33話 魔法が使えない…
初依頼をこなしてから、数日が経った。
森で薬草を採取したり、街道沿いの魔物を間引いたり、荷物運びを手伝ったり。派手ではないけれど、確実に経験にはなっている。
だけど──
「……ねぇレナ」
「うん?」
「魔法が使えない」
「うん。全然使えないね……」
そう、私たちは“魔法が使えない”。
正確に言えば、使い方がわからない。
ギルドで測定したとき、私たちには魔力適性があることがわかった。私は光属性と炎属性。ミアも水属性と土属性の二属性持ちだった。
二属性持ち自体珍しいが、特に光属性は、割合で見れば希少だとエリシアさんは言っていた。
でも──
「才能があっても、使い方がわからなければ、意味ない」
「適性はあるのにね」
「感覚でやろうとしても、無理」
「うん。なんか……全然分からない」
魔法とは、空気中に漂う“魔素”を体内に取り込み、それを魔力へと変換し、術式を組み上げて発動する技術だ。
魔法適性とはつまり、
・属性との相性
・魔素を体内に取り込めるか
・魔力へ変換できるか
・術式を構築できるか
それらの総合的な素質のことを指す。
この前ギルドで行ったのは、“魔力適性”。魔力に適性があるかどうか、そしてその属性が何か、という判定だ。それにより、変換する力があるかどうかは確認できた。
「でもさ…空気中の魔素って、どうやって感じるの……?」
今の二人は、作る才能はあるのに、作るのに必要な材料の見つけ方と作り方が分からない。そんな感じだった。
ヒューマンの村で育った私は、魔法を使える人を見たことがない。村には剣を振れる人はいたけど、魔法を扱う者はいなかった。
ミアも似たようなものだった。獣人族は身体能力に優れる代わりに、魔法を使える者は少ないと言われている。
「そもそも、獣人で魔法使いってあんまり聞かないよね……」
「うん。里にもいなかった。みんな爪とか牙とか、そういう戦い方だったし」
ちなみに、この世界のパーティ編成はある程度の型というものがある。
剣士が前に出る。
魔法使いが中距離、遠距離から攻撃。
弓使いがさらに後方支援。
治癒士が回復と補助。
盾使いを入れて守りを固めるパーティもあるし、二人前衛にする構成もある。
けれど基本は、近距離・遠距離・支援の役割分担だ。
そして、今の私たちは、ただの“剣も魔法も半端な二人”だ。
「ギルドの冒険者さん達に聞いてみたけど……」
「“そのうち分かるわよ”だった」
「“考えるな、感じろ”ってキメ顔で言われてもね……それができるなら苦労してないよぉ…」
そう、圧倒的に“できない側の目線”での返答が無かったのだ。
魔素。空気中にある見えない粒子。誰もが当たり前に存在すると言うけれど、私にはただの空気にしか思えない。
「もう一回、エリシアさんのところに行ってどうしたらいいか聞いてみる?」
「うん、それがいい」
私たちは立ち上がった。
──魔法を使えないまま、先には進めない。
◇
冒険者ギルドは今日も賑わっていた。
木造の大きな建物の中は、依頼掲示板の前に群がる冒険者たちと、酒場スペースで昼から騒ぐ連中で溢れている。剣や鎧の金属音、笑い声、怒鳴り声。
以前、エリシアが言っていたように、この街ラグナスは王都に次ぐ規模を持つ都市だ。交易路の要衝であり、周辺には森や魔物の出没地帯も広がっている。そのため依頼は多く、討伐、護衛、採取、運搬と内容も様々だ。ギルドはそれらを一括して管理し、冒険者の活動範囲や規模を調整する役割を担っている。
レナ達はまだ知らないが、無秩序な武装集団が動けば、境界線の発動条件に触れる危険すらある。そんなこの時代において、ギルドという組織は単なる仲介業ではなく、秩序維持の装置でもあった。
色んな人達がパーティを組んでいる様子は、この世界における戦闘というものが、個人技ではなく編成と連携で成り立っていることを如実に示していた。
私たちは、その喧騒の中を縫うように進む。
「エリシアさん!」
受付に立つ彼女が、顔を上げた。
「こんにちは、レナさん、ミアさん。ご依頼ですか?」
「いえ、その……魔素の感じ方が分かんなくて。体内に取り込むってのも、よく分かんなくて……」
エリシアさんは少しだけ考え込む。
「なるほど……適性はあるけれど、基礎が分からない、ということですね」
「そうなんです。感覚でやれって言われても、何も感じなくて」
「冒険者の方々は、実戦の中で掴む方も多いのですが、独学では少し難しいかもしれませんね……そういう時は、基礎理論を学ぶのも一つの手です」
「やっぱり基礎が大事なんですね」
「ええ。魔法を使うには生まれ持った“才能”と“基礎理解”が重要です。感覚だけで使えるのは、幼少期から訓練を受けている方や、特別な環境に育った方くらいでしょう」
「じゃあ、どうすれば……?」
「そうですね…図書館に行かれてみてはいかがでしょうか?」
「図書館?」
思わずミアと顔を見合わせる。
「はい。属性ごとの魔法が専門的に載っている魔導書は店でしか販売されていませんが、基礎理論や魔素の感知方法などに関しては、図書館にあるかもしれません」
「基礎から、ってことですね」
「ええ。まずは魔素とは何か、魔力とは何かを“知る”ことです。理解は感覚を補助します」
エリシアさんは丁寧に地図を描いてくれた。
「街の中央区、噴水広場の北側です。立派な建物ですから、すぐわかると思いますよ」
「ありがとうございます!」
私たちは深く頭を下げた。
◇
ギルドからでて数分、書いてもらった地図を見ながら教えてもらった場所付近にいくと、それはすぐに見えた。
「ここだね……」
“ラグナス図書館”と書かれた看板に、石造りの重厚な建物、高い柱と大きな扉。静かな威圧感すらある。
「おっきい…」
「うん。ちょっと緊張してきちゃった…」
扉を押して中に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
本棚が整然と並び、天井近くまで積み上げられた書物が静かに佇んでいる。革装丁の分厚い本、木板で挟まれた古い文献、紐で束ねられた巻物。どれも時間と労力の結晶だ。
中に入ると、受付に男性職員が座っていた。灰色のローブを着た、年齢の読めない落ち着いた男だ。
「こんにちは。閲覧でしょうか? 利用料は銀貨二枚。貸し出しの場合は、担保として金貨一枚をお預かりします」
「お金かかるの!?」
本は、この世界では贅沢品だ。
一冊一冊が手書きで記される。羊皮紙や上質な紙を使い、専門の書写師が何日もかけて写す。文字を誤れば最初からやり直しになることもある。インクも紙も高価で、保存にも手間がかかる。だから大量生産はできない。
だからこそ、知識は財産だ。
情報は力であり、理論は武器になる。魔法理論、薬草学、歴史書、地理、種族ごとの習俗。これらの知識を持つ者と持たない者の力の差は、戦場でも商談でもはっきりと現れる。
私とミアは、そんな“力の保管庫”に足を踏み入れているのだ。
「本は大変貴重です。破損や紛失があれば、写本のやり直しに相当の費用と時間がかかります。ご理解ください」
許可証代わりの木札を受け取り、私たちは閲覧室の奥へ進む。
図書館の蔵書は分類ごとに整理されている。歴史、地理、宗教、薬草学、魔物図鑑、そして魔法理論。冒険者が実戦で使う魔導書は市場で売られることが多いが、理論書や基礎研究書はこうした公共施設に集められている。
魔法は才能だけでは扱えない。理論を理解し、術式を組み立て、正確に制御する知識が必要だ。その積み重ねが、初めて一つの術として形になる。
「どこから探そうか……」
私は本棚を見上げながら呟く。
「魔法……理論……基礎……」
ミアが指で空中をなぞるようにしながら、棚の読背表紙を一つずつ追っていく。難解そうなタイトルが並ぶ。
『高等属性術式構築論』
『魔力流動と人体構造について』
『中級攻撃魔法の基礎理論書』
『各属性と魂の結び付き』
「いきなりこれは無理だよね……」
「うん、絶対むり」
もっと、初歩的なもの。私たちはまだ“魔素を感じる”ことすらできていないのだから。
「これじゃない?」
ミアが指差した先に、一冊の本があった。その本は、他の専門書に比べれば薄いが丁寧に装丁されていた。
『魔法理論初歩 〜魔素と魔力の基礎〜』
私はそっと手に取る。革の表紙は少し擦れていて、何度も読まれた形跡がある。それだけ基礎を求める者が多いということだろう。
ページを開くと、最初の一文が目に入った。
──魔法とは、世界に遍在する魔素を、自身の内側へと導く技術である。
「ねぇレナ、なんて書いてある?」
「えっと……“魔素は常に存在する。ただし感知できないのは、外を探しているからである”だって」
「外を……?」
「“まず己の内側に流れる魔力の気配を知れ。魔素はそれに引き寄せられる”……って」
ミアが難しい顔をする。
「内側って……どうやって?」
「それが分かれば苦労しないよね……」
私たちは並んで椅子に座り、本を覗き込む。
呼吸法の説明。意識の向け方。魔力変換の基礎理論。術式はまだ先、と書かれている。
読めば読むほど、理屈は理解できる。けれど、
「……分かったような、分からないような」
「うん。頭ではなんとなく分かる。でも、できる気がしない」
魔法とは、理屈だけでも感覚だけでも成立しない。両方が噛み合って初めて“現象”になる。だが私たちは、まだ理屈の縁に立っているだけだった。
結局、その後も何冊か目を通したものの、確信を得られないまま図書館を出ることになった。
◇
昼下がりの街。
石畳は陽に温められ、行商人の声が飛び交い、子どもたちが駆け回っている。平和な光景だ。
けれど私の頭の中は、ずっと同じ言葉を反芻していた。
──内側に流れる魔力の気配を知れ。
(内側…内側かぁ…どうやってやるんだろう…)
石畳を歩きながら、私は難しい顔をしていた。ミアも同じだ。耳がぴくぴく動いているのは、考え込んでいる証拠だ。
「……なんか、もうちょっとでわかりそうなんだけどね」
「うん。あと一歩、って感じ」
「その一歩が分からないんだよね……」
そのとき。
「ねぇねぇ、お困り事かい?」
不意に声をかけられ、私とミアは同時に足を止めた。振り向いた先に立っていたのは、上下で黒と紫が溶け合うような髪を揺らす少女だった。
陽の角度によって色味が変わるその髪は、どこか現実離れしていて、街の喧騒の中にあっても自然と視線を引き寄せる。
年は私たちと同じくらいに見える。八重歯を覗かせ、いたずらっぽい笑みを浮かべているが、その紫の瞳は妙に静かだった。
「にひひっ、さっきからさ、ずーっと難しい顔して歩いてるよ? 二人とも、世界の終わりみたいな顔してる」
彼女は一歩近づき、私の顔を覗き込みながら首を傾げる。
「もしかして……魔法、使えなくて困ってる……とか?」
私は、思わず息を呑んだ。
──どうして、それを。
胸の奥を、指先でなぞられたような感覚。図書館を出てから、他の人には話していないのに。
ミアの耳がぴんと立つ。警戒や動揺したときのものだ。尻尾の先まで、わずかに強張っているのが分かる。
「……なんで分かるの?」
低く抑えた声。さっきまでの悩み顔とは違う、戦う前の顔だ。
少女はその変化を面白がるでもなく、ただ自然に受け止めるように小さく笑った。
「だって図書館から出てきた直後でしょ? しかも“内側がどうの”“魔素がどうの”って、けっこうはっきり聞こえてたよ?」
「え」
(私、そんなに声に出してた…?)
「当ててあげよっか? 君たち、魔素が感じられないんでしょ」
風が静かに吹き抜け、彼女の髪を揺らした。その言葉は軽く、自然なのに、驚くほど正確だった。その自然さが、何故か落ち着かない。そんな彼女は、私たちの周囲をくるりと一周し、観察するような目で、
「うーん、魔力はあるね。しかも質がいい。
……あれ? 二人とも二属性持ち?って、君は光属性なんだ。珍しいなぁ。それなのに使えてないだなんてもったいないよ」
この世界では魔法使いは珍しくない。だが、“他者の属性や魔力の質や未発現の状態を一目で見抜く者”となると話は別だ。
それは単なる経験ではなく、感知能力の高さを意味する。賢者か英雄並の実力者か、あるいは生来の資質か。
──どちらにせよ、街をぶらつく年頃の少女に備わっていて当然のものではない。
「……なんで属性の事まで知ってるの?」
「ふふん、それはボクが天才少女だからだね。音で分かるんだよ」
「あなた、誰?」
「んー? 通りすがりの親切な魔法使い……って言ったら信じる?」
「信じない」
「即答かぁ、傷つくなぁ」
属性を知っている理由について聞いたレナも、誰なのか聞いたミアも、掴みどころのない返事をされ、より一層警戒心を高めた。少女は傷つくと口ではそう言っているが、本気で傷ついた様子はない。むしろ楽しんでいるようにも見える。
少女のにひひ、と笑っている様子からも見て取れるが、態度がずっと軽いのだ。それ逆に警戒心を煽る。
街は相変わらず賑やかなはずなのに、私たちの周囲だけが妙に静かに感じられた。音が遠のき、視界がわずかに狭まる。
集中しているのは、きっと私たちのほうだ。相手を測り、言葉の裏を探り、無意識のうちに呼吸を整えている。
「……ねぇ」
次の瞬間、少女がすっと距離を詰めた。軽い動きだったのに、避ける隙がなかった。細い腕が私の背に回り、ふわりと抱き寄せられる。
「ちょっ──!?」
抗議の声を上げるより先に、温かな吐息が耳元に触れた。
「教えてほしい? 魔・素・の・感・じ・方」
区切るように囁かれた言葉が、鼓膜を震わせる。心臓が強く跳ねた。胸の奥を直接掴まれたみたいに、呼吸が浅くなる。
今、一番欲しい言葉だった。
魔素の感じ方。それさえ分かれば、理論は意味を持つ。変換も術式も、ようやく“実践”に繋がる。
けれど。
喉まで出かかった「お願いします」を、私は飲み込んだ。
都合が良すぎる。
この世界で、知識は財産だ。魔法の感覚など、なおさらだ。それを見知らぬ相手に、理由もなく差し出す者はいない。
「……代わりに、何が欲しいの?」
私が静かに問い返すと、少女は身体を離し、数歩下がった。目が細くなる。笑っているのに、その奥に一瞬だけ真剣な色が差す。
「いいねぇ。ちゃんと考える子だ」
くるりと踵を返し、石畳を数歩進んでから振り向く。
「別に大したことじゃないよ。ちょっと手伝ってほしいことがあるだけ。君たちが困ってるのと同じくらい、ボクも少し困っててさ」
「手伝うって……何を?」
ミアの声はまだ警戒を解いていない。耳も尻尾も、完全には下がっていない。
少女は片目をつむる。
「それは、ちゃんと話す。でもその前にさ」
一拍置いて、にひっと笑う。
「まずは信用してもらわないとね」
私達はまだ知らない。
この少女との出会いが、今後の運命を大きく変えることを。




