いや、実はクラスメイトで話したことない3人組に頼まれて…。断れる空気じゃなくて…。」
水無月は俯きそう答えた。そしたらカオリが水無月の手をパシッと掴み、
「陸人先部室行ってて、みなちゃん、1年1組の教室ってどこだっけ?」
「おいおい、殴り込みかける気かよ。」
「時と場合によりけり。」
真顔のカオリに気圧されて、俺は1年1組まで同行した。
カオリは水無月の手に握られた500円玉3枚を教壇の上にばんっと置き、
「うちのみなちゃん勝手にお使いに出した人、今すぐ出ておいで。」
とにっこり笑った。
上級生に怖気ついたのか,それまで騒がしく笑い声を立てていた1組の女子生徒3名が立ち上がる。
「うちのみなちゃんパシるとかなかなか肝座ってんね?うちのかっわいい後輩パシるとか…覚悟出来てんの?」
真顔で問いかけるカオリの凄みに昔から変わんねぇなとふと笑う。
「いや、すみません…。」
慌てた様子で500円玉を取りに来る女子生徒に何の温度もない声で、
「次はないから。」
と言ったカオリとただただ隣で驚いた顔をしていいる水無月を引っ張って教室を出た。
「カオリ…。水無月固まってんぞ。」
「あっごめんなさい、みなちゃん怖かった?昔からああいう事嫌いでさ…。ああいうお調子者はさっさと黙らせた方がクラス的に見てもいいかなって思ったんだけど…。」
先程とは打って変わっておろおろとするカオリの手を水無月は取り、
「小学生の頃から助けてもらったことなんてなかったから…。本当は先輩みたいに言い返せたらってずっと思ってて…。」
小動物みたいにぽろぽろと涙をこぼす水無月をカオリと慌てて部室まで連れて行った。
飛び込んだ部室には田中と琴美がすでに来ていて、田中は涙を流す水無月に驚きながらも椅子を引いていて、琴美は暖かいお茶を入れたりと動き始めた。
「嫌なことは嫌でいいよ。みなちゃんが誰かにとっての都合のいい人になる必要なんてない。みなちゃんはみなちゃんだよ。」
「ありがとうございます。先輩。ほんとに、私、嬉しくて…。」
2人が会話している間に田中と琴美に情報を共有する。
「先輩かっこよかったです。毅然としていて、本当に頼もしかったです。」
「先輩なんてそのためにいるんだから。後輩を守ってこその先輩だからね?気を使わないでいくらでも相談しな。せっかく部活も一緒なんだから、ね?」
そう周りを見渡すカオリに俺は頷いてみせた。
「後ろに立つ者の前に居る者としては当然だな。」
「先輩として当然の行いだって言いたいみたいです。」
田中の言葉を琴美が解説し、カオリが水無月に近付き頭を、撫でていた。
俺は田中の肩をそっと叩き、そろそろ昼飯にしようとみんなに声をかけて、各々がパイプ椅子に座って昼食を食べ始めた。
放課後、各々のタイミングで再び部室に戻ってきた。
俺が着いた時には既に琴美とカオリが部室にいて、2人で天体図鑑を見ながら、琴美の天体講義が始まっていた。
「遅かったじゃない。帰宅部兼任の陸人。」
「部活入ったんだから、帰宅部からは自動退部させろよ。」
「正式に部として認められてもう2週間経つんだから、そろそろ部長の貫禄出て来てもよくない?」
「強引に部長にしたの琴美だからな。」
カオリと言い合いをしながら鞄をパイプ椅子に引っ掛け、ドサッと座った。
「りっちゃんとカオリさんって仲良しですね。」
「お隣さんのよしみで仕方なくだよ。ほんと私が助けてあげなきゃこの高校の入学だって怪しかったんだから。」
「もう3年以上前のこと掘り起こすなよな。」
「ほんとのことじゃん!陸人のパパとママ、じいじとばあば、それに担任と、学年主任の先生。あんなに大人の人に感謝されたの初めてだったからね。」
俺がこの高校に受かるようにカオリはかなり尽力してくれて、うちの家族含め色んな大人がカオリに感謝したのは本当のことだ。
「あの時のことは散々礼も言ったし、春高バレーも欠かさず応援に行っただろ?」
「また進級試験は近付いてきてるんだからね。今度は応援じゃ割に合わないよ。」
「私もちょこっと力貸してたり…。」
琴美がにっこりと笑って俺にだけ聞こえる小声でそう呟く。
俺は琴美に手刀で詫びた。
「あれ…何やってんの?そろそろ天体望遠鏡を屋上に運ぶよ?」
扉の前で不思議そうな顔をして立ち尽くしている田中がいた。
「あぁ、そろそろ運ぼうぜ。」
田中と二人で天体望遠鏡を持ち上げ、女子2人は天体記録ノートや方位磁石などの細かなものを持ってきてもらった。
水無月は少し遅れて、部室ではなく屋上に直接来た。
「遅くなってすみません。」
「みなちゃん待ってたよ。今日はいい感じに雲がないから綺麗に見えると思います。水星、木星、金星、月のトロピカルパレード。」
琴美が迎え入れて、天文部の部員が揃った。
「もうちょっと待っててください。」
その後、顧問が活動を見守りに来て、今は琴美が1人でテキパキと天体望遠鏡をセッティングしている。
「うーん、もうちょっと西かな。こっち側にして…。あ、いい。見えた見えた。」
セッティングが終わったのは18時10分を過ぎた頃だった。
「3つの惑星と月が連なってるの見えます。ほらみんなどうぞ」
琴美はセッティングが終わるとさっと場所を開け、ノートに方位と角度をメモし始めた。
望遠鏡の前には田中、水無月、カオリ、顧問が並んでいる。佐藤先生も久しぶりの天体観測に浮足立っているようだった。
まぁ俺は最後でいいやと考えながら、琴美がノートに書きこんでいる内容を見つめた。
「琴美、絵上手いんだな。」
「えっ?あぁ、天体だけ。小さな頃から天体図鑑見続けのと、後は母が上手だったのでその血筋かなぁ。それより、見なくていいんですか?」
「嗚呼、俺は最後でいいよ。みんな綺麗に見えるって喜んでるな。今日晴れてくれてほんと良かったよな。」
「りっちゃん優しいですね、みんなを最優先して。」
「今見ても後で見ても星の輝きは変わらないだろ?」
「全然違います。星の輝きは何億光年前に輝いた一瞬が今の私達に届いてるんですよ。」
琴美はそう言うと望遠レンズのついた一眼レフで写真を撮り始めた。
このカメラは佐藤先生の自腹で買ったもので、使用許可が下りているのは使い方をなぜか熟知している副部長である琴美だけだった。
琴美の後を付いていき、隣から覗き込む。
「写真と動画も取ってんの?」
「うん、もしかしたら文化祭で使えるかもでしょ?」
「確かに…。てかこっちでもよく見えるな。」
俺は琴美の手元にある望遠レンズ付きの一眼レフカメラを覗き込んだ。
「望遠レンズ使ってますからね。ほら、今届いた光は何億光年も前に瞬いた光が今、このレンズに届いたんですよ。ロマン感じるでしょ?」
嬉しそうに熱く語り始めた琴美に頷こうと顔を上げると数cm先に琴美の顔があり、慌てて身を引いた。
「おわっ、す、すまん。無意識。」
「急に動いたら危ないですよ。あっ…望遠鏡空いたみたいです。見てきたらどうです?」
琴美驚くことなくさらっと流し、三脚にカメラをセットし直して、俺を望遠鏡の方へと押し進めた。
「おぉ…。」
肉眼ともカメラの望遠レンズとも違った見え方に思わず感嘆の声が漏れた。
「ね?凄いでしょ。超楽しいよね。天体観測」
「カオリが見つけたみたいになってるけど、セッティングしてくれたの琴美だからな。」
「そんなことわかってるわよ。でもこの感動はみんなで分け合いたいじゃない。ほらみなちゃんまた見てご覧!」
終始カオリはハイテンションで、ぐるぐると何度も何度も交代交代でこの惑星のパレードを見ることなった。
夏の音が聞こえてくる6月27日。やっと解禁になった夏服のワイシャツの腹筋あたりの生地を掴み、パタパタと仰いでいると後ろから『うぃーん』という音と共に生ぬるい風が背中を撫でた。
驚いて振り向くと、いたずらっ子のような微笑みで琴美がこちらを見ていた。
「おはようございます。やっと夏服に慣れてきましたね。はい、ハンディーファン。貸してあげますよ。」
「何このミニ型扇風機。」
「だから、ハンディーファンです。無いよりマシでしょ?」
半ば押し付けられるような形でハンディファンを受け取った。
「じゃあホームルーム始まるまで有り難く借りとくわ。」
俺がそういうと満足そうに頷いて、琴美は予習に戻った。
「それなんの予習?」
「英語です。明日からテスト本番ですし、山を張って出そうなところ予習してるんです。」
「へぇ、真面目さんだなぁ。」
「真面目は母譲りなんですって。」
「へー、そうなんだ。あ、カオリおはよ」
2人で雑談してると教室にカオリが駆け込んできた。
「もー、寝坊したぁ!隣なんだから起こしてくれてもいいじゃんよー。」
「カオリが俺より遅く起きるなんて思ってねぇから気付かなかったんだよ。」
「昨日、夜遅くに月の観測してたら寝坊しちゃったのー。」
「へー、部活動に積極的で、次の日遅刻は本末転倒じゃね?」
「うるさいなぁ…。遅刻じゃないし、ギリギリセーフ!」
むくれるカオリをからかいながら、ホームルームの時間を待った。
英語の授業中、背中を定規で突かれる感覚がありしれっと振り向くと琴美がノートの切れ端を綺麗に畳んだ手紙を手渡してきた。
『今日は晴れ予定になってよかったね』
『あぁ、ぎりぎりまで小雨予報だったもんな。』
『みんなうしかい流星群見るの楽しみにしてたもんね。みんなで見られるの楽しみ』
『今回は裸眼でもいいんだっけ?』
『一応備品扱いでみんな用の双眼鏡買ってもらったよ。うしかい流星群は少ない数の流星がゆっくり流れていくのが特徴だから。』
『副部長気合入ってますねぇ』
『部長も気合入れてくれていいんですよ?』
他愛もない手紙のやり取りが意外と楽しく、書くスペースが無くなったら同じようにノートを破って切れ端に返事を書いて楽しんでいた。
19時、部室等の屋上にて。
夜間活動の為、今回も佐生先生が同伴している。
「月の明かりが邪魔するからみんな四方八方に分かれて流れたらこの観測計を押してください。双眼鏡は使わなくてもいいけど、くっきり見たい人いたら使ってみてね。あっ、お願い事も忘れずにね。」
琴美はにっこりと笑って、みんなにNiconの双眼鏡とバードウォッチングに使われるような計測器を渡した。
琴美と3m隣で、流星群の観測を開始する。
なかなか観測が出来ず、諦めかけていた19時40分。
きらりと目の端で何かが光った。
「…………になれますように。」
同時に隣の琴美が何かを呟く声が聞こえた。
そっと覗いた顔はいつにも増して真剣な表情で思わず驚いた。
それから何もなかったようにみんなの方へ振り向き、
「こっち2つ観測できました」
と報告した。
「こっちも1つ観測できた。」
田中が後に続くように言う。
「あっ!きたぁ!春に大学生、春に大学生、春に大学生。」
琴美の助言通り願いを唱えるカオリと、懸命に空を見回す水無月。
顧問の佐藤先生は観測報告のあった場所に行ってはカメラで写真を撮っている。
俺も見つけたいなぁ。なんてその場に座り込み、空を仰いだ。
「真上見たって駄目ですよ?」
キラキラと微笑む琴美の顔が上からそっと覗き込んできた。
「お前って…なんか一等星みたいだよな。」
心の声がそのまま言葉に出ていて、俺は言ってから後悔した。今のはキモすぎだろ…。
引かれたかと思ってすぐに俯いた。
「ふふっ…そっか。ふふふ…。」
隣にしゃがみ込んだ琴美がくすくすと笑い声を立てるので、そちらをちらりと見ると、
「りっちゃん、正解です。夏の一等星はねこと座のベガなの。凄い…偶然ですよね。」
そう言って、同じように空を仰いだ。
『あっ』
2人の声が重なった時、流星がゆっくりと流れていった。
「りっちゃん、お願い事出来ました?」
「やべ、忘れてた。琴美は?」
「私はさっきしたので大丈夫です。」
「そっか…。」
20時には完全撤収の為、一旦部室に戻り、全員自分の定位置の机に双眼鏡を置いて部室を出た。鍵登板してくれた佐藤先生にお礼を言って、帰路に着く。
下校道は自然と別れ、バス通学の水無月、自転車通学の俺と家が近いカオリ、徒歩帰宅組の田中と琴美だ。
「じゃあ、また明日学校でな。」
各々が手を振り、分かれる。
「落とさないでよね。」
「勝手に自転車の荷台に乗って文句言ってんじゃねー。落とされたくなかったらしっかり掴まってろ。」
俺は、後ろにカオリを乗せて坂道を下る。
あの初めて流星群を見つけた時、琴美は何を願っていたんだろう。
そんなことを考えながら、自転車のスピードを減速していった。
いつの間にか習慣化していた部室で昼休憩を過ごす日々。
いつも通り弁当袋を携えて渡り廊下を歩き、天文学部の部室を目指す。
「あれ、琴美だけ?他のみんなはどうしたんだ。」
俺は定位置に座る琴美の向かい側に座った。
「なんだっけ、伝説のメロンパン?をみなちゃんが食べたことないとかで、買いに行くの手伝うって3人で出ていかれました。何なんですか?伝説のメロンパンって」
「あぁ、メロンパンの移動販売車が月2回だけ来てくれるんだよ。ただ月2回な上に数量限定だから争奪戦になるし、水無月1人だと押しつぶされて終わりだろうな。」
俺は笑いながら弁当を広げた。
「焼きそばパンって炭水化物に炭水化物だよな」
俺が琴美の昼食を見つめながらついつい独り言がこぼれ出てしまった。
「エネルギーを沢山摂取してるんです。効率的に。」
「他の栄養素全て置き去りじゃねぇか。焼きそばのキャベツに野菜の栄養素背負わせんな、荷が重すぎるぞ。」
「そう言えば、廊下に貼り紙が貼ってあったんですけど、花火大会…?もうすぐみたいですね。」
「花火大会?あぁ、もうそんな時期か…すっかり忘れてたなぁ。」
「何ですか、その苦虫嚙み潰したような、変な顔。」
俺の顔を見て真似するかのように眉間にしわを寄せてピクピクと痙攣させている。
「いや、うちの家族祭りになると気合が入ってじいちゃんばあちゃんと両親が張り切って出店を出すから。いつも1人なんだよなぁ」
「そうなんだ。詳しいんですね。よかったら、一緒に行きません?」
「あぁ、それならさ…。」
「お待たせー。見て3つも変えちゃった」
俺の言葉を遮って、カオリたちが部室のドアを大きく音を立てて開き、購買で買ってきたであろうメロンパンを机の上に並べて見せた。
「田中君は甘いの苦手なんだってー。だから残りの1つ2人でシェアしたらどう?私はねぇ、このピスタチオで、みなちゃんがストロベリーなんだよね。それで余りが夕張メロンなの。めちゃくちゃ正統派でいいでしょ?2人で分けて食べて。」
そういうとカオリは俺に夕張メロンパンを渡して各々手に取ったパンに噛り付いていく。
どうやら今日弁当を食べているのは、田中と俺だけのようだった。
女子群がパンを食べる中、俺たちは、茶色一色の母親特製スタミナ弁当を食していく。
「あ、そういえば今年の手持ち花火はもう激安の王道ショップで買ってきたから、あとで半額ね。」
「なんだ、あれ今年もやるのか。」
「当たり前でしょ?受験生とか関係ないからね。」
「まぁ、花火選びの手間を買って出てくれたのは感謝するよ。」
「さっき話してたんだけど、今回天文部みんなで観ないか?花火大会。」
「私は予定がないので平気ですが…皆さんどうですか?」
水無月が不安そうに周囲を見回す。
「私、私はどうせ陸人の子守だったから、丁度いいかも、みんなで見るも有りだよね。」
カオリはちらりと俺の顔を見てから、さっと目をそらしそういった。
「僕は自分ちの庭から見えるし…わざわざ人混みに突っ込みにいくのは…。」
「じゃあ田中くんの家から見せてよ。天文部全員でお邪魔させてください。」
グイッと迫る琴美に少したじろぐ田中。
「僕の家?…うんまぁ、いいけど。」
花火大会の観覧場は田中の家に決まり、それからは貰った夕張メロンパンを琴美と分けながら、それぞれ夏休みの予定と、天文学部の課外活動について話し合った。
『キーンコーンカーンコーン』
終礼が終わり、僕はゆっくりと帰り支度をしていた「。
「先、部室行ってるからねー。」
「ったく、カオリの奴、教室に響くような大声で言わなくても聞こえてるっつーの。それと、後ろで笑ってるの聞こえてるからな琴美。」
俺が振り返らずにそう言うと、琴美はふふっと笑って、
「ふふ、ごめんね。」
と茶目っ気たっぷりに言う。
「琴美はもう行かねぇの?」
そう言い振り返ると、琴美は後ろにおらず、教室のカーテンを一つ一つ丁寧に閉めながら、一言呟いた。
「ねぇ、私と一緒に縁日に行かない?」
どこか遠くを見る琴美の視線とは絡まらない俺の視線。
「あぁ、花火大会前の買い出し?」
俺がそういうと琴美はそっと目線を合わせ、
「うん、私この町の縁日初めてで、ちょっと見てみたいんだよね。」
そう言って笑って見せた。
「いいよ、案内しようか。」
「ほんと?嬉しいです。約束ですよ。」
「じゃあ、当日神社下の階段前で集合しましょ?」
「うん、いいよ。じゃそろそろ部室行くか。」
「そうですね、みんな待ってるだろうし。次の野外活動の日付決めましょうか。夏休みになっちゃうけど精力的に活動したいなぁ。夏の大三角形もまだ見れてないし。」
話しながら教室を出て、部室棟へと向かった。
結局その日は、前回の観測にうしかい流星群についての記録と話し合い、
7月28日の夏の大三角形を見る野外活動の申請書と日時の確認をして解散となった。
7月27日、花火大会当日。
祖父と父はお昼からテントの設営や鉄板の準備などで出払い、祖母と母がキッチンで食材を準備しているのを感じながら背を向けて、ソファーに横になり、テレビを見る。
「陸人、あなた今年も縁日始まってから来るのよね?」
「あぁ、17時に約束してるから自転車で行くよ。」
「あらあら、お義母さんそれは向こうで混ぜるそうなので、カットした野菜だけ混ぜで5人前ずつに分けて入れましょう。」
母はテキパキと俺と祖母に指示を出しながら、にんじんを短冊切りにしていく。
「陸人もぼーっとしてるなら手伝ってよ。そこの段ボールにラムネ瓶が入ってるからガレージに4箱持って行ってクーラーボックス2つもその箱の横に置いておくのよ。お父さんの声聞こえたら冷凍庫から6kgの氷出して渡してあげてね。」
母の勢いに負かされて渋々ソファーから立ち上がり、段ボールをガレージの扉前に積んでいく。
「重っ…。」
段ボールを3回に分けて運び、空のクーラボックスを2つ肩にかけて段ボールの横にそっと置く。
「おう、手伝ってくれてんのか」
クーラーボックスを置くと同時にガレージに続く扉が開き、父が顔を出した。
母の指示通り、父がラムネ瓶の段ボールをミニバンの後ろに積んでいる間に冷凍庫から氷を6kg抱きかかえて戻り、クーラーボックスに押し込んだ。
「母さん、野菜の準備はできた?」
父がガレージから声を張り上げる。
そうすると奥のキッチンからパタパタと急ぐ足音が聞こえ、祖母が山のような野菜を小分けにした袋を抱えて持ってきた。
俺はも一つの空のクーラーボックスを開けて野菜入りのポリ袋を詰め込んだ。
「陸人、今年も手伝わないけど縁日には来るんだろ」
「あぁ、同じ部活の連中と花火見る約束してるから屋台飯買い出しに行くよ。」
「こっちは例年通り出店で忙しいからな。楽しめよ縁日。」
父はクーラーボックスを持ってミニバンへと乗り込んだ。
楽しめって言われてもな…例年通りだし。
17時、家を出て自転車に乗り込もうとした時、向かいの家からカオリが浴衣姿で出てきた。
「えっ?集合は確か緑台病院前のバス停に19時じゃなかったっけ?」
「だから、屋台飯買い出し行こうって思って。」
「1人で?陸人のくせに変に気が利いてるじゃない。」
「いや、琴美に誘われたんだよ。どうせならちょっと縁日の案内するんだ。」
「じゃあ私も行く!ほら乗せてよ。」
割と強引にカオリが自転車の後ろに横乗りになり、腰に腕が回った。
俺は仕方なく言い返さず、力を入れてペダルをこぎ始めた。
「今年は40周年の花火大会だから千発打ち上げるらしいよ。」
「そんなに打ち上げるなんて費用すげぇかかってそうだな。」
「今年は特別なんだから大掛かりにしたんだろうね。」
「じゃあ1時間くらい花火大会やるのか?」
「そうみたいよ。有料で観覧できる観覧席売ってるみたいだけど?」
「田中の家で見られるなら有り難いよな。」
慎重に自転車を漕ぎながら坂道を下っていく。
神社境内に続く石段が見えて来て、屋台の並ぶ通りに到着した。
カオリを下ろし、入り口付近にある自転車置き場に自転車を止める。
「ねぇ、あれ琴美ちゃんじゃない?」
カオリが見つめる方向を見ると、いつもの制服姿で琴美が立ってがいた。
「琴美、お待たせ。余計なもんくっついてきたけど、ちゃんと縁日案内するから安心してな。」
「か、カオリちゃん。」
俺の隣に立つカオリに驚いたように目を丸くする琴美。
「出かける時にたまたま会ってさ。縁日に買い出し行くっていうから、私も手伝いに来たよ!」
屈託なく笑うカオリに琴美が浴衣似合うね。なんて言いながら歩き始めた。
道路は歩行者天国になっていて、様々な屋台や出店が所狭しと並ぶ中3人で並んで歩く。
射的やヨーヨーすくい、金魚すくいなど昔ながらのものもあり、子供達がお面をつけて走っていく。
歩き進んでいくうちにフルーツ飴の屋台が見えて来て、カオリが小走りで近づいていった。
「あっ、あんず飴買いたい。」
いちご飴にぶどう飴、パイナップル飴やみかん飴、定番のりんご飴など、色とりどりの飴を眺めながら、カオリがあんず飴を手に取り購入する。
「おいおい、買い出しが先だろ。……って、スマホの通知がうるせぇな。」
慌ててスマホを開くとそこには『屋台飯で欲しいもの言ってください』という琴美の質問に五月雨式に回答が続いている。
『広島焼き』『りんご飴』『焼きとうもろこし』『焼きそば』『イカ焼き』
「じゃあ…、私広島焼き買ってくるね。男女でシェアできるように3つ。」
琴美はそう言うとさっと俺たちの傍から離れた。
あんず飴を頬張るカオリを見ていると琴美なら大きなりんご飴を欲するのかもな…なんて考えが浮かんで消えた。そう思いながらりんご飴を2つ買っているとカオリがくるりと振り返った。
「陸人の家は今年何を出してるの?」
「あぁ、焼きそばの屋台だよ。」
「へぇ、良いね。じゃあ私達で焼きそば確保してあげようよ」
「えっ?あぁ、そうだな」
焼きそばの屋台を目指して歩いていると、金魚すくいや射的などの屋台が立ち並びだした。
「ねぇ、金魚すくいあるよ。勝負しようよ、どっちが取れるか。」
「昔やってたなそんなこと。って今買い出し中だぞ。」
「時間はまだあるし、ちょっとくらいなら平気よ。」
「ったく仕方ねぇな。1回だけだけだからな。」
各々300円を支払い、ポイを受け取る。懐かしい感触にくるくると回して見せた。
お椀を近づけて、狙いを定める。この小さな金魚なら、脆弱なポイでもすくえるだろう。
斜めの角度でそっと水にポイを刺し入れ、優しい手つきでお椀に金魚をすくい入れる。
カオリの方を見るとすでに失敗しており、ポイには大きな穴が開いていた。
俺のポイはまだ破れてはいない。
同じように小さな金魚に狙いを定めすいすいと泳ぐ金魚の向かう方向へポイを滑らせるように水に潜らせ、金魚をお椀に入れる。
「えっ、凄い破れずに2匹も獲れてるじゃん。」
「兄ちゃん上手だねぇ。」
「2匹だけで十分なんでもう大丈夫です。」
屋台のおじさんにポイを返し、2匹が仲良く入ったビニール袋をカオリに差し出した。
「えっ、良いの?」
「でっかくなるまでちゃんと育てろよ。」
嬉しそうに笑うカオリにそう言い、2人で金魚を眺めた。
「ねぇ、射的もやろうよ。」
「遊ぶのは一回だけって言ったろ?」
「金魚すくいは、ね?ねぇ、お願い毎年の恒例行事じゃんやろうよ。」
結局カオリに押し負け、スライドするように移動して、射的屋に入った。
「1回5発、600円ね。」
射的屋の主人に声を掛けられ、2人でお金を払い、コルクを受け取った。
景品をパッと見たところ、有名なゲームから子供向けのぬいぐるみまで様々なものが陳列されていた。
「なんか珍しいね。いつもならガラスの置物少しは置いてるのに。」
「そう言えば確かに。」
ここの的屋の店主の本業はガラス加工を行っており、趣味で作ったイルカやクジラ、クラゲやカメなど多様な種類置いてるはずだった。
「ねぇ、おじさん。いつものガラス細工は?もう売り切れたの?あんなに小さいのに。」
カオリが主人に問うと少し困った顔で、
「いやぁ、10分ほど前に来たお客さんが5弾全発命中で全部狩られちまったんだよ。新作のペンギンもな。」
一発も外さずすべて落とすってどんな超人だよ。退役軍人でも来たのか。
ふと横を見るとカオリが懸命に何かを狙っている。
「何狙ってるんの?」
「あの、あれ…、クマのぬいぐるみ。」
「あぁ、あれか小さいな。」
ストラップほどの小さなクマがでーんと鎮座している。
そこからは2人で小さなクマのストラップを狙ってコルクを発射させる。
「当たる気がしない。」
「いや軌道修正はできた。絶対落ちる。」
俺は最後のコルクを詰め、引き金を引いた。
『ポンッ』
とコルクが当たり、クマのストラップがコロンと落ちた。
「わっ!当たった。当たりだよ!」
嬉しそうに跳ねるカオリに主人から受け取ったクマのストラップを渡す。
「いいの?ありがとう」
「それよりいい加減に買い出し行かないと」
そう言い開いたグループメールには、
『広島焼き確保』『焼きとうもろこし確保』『イカ焼き確保』
と琴美のメッセージが続投されていた。
俺も慌てて
『りんご飴確保、次焼きそば確保しに行きます』
とメッセージを送った。
そこから少し歩いた先に焼きそばの屋台があった。
俺は祖父と父にからかわれるのが嫌で、カオリを1人焼きそばの屋台に行かせて、俺は隣の綿菓子屋を見ていた。
琴美、そういえばたまにおやつとして食べてたなぁ。お土産に1つ買っていこうかな。
そう思い、1つ綿菓子袋を手に取り500円を支払った。
喜ぶと良いな…。そんな風に思いをはせていると大量の焼きそばを抱えたカオリが戻ってきた。
「ねぇ見て!特盛。2パック600円でこーんなにおまけしてもらっちゃった。」
屋台から戻ってきたカオリが、嬉しそうに特盛の焼きそばを見せてくる。この量食べたら他入らないだろ。
心の中で冷静に突っ込みを入れながら、グループメールを開く。
『すべて確保済み。買い出し班、これから鳥居の前に集合します。』
打ち終わると、周りを見渡してるカオリを誘導して入口の鳥居に向かう。
「悪い、待たせたな。」
人が行き交う中、見つけた琴美の手を引いて、人の通りが少ない道に誘導する。
琴美は両腕一杯に袋を抱えており、真白な腕にビニールが食い込んで赤くなっていた。
「ごめん。縁日案内するって言ったのに結局使いっぱしりみたいなことになっちまったな。」
俺が謝り、荷物をすべて引き受けると、琴美は腑ふっと笑い、
「そんなこともないですよ。ほら、大収穫です」
そう言って様々なガラス細工が入ったビニールの巾着袋を見せてきた。いやスナイパーお前かい。
そう心の中で呟き、振り返るとカオリが某配達用温冷バッグを持ってきていた。
「買ったやつ全部これに入れて私がリュック背負えばいけるよね?」
カオリは有無を言う暇もないくらい素早く、俺の持っていた食品たちをポンポンと詰めていった。」
「こんなのどこにあったんだよ」
「え?陸人パパが貸してくれたの」
「まじか…いや、背負わなくていいだろ。鞄をかごに乗せて全員で歩けばいけるだろ。」
「下駄履いてる幼なじみに上り坂登らせるの?」
ムーッと子供がすねた時のような表情でむくれるカオリ。
「ったく、なんで下駄なんて歩きにくいもん履いてくんだよ。」
「だって…おしゃれしたかったんだもん。」
蚊の鳴くような声で反論するカオリに言い返そうとしたところ、琴美がぱんっと両手を合わせた。二人の視線がカオリに向けられる。
「じゃあこうしましょう。私がそれを担いでバスに乗る。お2人はいつも通り自転車で来てください。」
結果、琴美に気圧されて、言われるがままに自転車で待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせ場所には田中しかいなかった。
「あれ琴美と水無月は?」
「来るの遅いから先に家に連れてって屋台飯を食べる準備してくれてるよ。ほらこっち。」
真顔の田中に連れられて、俺は自転車から降りて引いていく。カオリも自転車を降り、からんからんと下駄を鳴らしながら歩く。
細道を抜けた先に。大きな日本家屋があった。まさかここじゃないよな。
「ここだ。」
俺の心の言葉に答えるように田中がそう呟いた。
「今日は両親も祖父母もいない。ゆっくりくつろぐといい。」
そう田中に説明されながら裏の勝手口に自転車を止めた。
花火大会開始まであと10分。
展望台にも続々と人が集まってくるころだろう。俺たちは田中の立派なご自宅の縁側に座り、花火が上がるその時を待っていた。
「もうすぐだね。千発の花火楽しみだなぁ。」
カオリは嬉しそうに空を眺める。
『ヒューッ』
花火特有の打ち上がる音がして、空に花が咲く。
黄色や赤色の花々が次々と星夜の空に咲いては散っていく。
「綺麗だね。」
「あぁ、綺麗だ。」
俺はキラキラな笑顔で空を見つめるカオリを見つめ、同意した。
「始まったばっかりなのにもう終わらないでほしいって考えてる」
「まだ50分近くあるぞ。」
「っもう、そういうことじゃないのー!」
少し不貞腐れた顔でカオリが呟く。
しばし各々が黙り込み、花火を見る時間が続く。
咲いては散る夜空の花火を見ながら、俺は今日を振り返った。琴美の笑顔見てないな…。
空に咲く花は形を変えハートマークやニッコリマークも空に浮かぶ。
枝垂桜のような花火が咲き散った時、カオリが口を開いた。
「来年も一緒に見られる?」
「なんだよ急に。」
「だって、来年は大学生でしょ?」
「それはそうだけど、俺たちは変わらないだろ?」
「変わってもよくない?」
「えっ?」
俺は思わずカオリの横顔を眺めた。
「私、陸人が…」
『バーン』
花火が空へ飛び、散っていく。
皆が夜空の花火に夢中になってる中、私は隣の2人目を向けた。
立花先輩とカオリ先輩が縁側に座りながら、何かを話している。カオリ先輩の顔が真っ赤なのは花火のせいじゃないだろう。そっか、2人ってそういう関係だったんだ。私は花火へと目をそらした。
きっとこれは2人の大事な思い出になるだろう。私が目撃していいものじゃない。
咲いては消える夜空の花々を眺めながら、私は2人の幸せを祈った。
『ピピーッ』
スマートフォンが鳴り、琴美先輩と田中先輩に断りを告げて、室内に戻り電話に出た。
電話は、過干渉気味の母からで、帰宅時間を問うものだった。
「終バスまでには帰るよ」
とんとんと背中を叩かれ振り返ると制服姿の琴美先輩が立っていた。
「せ、先輩?」
「みなちゃんそろそろ花火ラストスパートになるよ。」
先輩はわざわざ教えに来てくれたのだ。
「はい。すぐ戻ります。」
返事を返し、母の電話を切ってその後ろ姿についていく。
終わりにふさわしいペースで空に花々が咲き誇っては散っていく。
全てを打ち上げ終わった後はただ見ていた側のこっちにも謎の達成感が芽生えていた。
俺は名残惜しくなり、田中に問いかけた。
「ちなみにこの庭って、花火出来たりするか?」
「その為の石庭だ。ちなみに俺も花火セットを買ってきた。」
真面目顔でそう言う田中を見て思わず笑みがこぼれてしまった。
「みんな、最後に花火やろうぜ」
自転車のかごから花火セットとバケツを取り出し、勝手口の近くにある水道の水をバケツに汲む。
バケツを持って戻ると、手持ち花火に火をつけるようのろうそくを田中が立てて、火を灯していた。ナイス、田中。
『パチパチ』
手元で火花が輝く、手持ち花火も悪くない。
各々が手持ち花火に火をつけ楽しむ中、カオリが楽しそうに手持ち花火を回して見せる。
「手元で見る花火も綺麗だね」
「ああ、空にあると手が届かないからな。」
「これ、最後の。みんな一緒にしよ?」
カオリが手渡してきたのは線香花火だった。
全員が線香花火を持ち、火をつける為、ろうそくを輪に固まって火をつけた。
同時に線香花火に火がつき、小さな火花がパチパチと小さく爆ぜる。
「陸人って子供の頃からずっと、線香花火好きだよね。」
「あぁ、小さな打ち上げ花火が手元にあるみたいで好きなんだ。」
「なんだよ立花。意外とセンチメンタルな所あるんだな。」
「お前だって毎年この縁側で1人、花火を見上げてたんだろ?十分センチメンタルだろ。」
田中が指摘してきたので間髪入れずに言い返した。
「そういうとこ、子供の頃から変わらないね。」
「カオリだって絶対線香花火買ってくるじゃん。」
「だって陸人が好きだもん。」
「えっ?」
ポトリと線香花火の明かりが落ちた。
カオリが俺の目を見て言う。
「好きでしょ?線香花火」
「えっ…あっ、あぁ。まあな。」
一番長く線香花火を輝かせ続けたのは琴美だった。
「花火好きなんだな。」
そっと隣にしゃがみ込みそう問うた。
「星が見えづらいから打ち上げ花火は好きじゃないけど、線香花火は好きなの。これも父親譲りだって母がよく言ってました。」
『ポトリ』
最後の火種が落ち、俺たちは後片付けをして掃除をし、田中にお礼を言ってそれぞれ帰路へ着くことにした。
俺とカオリは細道を抜けたところで、自転車の後ろにカオリを乗せて川沿いを進んでいく。
「ねぇ…。陸人は大学何処に行くか決めた?」
「あぁ、内部進学でそのまま上がるつもり…かな。実家から通えるし。」
「そっか…。私はまだ第一希望決めきれてない。」
「まぁ、夏の間に決めればいいんじゃないか?」
「そうだね」
将来をぼーっと予想しながら、自転車を漕いでいく。
今日は、初めて部のみんなと部活以外での交流をした。
水無月も田中も張り切って着物を着ていたが、そう言えば琴美だけ制服だったなぁ。
そういえば、琴美に綿菓子渡すの忘れてた…。明日も会うから、まぁいいか…。
「ねぇ!聞いてる?」
背中を叩くようなカオリの声ではっと我に返った。
「聞いてる聞いてる」
カオリの話に片耳を傾けながら、俺は帰り道を急いだ。
『pipipi』
アラーム音と蒸し暑い空気に目が覚める。
目を開けるとそこは俺の部屋の天井で、体を起こす。
湿気がこもって、じめじめとしている。ベッド横の窓を開いて換気をする。
ふっと壁のカレンダーを見るとカレンダーは6月を示していた。
そうだよな。今は6月15日、6月の中旬に間違いない。
でも何故だ?何かに違和感がある。先程までクリアに見えていた夢の内容がだんだんとぼやけて消えてきて、今はなんだか思い出せない。
何故なんだろう。何か大事なことを忘れている気がしてしょうがない。
どうしてだろう。俺の記憶から何かが抜けている。
確かに重要な何かがあったのに…。そんな気がしてならない。
「陸人、遅刻するわよー。」
下の階から母親の声がする。
俺は慌てて制服と鞄を持ってリビングのソファーに置き、洗面台へ駆け込み顔と歯を磨く。
なんだろう。何も間違っていないはずなのに何かが違う気がして止まない。
制服に着替え、ポケットにネクタイをねじ込み、鞄に弁当袋を詰め込んで、家を出る。
「いってらっしゃーい」
「ん」
母の言葉に適当に返事し、自転車のカゴに鞄を入れ、学校まで漕ぎ進める。
このジメジメした空気も身に覚えがある。そりゃ毎年この憂鬱な梅雨の時期を乗り越えてきたから、身に覚えがあって当然なのだが、何かが違う気がする。
憂鬱な気分のまま下り坂をゆっくり下がっていく。
高校の自転車置き場に自転車を止め、鍵を指先で回しながら校舎に入っていく。
3年2組の教室に着き、自分の机に座りネクタイを結ぶ。
「おっはよー。おはよ、おはー。おっ陸人、おはよう。今日は意外と早いね。」
色んな人に挨拶を交わしながら、幼馴染のカオリが近づいてきて隣の席に座った。
「ねぇ陸人、今日うちのクラスに転校生来るって知ってた?」
やはりどこかでその質問を投げかけられた気がして、言い返してみた。
「それって黒髪ロングの色白美少女か?」
「えっ、なんだぁ。陸人知ってたの?」
「いや…知らないはずなんだがな。」
何故だろう。うっすら覚えている夢の中の話がどんどんと消えて現実に戻て行く。不思議な気持ちを抱えながら、机に鞄を掛けた。
「はい、ホームルーム始める。席ついて。」
本令が鳴り、副担任が教室に入ってきた。
「今日は転入生が来てます。挨拶します。転入生おいで」
疑心暗鬼で扉を見つめていると黒髪ロングをたなびかせた白い肌が特徴的な女子生徒が教室に入り、黒板前へと立った。
「彼女の名前は、茅ヶ崎琴美さんです。茅ヶ崎さん、挨拶してくれるかな。」
呼ばれた女子生徒はお辞儀をした。
「初めまして、家庭の都合で引っ越してきました。茅ヶ崎琴美と言います。皆さんどうぞよろしくお願いいたします。」
どうしてだろう。俺は彼女会った気と以前にあったことがあるはずだと心のどこかでそう感じていた。




