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境界観測《リミナル・サイト》-その線の先で、私は死んでいる-  作者: Rasky
第1章 私の初めの物語

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2話 森で出会った猫

文章を一部修正しました

 

 森に足を踏み入れても、特には何も起きなかった。


 村の外れから見たときと同じ、ただの木立。朝の光はまだ差し込み、鳥の声もある。地面は踏み慣れた土で、薪を拾いに来ることもある浅瀬の空気だ。


 レナは小さく息を吐いた。


「……大丈夫。ここまでは、いつもと同じ」


 籠を抱え直し、バイルから教わった薬草の特徴を思い返す。


「細長い葉で、中央に銀色の線……触ると少しざらざらしてて……」


 似た草との違いも、生えやすい場所も、何度も教えてもらった。


 ──焦るな。見つからなければ引き返せ。


 バイルの声を思い出しながら、慎重に歩を進める。


 やがて、見慣れた木々の並びが途切れた。


 そこから先は、村の者が薪を取りに来ることもない場所。踏み跡が薄れ、伸びた草が足首に絡む。


 境界だ。


 柵があるわけでも、印が立っているわけでもない。それでも、この村で育ったレナには分かる。


 ここから先が、何度も越えてはいけないと言われてきた場所だ。


 レナは足を止めた。


 喉がひりつく。


「……ここ、だよね」


 目の前には何もない。


 ただ森が続いているだけなのに、籠を握る指には自然と力がこもった。


 ──まだ…、まだ浅瀬だ。


 ここで引き返せば、明日の朝にはバイルが代わりに向かってくれる。


 けれど、今朝の母の姿を思い出す。


「明日じゃ……間に合わないかもしれない」


 呼びかけても、なかなか目を開けてくれなかった。


 水もほとんど飲めていない。


「……行こう」


 一歩、踏み出したその瞬間、空気が変わった。


 枝葉が重なり、光が急に薄くなる。地面は湿り、足音が吸い込まれるように消えていく。さっきまで聞こえていた鳥の声も、どこか遠のいた。


 胸の奥がざわつく。


「……全然、違う」


 レナは思わず後ろを振り返った。


 まだ来た道は分かる。


「大丈夫……ちゃんと戻れる」


 自分に言い聞かせ、再び前を向く。


 それでもレナは進む。


 しゃがみ込み、足元の葉を確かめる。


「……違う」


 少し進んで、また別の草を見る。


「これも違う……」


 立ち上がったとき、不意に気づいた。


「……静かすぎない?」


 風が葉を揺らす音だけが、不自然なほどはっきり耳に残る。


 ガサッ──!


「っ!?」


 茂みが大きく揺れた。


 次の瞬間、灰色の影が飛び出す。


 狼だった。


 狼など浅瀬で見かけることはまずない。


 初めて見る狼は、想像していたよりも肩が高く、毛並みも厚い。飢えて血走った黄色い瞳がまっすぐにレナを射抜き、低い唸り声を上げている。


 湿った土に爪が食い込む。


 牙の隙間から、唾液が糸を引いていた。


「…………っ」


 森に入る前から、分かっていた。


 野生動物に出くわす可能性も、狼が彷徨っていることも。森の奥地は浅瀬のように安全ではないと、バイルから教えられていた。


 走るな。


 背中を見せるな。


 目を逸らすな。


 もし出会ってしまったら、落ち着いて距離を取る。


「……走らない。背中を見せない……目を逸らさない……」


 教えられたことを、震える声で一つずつ口にする。


 何度も頭の中で想像してきた。


 それでも、実際に出くわすと身体は想像通りには動いてくれない。


「グルルルル……」


「……っ!」


 狼が一歩近づく。


 ──怖い。殺される。ここで喰われる。死にたくない……!


 喉がきゅっと締まり、声にならない悲鳴が漏れる。身体中が今すぐ逃げろと訴えてくる。


 けれど、走って背中を見せれば、その瞬間に飛びかかられる。


 それだけは、恐怖の中でも理解できていた。


「だ、大丈夫……落ち着いて……」


 足の震えは止まらない。


「走ったら……ダメ……」


 その時、家で待つ母の顔が頭をよぎった。


 病の熱にうなされ、苦しそうに浅い息を繰り返していた母の姿。


 自分がここで死んだら、薬草を持って帰ることもできない。


「……死ぬわけには、いかない」


 怖くてもいい。


 足が震えていてもいい。


「私が……持って帰らなきゃ……!」


 レナは決意を胸に、ゆっくりと一歩後ろへ下がった。


 狼の黄色い瞳から視線を逸らさず、背中を向けず、浅い呼吸を必死に整える。


 もう一歩。


「そう……ゆっくり……」


 あと少し。


 あと数歩下がって、木々の隙間に身体を滑り込ませることができれば──。


 そう思った瞬間、左足の踵にゴツンと硬い感触が走った。


 地表に張り出していた、太い木の根。


「きゃっ……!?」


 視界が大きく傾く。


 浮遊感の直後、背中にガツンと鈍い衝撃が走った。肺の中の空気が吐き出され、視界が明滅する。


「──っ、ぐ……!」


 倒れ込んだレナを見て、狼が地面を強く蹴った。


 飢えた顎を開き、一直線に襲いかかってくる。


 立てない。


 間に合わない。


 逃げられない。


 ──ああ、ここで死ぬんだ。


 頭の中が真っ白になる。


 薬草も見つけられていない。


 母も助けられていない。


 何ひとつ果たせないまま、ここで終わる。


「嫌だ……」


 怖い。


 それ以上に、悔しかった。


「こんなの……嫌だ……!」


 せめてもの抵抗のように、レナは手放しかけていた竹籠を強く抱き寄せ、顔を覆うように身体を丸めた。


 最後まで、これを手放すことだけはしない。


「死にたくない……」


 狼の血生臭い大口が、目の前まで迫る。


「誰か……お願い……!まだっ──」


「───ぁ」


 死を確信し、レナは瞼を硬く閉じた。




 ◇




「離れて!」


 レナが瞼を閉じた瞬間、鋭い叫び声が森の静寂を力強く切り裂いた。


 ドスッ、という重い肉体衝突の音。


 同時に、目の前に迫っていたはずの強烈な獣臭が吹き飛ぶ。


 恐る恐るレナが目を開けると、狼の巨体が真横の樹木へと叩きつけられ、激しく枝葉を揺らしていた。


「……え……?」


 視線の先に立っていたのは、一人の少女だった。


 霜をまとったかのように美しい白銀の髪。頭頂部にはぴんと立った猫のような耳。腰の辺りからは、しなやかな一本の尾が伸びている。


「獣人……族……?」


 人間であるレナと同世代──せいぜい十歳か十一歳程度に見える少女。


 しかし、その身のこなしはレナの知る子どものものとはまるで違っていた。


 地面へ着地した少女は低く腰を落とし、鋭い爪を構える。


 樹木に激突した狼は咆哮とともに体勢を立て直し、猛烈な怒りを露わにして少女へ飛びかかった。


「危ない……!」


 レナは、咄嗟に叫んでしまっていた。だが、少女は逃げない。

 襲い来る狼の牙を紙一重で躱し、すれ違いざまに右腕を振るう。


 鋭い爪が狼の頬を深く裂き、鮮血が飛び散った。


「……っ!」


 狼は怯むどころか興奮を深め、今度は低く地を這うような跳躍で少女の喉元を狙った。


 牙の先端が少女の肩を掠め、着ていた古い布地が激しく引き裂かれ、小さな身体が衝撃で大きく揺れた。


 しかし、少女の眼光は一瞬たりとも狼から逸れなかった。


「ハッ……!」


 至近距離で少女が踏み込み、狼の懐深くへ一気に潜り込むと、下から突き上げるような左掌打を顎へ叩き込んだ。


 ガツン、と鈍い音が響き、狼の頭部が強制的に跳ね上がる。


 無防備に晒された喉元。


 少女はその隙を逃さず、右手の爪を深く、迷いなくその喉へと振り抜いた。


 肉を裂く鈍い音が森に響く。


 次の瞬間、温かい血が飛び散り、少女の白銀の髪と肌を赤く染めた。


 狼は途切れ途切れの唸り声を漏らし、何度か身体を痙攣させたあと、湿った土の上へ崩れ落ちた。


 少女が現れてから、狼が息絶えるまで──わずか十秒足らずの出来事だった。


 再び、森に静寂が戻ってくる。


「…………」


 レナは何も言えなかった。


 自分が何もできずに殺されかけた相手を、目の前の少女はほんの数秒で倒してしまった。


 白銀の髪の少女は、倒れた狼の脇で肩を上下させながら浅い呼吸を繰り返している。


 やがて、ゆっくりと血に濡れた右手を引き抜くと、腕を振って爪に付着した血を払った。


 そして、静かに振り返る。


 透明感のある水色の瞳が、地面に座り込んだままのレナをまっすぐに見つめた。


「……怪我、してない?」


 投げかけられた声は、外見相応に幼かった。


「あっ…あっ……だ…だい…だい…」


 レナは何度も何度も首を縦に振った。


 大丈夫と言いたいのだが、喉が張り付いてうまく言葉が出てこない。目の前で起きたことを、まだ頭が現実として処理しきれていなかった。


 少女は足元の狼の死骸を一瞥し、感情の籠もらない声で淡々と呟いた。


「……群れからはぐれた奴。お腹、すいてたんだと思う」


「…お……お腹が?」


 少女が小さく頷く。


「狼も……お腹、すくんだ」


「……生きてるから」


 レナは倒れた狼を見つめた。


「……そっか。この子も、生きるために私を襲ったんだね」


「うん」


「怖かったけど……狼からしたら、普通のことだったのかな」


「食べないと、死ぬから」


「……そっか」


 怖かったことに変わりはない。


 それでもレナは、先ほどとは少し違う気持ちで狼を見つめた。


 少女はレナの方へと一歩足を進める。

 その瞬間、レナの身体が僅かに強張った。


 少女はすぐに足を止めた。


 互いに腕を伸ばしても届かないほどの距離。


 ぴんと立った耳が僅かに動く。


「…………」


「あ……」


 村では昔から、境界線を越えた先には獣人族がいると教えられてきた。


 人間とは違う者たち。


 勝手に縄張りへ踏み込めば何をされるか分からない。


 だから近づくな、と。


 けれど──。


「……助けてくれたんだよね」


 少女の耳がぴくりと動いた。


「…うん…襲われてたから」


「そっか……」


 レナは少しだけ身体の力を抜いた。


「ありがとう」


「…………」


 少女は返事をせず、僅かに視線を逸らした。


「なんで……こんな奥にいるの? ヒューマンの子供が」


 その問いに、レナの肩がびくりと揺れた。


 ここは境界線の向こう側。村では、獣人族の縄張りだと教えられてきた場所だ。助けてもらったことで忘れかけていたが、自分はそこへ勝手に踏み込んでいる。


(もしかして……怒ってる? 勝手に入ってきたから……?)


 少女の声に責めるような響きはなかった。それでもレナは急に不安になり、慌ててここへ来た理由を説明しようとした。


「お、お母さんの……薬草を、取りに……っ。お母さん、病気で……どうしても、これが必要で……」


 少女の視線が、レナの抱える竹籠へ向く。


「……一人で来たの?」


 レナは小さく頷いた。


「危ない」


「……それは、今さっきすごく身に染みて分かった……」


 レナが狼を見る。


 少女の耳が少しだけ伏せられた。


「…そう」


 短く、それだけ返した。


 レナはそこで初めて、少女の足元に横たわる狼の巨体へと正視した。

 先ほどまで牙を剥き、自分の命を奪おうとしていた狼。


 それが今は、湿った土の上で動かなくなっている。

 半開きになった顎の隙間から血が流れ、地面を赤黒く染めていた。


 生々しい鉄の匂いが辺りに漂う。


「…………」


 レナが思わず口元を押さえる。

 少女はそんなレナを横目に、狼の傍らへしゃがみ込んだ。


「……このまま放っておくと、他の肉食獣が寄ってくる」


「え……?」


「血の匂いで来る」


 少女は腰の佩帯から一本のナイフを引き抜いた。

 研ぎ澄まされた刃先が、木漏れ日を受けて白く光る。


「な、何するの……?」


 少女は狼の皮膚へ刃を押し当てた。


「……持って帰る。奪った命は、決して無駄にしない」


 次の瞬間、刃が躊躇なく皮膚へ沈み込んだ。


「っ……!」


 湿った肉を切り分ける音が、静まり返った森に響く。


 レナは思わず目を逸らしかけた。


 けれど、すぐに少女の手元へ視線を戻す。


「……それ、食べるの?」


「食べる」


「狼を?」


「うん」


「……美味しいの?」


「…………」


 少女は手を止めない。


「肉は食べる。皮も使える。牙と爪も」


「そんなに使えるんだ……」


「使えるものは、使う」


「……無駄にしないんだね」


 少女は小さく頷いた。


 レナはその作業を見つめ続けた。決して、怖くないわけではない。

 狼の身体から流れる血も、生々しい肉も、今までこんなに間近で見たことはなかった。


 それでも、自分を助けるために少女が奪った命だった。


 怖いという理由だけで、何も知らないまま目を背けたくはなかった。


 少女の手には迷いがない。ナイフを器用に操り、食料や素材として使える部分を手際よく切り分けていく。


「……慣れてるんだね」


「いつもやってる」


「これを?」


「うん」


「私だったら、どこから切ればいいかも分かんないかも……」


「教わればできる」


「そ、そうかな……」


「たぶん」


「たぶんなんだ……」


 思っていたより少しだけ普通の返事が返ってきて、レナの肩から僅かに力が抜けた。


 少女は何事もなかったように作業を続ける。


 その時、レナの視界に少女の肩口の裂け目が飛び込んできた。


 破れた古い布地の隙間から、赤い血がじわりと滲んでいる。先ほど狼の牙が掠めた場所だ。


「ねぇ、あなた怪我してる」


 思わず声に出すと、少女は手元を止めず、一瞬だけ己の肩へと視線を落とした。


「……浅い」


「でも、血出てるよ?」


「平気」


「平気じゃないよ。ちゃんと血を止めないと」


 レナは膝の上に抱えていた竹籠をそっと足元に下ろし、中にしまっていた一枚の布を取り出した。


 本来は、目当ての薬草を乾燥させないよう包むために用意してきた、清潔な綿布だった。


 ほんの僅かに迷う。


 けれど、それはすぐに消えた。


「私を助けて怪我したんだから、放っておけないよ」


 レナが一歩踏み出すと、少女の頭上の耳がびくっと跳ね、僅かに伏せられた。


 その反応を見て、レナは足を止める。


「…あっ……近づいてもいい?」


 少女はレナをじっと見つめた。

 少しして、小さく頷く。


「……うん」


「じっとしてて」


 レナはゆっくりと近づき、布を優しく少女の肩の傷口へ当てた。布越しに、確かな体温が伝わってくる。


「痛くない?」


「……少し」


「やっぱり痛いんじゃん」


「平気」


「平気でも怪我してる時はちゃんと言わないとダメだよ」


 少女が不思議そうにレナを見る。


「……なんで?」


「なんでって……心配するから」


「私を?」


「うん」


「……変」


「えっ!?」


 思わぬ一言に、レナが目を丸くした。


「変じゃないよ! 怪我してたら普通は心配するでしょ!?」


「ヒューマンなのに?」


「ヒューマンでもだよ!」


「私は獣人族なのに?」


「そうだよ!相手が獣人族でも!」


「……そう」


「そうなの!」


 少女はまだ納得しきれていないようにレナを見つめる。


「それに、助けてくれた人をそのままにはできないもん…」


「…………」


「だから変じゃない!」


「……分かった」


「ほんとに?」


「たぶん」


「また『たぶん』!?」


 少女の耳が僅かに動いた。


 ほんの少しだけ、その表情が柔らかくなったように見える。


「もう……。とにかく、しばらくちゃんと押さえててね」


「うん」


「絶対だよ?」


「……分かった」


「ならよし!」


 レナが満足そうに頷く。


 つい先ほどまで、獣人族というだけで身体を強張らせていた。


 けれど、こうして話してみれば、レナと同じくらいの少女にしか思えない。


 少し無愛想で、かなり変わったところはあるけれど。


 少女は手当てを受けながら、最後の肉を素早く紐で縛り上げていった。


 赤く濡れたナイフの刃を慣れた手つきで腰の布巾で拭い、再び鞘へ戻す。


「…何を探してた?」


 少女に問いかけられた。


「あっ、そうだった!」


 狼に襲われたことで一瞬頭から飛んでいた目的を思い出し、レナは慌てて竹籠を抱え直す。


「お母さんの熱を下げる草を探してるの。中央に銀色の線があって……」


 レナが懸命に説明しかけた瞬間、少女の耳がぴくりと繊細に揺れた。


「……それ、知ってる」


「本当!?」


 思わずレナが身を乗り出す。

 少女の身体が僅かに後ろへ引かれた。


「あっ、ご、ごめん……!」


「……朝、水が溜まる低い場所に生える。……でも、ここじゃない。もっと奥」


「バイルさんも、水が溜まる場所に生えるって言ってた!」


「バイルさんって誰」


 レナは期待を込めて少女を見る。


「薬草屋のごつい人!で、本当にあるの?」


 少女は小さく頷いた。


「ある」


「~~っ!! よかった……!」


 胸の奥に、ようやく小さな希望が戻ってくる。


 少女が顎で示した先へ、レナも視線を向けた。


 そこは今いる場所よりもさらに樹木が密に重なり、深い影が落ちている。


「……もっと奥なんだ」


「うん」


「ここでも十分怖いのに……」


 思わず本音が漏れる。

 少女がレナを見る。


「帰る?」


「…………」


 レナは答えられず、森の奥を見つめた。

 さっき狼に襲われた恐怖は、まだ身体に残っている。


 ここからさらに奥へ進めば、もっと危険なものに出会うかもしれない。


 それでも、母を助けられる薬草がそこにある。


「……帰らない」


 籠を強く握り直す。


「お母さんを助けたいから」


 少女はしばらくレナを見つめていた。

 それから、背負い紐を締め直す。


 小さな背中に狼の肉の重みが加わっても、その姿勢は崩れない。


「ついてくる?」


 静かに、覚悟を問うような確認の声。


 レナは目を見開いた。


「……連れて行ってくれるの?」


 少女は小さく頷いた。


 レナは大きく深く息を整え、強く首を頷かせた。


 恐怖が消え去ったわけではない。むしろ、ここから先へ進むことへの足の震えは強くなっている。


 けれど、一人で進むのとは違う。


 この森を知っている少女が一緒にいてくれる。


 それだけで、先ほどまで真っ暗に思えた森の奥へ進める気がした。


「うん、行く。連れて行って」


 少女はそれ以上何も言わず、森の奥へ向かって歩き始めた。


「ま、待って!」


 レナも慌ててその背中を追いかける。


 少女の耳がぴくりと動き、歩く速度がほんの少しだけ遅くなった。


 レナはそれに気づいて、小さく笑う。


「……やっぱり、優しいじゃん」


「…………」


「聞こえてる?」


「聞こえてる」


「じゃあ何か言ってよ」


 少しだけ間が空いた。


「……変」


「またそれ!?」


 ほんの少し前まで死を覚悟していた森の中に、レナの声が響く。


 冷たい風が木々の隙間を吹き抜け、辺りに残っていた血の匂いをゆっくりと散らしていった。


 少女は前を歩き、レナはその少し後ろをついていく。


 人間の少女と、獣人族の少女。


 ふたりは光の届かぬ深緑のさらに奥へと、一歩を踏み出した。


 互いに、まだ相手の名前すら知らないままに───


読んで頂き、ありがとございます。

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