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満月の夜の殺人事件!犯人は「狼男」!?――オカルト嫌いな自分が実はオカルトそのものだった!?【UNKNOWN】アンノウン 狂月の女神  作者: 【共同制作】文章:国広仙戯/企画原案:不知火昴斗
●2 メン・イン・ブラック
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01

 高精細CCDカメラを手にした鑑識官が、実に無感動な動きで現場を撮影している。

 ただの風景写真でも撮っているかのような風体に、そういえば昔の自分も妙な違和感を覚えたものだな、と記憶野が刺激された。

「……大丈夫ですか、高城(たかぎ)警部補?」

 溜め息を吐くのを我慢しつつ、私はすぐ隣でうずくまっている人物に声をかけた。ゆっくり優しく、その背中をさすってやりながら。

 うええぇ、と嘔吐えずくのが彼の返事だった。何を言っているのかわからないが、大丈夫でないことだけは確かなようだ。

 高城利之、二十九歳。こう見えて私の仕事上のパートナーであり、キャリア出身の警部補である。

 高城は、げほっ、げほっ、と何度もむせてから、絞り出すような掠れ声で、

「す、すみません……僕のせいで、西尾さんまで……」

 私こと、西尾巴の顔を見上げて、彼はもう何度目かわからない謝罪を口にした。

 まぁ、何事にも向き不向きというものはあろう。

「だから、それはもういいですって。気にしないでください……とまでは言いませんけど」

 今にも倒れそうなほど血の気の引いた顔を見せられると、流石に責め立てる気にはなれない。悪気がないのもわかっている。それだけに困りものではあるのだが。

 なんとこの相棒、今日の現場を一目見るなり、止める間もなくマーライオンしちゃったのである。

 吐きそうなら走って逃げろ、それが無理なら呑み込め――それが現場の鉄則だというのに、彼はどちらも出来ず派手にぶちまけてしまったのだ。

 もちろん現場は台無し。おかげで連帯責任として私まで追い出され、こうして外で見張り番を仰せつかった次第である。

 やれやれ、と言う他ない。

 ただでさえ最近は夢見が悪く、睡眠不足が続いているというのに。踏んだり蹴ったりだ。

 まぁ現場検証が終われば、データは全てクラウドサーバーにアップロードされる。後でそれを確認すれば問題はなかろう。

「お待たせしました。もう大丈夫です……」

 ようやく一息ついた高城が、ゆっくりと立ち上がった。足元にあった小洒落た髪型が、流れるように私の目線の上へと昇っていく。

「水、どうぞ」

 私も追いかけて立ち上がりながら、片手にスタンバイさせておいたミネラルウォーターのペットボトルを手渡した。

「すみません、いただきます」

 受け取った高城はすぐにキャップを外し、ごくごくと喉を反らせて美味そうに水を飲んだ。

 高城は百六十五センチの私より十センチほど背が高い。驚くほどの高身長というわけではないが、手足がスラリとしてスタイルが良い。そのおかげで実際の身長よりも縦長に見える印象があった。身に纏ったネイビーストライプのスリーピースもまた、そのイメージアップに一役買っているかもしれない。

 いくらか水を飲んだ高城は、口元をハンカチで拭いつつ、

「……ご心配をおかけしました。ありがとうございます」

 まだ少し青白い顔で無理に笑ってみせた。やや翳ってはいるが、爽やかイケメンここにあり、という感じだ。見る人が見れば、キラキラと輝いているように見えるかもしれない。

 確かに客観的に見て、高城の顔は整っている方だと私も思う。実際、その美貌は署の婦警から人気が高く、相棒サイドキックである私に対する陰口が署内で横行しているほどだ。

 だが私からすると、彼の笑顔はわざとらしさが過ぎて、少々引く。

「それはよかったです」

 相槌としてそれだけ言って、私は再び現場へと視線を向けた。

 人気のない場所なのであまり意味はないが、現場には慣例としてブルーシートが張り巡らされている。野次馬の目から現場を隠すためだ。

「それにしても、一体何があったんでしょうね……」

 沈黙に耐えきれないのか、私の隣に並んだ高城が呟いた。その際、吐瀉物の残り香と、彼が身に振り付けた香水のそれとが混じって鼻に届く。胃液のすっぱいそれもさることながら、妙に甘ったるい匂いも私の好みに合わない。顰め面をしないよう、私は奥歯を食いしばった。

 今日の現場は、使用されなくなって久しい廃工場だ。かつては食品小売業者が使用していたそうだが、地域の再開発にともない放棄されてからかなり経っている。当然、人の出入りなどないはずの場所だ。

 被害者の姿は、それはもう凄惨たる有様だった。高城が胃の内容物を逆流させてしまったのも無理はない、と思えるほどに。

 彼のおかげで私も少ししか見ていないが――確かに、慣れている自分でも鼻白むほどのエグさだった。

 なにせ、腹部がほとんど残っていなかったのだ。中に入っていた内臓はもちろんのこと、それらを包んでいたはずの肉も。丸ごと綺麗に吹き飛ばされ、辺り一面に残骸が飛び散っていた。無論、上半身と下半身は泣き別れである。

 顔も鼻から上が潰れていたが、残った毛髪や顎髭あごひげから察するに、被害者は四十代から五十代の中年男性といったところか。乾いて固まった血と肉の赤黒さの中に、脂肪の黄色が多く見て取れた。しばらくの間、焼肉やモツ鍋には手を出さないでおこう、と密かに決意する。

「……何があったんでしょうね」

 無視するのもよくないと思い、私は高城の言葉をオウム返しにした。が、一応は本心でもある。

 異常なのは、遺体の状態だけではなかったのだ。

 現場の荒れ具合も尋常ではなかった。

 ひぐまが暴れてもこうはなるまい、と思うほどの破壊痕――木製の運用パレットはことごとく粉々に砕け、金属製の台車は美術館のオブジェのように歪み、コンクリートの床は罅だらけで、壁はフレームだけを残して全損状態。

 いくら打ち捨てられた廃墟だったとはいえ、何をどうすればここまで壊すことができると言うのか。

 そも、ただ人を殺すだけならあれほどの破壊を行う必要はない。逆に言えば、あれだけの破壊を撒き散らしておきながら、被害者が一人だけというのも何だか妙な話である。

「ねぇ、西尾さん。僕ちょっと思ったんですけどね」

 吐き気もすっかり収まったのか、やや顔色の良くなった高城が、縁なし眼鏡を右手の中指で押し上げながら話しかけてきた。

「あの人、実はテロリストなんじゃないですかね?」

 あの人、というのは被害者のことだろう。

「それはまた……どうしてそう思うんです?」

 ないとは思うが、ひとまず根拠を聞いてみた。

「ほら、だって、ここなら人気もありませんし。こっそり爆弾とか作れそうじゃないですか。それで、手元を誤って自爆してしまったとか……どうです?」

 あまりと言えばあんまりな推理に、私は言葉を失ってしまった。雑というか、ざるにも程がある。

 私は重い溜め息を我慢しながら、どうにか常識的な返答をした。

「……そんな簡単な話では、ないと思いますが」

 確かに、私も最初はその可能性を考えた。しかし、そうでないことは現場を見れば一目瞭然だった。

 高城の言う通り死因が爆死だというなら、それなりの痕跡――つまり火薬や薬品などの反応が残るはずなのだ。だが私の見た限り、それらの形跡は認められなかった。

 そも、現場の壊れ方、遺体の損傷から見て、画一的な爆発とは到底思えない。

 強いて言うなら、あれは人ならざる怪力で殴り殺されたかのような――

「そういえば、昨晩は満月でしたよね?」

 私は高城の顔を見上げ、逆に問い返した。

 すると高城は、四角いレンズの向こうにある細い目をパチクリとさせる。しまった、少し唐突すぎたか。

「狼男……ですか?」

 私の問いから正しく意図を汲み取った高城は、その名称を口にする。そんな彼を、だが申し訳ないことに私は条件反射的に睨んでしまった。

「あ、いえ、申し訳ありません。西尾さんはこの呼び方が嫌いでしたよね?」

 高城が慌てて両手を振り、今のはなかったことに、と身振りする。その反応から、私も自身の眉間に皺が寄っていたことに気付き、

「……こちらこそ、すみません。そんなつもりはなかったんですけど」

 仮にも上司を相手にガンを飛ばすなど無礼極まる。心からと言うわけにはいかなかったが、私も謝罪した。

 狼男――それは無駄にインパクトをつけて事件を報道したがるマスコミが捏造ねつぞうした、架空の犯人像だ。

 ここ半年ほど、この界隈で損壊そんかいいちじるしい遺体が見つかるという事件が、何件か発生している。

 どれも今回の事件と同様、被害者が常識では考えられない形で惨殺されているのが特徴だ。

 しかしながら派手な殺し方とは裏腹に、犯人は一切の手掛かりを現場に残していない。そのため、捜査は暗礁に乗り上げていた。

「でも、言われてみれば確かに。昨晩は満月でしたね。やはり関係しているのでしょうか?」

 思い出したように、高城が私の問いに答えた。

 そう、捜査は行き詰まっているが、複数の事件に共通する()()()()()だけ、判明している。

 それは――事件の発生日が必ず()()()()だということだ。

 実際、満月の夜に事件や事故の発生率が高まるというのは、統計で実証されている。しかし同時に、科学的な原因がわかっていないのもまた事実だ。

 だというのに、事件の発生するのが満月の夜だとわかった途端、マスコミは殺人鬼を『狼男』と呼称し始めた。

 もちろんのこと、警察は狼男などという非現実的な存在を認めていない。大体、犯人の性別すらまだ割り出せていないのだ。男かどうかもわからないし、女だったらどうしてくれる気なのか。

「高城、西尾」

 またぞろ眉間に皺を寄せていると、私達二人に野太い声がかけられた。

 振り返ると、現場を囲むブルーシートの隙間から、我らの上司が顔を覗かせている。

 さかきじゅん警部。無精髭のせいで一見冴えない風貌をしているが、ああ見えて捜査主任を勤めているベテランだ。

「いいぞ、こっちに来い」

 榊が手招きする。現場検証が終わったのだろう。

 私は歩き出す前に、高城に念を押しておく。

「いいですか、高城さん。今度こそ出そうになったら逃げるか、絶対に、何があっても我慢してくださいね?」

「はい、大丈夫ですとも。もう出るものなんて残ってませんから」

 あはは、と軽く笑って請け負う高城に、私はそっと溜め息を吐いた。

 先に歩き出すと私の後ろに、高城が犬みたいにくっついてくる。

 これではどちらが上司で、どちらが部下なのかわかったものではなかった。


 †


 鑑識と検視の仕事は終わっているので、私は遠慮なく床にこびりついた血痕を踏みながら、遺体に近寄った。

 うへ、という言葉が喉元までせり上がってきたので、慌てて呑み込む。

 やはり改めて見ても、これはひどい。

 おそらくは、たったの一撃。

 それだけで被害者は腹部を丸ごと吹き飛ばされ、絶命している。

 上半身は工場の壁際に、下半身は少し離れた場所に倒れていて、すっかり乾いて黒くなった血の跡が双方を繋げていた。

 損傷はそれだけではない。先程も言ったように、頭部の鼻から上が潰れている。そう、まるで――大きな足に踏み潰されたかのごとく。殺される前か、死後にやられたのかは不明だ。手足の一部にも同様の跡がある。

 頭があったであろう部分には、踏みにじられたカツラのような毛髪が残っている。赤黒い血で凝り固まっているが、白髪混じりなのが見て取れる。そのゴマ塩っ振りがどこか、すぐそこに立つ榊と似ていた。我らが上司は御年四十六なので、この被害者も同じような年頃であるのは間違いないだろう。

「うわぁ……ひどいなぁ……おっかないなぁ……」

 私の後ろに隠れるようにして遺体の様子を覗き込んでいた高城が、警察官とは思えないことを口にした。

 とはいえ、一般的な反応としてはおかしくもない。被害者の状態は、ただただ悲惨としか言い様がなかった。

「ああ、可哀想に……本当に、一体何があったんでしょうねぇ」

 高城は外でも言っていたことを、ここでも繰り返した。目をやると、『大丈夫』と豪語していたにも関わらず、すっかり蒼い顔をしている。

「高城警部補、あまり無理はしないでくださいね」

 共通の上司である榊の手前、露骨にあっち行けとは言えず、私は婉曲的にこの場を離れることを提案した。

「はい……ありがとうございます……」

 高城は素直に頷くと、青ざめた顔で口元にハンカチを当て、顔を背けた。

 私は改めて、遺体と周辺の破壊痕へと目を向ける。

 もしこれが例の犯人の仕業なら、被害者の状態はこれまでとほとんど同じだ。人間とは思えないほどの怪力で、一撃のもと即死させられている。

 だが、

「この周囲の状態は、今までとえらく違いますよね、榊警部」

「お前も気付いたか、西尾。こりゃあ、あれだな。犯人が暴れ回ったと言うよりは――」

 榊が口を止めて、砕けた運送用パレットや台車を見やる。さらには罅の入ったコンクリートの床、壁の大穴など――これらは、今までの現場にはなかったものだ。

 さらに、途中で被害者から流れ出た血を踏んでしまったのだろう。あちこちに血痕による足跡が残されていた。二種類あるように見えるが、どちらもサイズが尋常でなく大きい。しかも片方はわかりやすい形状で、ビブラムソールだというのがはっきりとわかる。

「――何者かと争った形跡、ですよね?」

 私が語を継いで続けると、そうだ、と言わんばかりに榊は大きく頷いた。

「ガイシャは即死だ。やっこさんを殺すだけなら、こうまで暴れる必要はない。実際、()()()()はそうだったからな」

 その口振りから、やはり榊も、この事件が例の連続殺人と関係があると睨んでいるようだった。

「ということは、被害者の他にもう一人、ないしは複数の人間がいたと?」

「だな。しかもこの様子から察すると、どうやらホシと同じ凶器か、同じ()()を持った相手だってのは間違いない」

 とはいえ、ここで相争った連中は、本当に人間なのだろうか。

 状況から察するに、体格はともかく膂力りょりょくがまともではない。

 私を含めて警察官は総じて、逮捕術を始めとした各種格闘技を習得している。刑事になってからはすっかりご無沙汰だが、私もこう見えて空手に熱を入れていた時期があるのだ。

 そんな私が、そこかしこに刻まれた痕跡を見るに、やはりどう考えても一つの推論しか出てこない。

 ――それは、あまりに馬鹿げた話だ。本当に馬鹿げているが――しかし、

「……それにしても何者なにもんだ? ステゴロでこんな真似が出来る奴なんざ、聞いたことねぇぞ」

 榊が溜め息交じりに首を傾げる。

 やはり、ベテランである彼まで私と同じ推測に達していた。

「……やっぱり、素手でやったんですよね、これ?」

 できれば否定して欲しいと思いつつ、私は問いを口にした。

 榊は、ああ、と頷き、

「状況を見ただけなら、そうとしか取れねぇな。けど実際問題、そんな化け物がいるとは思えねぇ。何かしらカラクリがあるはずだが」

 カラクリ――まず思い付いたのは、パワードスーツだった。障害者や高齢者の介護に役立てるため、昨今さっこん開発が活発になっている。あれを応用すれば、人間の限界を超えた力を発揮することも可能かもしれない。

 あるいは、ロボットやアンドロイド。海外ではそういった兵器の開発や実戦配備がかなり進んでいると聞く。その類の殺戮機械がこの国に上陸しているとしたら――

「ねぇ、西尾さん。もしかしたら、本当に狼男の仕業なんじゃ」

「それはもういいですから、警部補」

「……はい」

 考え込んでいるところに高城が余計な茶々を入れてくるものだから、反射的に厳しい声で遮断してしまった。

 狼男だの吸血鬼だの、私はその手のオカルトをあまり好かない。嫌いとまでは言わないが、現実的ではないし、捜査においてはノイズとなる。

「ま、とにかくいつも通りだ。お前らも鑑識から回ってくるデータをよく見ておけよ。あいつら仕事が速いからな。もうそろそろアップロードされてるはずだ」

 そう言い置くと、榊は無残な遺体に両手を合わせ、しばし目を伏せた。

「もう少しでホトケの回収組がくる。言うまでもないが……もう荒らすなよ?」

 そう言い残して、榊はこの場を立ち去っていった。捜査主任である彼には、まだまだやるべきことが残っているのだ。

「わかりました」

 素直に頷いた私とは真逆に、榊から『もう荒らすなよ』と釘を刺された張本人であるはずの高城は、途端に不機嫌な声音で文句を垂れ始めた。

「ああ……まーたあのカビの生えた端末を使用しなければいけないんですか……まったく、うちの署もいい加減、備品のリプレイスをしてくれないものですかね? 捜査は足で、なんて言っている時代ではないと思うんです。やはりツールは重要だとは思いませんか。ほら、最近発表されたスキンコンピュータなんてすごかったじゃありませんか。操作も直感的で簡単かつ便利で、業務の効率も桁違いに上がると思うんですよね。西尾さんもそう思いません?」

 またこれだ、と私は溜め息をぐっと呑み込む。高城は見た目に依らず――ある意味では見た目通り?――新しいガジェット好きで、何かと支給される備品に対して文句をつけることが多い。実際、彼が手首につけているアームバンドや、耳に装着したハンズフリーイヤホンマイクなどのウェアラブル端末は、海外の最新型だ。割高だろうに個人で輸入したらしい。かなりのこだわりを持っているのだ。

 この程度の愚痴ならもはや聞き飽きている私は、わざとらしく肩を竦め、

「そんなものの操作を覚えるぐらいなら、私はその時間を使って事件の捜査がしたいですけどね」

「おや、西尾さん。いま〝操作〟と〝捜査〟をかけましたね? わかりましたよ」

 相手が上司でなければ、「ぷぷっ」と笑った高城の鳩尾に膝蹴りをぶち込んでいたところだ。思い止まった己の自制心の強さを、自分で褒めてあげたい。

 くだらない会話を続ける愚を犯さず、私は懐から携帯端末を取り出した。先程、高城が『カビが生えた』と称した古臭いツールである。

 指紋認証でスリープを解除し、ホーム画面をタップして専用アプリを立ち上げる。榊の言った通り、早くもクラウドデータベースが更新されていた。

 既に今回の事件の鑑識、および検死の情報がアップロードされている。もちろん、時間のかかるものは後回しになるので、とりあえずわかっていることだけ、というレベルだが。

 検死については見立て通りだった。被害者の死因は腹部を一撃で破壊されたことによる即死で間違いないと。まぁ、この惨状を見ればそれ以外の見解はそうそう出てこないだろうが。

 鑑識結果もほぼ予想通りだったが、一部には流石の考察が書かれていた。

 曰く――現場に残る痕跡から、大柄な人物が二名ないし三名が争ったものと推察される。犯行に使用されたと想定される凶器は、大きめのハンマー、もしくは石や砂、それらに類するものを詰め込んだ袋状のもの――

「なるほど……」

 と舌を巻く。石や砂を詰めた袋とは考えつかなかった。確かにそんなものを振り回せば、こんな形の破壊痕が残せるかもしれない。

 打ちっぱなしのコンクリートの床にいくつも走った罅は、どれも蜘蛛の巣のように放射線状に広がっている。もし硬くて尖ったものを突き込んだのであれば、多少なりとも破片が浮くはずだ。しかし、ただ罅が大きく広がっているところを見ると、衝撃が広がりやすい形で力が加えられたのだとわかる。

 格闘技で例えるなら、一本拳や拳骨ではなく、掌打。柔らかいが強い打ち込みによって、衝撃を広く、そして奥深くまで浸透させる打撃だとこんな跡が出来る。

 つまり、柔らかいながらも重くて強い()()――それが今回の凶器だと思われると。

 また、明記はされていないが、火薬や薬品類の反応について書かれていないあたり、やはりその線は薄いのだろう。

「これが犯人の足跡……?」

 次に、現場に残された――私の足元近くにもある――大きな足跡の写真もアップロードされていた。この場で自分の足と見比べてみると、サイズが馬鹿みたいにでかいのがわかる。まるでくまかゴリラの足跡だ。

 血溜まりを踏んだことによる判子のごとき足跡は、ソールの形状からアーミーブーツによく使われるパターンだということが判明している。

 だが、これほどわかりやすい手掛かりが残されているのは、今回が初めてだ。これまで犯人は、その正体に繋がる痕跡を一切残してこなかったのだから。

 やはり、今回の事件に限っては、犯人にとっての〝イレギュラー〟が発生したと考えてよいのではなかろうか。

「――死亡推定時刻は昨晩、二十三時から本日未明とされる……ですか。なるほどなるほど」

 いきなり左耳のすぐ後ろから声がかかって、危うく変な悲鳴が出そうになった。いつの間にやら背後に回った高城が、身長差から生まれる高みを利用して、私の端末を覗き込んでいたのだ。

「なんですか、高城警部補。自分のがあるでしょう?」

「いやぁ、あんまり触りたくないんですよねぇ、あのカビ臭い端末」

 私のささやかな抗議に、あっはは、と笑って誤魔化す高城。どうにもやる気の見られない態度である。

 さもありなん。この銀行窓口にでも座っている方が余程お似合いな警部補は、今でこそ私の相棒サイドキックだが、元々は共助課の所属だったのだ。

 半年ほど前――私も詳しくは知らないが――警察内部の派閥争いの余波を受け、高城は客分にも似た例外的な形で一課に転属させられてきた。

 故に、彼にやる気を期待するのは、犬がニャーと鳴くのを待つほどには無駄である。

「……もしかしなくても、忘れてきたんですね?」

「いやぁ、あはははは」

 私がじとりとした目線を向けると、高城は明言しないまま笑ってはぐらかす。大抵の女ならその美貌によって誤魔化されるのだろうが、そうはいかない。

「まったく……前にも言ったじゃないですか。緊急連絡が入ることもあるんですから、ちゃんと携帯しておいてくださいねって」

 高城はキャリア出身だが、警察なんぞより俳優にでもなっていた方が有意義だったのでは、と思えるほどのルックスをしている。そして飾らない人当たりの良さもあって、女子職員からの人気も高い。正直、そっち方面には溢れんばかりの才能があるのだから、それを活かせばいいものを、と私は思う。

「すみません、次からは気を付けますので」

「それ、前にも聞きました」

 まぁ、高城も高城で、何も好きこのんでうちに来たわけでもなかろうて。彼もまた警察内部の権力闘争の被害者なのだから。

 ただ私にとって不幸なのは、何の因果か彼の子守役を押し付けられ、その結果として署内の女性陣から総スカンを喰らう羽目になってしまったことだ。別に大して気にはしていないが。

「おい、西尾、高城」

「はい?」

 いつの間にやら榊が戻ってきていた。携帯電話を耳に当てたままなので、まだ本部と連絡中なのだろう。片手でマイクのあたりを押さえ、

「どうもマスコミがやって来たらしい。今から遺体の搬出がある、お前らはまた外で見張りをやってくれ」

「はい、かしこまりました」

 私が答えるより早く、何故か高城が恭しく、しかし形のなっていない敬礼で応えた。

 榊は無言で頷くと、背を向けて電話の会話へと戻る。

「さ、行きましょうか、西尾さん」

 高城は屈託のない笑顔で私に言った。先程の不機嫌そうな態度が、まるで嘘だったかのようだ。

 私はすっかり毒気を抜かれてしまう。

「……時々、高城警部補が羨ましく思える瞬間があります」

「おや? それはまた、どうしてですか?」

 小首を傾げる高城の横を通り抜け様、私は笑って告げる。

「悩みなんて一つもなさそうだからですよ」

 はははは、そんなひどいなぁ――なんて、どうせまたいつものように彼も笑って返すだろう、と思っていたのだが。

「……?」

 反応がない。

 思わず足を止めて振り返ると、高城は呆気にとられたような顔で私を見つめていた。

 しまった、流石に失礼すぎたか――と思い直した時、高城が満面の笑みを浮かべる。

「――いやぁ、ひどいなぁ西尾さん。それでは僕が脳天気な人間みたいじゃないですか」

 はははは、と予想より遅いタイミングで、しかし予想通り朗らかに笑った高城は、気を取り直すように片手で眼鏡の位置を修正した。

「……すみません、冗談です」

 妙に冗談事ではない空気に思えたので、私は謝罪の言葉を口にした。冗談が笑えないのは、笑えない冗談を言う奴が悪い――誰よりも私自身が常日頃そう思っていたから。

「いえいえ、大丈夫ですよ。気にしないでください」

「……では行きましょうか、警部補」

 私が先に立って歩みを再開すると、高城はいつもの調子で頷き、後ろについてくる。

「――――」

「……? 何か言いましたか?」

 ふと、背後で何事か呟くような声が聞こえた気がして、私は歩きながら尋ねた。

「え? 何か聞こえましたか?」

「……いえ、気のせいだったみたいです」

 どうやら幻聴だったらしい。高城の声音は心底不思議そうだった。

 曰く言い難いが、毎度のことながらコミュニケーションの歯車が微妙に噛み合っていない気がする。まぁ、いつものことと言えば、いつものことなのだが。

 やはり彼とは馬が合わない。

 今日も長い一日になりそうだった。

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