第23話 なんか違うな
「どう、いざっち?」
俺とぱなえは少し離れた場所から、姉唐沙奏という美少女を観察していた。
沙奏は本に視線を落としたまま、艶やかな赤い髪を耳へかける。
その何気ない仕草にさえ、大人びた色気が漂っていた。
「ぱなえが言うだけあって、間違いなく爆美女だな」
「でしょ?」
ぱなえが得意げに胸を張った。
「アタシの目に狂いはないっしょ」
「ああ。ぜひ一度、話をしてみたい」
「おっ、さっそく興味出てきた?」
「もちろんだ。あれほどの美女を知ろうとしないなど、男として失礼にあたる」
「相変わらず意味分かんないけど……それじゃ、さっそく行っちゃいますか」
ぱなえが、ぽんっと俺の背中を押した。
「沙奏さーん!」
「おい!?」
ぱなえの大声に、沙奏がゆっくりと顔を上げる。
「あら、ぱなえちゃん?」
大人びた声だった。
ぱなえは俺の背中をぐいぐいと押しながら、そのまま沙奏のもとへ向かっていく。
「ちょっと紹介したい人がいてさ」
「……紹介?」
沙奏の切れ長の瞳が、俺へ向けられた。
「クラスで唯一の男子、槍田伊阪利。知ってるっしょ?」
「ええ、もちろん」
沙奏は俺を上から下まで眺めると、ふっと艶やかに微笑んだ。
「クラスに一人しかいない男の子だもの。嫌でも覚えるわ」
「おお……」
この余裕。
近くで見ると、さらにすごい。
整った顔立ちに、すらりとした長身。
制服の上からでもはっきりと分かる、抜群のスタイル。
ぱなえの言ったとおり、同年代とは思えないほど大人びた美少女だ。
「それに、伊阪利ちゃん。ずいぶんやんちゃしているみたいね」
「やんちゃ?」
「ふふっ。噂は聞いているわよ」
沙奏は意味深に目を細めると、ゆっくりと脚を組み直した。
短いスカートの裾がわずかにずれ、白い太ももが覗く。
そして、俺の反応を確かめるように唇を緩めた。
「もしかして——」
沙奏が、わずかに身を乗り出す。
「今夜は私も、その『おせっせ』に誘われちゃうのかしら?」
「…………!」
なんという色気だ。
今までのハーレムメンバーにはいなかった、大人の余裕を感じさせるお姉さんタイプ。
「ねえ……どうなの? 伊阪利ちゃん」
沙奏が座ったまま俺に手を伸ばす。
細い人差し指が、制服越しに俺の胸元をゆっくりとなぞった。
切れ長の瞳が、ねっとりと絡みつくように俺を見つめている。
絶世の美女に、これほど露骨に迫られる。
男なら誰もが夢見る、たまらない状況だ。
……そのはずなのだが。
「…………」
なぜだろう。
いまひとつ、胸に響かない。
沙奏が美人であることは間違いない。
抜群のスタイルにも、大人びた色気にも、男として惹かれている。
それなのに——。
いつもの俺なら、とっくにハーレムへ誘っていてもおかしくない。
だが、なじみや紀律、走琉、ぱなえ、玖詩と向き合ったときのような、胸の奥から込み上げてくる感情がなかった。
この人ともっと一緒にいたい。
この人を大切にしたい。
この人を幸せにしたい。
そんな、胸を突き動かされるような感情が湧いてこない。
「……どうしたの?」
沙奏が不思議そうに首を傾げる。
「もしかして、緊張しちゃったのかしら?」
そう言って、余裕たっぷりに微笑んだ。
「いや……そういうわけではないんだが」
なんだろう、この違和感は。
「どう? いざっち。沙奏さん、マジでぱないっしょ?」
ぱなえが楽しそうに笑う。
「そうだな。間違いなく魅力的な美女だ」
「でしょ?」
「だが……何かが違うんだ」
「違う?」
俺は胸の中にある感覚をうまく言葉にできず、首をひねった。
「ぱなえやなじみたちと一緒にいるときに感じる、こう……胸の奥から湧き上がってくるものがない」
「……え?」
沙奏が目を丸くする。
「もちろん、姉唐さんが悪いわけじゃない。気を悪くさせたのなら、すまない」
「あ……別に、私は……」
沙奏の余裕に満ちた笑みが、わずかに引きつった。
「…………」
自分の気持ちを確かめるように、俺は隣に立つぱなえの手を握った。
「えっ!? ど、どうしたの、いざっち?」
「…………やはりそうだ」
「な、何が?」
指先から伝わってくる柔らかな感触。
それだけで、鼓動が大きく跳ねる。
「今こうしてぱなえと手を繋いでいるだけで、俺はたまらなくドキドキするんだ」
「いざっち……沙奏さんも見てるのに……」
ぱなえは顔を真っ赤にしながらも、握った手を振りほどこうとはしなかった。
「だが——」
俺は改めて、沙奏へ視線を戻す。
「今の俺は、姉唐さんに同じような気持ちを抱いていない」
「…………」
沙奏の笑顔が、完全に固まった。
それでも俺の気持ちに嘘をつくわけにはいかない。
「もうすぐホームルームが始まるな。突然押しかけてすまなかった。行こう、ぱなえ」
「え? あ、うん……」
俺はぱなえの手を引き、その場を離れた。
「…………」
少し歩いたところで、ぱなえが何度も後ろを振り返る。
「……いざっち」
「なんだ?」
「いや……なんでもない」
ぱなえの視線の先では、沙奏が一人、呆然と俺たちの背中を見つめていた。
◇◇◇◇◇
そして、昼休み。
俺は一人、男子トイレへ向かって長い廊下を歩いていた。
「くそ……この学園、男子トイレが遠すぎる」
男子生徒が一割にも満たないせいか、男子トイレはこの広い校舎にたった二か所しかない。
美少女ばかりの学園にも、こんな弱点があったとはな。
用を済ませ、人気のない廊下を通り、教室へ引き返す。
「早く戻って、なじみたちと昼飯でも——」
そのときだった。
ガラッ!
「ん?」
すぐ横にあった空き教室の扉が、突然開いた。
そして——。
「うわっ!?」
中から伸びてきた手に腕を掴まれる。
「な、なんだ!?」
そのまま強引に教室の中へ引きずり込まれた。
ガラガラッ!
ピシャリと扉が閉まる。
……カチャ。
「…………」
今、鍵が掛かったな。
「誰だ!?」
慌てて振り返る。
そこに立っていたのは——。
「姉唐さん?」
朝、話したばかりの姉唐沙奏だった。
「ふふっ……これで二人きりね、伊阪利ちゃん」
「いや、無理矢理連れ込まれたんだが」
「細かいことはいいじゃない」
よくない。
「それより——」
沙奏が、ゆっくりと俺との距離を詰めてくる。
「二人きりなら、もう強がらなくてもいいのよ?」
「強がり……?」
一歩、沙奏が近づく。
俺が一歩下がる。
「ええ。ほんとは私と、あんなことやこんなこと……したくてたまらないんでしょう?」
艶っぽい声とともに、沙奏が俺のボタンへ指をかける。
「おい……いきなりどうしたんだ?」
「ふふっ。お姉さんには分かるのよ。男の子が何を考えてるのかくらい」
同い年なんだが。
俺がさらに後ずさると、とうとう背中が壁にぶつかった。
「もう逃げられないわよ?」
沙奏は長い赤髪をかき上げ、妖艶に微笑んだ。
そして、俺の逃げ道を塞ぐように両手を壁につく。
顔が、ゆっくりと近づいてくる。
「ふふっ……覚悟してね?」
甘い吐息が、耳をくすぐった。
「お姉さんが——たっぷり可愛がってあげるから」




