第83話:反逆の予選、開始
『からくり空手』
第83話:反逆の予選、開始
呉の地下倉庫に改装された特設会場に、IKKCの公式チャンネルが映し出された。
「二〇二七年度ワールドカップ・日本予選、組み合わせ発表」
佐野がトーナメント表を投影した瞬間、道場全員が黙った。
嵐の周囲に配置されたのは——全て、IKKCの公認を受けた「認定道場」の選手だけだった。
「……第一回戦、後藤道場分校。第二回戦、小川道場旧派。準決勝には——」佐野の指が止まった。「バシュタールの戦術データを搭載したA級特務機が控えています」
「勝率は」嵐が聞いた。
佐野は答えなかった。
「言え」
「……計算上、一パーセント以下で固定されています」佐野はタブレットを置いた。「システムが——ここで嵐さんを止めると決めています」
田所が低く唸った。「抽選じゃなく、設計だ」
「IKKCの組み合わせ抽選は、議長が最終承認する」木村が言った。「リー・チャンウォンが、この配置を選んだ」
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「嵐さんは休んでな」佐藤が立ち上がった。「こいつら掃除するのは、まず俺たちの役目だ」
先鋒戦。佐藤がリングへ飛び出した。
相手の銀色のアーマーが、最短距離のジャブを放った。計算に基づいた、システムの最適解だ。
しかし佐藤の動きは、システムが予測する軌道にいなかった。
拳がバイザーを粉砕した。
「……予測より〇.〇二秒早い——」相手の音声センサーが乱れた。
「計算機に、この閃きが追いつけるかよ!!」
佐藤が叫んだ。「香港で加藤さんに叩き込まれた截拳道だ——予備動作を完全に消した突きだ!!」
予備動作のない一撃。相手がデータとして持っていない軌道。銀色の機体がリング外へ吹き飛んだ。
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「……いい動きだ、佐藤」
嵐がゆっくりと立ち上がった。
新アーマー『クロオビ・絶空零』。呉の古い造船技術によるリベット打ちの装甲と、バシュタールの磁界を受けて変質した超伝導回路が、不気味な黒い光を放っている。
相手の全センサーが嵐を捉えようとした。
エラーが返ってきた。「計測不能」。
「……リー議長」嵐は静かに言った。「あんたの作った物差しは、もう俺を測れない」
嵐が一歩踏み出した。その足音一つで、会場の「規格化された空気」が物理的にひび割れた。
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第一試合。
嵐の前に立ったのは、後藤道場分校の選手だった。
しかしその姿は、第29話で見た後藤道場の者たちとは違っていた。
装飾を排した鏡面仕上げの『スタンダード・シルバー』——IKKCの公認装甲だ。胸元のライセンスカードは、もはやその選手個人のものではなく、IKKCが発行した「認定番号」に置き換えられていた。
「安道 嵐。お前の揺らぎは非効率だ」相手は言った。感情がなかった。「我々は一つになった」
嵐は相手の目を見た。
かつての闘志がない。怒りもない。悔しさもない。あるのは——リー議長からワイヤレスで供給される「最適解」という名の光だけだ。
(こいつも、かつては誰かに空手を習った人間だったはずだ)
嵐は右拳を握った。
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「始め!!」
相手が踏み込んだ。システムの最短距離。最適解の軌道。
嵐は「空」になった。
相手の拳が、空を掴んだ。
「……計測不能——再計算——」
嵐の正拳が、相手の胸板に触れた。
打撃ではない。浸透だ。
相手のアーマーの内部に、波が走った。超伝導回路が過負荷を起こした。ワイヤレス供給の「最適解」が——一瞬だけ、途切れた。
その一瞬に、相手の目が変わった。
光が消えた目の奥に——何かが、一瞬だけ戻った。
「……俺は」相手が呟いた。「俺は——」
しかしすぐに、光が戻ってきた。最適解の供給が再開された。
嵐はその一瞬を見た。
(中にいる。まだ、人間がいる)
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「ダウン、嵐! 3点!」
「クリーンヒット、嵐! 2点!」
スコアが積み上がっていく。
相手は戦い続けた。感情なく、疲れなく、最適解を実行し続けた。しかし嵐の「空」は、最適解が届く「起点」を持たない。
システムが嵐を「測れない」なら、最適解は「どこへ向けて」出せばいいか分からない。
残り1分。
嵐は正面から踏み込んだ。「空」を解いた。「霧」も使わない。ただの——正拳突きを放った。
叔父アンディから教わった、極真の基本。数万回繰り返した、一番シンプルな一撃。
相手のシステムが計算した。「通常の正拳突き——最適解、迎撃パターンC-7を実行」
しかし嵐の正拳には、数万回の稽古の重さが乗っていた。浸透の波が乗っていた。吉岡の三百人、本藏院の百人、桑原部屋の五人、佐々木の霧、宍戸の夜——全部が乗っていた。
システムは「正拳突き」として計測した。
しかしそれは、システムが知っている「正拳突き」ではなかった。
「ダウン、嵐! 3点!」
【最終スコア:嵐 15 - 04 後藤道場分校】
「勝者、安道 嵐!!」
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相手がマットから立ち上がった。
ワイヤレス供給が再開されるまでの数秒間——相手の目が、もう一度変わった。
「……痛い」相手が言った。
システムではない声だった。
嵐は右手を差し出した。「あなたの名前は」
相手は少し黙った。「……関口。後藤道場で——昔、空手を習った」
「関口さん」嵐は言った。「その痛みを——覚えておいてください」
供給が戻った。関口の目から、光が戻った。
しかし関口はもう一秒だけ、嵐の手を見てから——ゆっくりと立ち上がった。
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嵐がリングを降りた。
佐野が静かに言った。「一回戦、突破です」
「関口さんという人がいた」嵐は言った。「システムの中に、まだ人間がいた」
「どういう意味ですか」
「後藤道場の人間たちは——選んで規格化されたのではなく、取り込まれた可能性がある」嵐は会場を見渡した。「全員がそうかもしれない。IKKCの認定制度が——道場全体を飲み込んでいく」
佐藤が拳を握った。「——俺たちが飲み込まれないようにするには、どうするんですか」
「勝ち続けることだ」嵐は言った。「測れないものを、測ろうとする奴らに——答えを出し続ける」
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トーナメント表が更新された。
「安道 嵐——第一回戦、突破」
次の相手の欄に、名前が表示された。
「小川道場・旧派」
佐野が静かに言った。「小川道場が——分裂していたんですね。IKKCの認定を受けた派と、受けなかった派に」
嵐は小川勝己の顔を思い出した。東京大会で戦った、金ライセンスの柔道家。
「小川道場主は——どちら側ですか」
佐野はタブレットを確認した。「……小川勝己道場主は、認定を拒否しています。『旧派』と呼ばれているのは——認定を受けた方の、分裂した一派です」
田所が低く言った。「小川道場が割れた。後藤道場が変質した。——IKKCが、日本の道場を内側から壊している」
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嵐は黄色いカードを見た。
11勝。
長い道のりだ。しかし今日——一歩進んだ。
【安道 嵐 通算成績:12勝1敗1引き分け】
会場の外、呉の海が見えた。造船の街の夜に、嵐の正拳突きの残響が静かに溶けていった。




