表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/32

01

 肌を引き裂く冷たい風が吹く。

 深夜――十六夜の月が照らす、とある高層ビルの屋上。

 切り立ったふちに立つ大きな人影が、眼下を流れるヘッドライトの河をサングラス越しに眺めている。

 熊のごとき大きな掌に、無骨な装甲付きの手袋をはめた大男だ。

 彼は右手を腰に、左手を耳に当て、何者かと会話を交わしていた。

「――あーそうそう、そんな感じ。いくつか目星はつけていたんだけどな、多分アレがクロだ。つか、ぶっちゃけド本命。なぁ、鹿角かづの?」

 足を踏み外せば真っ逆さまに落ちる――そんな場所に危なげなく立つ男は、不意に背後を振り返った。

 鹿角――そう呼ばれた影が低い声で応じる。

「……ロウ、〝SEALシール〟を使った通話は、通常お前の頭の中にしか聞こえない。だから俺には話の流れがさっぱりわからない。よって、お前の質問には答えようがない」

 三段論法を使いつつ給水塔の陰から歩み出てきた人物を、月明かりが照らし出す。

 冴え冴えとした月光を反射するのは、ワンレンセミロングの銀髪。二十代を迎えているか否かの顔立ちは東欧系。しかし、両の眼窩に収まっているのは、見る者に違和感を与える色違いの瞳――オッドアイだ。右は血のような紅、左は氷のごとき蒼。どちらも月の光を吸い込み、ほのかに輝いている。

「ありゃ、そうなの? そいつぁ改良の余地ありだな」

 剽軽ひょうきんな声で言うと、大男――ロウは自らの左手を夜空の月へとかざした。すると、漆黒の手袋を透かして微かな光が見える。グローブよろしく無骨な手、その表面に走る深緑の光線が幾何学模様を描き、掌全体に広がっていた。

「それともう一つ。通話の際、手を耳に当てる必要はない」

「えっ、マジで? うそ?」

 ロウは驚くと、しばし耳を澄ますように沈黙する。

「……うわ、マジだ。ちゃんと聞こえる」

「前にも言ったぞ? だから人の話はちゃんと聞けと――」

「まぁまぁそんなことはいいから、ほらコレ、鹿角も加わるにはどうしたらいいのか教えてくんね?」

 小言を遮り、言っているそばから人の話を聞こうとしないロウに、鹿角はこれみよがしな溜め息を吐いた。諦めたように首を振ると、左手の手袋をはずし、ロウと同じく深緑の光線が走る白い掌を差し出す。

「俺の〝SEAL〟に、お前のそれを触れさせればいい」

「ほうほう?」

 ロウは頷くと、同様に左手の手袋をはずした。鹿角に歩み寄り、投げ遣り気味に差し出されているその手首を右手で掴む。そしてそのまま上へと持ち上げると、

「ハイターッチ♪」

 楽しげに言ったロウが、自らの左手と、高く掲げた鹿角のそれとを打ち合わせた。パン、と乾いた音が鳴る。

 鹿角の眉間に深い皺が寄った。

「……ロウ、お前、ふざけるのもいい加減に――」

「かったいなぁ、ほらほら、もっとリラックスりらぁ~くすぅ~」

 顔付きを険しくさせる鹿角とは正反対に、ロウは牙のごとき犬歯を剥き出しにして笑い、その太い指で白皙の肌をプニプニと突っつく。

「ちょ――こらやめろ! 触るな! 離れろ! 任務中だぞ!」

「だってよー、鹿角が固っ苦しいことばっか言うからさぁー」

「唇を尖らせるな! お前が緩みすぎなんだ!」

 とうとう声を荒らげ始めた鹿角の耳に、幼い雰囲気の咳払いが聞こえた。

『ン……そろそろ夫婦漫才はお開きにしてもらおうか』

「誰が夫婦だ!」

 反射的に怒鳴り返してから、はっ、と鹿角の顔が強張る。

「も、申し訳ありません、言葉が過ぎました」

 〝SEAL〟――正式名称『Skin Electronic Augment Living Integrated Circuit』という名のスキンコンピュータによって通信が確立された相手に、鹿角は頭を下げた。実際に頭を下げる先は目の前のロウだったが、通話相手は、彼の眼をカメラとして鹿角を見ているのだ。

『なに、気にするな。いきなり茶々を入れたのは私の方だからな。とはいえ鹿角、ロウではないが、もう少し肩の力を抜いたらどうだ? 真面目なのはお前の美点の一つだが、あまり気負いすぎるのもよくない』

 幼い声音ながらも重厚な雰囲気を纏う言葉に、鹿角は面を上げて頷きを返す。

「は……」

 声は殊勝に。しかし顔付きは険しいまま、ロウの顔を睨み付ける。

 そんな鹿角の姿を見たロウがまたも歯を見せて笑い、

「やーい、怒られてやんのー」

「誰のせいだと思って――」

「まぁまぁ細かいことは置いといて、さ」

 わなわなと全身を震わせる鹿角の肩を、ポン、とロウが叩く。

「よっしゃ、デイス。続きといこうか。どこまで話したっけ?」

『お前達が目星をつけていた監視対象の一人が〝アタリ〟だった、という話だったかな。入手した薬品の分析はどうだった?』

 姿は見えずに声だけが聞こえてくる通信相手――〝デイス〟と呼ばれた人物は、言葉遣いとは裏腹に、ひどく幼い声音をしていた。大人が変声機で少女の声を出しているのか、あるいは少女が大人のふりをしているのか。

 不思議と威圧感のある声からの問いに対し、

「ああ、バッチリだったぜ」

 ロウがパチンと指を鳴らす。

「つっても、詳しく調べてくれたのは鹿角だけどな」

 誇らしげに笑ったロウが視線を送ると、鹿角は顎を引くようにして頷いた。

「木島の部屋で回収したものは〝ルナティック〟で間違いありません。また、奴のPCからも『例のルート』と思しきものが発見されました。奴を含め、我々が監視対象としてピックアップしている人間らしきコードも見受けられます」

 鹿角はコートのポケットに右手を入れ、剥き出しの記憶媒体を取り出す。昨晩、木島康一のPCから抜き出したものだ。手袋をはめたままの鹿角のてのひらに、深緑に輝く幾何学模様がうっすらと浮かび上がる。皮膚上を走る〝SEAL〟の光が透けているのだ。

 ロウが口笛を吹く。

「しっかし便利なもんだよなぁ、このスキンコンピュータ……あー、〝SEAL〟だっけ? 生体電流で動くから充電いらずで、記憶媒体にも触れるだけで接続して読み込み可能とか。まるで魔法か何かだよな」

『我が〝イレギュラーズ〟開発課の最新機器だからな。皮膚に埋め込み、機械の代わりに人体のタンパク質、神経、脳の領域の一部を活用する生体コンピュータ――特にお前達のようなアレルギー持ちにはもってこいだろう』

「確かに、俺達って揃いも揃って金属アレルギー持ちだからなー。ほらこれ見てくれよ、昼間ちょっと拳銃の金属部分に触っちゃっただけなのに、まだ蕁麻疹じんましんが」

 ロウがコートの袖を捲り上げると、太く筋肉質な腕の表皮に赤く爛れたような痕が浮かんでいる。

「迂闊な行動を取るからだ」

 大男の泣き言を、鹿角はにべもなく斬り捨てた。さらには、

「必要のない接触を繰り返した罰だと思え。用もないのに気配隠蔽の術と光学迷彩のレベルを勝手に下げた挙げ句、例の監視対象に情報を漏らしたペナルティと思えば、それでもまだ軽いぐらいだ」

 自業自得だ、と容赦なく糾弾する。

「うわーん鹿角くんがつめたーい、俺さみしいなー」

「言ってろ」

 棒読み口調でおどけるロウを、鹿角は鼻を鳴らしてあしらった。

「でもさぁ、まさかあんなに感覚が鋭くなっているとは思わないじゃん? 一回目はわりと適当だったけどさ、二回目はそれなりにギリギリを攻めたんだぜ? なのに、あんなあっさり見つかるなんてなぁ」

「だから迂闊な行動を取るなと言っているんだ」

 愚痴をこぼそうとも鹿角の態度は変わらない。わけもなく危ない橋を渡ろうとするのはお前の悪い癖だ、と。

『ちなみにこの通話もテストを兼ねているが、どうやら経過は良好なようだな。この分なら正式版のリリースもそう遠くはなかろう』

 通信網の向こうで、デイスがくつくつと笑う。

「なぁ、一応聞いておくけど、コレっていきなり爆発する不具合とかないよな?」

 ロウの揶揄するような問いは、軽く笑い飛ばされた。

『あったとしてもお前達ならば問題ないだろう?』

 否やは言わせない、と無言の圧力を放つデイスの聞き返しに、ロウと鹿角の二人も笑った。ロウは楽しげに、鹿角は誇らしげに。

「まぁな」

「当然です」

『よろしい』

 満足げに頷いたのも束の間、デイスは声のトーンを一段落とし、本題へと戻る。

『――さて、データは回収できたとはいえ、木島がいなくなったのは少々痛いな』

 物憂げな様子のデイスに、ロウが頷いた。

「まぁな。多分、自分が流した〝ルナティック〟を常用しているジャンキーにやられたんだろうよ。一応、そいつの〝匂い〟はしっかり()()()けど、それより問題なのは――」

「――なるほど、〝暴走〟か」

 全て聞く前に事情を察したデイスの呟きに、鹿角が補足を入れる。

「どうやら現在市場に出回っている〝ルナティック〟は未完成品のようです。とはいえ、効果そのものは完成品と比べても遜色ないようですが」

『ふむ……それで、その暴走した下手人げしゅにんはどうした?』

 始末したのか? という問いに、ロウは大袈裟に肩をすくめ、首を横に振った。

「意外と手こずっちゃってなぁ。あと少しってところで逃げられちまった。肉体の組成はかなり安定していたみたいだし、鹿角の言う通り、ありゃ相当、レベル高いところまでいってるぜ」

『ほう? お前が手こずるとは随分と珍しいな、ロウ』

「私の助力を拒み、一人で遊び半分でやったからでしょう」

 じろり、と鹿角の紅と蒼、二色の瞳がロウをめ付ける。だが当のロウはどこ吹く風だ。

 デイスが、子供の悪戯を楽しむ母親のように笑った。

『なるほどな。わかっていると思うが、次は逃すなよ?』

 ロウが口元に獰猛な笑みを浮かべる。やけに大きな犬歯が、月光を鋭く反射した。

「おうよ、任せとけ」

 ロウが自慢げに自らの鼻を指差しながら豪語すると、通信の向こうで、デイスが満足げに頷く気配があった。

『ならばよし――』

 可憐さと風格を兼ね備えた声音が、二人の男に冷然と指令を下す。

『我が真名において命ずる。ロウランド、鹿角の両名は、次の満月の夜までに事を終わらせろ。既に状況は逼迫している。ここからの遊びはなしだ』

「「了解ロージャー」」

 性格のまるで異なるロウと鹿角の声が、この時ばかりは綺麗に重なった。

 そこから一拍を置くと、デイスは緊張感をほぐすような口調で言う。

『先程は逃すなと言ったが――しかし手加減はしろよ、ロウ?』

 からかうように釘を刺してきたデイスに、ロウは姿勢を崩してふてぶてしく笑った。

「おいおい、何言ってんだよデイス。俺はまだ、一度たりとも本気を出したことがない男だぜ?」

 まぜっかえす大男に、少女の声は呆れたように苦笑した。

『減らず口め。ところであの娘――トモエ・ニシオとは会えたのだろう? どうだった?』

 その名が出た途端、ロウの笑みがやや変化した。大胆不敵なものから、どこか柔らかさを帯びたものへと。

 巨躯の男は〝SEAL〟の光線が走る人差し指で、軽く頬を掻く。

「ああ、まぁ、かるーく挨拶だけ、な。まぁ、あの様子ならまだしばらくは大丈夫さ、きっと」

『そうか。それはよかったな。何事もなければ、それが一番いい……』

 そのデイスの囁きには、幼い響きながらも深い憂いが内包されていた。まるで我が子に心を砕く母親がごときいつくしみに、束の間、場の空気が静まる。

 が、不意にロウが胸の辺りまで両手を持ち上げたかと思うと、

「しっかしまー、あれだな。ようやく女らしくはなってきたけど、あいつはまだ小さいな」

『ちいさい?』

 即座に要領を得られなかったデイスが聞き返す。

『ふむ? 確かに、資料によると身長はそれほど高くはないようだが、その国の平均身長からすると――』

「いやいや、そうじゃなくてさ。なんつーか……」

 ロウは首を振りながら、両の掌で絶妙なカーブを描き出し、

「――うん、マフラーでよく見えなかったけど、やっぱあれは小さいな。俺としてはもーちょっとこう、」

 ゴン、と手加減のない拳の一撃がロウの後頭部に炸裂した。

「やらしい手付きをするな!」

 不意打ちの主は言うまでもなく、柳眉を逆立てた鹿角である。心なしか、頬が赤く染まっている。

「あいだだだ……なんだよ鹿角ぉ、なにも殴るこたねーじゃねぇかよぉ」

「いい加減にしろ、何度も言わせるな! 通信越しとはいえ、総裁の御前だぞ。そもそも、先程も言ったがお前は一体何がしたいんだ。わざわざあの女に見つかるような真似ばかりして。それで言及するのが胸の大きさだと? ふざけるのも大概にしろ」

 溜まりに溜まった不満を叩き付けてくる鹿角に、ロウは視線を逸らし、あらぬ方向を見つめる。

「いいじゃねぇか。それはそれ、これはこれってやつさ。あいつ――トモエのことだって、時がくれば否が応でも動くしかねぇんだし。今から接点を作っておいたって、別に構いやしないだろ?」

「だから、これは任務だと――」

「まーまー落ち着けって、鹿角くん。つーわけで、デイス、これで定期報告は終了だ。また進展があったら連絡するぜ」

 顔の見えない通信の向こう側で、どうやらデイスはくすりと笑ったようだった。

『わかった。よろしく頼むぞ、二人とも』

「オーケー、まかせとけって」

『鹿角、ロウの手綱を放すなよ』

「イエス、マム」

 横目でロウを睨みつつ、鹿角は低い声と共に首肯した。

 通信が切れ、デイスの不思議な気配がこの場から消失する。

 ロウは左手に手袋をはめ直すと、その掌に右拳を勢いよく叩き付けた。革同士のぶつかり合う、乾いた音が鳴り響く。

「おっし! そんじゃあ、お仕事といきますかぁ!」

 威勢よく宣言したその体が、突如として()()()

 直後、ドン、と重苦しい音が夜気を震わす。

 その時にはもう、そこにあったのが立体映像か何かだったように、忽然とロウの姿が消えていた。

「……やれやれ」

 呆れの呟きを漏らした鹿角の色違いの視線が、横に流れて夜空をなぞる。その先にあるのは、空中を高速で移動する小さな人影。バッタのごとくビルからビルへと飛び移り、夜の街へと消えていく。

「だから言った端から一人で動くんじゃない、単細胞め」

 諦めたように目を伏せた銀髪の美丈夫の姿が、うっすらと透き通っていく。

 しょう――と風が吹いた時には、もうそこには何も残っていない。

 男の姿は蝋燭の火のごとく消えてしまっている。

 冷たく静かな夜気の中、十六夜の放つ月光が、誰もいないビルの屋上を寂しく照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ