02
ここいら一帯は再開発地区なので行き交う人間などいないはずだが、野次馬というものはどこにでも湧いて出てくるものらしい。
通報を受けた警察が走らせるパトカーのサイレンや、特殊な嗅覚で事件を嗅ぎ分けるマスコミの動き、それらが相乗効果を発揮して『ここで何かがあったようだ』とでも思わせるのだろう。
私は現場お馴染みの『立ち入り禁止』テープと警告を空中表示する立体表示を貼り巡らせた前に立ち、ゾロゾロと集まってくる野次馬に睨みを利かしていた。
こんなことはよくあることで、制服と防護服を着用した警官の間に交じって突っ立っているだけでいいのだが、しかしあまり気は抜けない。
犯人は現場に戻る――陳腐な言い回しだが、実際によくあることだ。むしろ、よくあることだからこそ陳腐となるのだ。
もっとも、連続殺人犯がそんな初心者のような真似をしてくれるのなら、事件はとっくの昔に解決しているだろうが。
「そういえば知っていますか、西尾さん?」
隣に立って一緒に見張り番をしている高城が、無聊に耐えきれなくなったように話しかけてきた。
「何をですか」
私は聞き返しながら、通信端末を片手に現場を覗き込もうとする野次馬、カメラを回して撮影をしているマスコミ、それら一人一人の顔をじっくりと観察する。そうしていると、私は少しばかりの空腹感を覚えた。
早いもので、時刻はもう昼前だ。無残な遺体を見たが故に食欲は薄いが、それでも腹は減るものである。
この周辺にいい店があるのなら覗いてみたいところだが、生憎とそんな時間はあるまい。
「今回の第一発見者は、この工場の元オーナーさんらしいですよ」
コソコソと私にしか聞こえない声で、高城は話を続ける。相棒として行動を共にする機会が多い彼はすぐ小洒落た店に入りたがるが、私としてはもう少しガッツリしたものを食べたいというのが正直なところだ。
あ、いやしかし、今日は肉系は止めておこうと思ったばかりなのだが――
私は振り向かず、見張りに徹しながら、
「知っています。再開発計画に応じて工場を売却した人ですよね?」
そのあたりの話は今朝方、榊から連絡を受けたついでに聞いていた。
「ええ、そうです。その元オーナーさんが今日の早朝、最後に残っていた荷物を持ち帰るために寄ったところ、倉庫の遺体を発見されたのだとか」
「らしいですね。先に言っておきますが、警部補。そのオーナーが犯人だなんて説はなしですよ」
「おや、それはまたどうして?」
私が先回りして高城の推理を否定すると、高城は心の底から不思議そうに聞き返した。私は溜め息を我慢しつつ、
「見ればわかりますよ。警部補よりも細くて、どう見ても五十代の男性だったじゃないですか。あの体格でどうやって倉庫をメチャクチャにして、人間を即死させられるっていうんです?」
無論のこと第一発見者である彼は容疑者の一人ではあるのだが、ともすれば『もやし』と称していい体付きであった。私にはとても犯人だとは思えない。
「なるほど、確かに」
一目瞭然すぎて誰も言わないであろうことを言っただけなのに、高城はもっともらしく頷いた。
「じゃあ西尾さん、これはご存じですか? その元オーナーさん、実は倉庫に置いてあった荷物のことはすっかり忘れてしまっていたそうです。なのに今日になって急にそれを思い出したのは、明け方に匿名の連絡を受けたから、だったそうですよ」
「……匿名の、連絡?」
初耳だ。思わず視線だけを高城に向けて、どういうことかと目で問い質す。
「ええ、急に非通知の電話がきたそうで。まぁそれ自体は元オーナーさんにとっては『よくあること』だそうで。ですのでいつものように電話に出ると、合成音声で『この工場でよくないことが起こった、確認した方がいい』と忠告されたとか」
「合成音声。忠告」
おかしな展開に、思わずキーワードをオウム返しにしてしまう。
「というわけで、元オーナーさんは工場の倉庫へやって来て、できたてホヤホヤの被害者を発見してしまったそうで」
「警部補、言い方」
「おっと失礼しました。いけませんね、つい興が乗ってしまって」
高城はわざとらしく片手で口元を押さえて誤魔化した。その動作をつい目で追ってしまってから、もうすっかり良くなった彼の顔色に気付く。見ただけで嘔吐した遺体に対して『できたてホヤホヤ』などと言えるあたり、精神的にも立ち直ったのだろう。
「それにしても一体誰なんでしょうねぇ? 元オーナーさんにそんな親切な連絡を入れてあげるだなんて。それも、最初からこの工場に死体が転がっているのを知っていたかのように……」
「それ、絶対に犯人からに決まっているじゃないですか。他に誰が……」
いや、まて。今まで犯人はそんなことなどしてこなかった。どうして急に?
というか、犯人なら何故わざわざ被害者を見つけるように仕向けたのだ? 普通は逆ではないか。隠そうとするならともかく、元オーナーへの連絡は、むしろ『見つけてくれ』と言わんばかりの行為だ。
では、その匿名の電話は犯人の仕業ではない? 犯人ではない誰かが、しかし現場に遺体があることを知っていて、見つけてもらうために元オーナーに連絡をいれた?
「というか警部補、そのこと榊警部には――」
高速で思考を回転させながら、同時進行で野次馬連中に目を光らせていた私は、唐突に呼吸が止まるほど驚愕した。
とんでもないものを見つけたのだ。
「――なに、アレ……」
我知らず呟きが漏れる。
職務中だと言うのに声に出してしまうほど、集まってきた人々の中にとんでもなく異質な奴がいたのだ。
しかも、二人も。
どちらもかなり背が高い。文字通り、集団の中で頭一つか二つ、あるいはそれ以上抜けている。
特に色で言えば、日本人離れした薄茶色の髪をした大男。目算だが、どう見ても二メートル近くある。隣の銀髪の男も、大男よりは小さいが、それでも百八十センチは下らないはずだ。
馬鹿な。
あの二人は野次馬連中の中でも凄まじい異彩を放っている。しかも記憶が確かならば、先程からずっとそこにいた気もするのだ。
だというのに今の今まで気付かなかったというのは、一体全体どういうことだ?
さらに言えば、あんなにも図体のデカい、風体も怪しい、ずば抜けて目立つ外国人がいるというのに、誰も気にしていない。他の野次馬やマスコミも、それどころか私以外の警察関係者も。
「な……」
有り得ない状況、ひどい違和感に頭がくらりときた。あれは私にしか見えない幻覚か? いや、そんなはずはない。いくら睡眠不足といえど、あんな映画俳優のような、派手な格好をした幻など見るはずがない。
「どうしたんですか、西尾さん?」
私の様子がおかしいことに気付いた高城が、尋ねる。しかし私は愕然とするあまり、すぐに返事ができなかった。
大柄な男は、角張った巨躯を黒のロングコートに収めている。顔にはやたらと大きなサングラス。サイクロプス型といって、グラスが左右に分かれていない一体型のものだ。この国ではあまり見ないタイプで、それだけでもう途轍もなく怪しい。
隣の銀髪も同じく黒いコートに身を包んでおり、醸し出す雰囲気が並ではない。髪の色といい、肌の色といい、明らかに外国人。大男と同デザインでありつつも、やや細身のサングラスが憎いほど似合っている。
むしろいかにも過ぎて、ロシアンマフィアという名称が脳裏を過ったほどだ。
こいつらだ――と思ったのはほぼ直感で、具体的な根拠などこれっぽっちもありはしなかった。
榊との話にもあったし、鑑識のデータにも書いてあった。
被害者でもなく、加害者でもない――〝第三の存在〟。
大柄で、熊かと思うほどの怪力で、ゴツいソールのブーツを履いていそうな奴。
間違いない――そう確信して動き出そうとした瞬間だった。
私の視線に、大男が気付いた。
数瞬、互いの視線が絡み合う。
漆黒のサングラス越しだったが、目が合っていることだけは不思議とわかった。時間が引き延ばされたような感覚。体感的には数秒、実際には一秒にも満たない時間、私と大男は見つめ合い――
サングラスに隠されていない口元が、不意に唇の端をつり上げ、歯を見せて笑った。
やたらと目立つ犬歯が、目に焼き付いた。
ぽん、と大男の手が隣の銀髪の肩を軽く叩いた。
次の瞬間、男二人が踵を返して走り出す。
「――待てッ!」
半ば本能的に私は動いていた。無意味と知りつつ声を上げ、それにより硬直した群衆の隙間に飛び込み、黒コートの背中を追う。
「えっ――あっ!? に、西尾さんっ!?」
高城の驚いた声が背中にかかるが、そんなものは瞬く間に遠ざかっていく。
信じられない。逃げる二人は私より大きな図体をしているくせに、燕のようなすばしっこさで人垣をすり抜け、ますます離れていくではないか。
「すみません! 警察です! どいてください!」
私は邪魔な野次馬やマスコミに大声をぶつけ、空いた隙間に身を滑り込ませながら、猛追する。
人いきれを抜けると、怪しい男二人はちょうど狭い路地裏へ入っていくところだった。
この辺りなら別件の捜査で歩き回ったことがある。周辺の地図は今もしっかり頭に残っている。逃がすものか。
私も路地裏へ飛び込むと、意外なことに後ろから高城が追い付いてきた。
業腹だが彼は私より足が長い。瞬発力はともかく、走る速度だけなら彼の方が上かもしれない。
「――ど、どうしたんですか西尾さん!?」
「は――?」
どうしたも何も、あんな怪しい連中が逃げ出したのに追わない理由があるものか。何を言っているのだ――と思いかけたが、まさか本当に気付いていないのか。そういえば私もあの二人組の存在にすぐには気付けなかった。あんなに目立っていたというのに。
だがまさか、ああまで露骨に逃げ出した奴らに気付かないとは、いくらなんでも高城の目は節穴すぎやしないだろうか。いや、今はそんなことどうでもいい。それよりも、
「――不審人物が二人! とりあえず確保で!」
この時ばかりは上下関係など二の次だ。私は上司である高城に指示を飛ばし、前を走る二人組の背中をしっかり照準した。
この先はT字路だ。どちらに進むかで躊躇すれば、それだけ距離が縮まる。しかも、どっちに行っても最終的には合流するため、迷うだけ無駄なのだ。
しかし、突き当たりのT字路にさしかかった彼らは、一瞬の停滞もなく二手に分かれた。まるで事前に申し合わせていたかのごとく。
大男が右へ。銀髪マフィアが左へ。
「警部補は左へ! 私は右を!」
叩き付けるように怒鳴ってから、私は言葉通り右折した。すると、さらに先の曲がり角の向こうに大男のコートの裾が消えていくのが見えた。さも、私に見せつけるかのごとく。
だが、私は焦らない。勝算ならある。先述の通り、路地は二つの直角曲がり角を経て再び一つになる。その先は本来なら大きな通りに繋がっているのだが、現在はどこかの業者が放置した建築資材が崩れ、道を塞いでいるのだ。
奴らはそこで足を止めざるを得ない。つまり、袋の鼠なのだ。
袋小路に入ったのも、高城が追いかけてきてくれたのも、逃走している彼らにとっては不運だが、私にとっては幸運だった。勝利を確信した私は全速力で路地を駆け抜け、曲がり角を二つ越えた。
見ると、ちょうど向こうの曲がり角から高城の姿が。
「に、西尾さん……はっ……はぁっ……!」
流石にあれだけ嘔吐した後の全力疾走はきつかったのか、息も絶え絶えの高城が足を止める。ちょうど右に入る路地を挟んだ向こう側で、力尽きたように膝に両手を置いて中腰になった。
彼がここにいるということは、大男も銀髪も、既にこの路地の中ということだ。地図には載っていない即席バリケードの前で立ち往生しているに違いない。
「警部補はそこで道を塞いでいてください」
私はそう言い置いて、懐に右手を滑り込ませながら壁に背をつける。すぅ、と深く息を吸って腹を決めてから、素早く路地に飛び込んだ。すると、
「まいったね、こりゃ」
私が現れるのを待っていたのか。乱雑に崩れて道を塞ぐ建材を背景に、大男がこちらに振り返って肩を竦めていた。どこか道化じみた、大仰な仕草で。
口元には不敵な笑み。唇の端から、まるで牙のような犬歯が二つ、先端を覗かせている。
「――っ!」
私は衝動的に懐から拳銃を抜き、銃口を大男に向けた。
人気のない再開発地区とはいえ、こんな狭い路地で銃を抜くのは少々躊躇われたが、彼我の体格差を考慮すれば取っ組み合いに持ち込まれるわけにはいかない。あちらが武器を所持している可能性だってある。出来る限り、迅速かつ確実に彼の身柄を確保したかったのだ。
――いや、待て。銀髪の男はどこへ行った?
「何のつもりかは知らないけど、鬼ごっこはここまでよ。署までご同行願えるかしら」
いるはずの人間がいない。そんな不可解に内心で首を傾げながらも、私は努めて平静な口調で通告した。それを、大男は楽しげに混ぜっ返す。
「デートのお誘いかい? それにしちゃ色気も何もないデートコースだが」
流暢な日本語。明るい髪は染めたのか、それとも、
「両手を上げて後ろを向きなさい。あなたを睨んでいる銃口は玩具じゃないのよ」
「ああ、いい銃だ。だが、俺のマグナムと勝負になるかな?」
改めて観察するに、大男の格好は私の直感を裏付けるものだった。
顔の上部のほとんどを隠す大きなサングラス、全身を包む漆黒のコートは先程も見た通り。問題は足元だ。
ボトムスは黒く太いミリタリーパンツ。その裾を絞って、やはり黒のアーミーブーツの中へと突っ込んでいる。
ゴツいゴム底のブーツ。そのソールがもし、現場に残っていた足跡と一致するなら――
「ふざけないで。それとも地面との熱いベーゼがお好み?」
大男の軽口に睨みを利かせながら、それとなく視界の端で銀髪の男を捜す。一体どこへ行ったのか。建材の陰に潜んでいるのか、それとも、
「悪いけど、どっちもお断りだな。俺は寝る時はスプリングの効いたベッドで、美女の胸を枕にと決めてるんだ」
そんな馬鹿げたことを嘯いた瞬間だった。大男は出し抜けに腰を深く落とし、身を低くした。
――突っ込んでくる気……!?
双手刈りのようなタックルを予想し、私はいったん銃口を引いて回避体勢に入った。
しかし。
「――なっ!?」
タックルなどではなかった。男はそのまま、垂直に飛び上がったのだ。
およそ人間とは思えない跳躍力だった。とんでもない速度で男の姿が視界上方へ消え、私は慌てて顔を上げる。
明らかに身長の三倍以上の高さまで跳ね飛んだ大男は、ちょうどそこにあった建物の窓枠に片手を引っ掛け、自らの体を引き寄せた。まるで宙を泳ぐかのごとく滑らかな動きで。
魔法のようだった。軽くやっているように見えるが、とんでもない筋力が必要な芸当である。
男はさらに壁面を蹴りつけ、逆方向へ跳躍。
三角跳びの要領で、狭い路地の両側の壁を蹴りつけながら、上に昇っていく。
あまりにも馬鹿げた光景に、私は黙って見ていることしか出来なかった。
瞬く間に右側の建物――建材を置いていた会社が入っている雑居ビル――の屋上へと達した大男は、その遙かな高みからこちらを見下ろしてきた。
サングラスをかけた顔が、ニカッ、と音が聞こえてきそうな勢いで笑みを浮かべ、牙みたいな犬歯をこれでもかと見せつけた。しかも、馴れ馴れしく片手まで振る始末だ。
そんな男の隣に、もう一つ人影が現れる。
銀髪の男だ。どうやら大男より先に、あちらへ移動していたらしい。
やられた、と思った。詰まる所、私は完全にからかわれたのだ。二人とも、その気になれば私の追跡など完全に撒いた上で、いつでも建物の屋上に身を隠すことが出来たのだ。
なのに大男の方はわざとここで待っていた。それも、これみよがしに追い詰められたような演技までして。
悔しさが私の精神を支配するより早く、男達の姿が屋上の縁の向こうへと消えた。
それでも私は彼らがいた場所を睨み付けたまま、身動ぎ一つ出来なかった。
「今のは……」
背後からの声に振り向くと、高城がいかにも『信じられないものを見た』と言わんばかりの顔で、上空を見つめていた。
彼も目撃したのだろう、あの人間離れした動きを。
私は彼の疑問に答えられず、屈辱と驚愕、そしてひとさじの恐怖の入り交じった感情を持て余したまま、手にしていた拳銃を懐にしまう。
そこで、ようやく気付いた。
掌が、まるで水に浸したみたいに、びっしょりと汗をかいていた。
†
すっかり静まり返ってしまった路地裏に、いきなり携帯端末の電子音が鳴り響いた。
「――ッ!?」
自分の端末が鳴っただけなのに、私は虚を突かれて息を呑んでしまった。
一拍遅れて、取るに足らないことだと気付き、肩から力を抜く。落ち着け、と早鐘を打つ心臓に言い聞かせながら、私は懐から端末を取り出して通話モードにした。
「はい、西尾です」
『おう、今どこだ?』
榊だった。そういえば、私達は何も言わぬまま見張り番を抜けてきてしまったのだ。
私はまず独断で現場を離れたことを謝罪し、それから手短に事情を説明した。
『――そうか……逃げられちまったか』
「すみません」
『いや、収穫がねぇより断然いい。おかげでビル登りなんて真似のできる人間――いや、超人がいるってわかったんだからな』
ビル登り。この目で確かに見たはずだが、未だに信じられない。
あんなデカい図体をしていながら、重力というものをまるで感じさせない動きだった。
「……本当に、人間……?」
『あ? どうした?』
我知らずこぼれてしまった呟きは、幸い榊の耳には入らなかったらしい。
「いえ、何でもありません」
私は咄嗟に誤魔化した。我ながら馬鹿なことを言ってしまった、という自覚があった。
『そうか。――ああ、そういえばこっちにも進展があった。ガイシャの身元がわかったぞ』
「もう?」
なんと、随分と早い。手前味噌ながら、我らの鑑識チームは実に優秀だ。本当にありがたい。
『ああ、データはもう更新されてる。お前らはガイシャのヤサへ行ってくれ。俺はまだこっちの片付けが残ってる。よろしく頼んだ』
「わかりました」
了解と返すと、通話が切れる。私は側で忠犬よろしく待機していた高城に振り返り、
「警部補、聞こえてましたよね?」
「ええ。被害者の自宅へ行くんですよね?」
いつものように、にっこり、と微笑む高城。まだ額に汗が浮いているのを見ると、少し無理をしているようだ。
「大丈夫ですか? つらいようでしたら……」
「いえ、問題ありませんよ。僕も一緒に行きます」
やや喰い気味に高城は固辞した。彼はスーツのポケットからハンカチを取り出すと、鄭重な所作で汗を拭い、
「大丈夫です」
と改めて強調した。珍しく、何が何でもついていくぞ、という決意が顔に出ていた。
そこに、何やら騒がしい声と足音が近付いて来る。しかも、何人も。
―そうだ、野次馬のことをすっかり忘れていた。私は彼らの包囲網を派手に突破してきたのだ。追いかけて来ないわけがない。
「……わかりました。では、すぐに行きましょう。急ぎますよ」
これ以上の問答は不毛だ、と判断した私は、高城に頷いてから踵を返す。
「はい」
私達は小走りで来た道を戻ると、現場近くに停めてあった車へと乗り込んだ。
自ら申し出た高城が運転席に乗り込み、私は助手席に腰を下ろした。素早くシートベルトを締めると、私は端末に表示させた住所をカーナビに入力していく。
「その住所ですと、ここから一時間ぐらいですね」
座席の調整をしながら――行きは私が運転していたのだ――高城が言った直後、カーナビが『目的地まで一時間五分ほどかかります』と音声を吐いた。
「警部補、近くに行ったことがあるんですか?」
被害者の自宅は都心から少し離れた地域にある。繁華街から少し外れた場所にある現在地ならともかく、こんな郊外へ赴く用事などそうそう思い付かない。
高城は、あは、と笑った。
「いえ、ただの勘ですよ」
「……そうですか?」
そういえば高城は車の運転が上手い。今の発進もスムーズだったし、カーブを曲がる際の加減も絶妙だ。これまで助手席に座っていて不愉快な思いをした記憶もない。きっとドライブ慣れしているが故に、地図を見ただけでおおよその時間がわかったのだろう。
あるいは、誰かを助手席に乗せて実際に走ったことがあるのかもしれない。このシートに座りたがる女子職員ならいくらでもいる。高城自身は、それをおおっぴらにしたくないから誤魔化しているかもしれず――いや、そんな話は今は関係なかった。
「では、捜査データを読み上げますので、聞いていてくださいね。言うまでもありませんけど、安全運転を最優先でお願いします」
「ええ、もちろんですとも。大船に乗ったつもりでいてください」
大きく請け負う高城。まぁ他はともかく運転については疑う余地がない。私は改めて端末に視線を落とすと、そこに記述されている被害者の情報を順に読み上げていった。
「氏名は木島康一。年齢は四十五。――前科持ちですね」
だから特定が早かったのか、と納得する。
「『昴龍会』という系列ヤクザの一員で、どうやら合成麻薬の売人だったようです」
この年齢で下っ端の仕事をしていたあたりに、木島康一という人間が歩んできたこれまでの人生が、ほんのりと浮かび上がっているようだった。
「なるほど、売り子さんだったわけですね。とすると、その木島さんが殺されてしまったのはそのあたりが原因でしょうか?」
ステアリングの操作に集中している高城の推察は、単純ではあるが的を射ている。
「そうですね、時代もだいぶ変わりましたけど、未だにヤクザといえば切った張ったの世界ですから。ちょっとしたことで人死にが出るのも珍しくありませんし」
「カビ臭い話ですねぇ」
心の底から呆れ果てたように、高城が息を吐いた。新しいもの好きの高城としては、時代に取り残されたような存在には嫌気がさすのだろう。チラリと横顔を盗み見てみると、しかし前を向く端正な顔には何の感情も浮かんではいなかった。
私は端末に指を滑らせ、続く資料を読み込ませる。
「……やはり、これまでの事件との関連が疑われていますね。復習しなくて大丈夫ですか、警部補?」
私が問うと高城は、うーん、と小さく唸り、
「そんなに殺害方法が似ていましたっけ?」
随分と惚けたことを言うので、私はつい声を低くしてしまう。
「ええ、まぁ。特に凶器を使用した形跡がない、というあたりが」
これまでに起こった類似の事件は八件。
最初の一件目と思われる事件が発生したのは、ちょうど半年前。全身を強く打った死体が、早朝の街中で発見されることから始まった。
被害者は二十代女性。まるで高所から落下したような有様だったが、付近には遺体の状態に見合う高さの建物がなかった。
二件目の被害者は三十代男性。郊外にあるだだっぴろい水田のど真ん中に、首の折れた――正確にはほとんど千切れかけ――の死体が遺棄されていた。周辺道路から投げ入れたにしても距離がありすぎるし、そもそも運搬の痕跡すら見つからなかった。
三件目は五十代男性。二件目とそう離れていない場所で、今度は完全に首の千切れた状態で川沿いの土手に転がっていた。状況から見るに、どうやら二件目の被害者と近い時刻に襲撃されたらしい。頭部はすぐ近くで発見されたが、抵抗した形跡もなく、突如襲われて一瞬で首をねじ切られたとしか思えない状況だった。
四件目は十代女性。このあたりから遺体の状態はより一層ひどくなる。都心から離れた南の山中で、凄惨なバラバラ死体が発見された。包丁やナイフ、ノコギリといった道具を使った形跡がなく、どう見ても生きながらに力尽くで引き裂かれた状態だったという。熊もしくは大型の獣の仕業かと思われたが、毛や足跡など、それらしき痕跡は見つかっていない。
これ以降の四件は、どれも似たり寄ったりだ。全身バラバラ、もしくは今回のような無残な状態にされた遺体が発見されるも、やはり詳しい殺害方法は不明。
「なるほど、確かに。言われてみれば本当にそうですね。つまり――とんでもない怪力の持ち主がやったとしか思えない……と。いやぁ、やはり僕には『狼男』ぐらいしか心当たりがありませんね」
はははは、と私が改めて読み上げた過去の事件の詳細を、高城は他人事のように笑い飛ばした。
「……そういえば警部補は、どこの現場でも遺体を見るなりどこかへ吐きに行ってましたからね。あまり印象に残っていないのも仕方ないかもしれませんね」
「おや、そうでしたっけ?」
私の当て付けがましい皮肉に、高城はどこ吹く風だ。そのくせ、
「それにしても、連続殺人事件にしては、被害者に共通点がまるで見えませんね?」
やけに穿ったことを言う。
そう。彼の言う通り事件の被害者には性別、年齢、職業などの共通点はほぼなかった。全くの無差別といっていい。
また被害者の周辺を洗っても、犯人と思しき人物の姿は影も形も出てこない。
共通点といえば、犯行予想時刻が深夜から早朝であること。発見現場が人気のない場所であること。そして――満月の夜だということだ。
「それに、証拠が全くないというのもすごいですね。魔法のようです」
またしても高城は痛いところを突く。その通りだ。何より不可解なのは、現場で犯人に繋がる証拠となるものが、まともに見つからないことなのだ。
言わずもがな、遺体には殺害時に加えられた損傷が残る。例えば犯人が被害者の肉体を強く握ったのなら、その箇所には圧迫痕――手指の跡が残る。遺体の状態が良ければ、そこから指紋を拾うことも出来る。また被害者が生きている間に抵抗した場合、相手を引っ掻いたりすれば、犯人の体組織の一部が爪の間に残ったりもする。そこからDNA情報を得ることも可能だ。
しかし、これまでの事件において、どういうわけかそういった物的証拠がまったく見つかっていない。あるいは、情報が得られるような状態で残っていないのだ。
流石にドラマほど派手ではないが――科捜研には、例えば轢き逃げ犯の捜査において、現場に残された微細な破片から車種を特定できるほど有能な鑑識が揃っている。だがそんな科捜研でも、肝心の証拠品が見つからなければ、役に立ちようがない。
「そういえば知っていますか、西尾さん? ネットで噂されている〝黒い男〟のこと」
「はい? 何ですか、それ?」
またぞろ高城が変なことを言い出したので、私は思わず聞き返す。遅れて、しまった、と後悔した。これは明らかにオカルティックな話になる。
事件が満月の日に起きることから、高城は以前から『犯人は狼男に違いありません』と主張して止まないのだ。
「聞いたところによると、これまでの現場周辺で『黒尽くめの男を見た』という話がまことしやかに囁かれているんですよ。もしかしなくともその〝黒い男〟が、証拠を隠滅して回っているのではないか――とね」
が、意外や意外、高城の話は実にタイムリーなものだった。
「黒い男……」
普段の私なら嘘くさいと一笑に付していただろう。だが、今の私には笑えない理由がある。
「実を言うと僕もそんなに信じてはいなかったんですが……流石にさっきの今だと、ただの噂話とは思えませんよね?」
私の心を見透かしたかのように、高城が彼にしては真面目な声で言う。
そう。その〝黒い男〟という存在を、私達は目の当たりにしたばかりなのだ。
いかにも怪しげな黒尽くめの男二人組。もしかしなくとも、彼らは証拠隠滅の為にあの場に現れたのか。例えば、あのブーツの足跡を消すために。
だが、それにしては行動が奇妙だった気もする。さほど慌てていなかったというか、むしろ私をからかう余裕があったというか。
「思うんですが、彼らが犯人なんじゃないですかね? 特にあの体の大きい方、いかにも犯行可能な怪力の持ち主じゃないですか。世の中にはトランプの束を素手で引き裂く人もいるそうですし、あれほどの体格なら、人体を人形のようにバラバラにできてもおかしくないのでは?」
真面目くさった口調で高城が語るので、私はふと不思議に思った。
「――失礼ですけど、今日はなんだか珍しいですね、警部補」
「? 何がですか?」
私の言葉に、高城は運転しながら小首を傾げた。
「だって、いつもの警部補なら、黒い男はMIBで、犯人は宇宙人に違いありませんよ――とか言い出すと思うんですけど」
これは本人にとっても意外な指摘だったらしい。高城は虚を突かれたように黙り込んだ。
「もしかして自覚がなかったんですか? いえ、まぁ、別に真面目なのはいいことだとは思いますけど」
私が笑って冗談めかすと、高城も小さく笑った。
「……これはこれは、一本取られました。そうですね……我ながら柄にもなく興奮しているのかもしれません。なにせ、連続殺人の犯人かもしれない相手と追いかけっこしたわけですから。これは、僕にも警察官としての自覚が芽生えてきたということでしょうか?」
「そういうこと、自分で言うと台無しですよ」
本当に柄にもないことを言うので、私は軽く突っ込みを入れてしまった。我ながら珍しいことだ。こんな朗らかな会話を、かつて高城としたことがあっただろうか。
「――ともかく、〝黒い男〟ですね。私も調べてみます」
移動中とはいえ、仕事中の歓談はあまりよくない。私は高城との会話をいったん打ち切って、携帯端末でネット検索を始めた。
確かに高城の言った通り、〝黒い男〟についての情報は多岐にわたって広まっていた。複数のまとめサイトが立ち上がり、支離滅裂ともいっていい情報が錯綜している。扱いとしては都市伝説――まさしく『MIB』もかくやだ。
言わずもがな、どれも眉唾ものである。嘘か本当かも定かではない目撃情報に、最近流行のドラッグや某国の諜報機関が絡んでいるという根も葉もない噂ばかり。当然ながら、私はどれ一つとして真に受けるつもりはない。
が、しかし。火のない所に煙が立たないのもまた事実。
噂が全て嘘だとしても〝出所〟になったものは確実に存在する。それが、私達の遭遇したあの男達である可能性は、決してゼロではない。
そう考えれば特に、ドラッグ云々の噂については少々興味深い。
何しろ、今回の事件の被害者は、まさにそのドラッグの売人だったのだから。




