03
マンションの前に車をつけた高城――どうやらこの前のことで私の住所を把握したらしい――に先んじて、私はすぐ近くにあるファストフード店へ行ってくれるよう頼んだ。
「え? そんなところでいいんですか?」
「いいんです、そんなところで。お願いします」
意外そうな、それでいて残念そうな顔で聞き返す高城に、私はつっけんどんな態度で助手席に座った。
そんなところでなければ、一体どこへ連れて行こうとしていたのやら。どうせ先日の件にかこつけて奢るなどと言うに決まっているのだ。なら、金額は出来るだけ安く抑えておくに限る。
それにしても――と私は車の内装や、運転席に座る高城の服装をさりげなく観察する。
いつも仕事でしか顔を合わせないので私服姿は初めて見たが、普段とは全く違うカジュアルな格好に驚いた。一瞬、誰だかわからなかったほどだ。
洒落た襟型の白いボタンダウンシャツに、落ち着いたグレーのニットセーター。いわゆる『生デニム』と呼ばれる未加工のジーンズを合わせ、足元は黒のチャッカブーツ。その上にネイビーのピーコートを羽織り、眼鏡は私服用のものか、セルフレームの黒縁。どれもこれも名前こそわからないものの、高級ブランドの逸品だと見ただけでわかる。
それだけでも金持ちオーラがすごいのに、この車ときたら。なんとツードアのクーペである。私は車に明るくないが、それでもこれが外国産の高級車であることだけはわかる。いくら高城がキャリア組とはいえ、普通なら彼の年齢でこんな高級車を買えるはずはないのだが――それはともかく、こんな風に助手席に乗っているところを署の女性陣に見られでもしたら、一体どうなることやら。今が謹慎中でよかった。いや、よくないが。
私と高城、住んでいる世界が違いすぎて溜め息しか出てこない。
そうこうしている内に、私の住むマンションから歩いて十分の世界的ファストフード店の駐車場へ、高城はなめらかな運転で車を入れた。
派手にアニメーションするホログラフ看板の下をくぐり、店内に入る。早いもので世間はもうクリスマス一色だ。店内のあちこちにそれっぽい飾りが取り付けられていて、店内BGMもクリスマス系統のものが流れている。
サンタクロースの帽子を被った店員のいるカウンターへ近付くと、
「西尾さんは席の確保をお願いします。注文は僕がしておきますので。どれになさいますか?」
そらきた。口には出していないが、しれっと会計を持つつもりである。
「では、お言葉に甘えて……ソーセージエッグマフィンセットでお願いします。ドリンクはホットコーヒーで」
「かしこまりました」
微笑を浮かべ恭しく注文を承ってくれた高城だが、彼はまだ気付いていまい。この奢りをもってマフラーの件はチャラだ。そう決めた。少なくとも、私はそのように主張してこの後の攻勢を防ぐつもりだった。
「他にサイドメニューはいりませんか? あ、ご安心ください。ここの代金は、マフラーの件とは別口ですからね」
――と、思っていた矢先に先手を打たれてしまった。こういったことに限って、高城はやけに鋭い。
「……じゃあ、ナゲットも追加でお願いします」
「了解いたしました」
内心で臍を噛みつつも、ならばと追加注文を頼んでおく。こうなったら多少の金額は誤差の範囲内だ。
平日の早朝なこともあって、店内は空いている。そこかしこにホログラフの商品ポスターが浮かび上がり、しかし誰も見ていないせいで、総じて空回りしている感がある。
私は敢えて、他の客がなかなか寄り付かないような奥まった席を選んだ。高城の言う『大切な話』がどんなものかは知らないが、他人に聞かれてよいものではきっとないだろう。
「お待たせしました」
しばらくして注文の品を載せたトレイを手に、高城が来た。彼は私と違うセットで、ポテトのLサイズを追加注文したらしい。
「ありがとうございます。いただきます」
礼を言いつつソーセージエッグマフィンの包み紙を手に取ると、私はこっそり高城の様子をうかがった。
頭の包帯はまだとれていないが、顔色を見るにどうやら調子はいいらしい。この前は暗くてよくわからなかったが、あんなことがあったというのに妙に溌剌としている。
「――? なんですか、西尾さん?」
私の観察に気付いた高城が嬉しそうに聞いてきた。どうしてまだ何も言っていないのに満面の笑顔なのか。何故そんなに幸せそうなのか。よくわからない。
私は溜め息をこらえつつ、単刀直入に話を切り出した。
「それで、大切なお話とはなんですか?」
プラスティックのナイフとフォークを両手に、ホットケーキを攻略しようとしていた高城の動きが止まる。これはまた随分と性急ですね――と眼鏡越しの視線が言外に言っているようだ。
「あ、手は止めないでください、高城さん。これは〝お食事〟ですから」
高城警部補ではなく、〝高城さん〟呼び。つまり、今の私達はあくまで朝食を共にしているだけの一般人であり、警察の仕事は関係ない――ということを敢えて強調してから、私はマフィンにかぶりついた。
「なるほど、〝そういうこと〟ですね」
あまり空気は読めないが、高城は基本的には聡い方だ。私の言わんとしていることをすぐに理解してくれた。
フランス料理を前にしたような優雅な手付きでホットケーキを切り分けながら、
「……実を言うと、お見せしたいものがあるんですよ」
「見せたいもの?」
「ええ、例の事件の捜査資料です」
フォークで刺した一切れを口に入れると、高城は咀嚼しながら懐から携帯端末――前にカビ臭いと嫌がっていたものだ――を取り出し、テーブルに置いた。
「え……捜査資料、って……えっ?」
今度は私の動きが止まる番だった。ごくん、と噛み砕いたものを嚥下した後、携帯端末の画面を見て呆気にとられてしまう。
「どうして、そんなもの……」
待機命令と謹慎処分と差はあれど、高城も私と同じく捜査から外された身だ。当然、個人アカウントの権限は変更され、クラウドのデータにはアクセスできないようになっているはず。
唖然とする私に、高城は余裕たっぷりに片目を閉じて見せた。
「不思議に思われるのは当然ですが、そこはそれ、『お客さん』にはお客さんなりの役得というものがあるんですよ。扱いに困る微妙な立場というのは、別に悪いことばかりではないということですね」
意外すぎる話に、私は感嘆の息を禁じ得なかった。
「……はー……なるほど……」
そういうことか、と思わず唸ってから、かなり失礼な反応だったと気付く。
「あ――いえ、すみません……」
「いえ、いいんですよ。本当のことですから。むしろ、自覚のない馬鹿だと思われている方が傷付きます」
あはは、と高城は朗らかに笑って、自虐的なことを言った。彼なりに、自分の立場について色々と思うところがあるらしい。まさか気にしているとは思わなかった――というのは、私の勝手な思い込みに過ぎない。
「捜査資料を見るだけなら、別に悪いことにはならないでしょう? 僕達は待機と謹慎状態ですが、頭の中まで制限を受けているわけではありませんし。外出が禁止されているわけでもありません。今回の事件、僕は怪我をさせられたのもありますが……それ以上に、あの大家さんを救えなかったのが残念でならないんです。正直、責任を感じています。ですから、出来る限り事件の解決に尽力したいんですよ」
高城は真剣な表情をしている。本気なのだ。
心の底から、事件を解決したいと願っている。こちらを見つめる瞳から、内なる情熱が溢れてくるかのようだ。
「西尾さんも手伝っていただけませんか? どうか、お願いします」
高城が頭を下げ、瀟洒な髪型が私の前に差し出される。
「あ、その――警部補、顔を上げてください。流石に人目が気になりますから……」
私は素早く周囲を見回し、こちらに注目している人物がいないことを確認する。
幸い、高城はすぐに頭を上げてくれた。
「すみません、つい……でも、どうですか? 僕と一緒に真相を追求しませんか?」
「…………」
私は即答を避けた。ひとまず改めてマフィンにかぶりつき、口の中に物を入れて沈黙を保つ。
そんな私の反応をどう受け取ったのか。高城は、くす、と笑うと携帯端末に手をかけ、こちらへと滑らせた。見てください、と言外に言うように。
だが私は、視線を別方向へと逸らす。まだ見ていいものかどうか、決めあぐねているのだ。
「――榊さんが仰っていた通りでした。『裏』で何やら大きな動きがあるようです。新種の薬が独自のルートで流通し始めていて、その時期に合わせるように行方不明者の数が増加しています。また、内部情報の漏洩が始まったのもどうやら同じ頃のようですね」
「――!?」
私が画面に目を向けないと見るや、高城はとんでもない話をし始めた。見る気がないなら聞かせるまで――そう言うかのように。
高城は何のことはない、しれっとした調子で、
「薬の出所については、既におおよその見当がついているようです。ただ、確たる証拠がない。だから、上層部はまだ表沙汰にはしたくないのでしょうね。僕達の処分が翌日の朝になるまで決まらないような腰の重さです。表立った捜査も控えているのでしょう。なにせ、榊さんにすら碌な情報を渡していないぐらいですから」
おおよそ私達の立場では知りようのない情報ばかりを、次々と暴露していく。
「ふぁっ、ん――!?」
驚愕のあまり口内のものを吹き出しかけて、私は必死に我慢した。慌てて包み紙で口元を押さえ、衝動をこらえる。
「おっと、大丈夫ですか? 僕のコーラ飲みます?」
私の注文したホットコーヒーは噛んだ物を呑み込むのに適さない。不本意ながら、高城が差し出してくれた冷たい飲み物にすがるしかなかった。
ストローで勢いよくコーラを吸い上げ、噛み砕いたマフィンとまとめて嚥下する。そうして人心地をついてから、
「ちょっと待ってください、高城さん。いくら何でもおかしいんじゃないんですか? そんな上層部でしか知り得ない情報、一体どうやって――」
「しっ」
食ってかかった私に対し、高城は人差し指を唇の前に立てて、静かに、と身振りをした。微笑み、目線だけで『声が大きいですよ』と伝えてくる。
「――でね、僕、考えたんですよ」
私の質問に答えないまま、高城は自分の話を続けた。
「正直、今回の処分は理不尽だと思うんですよ。だって、西尾さんは何も悪いことをしていないじゃないですか。別行動を取ったのも、例の二人組を確保するためだったわけで。結果として取り逃してしまいましたが、その判断が間違っていたと誰が言えます? だって、僕が襲われたことと、西尾さんが単独行動をとったことは別の問題じゃありませんか」
どうやらこちらの異議を聞くつもりはないらしい。そう判断した私は黙ったまま、自分が注文したホットコーヒーを高城に差し出した。申し訳ないが、一度でも口をつけたコーラを返すわけにはいかない。コーラは責任を持って処理するので、ホットコーヒーはそちらが飲んでください――と目線で訴える。
高城は頷きを一つ。
「それに、処分に違いがありすぎます。露骨ですよね、あの人達って。どうして僕が待機で、西尾さんが謹慎なんですか。だいたい、怪我をした責任は僕自身のものだとは思いませんか? 僕も警察官なんですよ。それなのに、その責任が全て西尾さんにいくなんて、まるで保護者か何かのようではありませんか」
珍しく憤懣を露わにする高城。なるほど、そう言われてみると彼の気持ちも理解できる。とはいえ、私が高城の保護者役というのは、ある意味では間違いではないのだ。こうして怒っている本人にはとても言えないが。
「というわけで、意図が見え透いている理不尽な命令に従う義理はないと思いませんか? だから――」
「思いません」
流石に聞き逃せないことを言い出したので、私は強い口調で高城の言葉を遮った。
ピタリ、と高城の舌が止まる。
私はよく冷えたコーラを一口吸い上げると、
「どんなに理不尽でも、それがたとえ、高城さんを危険な目に遭わせた私に対する〝見せしめ〟のようなものであろうとも――命令は命令です。私は一警察官として、それを受け入れる覚悟を持って仕事をあたっています」
軽く驚いた顔をしている高城の目を真っ直ぐ見つめて、私は断言した。
「ですから、私は今回の謹慎処分を不満に思っていません。それだけは誤解なきようお願いします」
言いたいことを言い切ると、私はコーラを置いてマフィンにかぶりついた。言葉とは裏腹に、機嫌の悪さが態度に出てしまっているが、これは仕方がない。
「……なるほど、そうですね。西尾さんはそういう人でした」
意外にも、高城はそう言って微笑んだ。だから逆に私の方が驚いてしまう。今のは半分、否、半分以上、ケンカを売っているようなものだったはずだ。彼が笑う理由がまったく理解できない。
「では、言い方を変えますね。どうか驚かずに聞いてください」
何を言うか、と私は呆れた。もう充分、さっきの機密情報で驚いている。もうこれ以上驚くことなどないに決まっている――そう思いながら、私は喉を鳴らしてマフィンを呑み込んだ。
「実を言うと、過去にも似たようなことがあったそうです。今回と同種の薬が出回り、行方不明者が続出し、凄惨な事件が起きる――『裏社会』の動きが活発になった、そんな時期が」
何のつもりか、高城は声を低めて語り始めた。まるで怪談でも話すかのように。
「一連の事件は、今なお未解決のままだそうで。そのおかげもあって、かなり古いですが捜査資料が残っていました。その中の一つ、被害者の名前の中に……西尾さん、あなたのご両親のものがありました」
「――――!?」
この時、私が受けた衝撃を言葉にするのは難しい。
いきなり死角から頭をぶん殴られた――いや、雷に打たれたと言った方がより正確だろうか。あるいはそれ以上の驚愕が脳天を突き抜け、私の頭は真っ白になった。
――私の両親?
まさか、こんな場所で耳にするとは思わなかったし、ましてや高城の口から出てくるなんて、予想だにしなかった。
過去に起こった事件。被害者となった私の両親。古い捜査資料。そこにはきっと事件の詳細が――
私は無意識に、自分の首元に手をやっていた。そこは黒のタートルネックセーターに覆われていて、外気には触れていない。しかし、ひどく疼く。痛いような、かゆいような、熱いような――得も言えない刺激が、首と左腕の傷痕で渦を巻いていた。
「西尾さん、真相を知りたいとは思いませんか?」
その問いかけが、私を現実に引き戻した。
気付けば高城はテーブルの上で手を組み、背筋を真っ直ぐ伸ばして私を見据えている。眼鏡のレンズ越しに向けられるのは、こちらを試すような視線だ。
「先程も言った通り、事件の類似性から過去の資料も上位の権限がなければ閲覧できません。ですが、僕ならお見せすることが可能です。過去と現在、全ての情報を元手に捜査をすれば、きっと真相に近付けるはず。……いかがですか、西尾さん?」
高城の双眸は普段から細い。それはどこかおっとりとした雰囲気を持つ、切れ長の目だったはずだ。しかし今、その眼差しは剃刀のように鋭い。
彼は本気だ。
真剣に、私の〝覚悟〟を問うているのだ。
「…………」
全身の毛穴が開き、嫌な感じの汗が滲み出ているのがわかる。
かつて語ったように、私はけして両親の仇を取るために警察官になったわけではない。この仕事を選んだのは、たまたま高校の進路指導室で警察官募集のポスターを見かけただけに過ぎず、当時は養護施設に入っていた私は、寝泊まりできる寮のある職種であれば何でもよかったのだ。あの時、あそこに張っていたポスターが自衛官のものだったら、今頃は自衛隊に入っていたに違いないのだ。職務に対する姿勢はともかく、私が警察官になった発端などその程度なのだ。
だから。
なのに。
お断りします――
その一言が、どうしても喉から出てこなかった。
首の傷跡が引き攣れて、言わせまいとさせているかのように。
「大丈夫です。悪いようにはしませんから」
高城が表情から力を抜き、優しく微笑んだ。口を半開きにしたまま何も言えない私の、心の中を見透かしたかのように。
私は俯き、何も答えられなかった。
肯定も否定もしないことが、私なりのせめてもの抵抗だった。
そんなことに、意味などないと知っていながら。