1. 灰を撒く/砂漠の風と歌
砂漠を歩きまわりながら、おのずから迷い込む、永遠に続く渇きと静止した時間の中へ。滅びた後の地球を思わせる死の世界の内奥へ。この場所に満ちる死の気配、あるいは死そのものが生み出すある種の空気に僕は魅せられている。ここには呼吸するもの、成長するものはひとつもない。草木は一本も生えず、鳥も獣もいない。虫すらも。
風は焼け付くほどに乾き、影は怖いぐらい黒々としている。
あちこちにわけのわからない物体が落ちている。異国の神をかたどった奇怪な顔のある折れた円柱、アーチ状の門のようなコンクリ―トの残骸、意味ありげに配置されたいくつかの岩塊。
僕が目指すものはその砂漠の中心にあった。この死んだ土地において唯一動きを生じさせるもの、常に絶え間なく変化を繰り返すもの。それがミルクゴオルドうずまき。
ミルクゴオルドうずまきはその呼び名が示す通り、白色と金色の2種類の物質によって形成される渦である。白い物質、すなわち「ミルク」部分を担うのは白く細かな砂で、それは砂漠に満ちる砂よりずっと軽くて細かく、しかし触れると柔らかな砂粒の触感がある。「ゴオルド」部分を担うのは得体のしれない金色をした液状の物質である。それは柔らかくぶよぶよとしていて限りなく液体に近いが、触れても濡れたり付着することはない。手で掴んでスライムみたいに形を変えることもできる。
それら2種類の物質が直径20メートルほどのすり鉢状の地面の内側で互い違いに円を描きながら渦を作っているのだった。
うずまきに到着したのは正午だった。回転するゴオルド色は陽光を反射して黄金そのもののように光っている。金色が最も明るく輝く時刻。今日のうずまきはゴオルド成分が多い。ざっと見たところ70パーセントほどを占めている。ミルクとゴオルドの比率は常に変化する。金色の円は太く、力強く輝いているが、白い円は細く頼りなげだった。ミルク領域とゴオルド領域は決して混ざりあわない。境界は常に明確である。
僕は身を屈めて近くを流れていた白い砂の中に手を入れた。紙のように軽いさらさらした流れが皮膚の上を流れた。この暑さの下でもどこかひんやりしている。僕はしばらくの間そこに手を浸していた。
そのあとそばにある大きな平べったい岩塊に腰かけ、水筒に入れて持ってきたレモンジュースをひっきりなしに飲みながらうずまきを眺めた。あたりに人の姿はない。かつて一度もうずまきの周辺で人の姿を見かけたことはない。人々はどうしてうずまきに興味を示さないのだろう。こんなに不思議な美しい現象にどうして惹きつけられずにいられるのだろう。そのことは僕には不思議だった。確かにうずまきへ至る道のりは険しくたどりつくのは容易ではない。砂漠はただでさえ市街地から遠く離れているし環境は過酷である。乾いた風が容赦なく吹き付け、砂が目や鼻や耳の中にまで入ってくる。砂は柔らかく歩きにくいしたいてい気温は高いし、目印も何もないから油断するとあっという間に迷ってしまう。
でもそういったことはちゃんと準備をしていれば物の数ではないのだ、と僕は考えているが多くの人々にとってはそうではないのだろう。人々はわざわざ準備までしてうずまきを見に行きたいとは考えないのだ。あるいは単にうずまきの存在を知らないのかもしれない。その可能性はある。何しろ僕はこれまで人と話していてミルクゴオルドうずまきの話題になったことは一度もない。
僕は一か月に一度は必ずうずまきにやってくる。うずまきを眺めることによって自分の中のズレや歪みを修正させる。うずまきを眺めることにはそういう効能があるのだ。そして僕はその効能を何よりも、おそらく誰よりも必要としているのだ。
太陽は少しずつ傾いていった。僕はリュックから桐の箱を取り出してその蓋を開いた。中には灰がつまっている。僕が飼育していた象人間の遺灰だった。その象人間は3日前に前触れもなく突然死んだ。朝目覚めると寝床に象人間の姿がなく、家の中のどこにもいないので外に出て探してみたところ、家から10mほど離れた路上にいた。象人間は膝を抱くような姿勢でアスファルトの上に横たわっていた。ピクリとも動かず、頭のまばらな毛が風に揺れるばかりで、もう生きてはいないことがなぜかすぐにわかった。
象人間の目を覗き込むと、生きていた頃には美しい赤い輝きをたたえていた瞳はどす黒い塊と化していた。その目を見て僕は泣いた。涙と嗚咽が止まらず、どれだけ止めようとしても止まらないのでだんだん怖くなったが、近くを人が通りかかると嘘のようにやんだ。
象人間は人間でも象でもない。でもそのどちらにも似ている。頭部はまるっきり象の形をしている。耳は大きく、楕円形の目は垂れ下がり、長い鼻がだらんと伸びている。手足はひどく短い。歩き方は象と同じで、短い手足を地面につけて這うようにのろのろと移動する。いわばあまりに不格好に生まれついたために仕方なく象の真似をして生きる人間、といった様子である。
とにかく彼らはこの土地に存在する。象人間は草や木の実を食べて生きる。性格は温厚で、ほとんど臆病であり、言葉は使わないが、ときどきひどく卑屈な、いじけたような態度を見せる。森の中や廃トンネルや海辺の洞窟といった暗い場所を好む。そうした場所で動かずにいるとき、彼らの姿は黒い水たまりのようである。
昔は象人間の数は現在よりずっと多かった。さらに遠い昔には人々は象人間を神のように崇めていたという。そんな時代の神話や伝説が土地には数多く残っている。しかしすべては過去のことだった。現代では誰も象人間などありがたがったりはしない。ときどき市街地に象人間が迷い込むことがあるが、人々はとくに珍しがることもなく、躍起になって追い払うわけでもなく、ただ避けて通るばかりである。
いまどき象人間を飼育する人なんてまずいない。だから僕はよく珍しがられたものだった。
よっぽど好きなんだね、愛してるんだね、などと人々は言った。僕は別に愛していたわけでもない。ある種の同情のようなものを覚えていただけだ。それとあの不気味な物静かさと容貌に何となく心惹かれるものを感じたというだけのことだ。僕は象人間に名前さえ与えなかった。
それなのに死んだときには泣いてしまって、我ながら動揺した。
死んだ象人間の遺灰をうずまきに撒く。灰はミルクとゴオルドの境目に落ち、流れに運ばれてすぐに僕の目には見えないほど遠くへ運ばれてしまった。そのままあの渦の中心に飲み込まれるのだろう。
もし人がうずまきに飲み込まれたらどうなるのだろう。その謎は常に僕を魅了している。僕はそのことを何度となく想像したし、夢にも見た。その夢はゴオルド色と溶け合い一体化するような甘美な陶酔をもたらすこともあれば、ひたすら暗闇の中に沈みもがき苦しむ悪夢であることもあった。
しばしばこの土地では人が忽然と姿を消すことがある。そんな話を聞くたびに僕はうずまきのことを考える。ミルクゴオルドうずまきの底にある違う世界へ運ばれて行ったのだ、と想像してしまう。
疲れを感じて岩の上に横になった。どうしようもないほど眠かった。昨夜はあまり眠れなかったし、今日は朝早くに家を出て一度も休まず歩いて砂漠までやってきた。普段だったらそんな無理はしない。僕はやはり悲しんでいたのだろうか、象人間の死を。ひたすら歩くことで悲しみを紛らわせていたのだろうか。
音が聞こえてきた。輪郭のはっきりした高い音が静けさの中に響き渡っていた。人の声のようでもある。それは移ろうようにあちこちから聞こえてくる。ある瞬間にはメロディーのようなものを形作った。人が歌うような抑揚のようなものが認められた。
僕は岩の上に立ってあたりを眺めまわした。どこを向いても荒涼とした砂の風景が広がるばかリ、人の姿はどこにもない。
うずまきのミルクとゴオルドの比率は、今はだいたい半分ずつになっている。ゴオルド色が輝きを増した気がする。また別の音が聞こえた。低く轟くような、サイレンのように長く伸びる音だった。それは唖然とするほど長く続いたが、息絶えるみたいに突然ついえた。
きっと風の音だろう。考えられる可能性はそれしかない。でも今、風は音を立てるほど強く吹いてはいなかった。うずまきのそばにいるとこういう説明のつかない出来事はよく起こる。これまでにも何度も経験があった。
夕方が近づいていた。そろそろ帰らなければならない。




