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7. 認めたくない変化

 

「マレー! どうだ、治ったか!?」


 寝室の扉をばんっと開けてずかずかと歩いて来るズィに、マレは冷たい視線を向けた。



 先日の晩餐で毒を盛られてから数日の間、マレは寝台の住人となっていた。


 その間ひたすらに書物を読んでいたが、それがズィには退屈なようで、ぎゃあぎゃあとうるさいので基本的に部屋から追い出している。


 とはいえ、今日は特に鬱陶しい。


 会話を続けられる程度には回復したということがばれているらしく、放置し続けるのも流石に限界のようだ。



 マレは深くため息を吐いて、寝台から降りた。


「起きるのか? 大丈夫か? 治ったんだな?」


「うるさい」


(治ったのか確証がないのであれば静かにしてほしいわね)


「湯浴みをするから人を呼ぶわ。姿を消して」


「なぜ湯浴みとなると人を呼ぶのだ? 他のことは全て一人でやっているのに」


 高貴な令嬢としては不自然なほどに。


 言外にそう述べるズィは、とにかくマレに聞きたいことが多いのだろう。


 面倒ごとを避けたいあまりに彼からの質問を有耶無耶に流してきた自覚はある。


「……答えられる範囲の質問であれば湯浴みの後にきちんと答えるわ。今度こそ、ね。数日間きちんと体を清められていなかったから、話をする前に入浴したいの。お湯の準備が必要だから一人では入れないというだけ」


「ははぁん。であれば私が用意してやろう」


 器用に片方の眉を上げたズィはすたすたと浴室へ向かい、中に置かれたバスタブを一瞬で水で満たした。


(は……)


「温めたほうが良いか……温度はどれくらいが好みだ?」


 何事もなかったかのように聞いてくるズィに返事をしつつ、あらためて彼が人智を超えた存在であることを認識した。


「ほら、きちんと温まってこい。水は飲むなよ? 私が生成したものは人間には少し刺激的らしい。それから、入浴の手伝いは必要か? 私はそなたの従者となったからな。髪を洗ってやっても構わぬぞ? やったことはないが、まあなんとかなるだろう」


「……結構よ。外にいなさい」


「なんだ、つまらんな」


 寝込む前に話した従者になれという願いが本当に採用されていたことに驚きながら、マレは入浴を手早く済ませた。


 未だ毒の影響による倦怠感が強く、浸かっているとそのまま沈んでいきそうな気がしたのだ。



「早かったな? 髪を乾かしてやろう。ソファに座れ」


「……」


 マレから言い出したことではあるが、ズィが従者としての仕事をあまりに忠実にやろうとするので、正直なところついていけない。


(まあ、この従者というには上から目線が過ぎるけれども)


 とはいえ髪の毛は絶妙な温度の風を生み出してすぐに乾かしてもらえた。


 衝撃的なほどに便利なズィに、マレは早くも、目的に影響しない範囲で従者としてついてもらうのはかなり良い考えなのではないかと思ってしまう。


(それにこの人……)


 なんとなく、憎めないのだ。


 若干しつこいのは欠点だが、マレの嫌がることはしないし、気がきくところもある。


 子供や犬のようなところも、可愛らしいと思えばそうなのかもしれない。


「そなたが私を寝室から追い出すから暇でな。城の使用人を見て回って、従者のなんたるかを学んできたのだ。とりあえず主人についてやることなすこと手伝えば良いのであろう?」


 乾かした髪を軽く整えてから、定位置になりつつある向かいのソファに腰掛けたズィが暴論を言う。


「……私はまだ、あなたに従者になってほしいという願いの説明をしていないと思うのだけれど、なぜそうも簡単に受け入れているのかしら」


「まあ多少特殊ではあるが、それがそなたの願いなのだろう?であれば叶えてやりたいではないか」


「……私のものに限らず、仕事でもないのに他人の願いを叶えて楽しいの?」


「一人でいるのはつまらぬ。人間は願いがあれば私を呼ぶからな」


(……良いように使われているだけでは)


 歪んでいるなと思ったが、まともな友人関係を持たないマレが口を出すことではないだろう。


「カナンサジュを初めとして、その後200年はフィランの者に何度か呼び出されていた。世の平定のために私の力を借りたいというのが全てで、基本的にはすぐに用が終わってしまうんだ。あやつらは皆生真面目で、遊ぶ暇もないからつまらなくてなぁ」


 数日放置しただけで名を呼びながら寝室に突撃してくる神と一国の主が親しくするのは難しいだろう。

 王とは本来、それほど暇な仕事ではないのだ。


「しかし、そなたの願いはこれまでと違って新鮮で面白い。そなたは私に名を与えたし、その礼として、特別に従者として世話を焼いてやるのも悪くはないと思ったのだ。それに——フィランの一族に仕えていたはずの者たちはいなくなっているしなぁ」


「……」


 これは、マレがズィの建てたという現中央宮殿に住んでいないということを知ったときから、ずっと聞こうとしていたことに関係するのだろう。



「……フィランの者にしては待遇が良くないと?」


 自嘲するような笑みが浮かんでいるのが自覚できる。


 マレはそれを隠すように、窓の外を眺める振りをした。


 そうして目に入った先には、荘厳な造りの中央宮殿がある。

 フィランが数百年前に退城して、しかし十数年前までは自由に入城していた場所だ。


 あれはフィランのものだった。

 今でもそうだ。


 フィランの最後の姫であるマレがあの城の本来の主だと国中の人々が認識していて、それを譲られているに過ぎないミークシャー王家は、本当の意味で城を自分たちのものにしたいと望んでいる。



 ただ、そこまでのことをズィに話すつもりはない。


 先ほどのズィの発言から、フィランの一族に彼はかなり肩入れしており、またマレのこともそれなりに興味深く思っているようだということが分かった。


 下手なことを言ってマレの目的達成を阻むような行動をとられては堪らない。


「私が眠りにつくまで、フィランはこの国を治める者として頂点に立っていた。それがどうだ?そなたは使用人もつけずこのような場所で暮らし、周囲の者は明らかにそなたを軽視している。王太子と呼ばれていた者がフィランではないということは、私が寝ていた間に王朝交替でも起こったか?」


「察しが良いのね。その通り、ケニン・フィランが建国したフィラン王国では、今から約150年前にフィラン家とミークシャー家の合意によって、禅譲という形で王朝が交替したわ。フィランの一族が国を治めていた時期はフィラン王朝期と呼ばれ、現在はミークシャー王朝期ね」


「そうだとして、それはそなたがふざけた扱いを受ける理由にはならぬはずだが」


「私としては、あなたが私の現状をふざけていると断じる理由の方が不思議なのだけれど。“神”たるあなたが気にかけるほどのことではないように感じるわ」


 出会ったばかりの人間がどのような扱いを受けていようがどうでも良いのでは? そう続けると、ズィはあからさまに苦々しい顔をした。


「どうでも良い? そんなわけがなかろう。フィランは特別な一族だ。神の恩寵を受けた始まりの民。その辺りの人間などとは一線を画した存在がフィランだ」


「……それは、初耳ね」


「なるほどな。本人が知らぬのであれば他の者は知る由もなく、そなたを軽視しているというわけだ。私が殺してくるか?」


唐突な殺害予告にマレはぎょっとする。


 ズィにとってマレが庇護対象に含まれることは理解したが、ズィの発言はマレの目的達成を完全に阻害することになる。自身の待遇改善など全くもって望んでいない。


「いったい誰を殺すというの。結構よ。余計なことはしないで」


「つまらぬなぁ」


「とにかく、あなたには従者の振りをしてもらいたいの。先日近衛兵たちの意識を操っていたでしょう? 元々城で働いていた使用人として、私のところで新たに働き始めたというように王太子たちに誤認させることはできる?」


「無論。私をなんだと思っている」


 一々自慢げなズィには慣れてきた。


「その上で、あなたは間違いなく王太子たちに間諜として使われることになるわ。私の見張りということね。定期的に呼び出されるはずだから適当に誤魔化してほしいの」


「なんだそれは? そなた、あやつらと対立でもしているのか?あの態度はそれが原因か」


「王朝交替があったとはいえ、権力闘争でフィランが敗れたわけでもない以上、フィランは未だに国民の支持が非常に強い。あちらが勝手に怯えているのよ」


(そう。こちらは何もしていないのに、怯えた末に噛みついた……であればフィランの姫である私には、その復讐をする義務がある)


「ふむ、良いだろう、芝居を観る側でなく演じる側になるのもまた一興。私にできぬことはないぞ」


「……」


「……そなた、笑えたのか」


「は?」


「いや、今そなた笑ったではないか。常に無表情か蔑むような顔かだから笑わないのかと思っていたが、笑っていた方が良いな」


 頷きながら見てくるズィに、見間違いではないかと言って席を立つ。


 また自分を放置する気かと喚くズィに顔を見られないよう、足早に寝室へ向かった。


(笑った? 私が? ……だって、自信満々に使用人を演じるのも一興とか言っているくせに、到底使用人には見えない大きな態度で、あまりに矛盾しているから……おもしろ、く、て……?)


 無意識に笑みを浮かべるということが一体いつ以来なのかということを考えかけて、マレはその思考を頭を振ることで無理やり散らそうとした。


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