4-4、嘘
白石伶と古川尚也の直接対峙から、一日。
今日もまた宵の口大学の日常は朝日と共に始まりを告げる。
結局のところ、白石伶を取り逃してからは何の進展もなかった、というのが昨日の正しい評価で間違いない。
本日も、現在失踪中である小井戸美帆の捜索、および白石伶の監視を続けたいところだった。しかし、昨晩送られてきたメッセージはそれを許してはくれなかった。
『お疲れ様。突然の連絡で申し訳ないけれど、明日から練習再開で! 練習場所は練習室3。時間は午前十一時から。軽く台本読みしようと思うので各々持ってくるように』
『来られない人は俺に連絡してね』
日付も変わろうというような時間だったか。
黒澤陽光からのメッセージは端的で分かりやすいものだった。それ故に、嫌な汗が背中を伝っていく。
演劇サークル暁の部長としての陽光の性格を鑑みると、サークル部員の一人が行方不明になっている現状で練習を再開するとは考えにくい。しかし、現実は「再開する」という判断だった。
――……小井戸美帆は、まだ見つかっていない。
陽光の真意を探ろうと頭を抱え、悩み続けた今日日。
尚也は、嶋山凌雅と共にサークルの練習へ向かっていた。本日の練習に参加しない、という選択肢は最初からない。とにかくひとつでも情報を取ることが最優先である。もちろん小井戸の捜索は別動隊を組んでいるし、いつでも連絡が着くようにしているから問題はなかった。
先日配られた台本を片手にぼやく凌雅を横目に、ゆっくり歩くこと少し。
大学構内にある最寄駅からすぐのサークル棟は、明るい空気に包まれていた。六月のどんよりとした分厚い雲など構いやしないように、賑やかで騒がしい。
このサークル棟を鳥瞰すると、六階建てのコの字型になっている。一階には学生食堂と大きなホール。二階には音楽系サークルが使う防音機能付きの練習室が複数設置されている。三階以上は基本的に各サークルの部室となっていて、講義のない学生達の憩いの場となっていた。
――今日は、……練習室3、ね。
改めてメッセージを確認して、練習室のある二階を見上げる。
つい先まで共に行動していた俊介は、もうそろそろ着いた頃だろうか。
また、しばらく。レンガ造りの階段を上った先にて到着した練習室には予想通り先客が居た。スチール製の框戸から見えるのは、今日も今日とて変わらない笑顔を見せる小松の双子。それからピアノスツールに腰をかけ楽しそうに話す俊介と、未だ緊張した面持ちで頷いている新入生の伊東明奈の四人が目視できる。
――先輩達はまだ来ていないのか。
心の中で疑問を飲み込んで、未だ台本を読み続けている凌雅を肘で小突く。そして重たい扉を開いて、簡単な挨拶を送った。
「おはよう」
「おはようございます!!」
狭い練習室をぐるりと見回せばやはり先輩達の姿はない。
と、尚也に続いた凌雅の大きな挨拶に気が付いた面々からの視線がこちらを向いていた。
「おはよ! ……ほっぺ、大丈夫?」
「おはよう。本当だ、怪我してる。凌雅くんも首が……」
一番に挨拶を返してきたのは、みどりとあおいだった。ほとんど同時に言葉を発した彼女らは、尚也と凌雅の怪我に興味津々とでも言うかのように近付いてくる。
「「どうしたの?」」
揃う明るい声に視線を逸らしながら、息をひとつ。
「喧嘩した」
「「喧嘩!?」」
「うん、喧嘩」
「「誰と?」」
一字一句違わない二人に小さく笑いつつ、尚也は隣で立ち尽くす凌雅を指さした。対する凌雅は肩を竦めて無言を貫いている。
「嘘だあ。君たち相当仲良さそうなのに喧嘩なんてするの?」
「ええ、本当に?」
みどりとあおいは同時に首を傾げるが、「喧嘩」ということにするのが一番自然なのだから仕方がないだろう。
――無理があることは重々承知の上だ。
それに。
「これが本当なんだよねぇ。昨日、尚の家で対戦ゲームをしてたんだけどさ、二人ともすっごく上手くてね」
ははは、と軽快に笑った俊介が会話の中に飛び込んでくる。
――今日は俊介という心強い味方がいるのだ。
怪異と接触してしまった俊介を怪異対策本部で保護するという名目で、昨晩を共に過ごしていたことは事実である。
「――……っていう経緯で喧嘩したんだよね?」
ありもしない話をわざと冗長に語ってみせた俊介の問いかけに、尚也と凌雅は頷いた。その様子を静かに見守っていたみどりとあおいは、これまた声を合わせて「ふぅん」と小さく相槌を打つ。
なるたけ他人に自身を疑わせない。これが正体を隠す者としての鉄則である。
それからは再び賑やかな時間が続いた。俊介が話題を提示し、みどりとあおいが明奈を巻き込む形で乗っかり、会話が音楽のように流れていく。
そうして、集合時間である十一時ちょうどに練習室の扉は再び開かれた。
「おはよう。皆揃ってるな」
「……おはよ。伶は五分くらい遅刻するらしい」
いつもと何も変わらない柔らかい笑顔を顔に浮かべながら、黒澤陽光が爽やかに登場した。その後ろをぴったりとくっつき歩く赤塚兼吾は、小さな欠伸を繰り返している。
狭い練習室をお構いなしに横断する陽光は、対面の壁に到着するなり両手を鳴らした。思わず見やれば、彼は小さく笑っているようだ。
――何が、面白い。
「練習を始める前に、皆へ大事な話がひとつある」
人差し指をピンと立てた陽光は、言葉を紡ぐ。
「……本題から話すならば、小井戸が見つかったそうだ。昨晩、『怪異対策本部』の方から俺の方へ連絡があった」
――小井戸が見つかった?
――それも、怪異対策本部から連絡があった?
陽光の言葉を受けて、みどり、あおい、明奈の三人は安堵と喜びを全身で表現している。一方、尚也を筆頭に、凌雅、俊介の体は固まった。
ありえないのだ。
小井戸は、確かに、未だ見つかっていない。
怪異対策本部が部外者である、ましてや、現在進行形で重要捜査対象である黒澤陽光に、情報を渡す事実などある訳がない。
「美帆ちゃんは、……今、どこに?」
最初に口を開いたのは明奈だった。
「小井戸は怪異対策本部に保護されている様だよ。犯人が捕まったのかどうかまでは分からないけれど、暫くしたら戻って来られるそうだ」
「……そう、ですか」
「大丈夫だよ。怪異対策本部は信頼のおける組織だからね。俺の知り合いがそこで働いているんだ」
安心からか床へ崩れ落ちるように手をついてしまった明奈に、陽光は優しく囁いた。
――良く、言うよ。
尚也は今にも飛び出してしまいそうな凌雅を後ろ手で宥めながら、思考を回す。
陽光は嘘をついている。
それすなわち、陽光は白石伶の怪異に関わる一連の事件の関係者、もしくは、首謀者である可能性が高い。
つまり。
先日、小井戸が行方不明であるという情報をわざわざ暁の面々の前で言ってのけた、「赤塚兼吾」、そして、彼らと仲の良い「アキサカ」もまた、関わっていると言ってもいいだろう。
現在の兼吾は、陽光の言葉全てに首を縦に振るばかりではあるが。
そもそも。
――……もっと早く気が付くべきだった。
小井戸の失踪が露見したあの日。数日前から彼女は〝私用〟で休んでいたのだ。その情報は、陽光から聞かされた覚えがある。ならば、何故、陽光はそれを知っていた?
小井戸の自宅に残された彼女の携帯には、陽光への休みを希望するメッセージは残っていなかった。大学構内で直接伝えた可能性はあるが、数千人が通う大学構内で、学部も違えば学年も彼らが出会う確率は相当に低い。
「まあ、という訳でね」
パチン、と、ひとつ。
陽光が手を叩く。
「近日中には通常練習に戻りたいと思う。次の公演まで時間がない。まだ不安は拭えないと思うけれど、気張っていこう」
明確な意思がのった、芯のある声だった。
みどりとあおいが一番に返事をして、明奈が続く。数秒後に俊介が小さく頷き、凌雅が「……はい」と不服そうに零す。
尚也は口を開かなかった。頷くこともしなかった。
否、何も出来なかったと表すのが正しいか。
黒澤陽光がこの事件に深く関与していることには間違いない。この男を問い詰め、追い詰めることが出来たならば、小井戸の居場所くらいは分かるだろう。
――ならば、どうやって。
ぐるぐる、くるくると回る頭は止まることを知らない。最適解へ最短ルートで導けるように、計算を進めていく。
噛み締めていた咥内にに血の味が広がった瞬間だった。
――は?
練習室の空気がより一層沈み込む。重たい扉は開かれていないはずなのに、誰一人として動いていないはずなのに、風がぴゅぅいと吹いた様な気がした。
そして。
「やあ、おはよう」
聞き慣れた声と共に、もう何度も見た白石怜の姿が、虚空からあらわれた。
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『二兎を追う者は一兎をも得ず』
お久しぶりです。私情ではありますが、風邪を拗らせていました。少しずつ体調も戻りまして、更新をと通常頻度に戻します。
第四章完結をもって、第一部 前半編の
完結となります。よろしくお願いいたします。




