36話 覚悟と決心
ルナの「時間は残ってない」という言葉が、路地の静けさの中でやけに重く残る。
ただ急いでいるというだけじゃない。間に合わなければどうなるのか、その先を言葉にしていないからこそ、余計に想像の余地が広がる。
ミアが腕を組んだまま、わずかに視線を落とす。考えているときの癖だ。
「……時間がないって、どれくらい」
ルナは少しだけ視線を上げて、空の見えない路地の先を見ながら答える。
「正確には分からない。でも、連中がただ捕まえてるだけとは思えないんだよね」
「どういうこと?」
私はルナの言葉だけでは状況が理解できず、説明を求めた。
「ごめん、今のじゃ説明不足だったね。調査が終わってさ、ボクたち普通に並んで歩いてたんだよ。もう街が見える距離で、あと少しで着くってところでさ」
ルナはそう言ってから、少しだけ視線を落とす。言い方や表情からも、その穏やかな状況が一瞬で崩れたことが分かる。
「人影が増えたなって思った瞬間には、もう囲まれてた。距離も詰められてて、反応が一歩遅れた」
ルナは軽く息を吐く。
「相方の方に二人ついたのが見えたから、すぐそっちに踏み込もうとしたんだけど……正面にいたやつに止められた」
その時の動きをなぞるように、わずかに足をずらす。
「距離を詰めれば届く位置だったけど、無理に抜けようとするとその場で戦闘になる。囲まれてる状態でそれはまずいって判断して、一瞬だけ止まった。
…止まってしまったんだ」
そこで間ができる。
その“一瞬”が致命的だったことが、説明しなくても分かる。
「その間に、相方だけ引き剥がされてさ。ボクはそのまま押さえられて、動きを封じられた」
私は自然と口を開く。
「……助けられなかったの?」
「無理だったね。囲み方が慣れてたってのもあるけど、それ以上に変だったのは“動き方”なんだよね」
少しだけ視線を細める。
「最初から、相方の方にだけ人数が寄ってた。ボクの方にも一応一人ついたけど、あれは捕まえるためじゃなくて、ただ目的の邪魔をされないように振られた配置みたいだった」
「……狙いが、最初から決まってる」
「そう」
ミアが小さく呟いた言葉にルナは頷きながらそう答えた。
「だからあの場で無理に動けば、ボクも巻き込まれて捕まってたと思う。でも、あいつらは最初から“片方だけ”でよかったみたいなんだよね。で、そのまま相方は連れていかれたんだけど……そこでちょっと違和感があった」
「……どこが」
「捕まえたあとの動き」
ミアの質問にルナはそう答えながら少しだけ考えるように視線をずらした。
「普通さ、もっと乱暴に扱うと思うんだよ。押さえつけるとか、引きずるとか。でもあいつら、そうしなかった」
軽く肩をすくめる。
「両側から支えるみたいにして動かしてた。逃げられないようにはしてるけど、やけに丁寧でさ……壊さないようにしてる感じって言うのかな」
ミアが低く言う。
「……運搬」
「うん、まさにそんな感じ。だから何か重要な目的のために運んでいるように見えた。まぁだから、遅くなればなるほど状態は悪くなると思っていい。なんの目的に相方を連れていったのか分からないけど、内容によっては相方を助けて連れ出すっていう形で済まなくなる」
言い切らなかった部分は、言葉にしなくても分かる。
ミアは小さく息を吐く。
「……つまり、助けるなら今しかない」
「そういうこと」
ルナはあっさり肯定した。
私はミアと視線を合わせたまま、すぐには答えを出せないでいた。ルナが急いでいると言った理由は分かったけど、その焦りは表に滲んでいない。言葉の選び方も呼吸も崩れておらず、むしろこちらに判断を委ねるために必要な情報だけを丁寧に積み上げているように見える。
無理に押し通すでもなく、かといって曖昧に濁すわけでもない。ただ、自分にできる説明をした上で、あとは選ばせる。
その距離感が不思議と落ち着いていて、強引さよりも誠実さの方が先に感じられた。
つまり今この場で感情に任せて頼み込むつもりはなく、あくまで“状況は説明するが、最終的な判断を委ねる”という形を崩す気はないのだろう。
だからこそ、勢いで決めるべきではないと思った。私は一度視線を落とし、頭の中で聞いた情報を順に整理していく。
西区の旧水道施設、地下構造は複雑で、最低でも十人規模の連中が拠点にしている可能性がある。そこにルナの相方が何らかの目的のために捕まっている。
そして、境界線の調査後を狙ったその連中は、状況的に見ても私の村やミアの里をめちゃくちゃにした奴らと関係している可能性も捨てきれない。むしろ、今まで断片的にしか見えていなかった出来事が一本の線で繋がるような気さえする。
だとすれば、危険だから関わらないという判断は理屈として正しくても、後になって「調べる機会を自分で捨てた」という後悔が残るかもしれない。
私はその考えを言葉にする前に、ミアの方を見た。
ミアは腕を組んだままルナを見ている。視線は鋭いが、敵意というより状況を測っている時の表情だ。
そしてミアが口を開いた。
「……レナ、すぐに答えを出す必要は、ないと思う。それにルナの話が、全部本当だとしても、地下施設の構造も、分からない。敵の人数も正確じゃない、その上で突っ込むのは正直言ってかなり危ない」
確かにミアの言う通りだ。今までの経緯は理解したが、仮に乗り込むにしても敵拠点の情報が少なすぎる。ミアはルナに視線を向けると、
「ルナは、その場所をどこまで、把握しているの? 入り口の位置だけじゃなくて、見張りの配置とか、逃げ道になりそうな通路とか、最低限の情報は、あるんだよね?」
ミアの言い方は落ち着いているが、質問の内容はかなり具体的だった。つまりこれは感情の問題ではなく、作戦として成立するかどうかを確認している。
ルナはその問いを受けて、少しだけ肩をすくめた。
「残念だけど、ボクはさっき説明した情報しか持ってない。一応、できる限り調べてみたけどさ、地下構造そのものはかなり広いみたいだし水路と整備通路が入り組んでる上に、既に使われてない施設だから地図も残ってないみたい。
さっきも言ったけど、入口の警備に関しては二人は確実にいたし、その奥にも人影は見えたから、少なく見積もっても十人前後はいると考えた方がいい。というかそれくらいしか説明できる情報がない」
ミアはその説明を聞いてすぐには返事をしなかった。代わりに一歩だけ歩き、地面に視線を落としながら考えている。こういう時のミアは、感情よりも経験則を優先する。危険な場所に突っ込むべきかどうかは、感覚ではなく「生き残れるか」で判断するからだ。
そして数秒後、ミアは顔を上げた。
「……分かった。じゃあ次の質問。ルナの相方を助けるって話だけど、それは単純に、連れ出せば終わる?それとも、やっぱり何か目的があって、地下で何かされている可能性もあって、助けるってなれば戦うことになる?
私は、助けること自体に、反対するつもりはないけど、状況によって必要な判断が変わるから、そこは曖昧にしないで答えて」
要は、隠密作戦ができるかどうかの確認だった。ルナはその問いに対して、わずかに視線を逸らした。
一瞬だけ迷ったように見えたが、すぐに戻る。
「連中は相方を拘束して地下に連れていってるし、運び方にしても、最初から狙いをつけてたってことを含めても、戦わずに隠れて助けるのは無理だと思う。まぁ、見つからずに連れ出せるならそれが一番いいけど、どういう目的で捕まえたにしても、警備がいる以上完全に気づかれずに済む可能性は低いよね。だから、戦闘になる前提で動いた方がいいと思う」
そこまで聞いたところで、ミアは小さく息を吐く。ルナの説明を聞いて、私はようやく口を開いた。
「……ミア、どう思う?」
ミアはすぐには答えず、腕を組んだまま私の顔を見てゆっくりと口を開いた。
「…正直、安全を考えるなら、断るのが正しいと思う。地下施設で人数差がある相手に、突っ込むのは普通に危険だし、しかも構造も分からないなら、不利な条件が多すぎる。でも、この件は私たちにとっても、多分無関係じゃない。
里を襲った奴らと、繋がっている可能性があるこの話を断ったら、後で後悔する気がする」
そこまで言ってから、ミアは一度言葉を切った。
「だから私は、協力したいと思う。条件付きでね。無理だと思ったらその場で引くし、助けることより、生きて帰ることを優先する。それが守れないなら、この話は受けない」
ルナは少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
「うん、それでいいよ。むしろその条件があるなら安心して頼める。命を投げ出す覚悟で突っ込む人より、危険を見て引ける人の方が一緒に動く相手としては信頼できるからね」
「あと、もうひとつだけ。今回レナは前に出さない」
「…え?」
ミアの言葉に思わず声が漏れた。が、ミアはルナから視線を外さずに続ける。
「戦闘の有無に関わらず、レナは常に後ろに配置する。もし戦闘になっても、レナには状況判断に集中してもらう。無理に戦わせるくらいなら、最初から戦力に数えない」
言い方ははっきりしているが、内容は現実的だった。ルナは少しだけ考えてから頷く。
「合理的だね。それでいい」
そして、やっとミアの視線がこちらに向いた。
「レナはそれでいい?」
一瞬だけ言葉に詰まる。悔しさはある。でも、それ以上に今の自分が前に出るべきじゃないことも分かっている。
「……うん、それでいい」
そう答えると、ミアがわずかに力を抜いた。
ルナは軽く息を吐くと、街の西区の方へ体を向けた。
「交渉成立だね。案内するから着いてきて。ここから少し歩くけど、途中で状況をもう一度説明するから分からないことがあったら聞いてね」
三人は並んで歩き始めた。
ラグナスの西区は、ギルドのある中心街とは空気が違う。
商店の数は減り、代わりに倉庫や古い建物が増えていく。石畳もところどころ割れていて、修理の跡が目立つ。つまりこの辺りは街の中でも整備の優先順位が低い区域なのだろう。人通りはあるが、商人や冒険者の姿はほとんどなく、代わりに荷物を運ぶ労働者や、倉庫番のような人間が目につく。
ルナは迷う様子もなく路地を曲がり、さらに奥へ進む。
やがて住宅もほとんど見えなくなり、古い石壁に囲まれた敷地の前で足を止めた。
そこには錆びた鉄格子の門があり、雨で文字が薄くなった木の板が打ち付けられている。
『立ち入り禁止』
看板の状態を見る限り、かなり前から放置されている施設だ。
「ここが旧水道施設の管理区画だよ。改めて説明するけど、昔は街の地下水路を整備するための拠点だったらしい。今は新しい設備ができたから使われてないし、管理もほとんどされてないから、人目を避けてなにかするような連中にとっては都合がいいんだろうね」
ルナがそう言って門を軽く押すと、金属が軋む音が静かに響く。その音がやけに残るのは、周囲に他の音が少ないからだった。
中に入ると、奥には小さな石造りの建物と、その横に崩れた地下階段の入口が見える。
そこに近づくにつれて、空気が少しずつ変わっていくのが分かった。
地下から流れ出てくる湿った冷気が、足元を這うように広がっている。
ミアが鼻を動かした。
「……水の匂い。あと、土がずっと湿ったままになってる匂いも。地下に水路が残ってるなら当然か。ただ、長く人が入ってない場所の空気とは、少し違う気がする」
ルナは頷いた。
「元が水道施設だからね。地下は水路が張り巡らされてるし、魔素も溜まりやすい環境になってるんだと思う。だから長くいると体が重く感じるかもしれないけど、慣れれば問題ないよ」
ルナは腰のポーチから折りたたみ式のランプを取り出し、小さな魔石をはめ込んだ。
淡い光が灯る。
「地下に入ったら声は抑えて。見張りがどこにいるか分からない」
そしてルナは階段に足をかけ、進もうとしてこちらを振り向いた。
「……ここが引き返せる最後の地点だよ。ほんとにいいんだね?」
その言葉に、私もミアも何も答えなかったが、もう既に心は決まっている。
当然、緊張や不安が消えた訳じゃない。だから、私は暗闇の奥を見たまま、ほんの一瞬だけ呼吸を整えた。
そして視線を前に戻して、
「…いこう」
そう小さく口にした。




