第58話:親方からのメール
『からくり空手』
第58話:親方からのメール
広島支部に帰り着いたのは、夜の八時を過ぎていた。
道場の明かりがまだついている。佐藤と佐野が自主練をしていた。嵐が扉を開けると、二人が同時に顔を上げた。
「嵐さん! おかえりなさい!」佐藤が駆け寄った。「黄色になりましたか!」
嵐はライセンスカードを取り出した。黄色い光が、道場の照明を反射した。
「……なった」
佐藤が咆哮した。「やったぁぁぁ!!」
佐野が静かに頷いた。「おめでとうございます。——次は30勝で緑に白線ですね」
「分かってる」嵐は苦笑した。「まず稽古だ。今日は疲れたから、明日から——」
端末が鳴った。
メールの差出人を見た瞬間、嵐の手が止まった。
「桑原洋己」
佐藤が横から覗き込んだ。「桑原さん! あの親方からですか!」
嵐はメールを開いた。
安道 嵐へ。
黄色になったそうだな。おめでとう。
早速だが、話がある。
桑原部屋に来い。力士たちが、お前に会いたがっている。——というのは建前で、俺が話したいことがある。
IKKCのことだ。第七番のことも含めて。
日程は来週末でどうだ。飯は食わせてやる。
——桑原洋己
道場が静まり返った。
「IKKC……」佐野がタブレットを手に取った。「桑原さんが直接連絡してきた。それも第七番の名前を出して」
「四天王が動いた、ってことですか」佐藤が真顔になった。
嵐は端末を閉じた。桑原洋己。第8話で戦った男。四天王の一人、プラチナ保持者。先月、広島道場で佐藤に「仕切り」を教えてくれた男だ。
その男が「IKKCのことを話したい」と言っている。
「行きます」
嵐は返信を打った。
翌日の朝稽古。
三浦に報告すると、老師は縁側でお茶を一口飲んでから言った。
「……桑原さんか。あの人が動くということは——」三浦は少し間を置いた。「ジャッジメント・イレブンの件が、四天王の間で無視できない問題になっているということでしょう」
「三浦先生は何か知っていますか」
「断片だけです」三浦が嵐を見た。「IKKCのマスターたちが、なぜ今年ジャッジメント・イレブンを作ったのか。その理由が——アンディ殿の空席と関係している可能性がある」
「どういう意味ですか」
三浦はお茶の湯気を見た。「プラチナの空席は、四天王の力の均衡を崩している。アンディ殿が生きていれば、秋吉さんと二人で後藤に対抗できた。しかし今は——三対一で、後藤の側に数が偏っている」
嵐は黙って聞いた。
「ジャッジメント・イレブンは、その空席を『マスターズの管理下に置く』ための道具かもしれない。アンディの空席を、誰にも取らせないために」
「……つまり、俺がプラチナを目指すこと自体が——」
「邪魔になる」三浦は静かに言った。「桑原さんはそれを知っていて、君に会いに来たのでしょう」
夕方、道場の片付けをしながら佐藤が嵐に聞いた。
「嵐さん、桑原部屋ってどこにあるんですか」
「東京・両国だ」
「遠いなぁ」佐藤がモップを止めた。「……俺たちは連れて行ってもらえないですか」
嵐は少し考えた。「今回は一人で行く」
「なんでですか」
「桑原さんが俺に話したいことがある、と言った。——俺だけに」
佐藤は何か言いかけて、止めた。代わりに佐野が言った。「分かりました。その間、俺たちは試合を積み上げておきます」
「ああ。頼む」
佐藤がモップを再開した。「……嵐さん」
「何だ」
「黄色、おめでとうございます。——遅くなりましたけど」
嵐は答えなかった。しかし口元が、わずかに緩んだ。
来週末、両国。
桑原洋己が「IKKCのことを話したい」と言った。四天王の一人が直接動いた。
嵐は黄色いカードを見た。10勝。プラチナまでの道のりは、まだ果てしなく遠い。しかしその道が——少しずつ、見えてきた気がした。
広島の夜。道場の明かりの下で、佐藤と佐野の打ち込みの音が続いていた。




