第一章 四十八歳の新人
「AIの影響で、漫画家の仕事がなくなるという心配については?」
記者の質問に、白滝さとるはマイクを引き寄せた。
「読者のために記事を書いているなら、まず読者が何を読みたいか聞いたらどうです」
会見場の空気が、わずかに変わった。
「では、AIに頼って漫画を作ることに、罪悪感はありませんか?」
「便利なものを使うたびに謝ってたら、洗濯機も使えませんよ」
何人かの記者が顔を上げた。
キーボードを打つ音が、一斉に響く。
「ですが、人間が時間をかけて描くことには、それ自体に価値があるという意見もあります」
さとるは、一度だけ黙った。
「もちろん、あるでしょう」
そして、記者を見た。
「でも、読者にまで、俺たちの苦労を尊敬しろと強要する。それは人間のエゴだよ」
翌日のニュースには、その言葉だけが大きく載った。
AI漫画家・白滝さとる。
ある者は彼を革命児と呼び、ある者は漫画を壊す男と呼んだ。
そして半年後、彼の仕事を日本から締め出す法律が施行されることになる。
AI漫画規制法。
だが――。
ここから始めると、この男が最初から何者だったのかを見誤る。
話を、少し前に戻そう。
白滝さとるが、日本でいちばん漫画を売った年、彼は四十八歳だった。
新人と呼ぶには若くなく、巨匠と呼ぶには経歴がなかった。
書店に並んだ代表作『大きな第一コマ』は増刷を重ね、電子版の販売数は集計のたびに記録を更新した。漫画を読まない人間まで、さとるの名前を知っていた。
ただし、その名前の前には、決まって二文字が付いた。
AI漫画家。
テレビは、その二文字を大きく映した。
「漫画界に現れた異端児、白滝さとる氏。作品の作画をすべて生成AIに任せるという、従来の常識を覆す制作手法で——」
画面の中では、さとるが南の島でグラスを掲げていた。次の映像では高級車にもたれ、その次には若い女性たちに囲まれて笑っている。
努力、修業、下積み。
漫画家を紹介するときによく使われる言葉は、彼の特集にはほとんど登場しなかった。
代わりに並ぶのは、成功、豪遊、革命、炎上。
世間は、その四つで彼を理解したつもりになっていた。
電話が鳴ったとき、さとるは仕事場にいた。
窓の外では夕方の雨が降り始めていた。三台並んだモニターの端に、買ったまま冷めたコーヒーが置かれている。
「白滝先生のお電話でよろしいでしょうか。フジノヤマテレビ、制作部の佐野と申します」
「はい」
「このたび、弊社の特別番組で対談企画をお願いしたく、ご連絡いたしました」
そうした依頼には、もう慣れていた。
さとるは椅子にもたれ、片手でメールを閉じた。
「誰とです?」
「猿山てつ先生です」
マウスを持つ手が止まった。
雨の音が、急にはっきり聞こえた。
「……猿山先生?」
「はい。新旧の漫画文化を代表するお二人に、これからの漫画について語っていただければと」
「本当に?」
自分でも驚くほど、若い声が出た。
「先生が、僕と?」
「ええ。先生にも、企画の趣旨はお伝えしております」
さとるは姿勢を正した。机の隅に置いた、小さな額へ目を向けた。
古いサイン色紙だった。
紙は黄ばみ、透明なカバーには細かな擦り傷があった。それでも、黒いペンで描かれた少年の顔だけは、昔のままこちらを向いて笑っていた。
「先生、僕の漫画を読んでくださったんですか」
「その点については……」
「どうおっしゃってました?」
電話の向こうで、紙をめくる音がした。
「率直に申し上げますと、猿山先生はAIによる漫画制作には否定的なお立場でして」
「ええ。それは、まあ、わかります」
「『AIが作ったものなど、漫画ではない』と」
さとるは黙った。
担当者は、沈黙を交渉の間だと思ったらしい。
「だからこそ、異なるお考えを持つお二人の対話に、大きな意義があると考えております。先生のお立場も十分に——」
「読んだんですか」
「はい?」
「猿山先生は、俺の漫画を最後まで読んで、そう言ったんですか」
「そこまでは、こちらでは……」
窓ガラスを、雨が伝っていた。
さとるは額へ手を伸ばした。
しばらく指先で縁をなぞってから、色紙の顔を机に伏せた。
「いいですよ」
「お引き受けいただけますか」
「ただし、場所はこっちで指定する」
「スタジオではなく?」
「俺の仕事場だ」
電話を切っても、さとるはしばらく動かなかった。
やがて、暗くなったモニターに自分の顔が映っていることに気づいた。
四十八歳の男が、そこにいた。
子供のころ思い描いていた漫画家の顔とは、ずいぶん違って見えた。




