さみしいなにかをかく 1
「『カクヨム』の自主企画「自主企画「【さみしいなにかをかく】お題で書いてください」【お題1】参加作品です。連作短編です」
【お題1】
「切った爪のような月が輝く日、夢のなかに出てきた知らないひとの家で熾火が静かにひかるのをみていた話をしてください。」
【お題2】
「気がかりが解決した夕べ、掃きだし窓のゆれるカーテンの向こう側できみの使い込まれた赤本についてした話をしてください。」
【お題3】
「まっしろの月だけが空にあるよく晴れた真昼、眼科のあるビルで花冠の作り方を教わったときの話をしてください。」
切った爪のような月が輝く日だった。
私は夢のなかに出てきた知らないひとの家で熾火が静かにひかるのをみていた。
着果した薪や炭が炎を上げず芯の部分が真っ赤に燃えている状態で、調理に適しているという熾火。
私は知らないひとの家だというのに、この熾火を使って料理をしてみたくなってしまった。
手の込んだ料理ではない。
ただ、
分厚く切った食パンの上にチーズとハムを乗せて熾火の上で焼くだけである。
とろとろに蕩けるチーズ、味がより鮮麗になるハム、炭のいい香りを纏う食パン。
美味しいだろうなあ。
美味しいに違いない。
けれど、私は料理していいですかと申し込まず、熾火が静かにひかるのをただみていた。
夢のなかとはいえ知らないひとの家だということに加えて、知らないひとがヤンキー少年だったからだ。
ただのヤンキー少年ではない。
そのヤンキー少年が纏う空気は、少年が纏うには、あまりにも重苦しく、とても料理をしていいですかと申し込めるものではなかった。
さみしいな。
ふと、私は思った。
さみしい。
拒絶されていること、ではない。
ヤンキー少年がこの熾火をみていないことだ。
きっと、この熾火をみていれば、ヤンキー少年もきっと、料理をしてみたくなると思う。
料理をしてみたいと、何かを食べてみたいと、そう、思えるようになれば、ほんの僅かでも、何かが、生まれるのではないか。
私は考えた。
この熾火を使って何を料理したいのかを、ただ、考えた。
(2026.8.22)




