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17、郷愁



 翠の王国王太子ヴィルヘルムは、側近のハインリヒと従妹いもうとユーディットを連れ、ラウルス城を訪れていた。いつもは馬を使って外から駆けてくるのだが、今回は緊急事態だったので転移魔法陣を使用した。送る側と受け取る側の両方に魔術師がいる、という不利点をのぞけば転移魔法は便利である。


 まず、向かうのはアウラの所だ。彼女のもとに行けば、大概のことは何とかなる、という認識が出来上がってしまっているのである。

「アウラ。エリーザと、それとディアはいるかな」

「2人ならいます。エリーザだけではなく、クラウディアにもご用ですか」

 アウラの執務室に入るなり尋ねたヴィルヘルムに、アウラはおっとりと首をかしげた。

「実はそうなんだ。2人に、赤の帝国から手紙だ」

「ああ……ついに来ましたか。案内しますので、行きましょう」


 いつもはアウラの執務室にいるクラウディアだが、今日はいなかった。何でもお勉強の時間らしい。お勉強、と言っても、クラウディアが勉強するのではなく、彼女が子供たちに勉強を教えるのだ。主に読み書き計算。なので、ラウルス城の住人の識字率は高い。王太子として見習いたいと思う。この城、小さな国くらいの人口がいるんだけどな……。


 途中でリアムと剣の稽古をしていたエリーザを拾い、図書館に向かう。アウラは中に入るとクラウディアに呼びかける前に、言った。

「みなさん。勉強は進んでいますか?」

 はーい、とみんな元気がいい。ヴィルヘルムは思わず微笑む。

「みんな元気がいいね」

 そうエリーザに話しかけると、彼女はヴィルヘルムをじっと見つめてきたが、何も言わなかった。あれ。最近、よく話すようになったと聞いたんだが……。


「クラウディア。ちょっといいですか?」

「ええ。ごめん、アイリス、グレーテル。少し任せていいかしら」

「ええ」

「りょうかーい」


 図書館の司書的役割のアイリスとクラウディアの妹マルガレーテがうなずいたのを見て、クラウディアは立ち上がった。彼女も連れて、図書館の中にある部屋に入る。


「これを。エリーザと、ディアに。赤の帝国の、ジークハルト皇子から」


 エリーザとクラウディアが顔を見合わせ、そしてそれを受け取った。ペーパーナイフで封を開け、中から手紙を取り出す。読み進め、2人は顔をしかめた。翠の王国あてに来ていた公式文書を先に読み、内容を知っていたヴィルヘルムは、2人が何に顔をしかめたのかわかった。


「……ついに皇帝崩御か……」

「私は戻らなきゃならないわね。この状況でも姿をくらましていたら、本格的に我が家の実権が叔父一家に奪われるわ」

「……というか、今、赤の帝国のクラウゼヴィッツ辺境伯家はいったい誰が護ってるわけ?」

「叔母。父の妹にあたるけど……私に射撃を教えてくれた人よ」


 クラウディアに射撃を教えた叔母か。これはとんでもない人だろうな。なんと言うか、女傑、と言った感じでもヴィルヘルムは驚かない。

「そう言うエリーザはどうするの? 帰る?」

「……ああ。帰るしか、なさそうだし」

「そう。なら、皇帝選挙で私はあなたに入れるから」

「絶対にやめて」

 軽口をたたける余裕があるのなら大丈夫だろう。ヴィルヘルムはほっとした表情になった。


「私、というより、国王である父のもとにも『招待状』が届いた。フェルディナンド2世の葬儀と、新皇帝の戴冠式のものだ。私は戴冠式には出席するつもりだけど」

「じゃあ、葬儀にはヨハネス王がいらっしゃるんですか?」


 クラウディアが尋ねた。非常に今更だが、ヨハネス王とは翠の王国の国王で、ヴィルヘルムの父だ。

「そうなるね。母も行くはずだよ……父と母の方がフェルディナンド2世と付き合いが長いからね」

 だから、ヴィルヘルムは新皇帝の戴冠式に行く。ユーディットを連れていくかは相談中だが、エリーザが赤の帝国に帰るなら、ユーディットもついて行く、と言いそうな気がする。


「そう言えばディア。あなたの弟妹はどうするのですか?」

 アウラがふと尋ねた。クラウディアが「あー……」と言いよどむ。

「どうすればいいと思う? おいて行けばいいかしら。でも、グレーテルならついてきそうな気がする……」

「グレーテルが行くなら、レオンも行くっていうだろうね」

 ヴィルヘルムが追い打ちをかけた。クラウディアが「そうですよね……」と頭を抱えた。マルガレーテは意志が強いし、レオンハルトも1人置いて行かれるのは嫌がるだろう。


「……レオンは無理だけど、グレーテルは私の侍女として連れていこうか。それなら、私の庇護下におけるし」

「それいい! レオンは……仕方がないから、叔母様に預けていくか……」

「みんなが一か所に集まっていない方が安全だしね」


 エリーザがクラウディアのつぶやきに肯定するようにうなずいて見せた。確かに、まとめて始末されてしまうのは避けたいだろう。

 赤の帝国の皇帝は、7人の選帝侯が選出する。クラウゼヴィッツ辺境伯のクラウディアも選帝侯の1人だ。

 現在、赤の帝国に皇位承権を持つものは多い。かなり古い血は、2代ほど前の女帝クリスティーネが粛清してしまったが、フェルディナンド2世の女好きは有名で、子供が多いのだ。エリーザの時点ですでに第12皇女であることからもそれはわかる。


 そのため、今回の選帝侯会議は長引くと予想される。それは、以前から言われていたことだ。本命は第1皇子ジークハルトだが、彼と彼の兄弟以外にも皇位継承権を持つ者はいる。フェルディナンド2世の兄弟たちだ。

 当たり前だが、フェルディナンド2世も選帝侯に選ばれている。私生活はともかく、皇帝としてはかなりの賢君だったと言える。選んだ選帝侯に良識があったのだろう。


 かつて、フェルディナンド2世を皇帝に選んだ選帝侯はすでに生きてはいない。みんな、老衰や事故で亡くなってしまっているはずだ。現在の選帝侯は、かつての選帝侯会議を知らない。


 世の中には、どうしても王や皇帝になりたい、というものがいるのだ。おそらく、赤の帝国でクーデターを起こしても、うまくはいかない。あの国はいくら傾いていようが腐っていようが、実力主義の国だ。国民にまで根付いているその精神は、認められていない王の存在を許さないだろう。


 皇帝になりたいのなら、選帝侯に選ばれるように振る舞えばいいのだ。しかし、実際に選ばれようとして選帝侯に金を渡したり、自分を選んでくれる選帝侯に挿げ替えたり、ということは日常的なようだ。おそらく、クラウディアの父親もそれで殺されたのだろう。


 当時18歳だったクラウディアは、爵位をついですぐにこの城に逃げ込んできた。弟妹達を連れて、脅されるまいと、逃げてきた。

「あの時、私が逃げてこなければ首謀者がわかっていたかもしれないわね……」

 クラウディアが言った。おそらく、逃げてこなければ彼女は、選帝侯として弟妹を人質に『彼を選べ』と命令されただろう。

「それで若手も仕方がないでしょう。……思うんだけど、いざまずいやつが皇帝になったとしても、私が『精神矯正魔法ジャッジメント・オーダー』を使えばいいんじゃないかな」

「エリーザ、それ、嫌いじゃない」

「背に腹は代えられない」

 呆れ気味のクラウディアに、エリーザはきっぱりと言った。クラウディアは肩をすくめて「好きにしなさい」と言った。まあ、自分の力をどう使うかは本人の自由だ。


 渡すものは渡したので、後は簡単にアウラからラウルス城の現状を聞いて帰路についた。1か月ほど前にラウルス城が謎の魔術武装集団に侵攻された時は驚いたが、さすがはラウルス城。ほとんど被害はなかったようだ。6月初めの内乱の跡もさすがにもう、見られなくなっている。





「……お兄様、よかったの?」

 イェレミース宮殿に帰ってから妹のユーディットにそんなことを言われ、ヴィルヘルムは笑顔で「何がだい」と尋ねた。ユーディットは寝そべっていたソファから身を起こし、言った。

「エリーザの事。好きなんでしょう? エリーザだったら、私は喜んでお姉様って呼ぶけど」

「……」

 ヴィルヘルムは笑顔でユーディットを見つめ返した。言うようになったなぁ、この子も。


 もともと、ユーディットは強い力を持て余し気味の引っ込み思案だった。今もどちらかというと内向的だが、おどおどとうつむくことは少なくなった。ここまでユーディットを変えたのはエリーザとの出会いだ。


 それにしても、どちらかというと鈍い方になるユディにも気づかれているということは、いったい何人がヴィルヘルムの恋模様をにやにや笑ってみているのだろうか……。


「まあ、城の『オーダー』の半数くらいですかね」


 部屋の隅から返答があって、ヴィルヘルムは思わずそちらを見た。


「……声に出てた?」

「ばっちり」


 力強くうなずいたのはマリアンだ。もちろん、『オーダー』の1人で、彼は魔術師だ。現在のイェレミース宮殿の警護責任者である。ちょっと頼りない気もするのだが、結構うまく指揮を執っていると思うのだ。


「っていうか、身分的に問題ないですよね。殿下が押してみれば、意外とエリーザもなびくかも」


 マリアンがそんなことを言いだしたが、そんなことではないのだ。


「……なんていうか、私は彼女が皇帝になるんじゃないかという気がするわけだよ」

「どうして?」


 今度はユーディットだ。本格的に身を起こしてソファに腰かけ、身を乗り出している。

「なんというか、彼女にはカリスマがある。まあ、フェルディナンド2世とかのリューベック将軍の娘でカリスマ性がない方がおかしいんだけど」



 赤の帝国皇帝フェルディナンド2世。


 赤の帝国将軍シャルロッテ。



 2人とも、優れた指導者だった。その2人の娘であるエリーザにも、才能はある。その才能はすでに、ラウルス城の内乱時に示されており、現在では彼女は『評議会』議員を務めるほど、ラウルス城の住民の支持を集めている。

「それで……私が変なことを言って、彼女の未来を閉じちゃうのもどうかな、と……」

「……エリーザは皇帝になろうとは思ってないと思うけど」

 ユーディットは呆れ気味の口調でそう言った。ヴィルヘルムもそう思うが、エリーザは皇帝に選ばれれば断らないかもしれない。責任を果たそうとするかもしれない。彼女なら、賢君になれる気がする。

「じゃあ、エリーザが皇帝に選ばれなければ告白すれば?」

「ああ……そうだね」

 ユーディットの提案に、ヴィルヘルムはうなずいた。


 それにしても妹よ。強くなったな。何となくフロレンツィアに似てきた気がするのは気のせいだろうか。





――*+○+*――






「久しぶり、叔母様」

「ディア。やっと帰ってきましたか」

 エリーザとは別に赤の帝国にやってきたクラウディアは、まずクラウゼヴィッツ州の邸宅を訪ねた。と言っても、クラウゼヴィッツ辺境伯はクラウディアなので、クラウディアの屋敷だ。


 クラウディアはラウルス城から、転移魔法陣を使って赤の帝国までやってきた。そこからは騎馬だ。レオンハルトを連れていたので少し遅くなってしまったが、今頃エリーザも赤の帝国は帝都ベルクヴァインのミュラー宮殿にたどり着いているころだろう。


 クラウゼヴィッツ辺境伯領は、赤の帝国を構成する領邦国家の一つだ。赤の帝国最東端に位置し、隣国と接している。南方には緋の公国ファヴァレットが存在する。


 領邦国家にしては小さなこの国が選帝侯の地位を賜っているのは、辺境伯の名が示す通り、国境を護っているからだ。ゆえに、クラウゼヴィッツ家の者は武芸を習う。クラウディアの場合は異色の狙撃手だが、簡単な戦闘指揮くらいは取れる。


 図らずも、ラウルス城で鍛えられた。

「……グレーテルはどうしました」

「ああ。エリーザ……えーっと。第12皇女のエリーザベトの侍女として宮殿にあげました」

「……あなたの交友関係はどうなっているのですか……」

 叔母は呆れたように額に手を当てて首を振った。


 叔母ザーラはクラウゼヴィッツ家きっての武人である。クラウディアの父の妹で、父の死後、クラウゼヴィッツ伯爵家を護ってきたのは実質的には彼女になる。今40代前半で、長身ですらりとしている。いまだに現役で、顔立ちは40代前半とは思えないほど美しい。ちなみに、未婚だ。

「しかし、第12皇女……シャルロッテの娘に預けたのは賢明かもしれません」

 クラウディアは叔母の言葉を聞いて眼をしばたたかせた。

「叔母様。リューベック将軍をご存じで?」

 すると、ザーラはうなずいた。

「わたくしとあの子は、同じ剣の師に師事していました。わたくしの父、つまり、あなたの祖父の事ですね」

「ああ……」

 目の前がくらっとした。世間狭すぎだろう。どれだけかかわりがあれば気が済むんだ……。


「グレーテルのことはわかりました。あなたはこのまま帝都へ向かうのですね?」

「ええ。留守とレオンのことをお願いします」

「任されました。お任せなさい」


 ザーラが笑みを浮かべて言った。昔から、頼りになる叔母だった。幼いころは、父よりも叔母の方を頼ったものだ。


 叔母には、多大なる迷惑をかけている。辺境伯たるクラウディアが逃げた後、この家を護っていてくれたのはザーラだ。いつか、その恩に報いなければならないと思う。


「……叔母様。重ね重ね、お礼を申し上げます。ご苦労をおかけして申し訳ありません」

「いきなり何を言うのですか。あなたのお父上とお母上が亡くなった今、伯母であるわたくしがあなたを護るのは当然のことです」


 ザーラは相変わらず堅い口調でそう言うが、言葉からにじみ出る優しさにクラウディアは微笑んだ。

「……ありがとうございます……。時に、叔母様は誰を皇帝に推挙すべきだと思いますか」

 その言葉に、ザーラは呆れた表情を見せた。

「悩むのなら、シャルロッテの娘でも推挙なさい。宮殿から離れていた彼女です。他の選帝侯は推挙しないでしょう」

「なるほど」

 ほかに推挙する人もいないから、エリーザが皇帝になることはない。


「宮殿には」


 出ていこうとしたクラウディアの背中に、ザーラが呼びかけた。クラウディアは振り返ってザーラを見る。


「あなたのお父上を……先代クラウゼヴィッツ伯を殺した者がいます」

「……」

 ザーラがそのことに言及するのは初めてだった。クラウディアは黙って、彼女の話の続きを待った。

「……おそらく、皇族関係者だと思います」

 この国の皇族はろくなことをしないな。まあ、一部の人だけだろうが、少年兵の事と言い、そんな印象を抱いてしまう。

「ミュラー宮殿に行けば、その相手と会うこともあるでしょう……」

 ザーラにそう言われ、クラウディアは尋ねた。

「叔母様は、だれが先代辺境伯を殺したのかご存知ですか?」

 ゆっくりと、ザーラはうなずいた。

「ええ……わたくしには、何もできませんでした。しかし、シャルロッテの娘と知り合いであるあなたなら何とかできるかもしれませんね」

 クラウディアは息を呑んでザーラの言葉の続きを待った。ザーラは落ち着いた口調で言った。


「あなたのお父様を殺した人は――――」


 その名を聞いて、クラウディアは静かにうなずいた。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


赤の帝国編導入部です。どうしてもエリーザ・クラウディア視点が多くなってしまう予感。

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