4-6、救出
「尚也! ……おい、俊介!」
二人の名を呼ぶ陽光の声が、練習室へ静かに響く。
「……どうなってんだよ。あれ、伶……、だったよな?」
続くように兼吾が低く呟いた。その声もまた静かに反響して溶けていく。
「そんな……」
「……ありえない」
一方で、言葉を失ったみどりとあおいの苦しみ溢れた声がふたつ。その横を見やれば、明奈が目と口を開いて固まっていた。
――考え得る限りで最悪の状況だ。
凌雅は表情を殺し、あたかも冷静な状態であるように振る舞う。
――尚也先輩は、白石伶を追っていってしまった。
――そして、俊介先輩はそんな尚也先輩を追いかけて行ってしまった。
――ならば、自分に出来ることは何だ?
この場に留まり、陽光と兼吾を見張ることだろうか。それとも、尚也と俊介の後を追いかけ加勢することだろうか。
――ちがう。
凌雅は静かに息を吐くと、ポケットから携帯を取り出した。皆の視線が突き刺さった様な気がするが、気にしてはいけない。
つい数分前のことだった。
宵の口大学を中心に見回りをしている部隊から、一通のメッセージが入ったのだ。
『廃校舎にて、怪異出現有。
背丈178前後。赤茶色のマッシュヘア。細身の男性。
虚無になり移動』
短く必要事項だけがまとめられたそれは分かり易いと同時に、数日前に一度だけ顔を合わせた男と特徴が一致する。サークル練習前のホールに突然と飛び込んだ男であり、監視巡回中も陽光や兼吾と共にいることの多かった男。名は、〝アキサカ〟と言ったか。
――偶然か、必然か。
この少ない情報ではただの憶測でしかないが、調べる価値は十二分にあるだろう。それに、尚也ならきっと同じように思うはずだ。ああでもないと、こうでもないと数秒の間に思考を巡らせていく――……、と。
「凌雅くん」
「……俊介先輩、戻られたんですね」
「うん。あっという間に見えなくなっちゃってさ。ところで、……」
いつの間にか練習室へ帰ってきていた俊介は、凌雅の隣に立つと耳打ちをした。
「僕がここに残るよ。凌雅くんも行かないといけない所があるだろう?」
分かっているよ、といった物言いに目を見開けば、俊介は小さく笑う。
「大丈夫。行ってきて」
「……分かり、ました」
この練習室の中は安全とは言い切れない。
少なくとも黒澤陽光と赤塚兼吾の二人は限りなく黒に近い存在なのだから。渋々といった様で頷くと、凌雅はぐるりと練習室を見渡した。状況は何ひとつ変わっていない。
「何かあればすぐに連絡ください」
怪異対策本部が使用する小型の無線機を起動して俊介へ渡す。本来は一般人が手にしていいものではないが、尚也ならこうするはずだ。陽光と兼吾には見えない角度で受け取った俊介は、うん、と小さく頷いた。
その様子を見届けた凌雅は静かに背中を向けた。
皆の制止を無視して、廃校舎へ走ること二・三分。
部隊からの報告によると、報告された怪異は廃校舎内の大気から突然と現れ、再び虚無化して消えていったそうだ。伶が現れた時間とは数分のラグがあることから、赤茶髪の怪異と伶は同一人物であるとして考えても良いだろう。
――それに。
――ここまで露出した情報をまとめると、この一連の事件は演劇サークル暁に繋がっている。
――だとしたら。
向かう先は、廃校舎の中にある暁の倉庫だった。可能性は低いかもしれないが、やらない後悔よりもやる後悔である。
凌雅は廃校舎の入り口へ差し掛かった瞬間に、息をひそめた。人の出入りがほとんどないこの場所は、賑やかなサークル棟の隣にあるとは思えないほどに静まり返っている。わずかな物音ひとつすら逃がすまいと、反響しては大空へと消えていく。
携帯していた仮面を装着して、マントを羽織り、一歩。
勝手にあがっていく呼吸を抑え込んで、また一歩。
吹く風の冷たさが、異質な雰囲気を助長する。
到着した倉庫の扉は、はじめて見た時から相も変わらず古びていた。木製で出来たそれは至る所から腐食が進み、ささくれている。唯一の金属であるドアノブですらも薄汚れていた。
――何が出てもおかしくない。
まるで誰かに見られているかのような気配を感じながらも、凌雅は前へと進んでいく。
コン、コン、とノックを二回。
軽快に叩くものの返事はない。
ならばと、コン、コン、コンとノックを三回。
叩いてみると、
――今、何か……?
微かな音が聞こえた気がした。何かしらの手がかりを見つけたいという自信の懇願からくる幻聴か、はたまた。凌雅は仮面の下に隠した瞳を細めると咥内に溜まった唾液をのみ込んだ。
そして、固く閉じられていた扉を勢いよく開いた。
「……なんだよ、それ」
倉庫の中は、記憶から大きく変化を遂げていた。端から朽ちた机の上には、食べかけの食事やいくつものペットボトルがのっている。荒れていたはずの棚は整理整頓されており、入りきらないものは倉庫内の隅に寄せられている。傍には一枚の布団が引かれていて、その上にはこんもりとした毛布が被さっていた。
――……誰かが住んでいる?
数か月でがらりと変わった倉庫の様子に、凌雅は息をひそめながらゆっくりと布団へ足を向けた。
「誰かいるの?」
じっと目をこらして見れば微かに上下する毛布へ優しく声をかける。返事はなかった。
「怖くないよ」
大丈夫、大丈夫、と。冷たい汗が頬を伝う自身へ言い聞かせる意も含めて、言の葉を紡いでいく。
狭い倉庫を進む度、息を吸い込む度、どこかで嗅いだことのある甘い匂いが鼻腔を擽った。
――これは、黒澤陽光が喫煙後に好んでつける香水の香り。
兼吾から香る日もあれば、伶から香る日もあった。
誰かしらがこの場所を出入りしていたことに間違いはない。
――なら、目の前にいるのは。
凌雅は毛布の傍に落ちていたキーホルダーを手に取ると、小さく息を吐き出した。小さな茶熊のキーホルダー。昨今の若者の間で流行っているらしい、可愛らしいキャラクターだ。
――……ああ、良かった。
このキーホルダーには見覚えがある。つい先日、やっと手に入れたの、と笑っていた同期の姿をよく覚えている。
「小井戸!!」
思わず大きな声で名を呼べば、毛布がぴくりと跳ねた。顔を出そうか考えあぐねているようで、何度か動いては制止を繰り返している。
「小井戸、もう大丈夫。助けに来たよ」
自ら出てきてくれることを願って、凌雅は毛布の近くに片膝をついた。
「敵は居ないよ。ゆっくりでいいから出ておいで」
何度も、何度も。周囲への警戒は解かずに、それでもなるたけ優しく柔らかく声をかけ続ける。
あの日、自分を救ってくれた青年のように。
すると、それから数分が経ったところで、毛布が大きく動きをみせた。
「誰……?」
「小井戸!!」
久しぶりに見た小井戸の顔は、相当に疲れているようだった。それでも、聞こえた声も、目の前にいる彼女の姿かたちも小井戸で間違いない。
――やっぱり、小井戸だった。
良かった、と、心の奥底から思うと同時に、困ったような表情で固まる小井戸にはっとする。
「ああ、ごめん。俺、凌雅だよ」
「……! 凌雅くん?」
「うん、助けに来た。心配だったら見る?」
顔につけていた仮面を外し、ポケットに忍ばせていた怪異対策本部の証を見せる。本当は仮面を外してはいけないが、今は少しでも小井戸の心理的不安をやわらげる事が優先だ。こちらの顔と、手の内を覗き込んだ小井戸は、やっと、ほんの少しだけ小さく笑った。
「……ありがとう」
か細く呟かれたその言葉は、静かな空間に溶けていく。
「怖かったよな。……もう、大丈夫。家に帰るのはもっと後になっちゃうだろうけど、必ず帰すから」
「……うん、……ありがとね」
まだ状況がいまいち飲み込めていないような顔をみせる小井戸は、再び同じ言葉を零した。彼女の瞳の向く先は蜘蛛の巣が張った天井ではあるが、呼吸は凡そ安定している。酷いことはされていないようだが、でも。でも。
――怖かったろう。
毛布を強く握り込んで離さない両手の拳は、酷く震えていた。
「まだ、動けそうにないよな」
「……、ごめん」
「大丈夫、ゆっくりでいいから」
首を傾げて問えば、返ってくるのはひとつの謝罪。
何があったのかはまだ分からない。分からないからこそ、自分に出来ることは、小井戸の傍にいて守ることだけだった。この事件の真相は、きっと尚也が紐解くだろう。
「本部に連絡するね」
小井戸の発見、保護。そして状況報告。この部屋の全てが証拠になり得るのだ。
自分の足で小井戸を見つけたことで、ひとつの不安は拭えたものの、言葉には表しきれない焦燥感が募っていく。
――何故、こんなことをする?
無関係の人間を誘拐し、狭い場所に閉じ込める。
挑発するかのように顔を出し、逃げていく。
――ふざけるな。
凌雅はただ静かに瞬きを繰り返す小井戸を見やると、奥歯を噛み締めた。やり場のない怒りがふつふつと湧いては熱となって体へ籠っていく。




