第13話:不動の盾、壊滅の震動
大呉ドームの地下闘技場へ続く、鉄錆と血の匂いがこびりついた冷たい通路。
これからリングへ向かうパグ獣人の安道嵐の前に、担架で運ばれる痩身の男があった。直前の準決勝・第一試合でシャオロンに敗れたサイトハウンドの獣人、木村だ。
「……木村さん!」
木村の纏う『燕』は完全に沈黙し、毛皮の隙間から漏れ出る血が、彼の内側がボロボロであることを物語っていた。
「……嵐。シャオロンの『円』を見たか。相手の殺意を拒絶するな……毒を自分の中で回せ。自分を『器』にして、遠心で喰い破れ」
熱せられたオイルのような吐血と共に、木村が遺した言葉。嵐はその掌の泥臭い熱を、己の異端の右腕に刻みつけた。
「準決勝・第二試合。安道嵐、対、ビリー。――始めッ!!」
地下闘技場を包んでいた獣たちの熱狂が、一瞬で「真空」に変わった。
目の前に立つのは、二メートルを超える彫刻。哲学者であり、最強の闘犬アメリカン・ピット・ブル・テリアの血を引くビリー。彼が纏う『リヴァイアサン』から漏れ出るマブイは、周囲のモニター画面を砂嵐に変え、審判の電子ホイッスルを沈黙させるほどに濃密だった。
ビリーは、先ほど木村が流した血溜まりを無造作に踏み越えた。
「猟犬の非効率な三文芝居だったな。……さて、アンディの搾りかす。お前の魂を『解剖』する準備はできているか」
ビリーが一歩踏み出す。
(……なんだ、この冷たさは)
嵐の背筋を、本能的な死の予感が駆け抜ける。ビリーの『円』は、柔術のそれではない。相手の存在そのものを「不要な肉」として解体する、冷徹な屠殺の深淵だ。
刹那、ビリーの丸太のような腕が滑るように嵐の首筋へ伸びる。
「からくり柔術――『虚空の絞首』」
ピットブル特有の、一度食らいついたら決して離さない「絶対の顎」。太い指先が嵐の頸部コネクタに食い込み、全身へ流れるマブイの信号を物理的にジャミング(遮断)しにかかる。
視界が急速に狭まっていく。
だが、嵐の首は折れなかった。パグ特有の「首のくびれが全くないずんぐりとした胴体」と、何重にもたるんだ分厚い皮下脂肪が、ピットブルの完璧な絞め技の刃をコンマ数ミリだけズレさせていたのだ。
「……器に、なるんだ……!」
嵐は抵抗を止めた。
ビリーが流し込んでくる死の波動を、パグの太い全身の回路を開いて受け入れる。そして、シャオロンから授かった『遠心』の理を用い、自分の中でその殺意を「回転」させた。
ドクンッ!
漆黒の右腕――金属パーツが生肉とグロテスクに癒着し、獣の神経系に直接根を張った禁忌のからくり腕が、狂犬のような生物的な咆哮を上げた。
嵐の心臓が、ビリーの冷徹なテンポを食らい、自らの太い「拍動」へと変換する。
「なっ……吸い込んだ……!? 私の波動を、制御下においたというのか」
ビリーの眉角が初めて動いた。
嵐は、遮断されたはずのマブイを、右腕の一点――シャオロンが施した「有機的回路」へ爆発的に集束させた。
「これは……叔父さんのじゃない。俺と、皆が繋いだ……『嵐』だッ!!」
引き絞られた異形の右拳が、ビリーの完璧な『円』の、その中心を強引に射抜く。
ドンッ。
闘技場全体の照明が、規格外の衝撃波で一斉に破裂した。
静寂と暗闇の中で、生体と機械が癒着した嵐の漆黒の右腕だけが、獣の眼のように不気味な赤黒い光を放っていた。
安道嵐、対、ビリー。
からくり空手の常識を焼き尽くす、泥臭い獣たちの本当の地獄が今、口を開けた。




