第12話:燃えよマブイ
『からくり空手』
第12話:燃えよマブイ
有明アリーナの熱気が最高潮に達する中、Bブロック準決勝のリングに二人の男が向き合った。
木村。からくり詠春拳の使い手。両腕に仕込まれた高速モーターが戦いを前に細かく振動し、高周波の音を立てている。その目には、緊張と共に、燃えるような何かが宿っていた。
対するは、リ・シャオロン。香港が生んだ伝説。愛用の『からくりヌンチャク』を腰に差し、流れるような歩法でリング中央へと歩み寄る。
「……光栄だぜ、シャオロン」
木村が「問路手」の構えを取りながら、低く言った。「俺がこの道に入ったのは、あんたのせいだ」
シャオロンは不敵に笑い、親指で鼻を弾いた。
「Don't think. Feel。……木村、お前の詠春拳に、どれだけの自由があるか見せてもらおう」
「始め!」
合図と同時に、木村が爆発した。一瞬でシャオロンの懐へ潜り込み、必殺の連環拳を叩き込む。一秒間に二十発を超える打撃。だがシャオロンの体は水のように揺らぎ、拳の軌道をことごとく最小限の動きで逸らしていく。
その時だった。木村の二十三発目がシャオロンの顎を掠め——シャオロンの片眉が、わずかに上がった。
一瞬の静止。
観客席の嵐は息を呑んだ。傷はつけた。だが伝説は、次の瞬間にはもう笑っていた。
「……固いな。型に縛られすぎている」
シャオロンが腰のヌンチャクを抜いた。カーボンと合金の継ぎ目から青いマブイの光が奔り、一振りするだけで木村の連打が物理的に弾き飛ばされる。ヌンチャクの遠心力とシャオロン自身のマブイが一体となり、リング上に真空の防壁が生まれていた。
「なら、これでどうだ!」
木村は第5話で習得した逆位相の振動を応用し、ヌンチャクのリズムを破壊しようと試みた。しかしシャオロンのリズムは一定ではない。ジャズのように跳ね、激流のように荒ぶり、時には完全に凪ぐ。
「截拳道に、決まったリズムはない」
ヌンチャクの余波だけで、木村の装甲が紙のように切り裂かれていく。速さではない——何かが、ヌンチャクより先に届いている。観客席の嵐はそれを言語化できなかった。ただ、腹の底から恐怖に似た震えが走るのを感じた。
木村はオーバーヒートを無視し、からくりモーターを限界まで回した。
「俺の詠春拳は、止まらねえ! 触れた瞬間、そこがゴールだ!」
ヌンチャクの鎖が伸びきった刹那——その一瞬の隙を突いて、木村が懐へ飛び込んだ。至近距離からシャオロンのマブイ機関を直接撃ち抜く寸勁。
その瞬間、シャオロンはヌンチャクを手放した。
手放されたヌンチャクが木村の腕に絡みつき、その勢いを利用してシャオロンの素手の突きが喉元へ真っ直ぐに突き出される。相手の攻撃が完成する寸前、最短距離でその出端を叩くジークンドー奥義——截撃。武器さえも囮に変える、徹底した合理主義の一撃だ。
ドォォォォンッ。
木村の突きが届くよりコンマ数秒早く、シャオロンの拳がチェストピースを捉えた。木村の全回路が一瞬でシャットダウンし、ヌンチャクに絡め取られたまま、彼は崩れ落ちた。
「勝者、リ・シャオロン!」
シャオロンは床に落ちたヌンチャクを静かに拾い上げ、意識を失いかけた木村の前に膝をついた。そっと、その手を握る。
「木村。お前の詠春拳は美しかった。だが——空手は鎧を着るためにあるのではない。お前自身のマブイを、形のない水に変えるための器だ」
木村は薄れる意識の中で笑った。
「……へへ。やっぱ……本物は、歪みねぇな……」
完敗だった。しかし木村の顔に悔しさはなかった。憧れの英雄に、自分の最速の連打をぶつけた。そして、認められた。それだけで——十分だった。
リングを降りるシャオロンの視線が、嵐とぶつかった。シャオロンは何も言わず、ただ自分の拳を嵐へと突き出した。
嵐は、その拳をじっと見つめた。
木村は負けた。三浦は腕を折られた。遠野も、秋吉道場の仲間たちは皆、それぞれの限界でこのトーナメントに爪痕を残してきた。
(俺は——勝ちたい)
叔父の遺志でも、道場の名誉でもない。ただ、純粋に。この漆黒の鉄と共に、あの伝説の背中に追いつきたい。
その感情が、嵐の胸の奥で初めて、恐怖より大きくなった。
Aブロック準決勝。嵐対ビリーの試合開始まで、あと五分。『クロオビ』が、静かに鼓動を打ち始めた。




