三十三話
始業時間には、ギリギリで間に合った。軽く倒れそうになったから、確実に睡眠不足。ちょっとミスしそうに何度もあったが、最後まで気合いで乗り切った。昼食時になって、もうあと半分耐えられれば終われると安心した。帰って研究ができる。だからだろうか。盛大な失敗をしてしまったことに気づいていなかった。
午後一番で、会議が行われる。それぞれの研究班が、今の研究の進捗用字進捗状況を報告しあう。問題点や改善点を指摘して、より良い方向に修正するという内容。俺も参加することになっている。
その会議に必要な書類を、忘れてしまったのだ。その書類は、所属している研究班全員が必要な書類で、俺の担当箇所が最後に残っていたから、持ち帰っていた。
クビにはならないだろうが、こちらに回される研究費用とか評価とかが大幅にマイナスになる要因になる。大切なことは書類に全部書かれているから、それがないと話にならない。今から取りに戻るべきか。しかし、時間的に間に合わない。もう全員に土下座する練習とイメトレ、そして謝罪の内容を考案しているくらい追い詰められていた。
「おいユーグ。おまえに客が来てるぞ」
「今忙しいので後回しにします」
「そうか。じゃあ追い返しておくわ。なんか女の奴隷だったけど」
「ちょっと待った!」
心当たりがある俺は先輩を追いかけ、引き止める。
「どんな子ですか?」
「ん~? えっと、奴隷で、ウェアウルフで」
間違いない。ルウだ。入り口で待っていると聞いたので、全力ダッシュ。門に寄りかかって、ぽつねんとたたずんでいた。
「あ、ご主人様」
「どうしたんだ?」
無言で、なにかを手渡してきた。受け取りながら確認すると、会議に必要だった書類、まさしくそれだった。
「これ、どうしたんだ!?」
「掃除中、机の上に残っていたものですから。朝出掛けられたとき、会議がどうの書類がどうの、と言われていたので。もしかしたら慌てて忘れてしまわれたのではのではないかと。さしでがましいありかもしれませんがお届けに参りました」
「全然さしでがましくありなんかない! ありがとう、本当にありがとう!」
「大仰すぎではないでしょうか」
両手をぎゅっととってしまうくらい、礼を告げる俺に少し困惑するルウ。
「しかし、よく研究所に来れたな。場所知てたのか? それとも誰かに聞いてきたとか」
「いえ違います。匂いを追って来ました。私は、ウェアウルフですので、他種族に比べて嗅覚が優れているのです。なので、ご主人様の匂いを覚えて、その匂いの痕跡を追ったのです」
「そうか、そういえば耳もいいんだっけか」
「はい。大変でした。これを持って、時折匂いを嗅ぎながら参りました」
ずい、と俺の着古したシャツを取りだし、示してきた。俺の服を、嗅いでいたってことだよな。何度も。それは・・・・・・とてつもなく恥ずかしい。
「ご主人様の服の匂いを嗅いで、街を歩く私を、きっと周りの人々は奇異な目で眺めていたことでしょう」
「・・・・・・なんかすまん」
俺なんかよりルウのほうが何倍も恥ずかしかったに違いない。
「ですが、これはご主人様が私に羞恥プレイをさせているのだと自分をごまかして、なんとか羞恥心を消すことができました」
「なんか本当にごめん!」
さっきやっていた土下座の脳内シミュレーションが早速役になった。
「え? 羞恥プレイではなかったのですか?」
「なんでちょっと残念そうなんだ!?」
「そういう風にごまかしていましたから、そうじゃなかったとするなら、前提が崩れてしまいます。精神崩壊をしてしまいかねないほどの」
「それはもう本当にすいません! 俺のせいです!」
「いえよろしいのです。今日一緒にご主人様と連れだって歩いて帰れば、昼間のあの子がしていたのはあの男の趣味なんだなと、あの男いたいけな少女にあんな変態的行為をさせる鬼畜なんだな、と目撃者達は真実を知るでしょうから。それだけで私は救われます」
「俺がとんでもない鬼畜で変態っていう印象がついちまうじゃねぇか!」
「なにか問題でも?」
「問題しかないけど、それでルウが救われるのなら甘んじて受ける覚悟だよ!」
「ご主人様。土下座しながらのツッコミは、疲れませんか?」
「今更な指摘だけどこれも俺への罰だから!」
「いえ、もうよろしいのです。私は奴隷ですから。迷いましたけど」
「やっぱり迷ったのか!? 帝都は広いし慣れていないからな!」
「そういうわけではありません。ご主人様に教えられたことを、実践しただけです」
手を借りながら立ち上がる俺は、頭に疑問符を浮かべてしまう。教えたとか実践したとか、どういう意味だろうか。道に迷ったとき、どうすればいいかとかの対処法か? そんなこと教えただろうか。
くるるる、という小鳥が鳴いたような音が、ルウから聞こえた。きっと俺の予想が当たっているのだろう。彼女の顔が赤くなった。
「走って体力を消費したので、いつもより早めに大きめに鳴ってしまっただけです」
「お、おう」
「それでは失礼いたしますご主人様。私は帰ります。帰り道、おなかをすかせた私が行き倒れて衆人環視に晒され今までにない辱めを受けて家で命を絶っているかもしれませんが、どうぞよろしく」
「よろしくねぇよ!」
そんなこと聞いて帰せるか。いやせっかく来てくれたのにただ帰すのは忍びない。
「研究所、食堂があるんだ。食べていかないか?」
「・・・・・・かしこまりました」
俺に連れられて、研究所内を進んでいく。きょろきょろと忙しなく周りを観察しているのがいとおしい、ふふ。
「ここで、ご主人様はお仕事をなされているのですね」
誰かに職場の案内をする機会は、それほどない。それも、好きな子に対してなら特にだ。だから浮かれてしまって、食堂までの道すがらいろいろと説明した。ルウはいつもどおりのそっけない反応だったけど。
「ん? おいユーグ。その子知り合いか?」
途中、昼食を終えた先輩に出会って声をかけられた。一人だけじゃなくて、何人も連れだっている。
「おいおい、その子まさかおまえの恋人か?」
「冗談やめてやれ。こいつは研究一筋で、そんなもん作る暇も余裕もないだろ」
「確かに。魔法・研究・実験バカだしなー。ははは!」
この人たちとは研究所に入ってからだから数年以上の付き合いだ。どういう人たちかは知ってる。悪い人たちじゃない。きっと悪意は微塵もないんだろう。しかし、むかつく。
「そういえば、前街で男とけんかしてたんだって? たしかそれにも女の子が関わってたんだよな?」
「相手の男の奴隷に一目ぼれして、暴れ回ったって聞いたぜ」
「俺は女性の服屋に行って、奴隷の子を目の前で着替えさせて興奮してたってうわさ聞いたけど」
「あ、俺も聞いた聞いた」
「「「「まじで?」」」」
・・・・・・。
「「「「「ひくわー。人としてひくわー」」」」
さてどうしようか。まずいことになった。こんな状況でこの子俺の奴隷なんです。一目ぼれして今一緒に暮らしてるんです。そんで、そのうわさほとんどマジです、はい、あっはっはっはー。
終わりだ。今後この人たちとの関係は微妙なものになる。よそよそしい対応ならまだいい。無視されたり嫌がらせでもされたりしたら。それが職場で一生続くとしたら。地獄だこれ。一生好奇、嫌悪、侮蔑の視線を送られて腫物扱いあり。今だって皆そんな視線送ってきてるし。
「皆様は、ユーグ様と一緒に働いている方達でしょうか?」
「そうだけど、お嬢ちゃんこいつとどんな関係なんだ?」
なにをするつもりなのか。聞く前にルウに手で制せられた。目をぎゅっと強くつぶって、そして俺を見る。なにやらルウは自信があるらしい。微妙にどや顔になりながら、サムズアップしてきた。適当に話をでっちあげてくれるつもりかもしれない。
「お初にお目にかかります。私はウェアウルフのルウともうします。以後、お見知りおきを」
丁寧に深々とお辞儀をしたルウに、おもわずおお、とどよめく。ふふ、いいぞ。やっぱりルウはできる子だな。ちゃんとしたあいさつとかわいさがあいまって最高。もうそういうところも大好きだ。
「ユーグ様に、金銭で買われて物として側に置かれている、奴隷でございます」
はい終わった。
「……君、奴隷なの? これの?」
「はい。これの」
これ、という呼び名がルウにも感染してるけど、もうどうでもいいや。
「……冗談じゃねぇよな?」
「この『隷属の首輪』が証でございます」
わざわざ強調するようにして見せている。皆魔法士で研究者だから、すぐに本物だと理解したらしい。ドン引きどころかゴミを見るような皆の視線。
「主にユーグ様の食事のお仕度用字支度、・お掃除、お洗濯、お買い物が私の仕事でございます。一人でもできるようなことを、わざわざ金で買った私にさせているのでございます。それから、先程のユーグ様に関するうわさでございますが、全てが事実でございます。私も、当事者ですから」
更なる爆弾が放り投げられる。凍てつくほど痛い空気が、俺を殺そうとしてくる……。
「それから、毎朝と毎夜、私はご主人様に特別なご奉仕をしております。そのせいで私も、大変なことになってしまいますが、それも奴隷でございますから。主には逆らえませんので」
「もういっそ殺せえええええええええええええええええええええ!!!」
膝を折って天に咆哮。そうしなければ耐えられなかっただろう。
「ルウは俺のことが嫌いなのかああ! だからわざと本当のことを言うのかあああ!!!」
「私はここで真実と異なることをしゃべってしまったら、今後ご主人様が後々うそをついたことになります。信用問題などでお困りになると判断しました。それだけでございます」
「ありがとう俺を気遣ってくれてええ!!」
けどそのせいで今後別に困ったことになるよおお!
「一度うそをついたらそれを隠すため、押し通すためにもっとうそをつきつづけなければなりません。その場その場で適当についたうそのせいで、ご自分の首を絞めることにもなりかねません。そうなれば嘘うそだとばれたとき、周りから信用されなくなりましょう」
「具体的なアドバイスどうもありがとおおおおおおお!!」
「最悪、周りから疎外されて職場を辞めることにもなりかねません。そうなれば私の生活の保障はどうなりますか。主に食費とかお風呂代とか」
「そうだなルウはお風呂とお肉が大好きだからなああああ!」
「ご主人様、毎回のことですがうるさいです」
もう、ボロボロだ。主にメンタルが。
「皆様も驚いてしまっています」
それはきっと、驚いているんじゃない。ドン引きしているんだ。
「それでは、ご主人様。お早く食堂に案内していただきたいのですが」
はは。こんな状態のご主人様に、食事を要求できるメンタル・・・・・・ルウはすごいな。どこででも生きていけるんじゃないだろうか。
「じゃあ俺はこの子を連れていかなければいけませんので。失礼しますね」
「あ、ああ。また後でな」
自然とルウの手をとって、小走りになる。食堂に着いたときには、人はあまり残っていなかった。提供できるメニューに、ルウは満足できないようだったけど、厚切りベーコンを口いっぱい頬張っているルウに、和んだ。
けど、さっきの先輩たちもあ会議のメンバーだったっけと思い出して、また落ち込んだ。




