十六話
その夜、昼寝をしたせいか寝付けずにいた。
雲雀や藤華紗、羽歌に一番叱られたのは光誠だった。
年長者としての危機感がないなら外出を制限するとまで言われた。
光誠は言い訳も言い逃れもしなかったので、翌日から三日ほど外出禁止となった。
紫織と瑠璃も門限の厳守を言いつけられた。
門限破りを最初に言った紫織は、さらに風呂掃除とトイレ掃除を一週間することになった。
光誠の頭を一番悩ませていたのは、紫織の行動と涙だった。
葵をけしかけるような真似をし、なおかつ自分まで一線を越えた。
その後の涙は、まったく理解しがたいことだった。
なにが悲しいのか。
光誠が悪かったのか。
家庭内恋愛禁止はどこへ行ったのかと腹が立ってきた。
寝返りを打ってから喉の渇きを感じて、光誠はベッドから立つ。
もう叱られ終わったにも関わらず、誰かに怒られやしないかとビクビクしながら部屋を出た。
「あ」
「あ」
冷蔵庫の前に満月が出ている。
「月乃さん」
「タイミングが悪いな」
ワイシャツ一枚の姿で冷蔵庫の前に座り込む古典教師を見つけた。
スポーツ飲料を片手に月乃は立ち上がり、光誠へ場所を譲る。
譲られた場所に入り、光誠は五百ミリリットルのミネラルウォーターを一つ取り、部屋に戻ろうとした。
「門限を破ったそうだな」
「はい」
夏休みでも遅くまで学校で働いていた月乃は、光誠たちが説教されている場面を見ていなかった。
事情も雲雀からの又聞きだった。
「教育者として言わせてもらうと、暗くなってから出歩くのはリスクがあるから控えて欲しい。君の妹たちのためにも」
リスクという言葉に、紫織から教えてもらった正当化の原理を思い出す。
紫織にとって、光誠にキスをすることはどんなメリットがあったのか知りたかった。
兄妹の枠を越えることを望んでいないし、美奈星に対しても面目が立たない。
光誠にはデメリットが大きかった。
「その格好で言われましても」
常夜灯で照らされる月乃は下着もなくワイシャツだけを身につけていた。
「これは雲雀の趣味だ。私のせいではない」
「ご迷惑をおかけします」
雲雀の性癖など初めて知る上に、月乃が合わせているというのは意外であった。
二人が何かを決めるときは、月乃が決めている雰囲気があったのだ。
「まぁ嫌ではないんだが」
「そうなんですか」
月乃は美奈星の姉である。スポーツをする美奈星と古典を教える月乃ではイメージが真逆だった。
その岡田姉妹も体型は似ている。
八木姉妹や大山姉妹とは違い、控えめな感じだ。
「ところで君は女性が好きか?」
「え?」
「雲雀の弟だから色々あるのかと思って」
「えっと普通です」
「そうか。この家は女の子が多いから色々大変だろう」
「さっきから色々心配してくれてますね」
光誠は、姉妹たちから妙なアプローチを仕掛けられているのを相談しようかと思うほど追い詰められていた。
月乃であれば、八木姉妹とキスをしたと話しても受け止めてくれそうだった。
美奈星と付き合っているので、後々、交際が発覚したときのことを考えると月乃も相談相手としては難しいと感じる。
「君は、私の弟でもある。なにか困っているならいつでも聞こう」
月乃は、家庭内恋愛解禁という恐ろしい試みで光誠がおかしくなってしまうのではないかと危惧していた。
肉体的に強くとも、女性特有の陰湿な攻撃を受けたら精神が持たないと睨んでいる。
光誠にとっての不運は、雲雀もまだ弟に関心のあることだった。
他の姉妹に手を出させないように美奈星へ色々と世話を焼いている。
妹を犠牲にするようで最初は止めていたが、当の美奈星が嫌がらないこともあり強く出られなかった。
わかりやすく言えば、光誠と近づくことに美奈星も抵抗がない。
そうなってしまうと、月乃は妹に強く出られなかった。
「今は大丈夫です」
美奈星と付き合っていなければ気兼ねなく相談できるのに、できれば相談したかったのに光誠は断った。
「うん。それじゃ、おやすみ」
「はい」
月乃が雲雀の部屋に戻る。
悩みを打ち明けるチャンスをふいにしたと自嘲して、光誠も部屋に戻ろうとしたときに、階段に座り込む人影があった。
「あ」
寝間着姿の瑠璃だった。
「なにしてる?」
月乃との会話を聞かれていた。
瑠璃に咎められるような話はしていないので、臆することなく尋ねた。
「少し、聞きたいことがあるんだよね。お兄ちゃんの部屋に入っていい?」
光誠は警戒していたが、葵や紫織のことを聞くチャンスでもあると思った。
「わかった」
夜中に妹を自分の部屋に入れるというのは、明らかに良くないと自覚はしている。
姉妹たちにある変化を捨て置けなくなり、それを調べるためだった。
瑠璃は、光誠の部屋に入るとベッドの上に座る。
光誠は隣へ腰掛けるわけにも行かず、学習机の椅子に座った。距離はとっておきたかった。
「それで何が聞きたいんだ?」
「カラオケボックスでシオリンと何したの?」
良く見れば、瑠璃にはいつもの明るさがなく思い悩んだ様子だった。
「なにもしてない」
「嘘だよ。シオリン泣いてたもん」
隠すには無理があった。
瑠璃はなにかがあったと確信して光誠に尋ねていた。
「正直に言うと、紫織にキスされた」
「シオリンから?」
「そうだ」
「それで泣いちゃったの?」
「ああ」
光誠の目を見る瑠璃は、普段からは想像もできないほど真剣なもので、光誠の言葉が嘘かどうか吟味していた。
「嘘じゃないんだ」
妹に対して異常とも思える恐怖を感じていた。
妹とキスをしたという事実を明かしたことで、光誠の立場は脆いものになった。
吹けば飛ぶようなみっともない男になった。
瑠璃の刺すような目を見てからと言うもの、光誠は瑠璃の次の言葉が恐ろしくてたまらない。
家から追放されるかのような審判が下ると思っていた。
「お兄ちゃんはどうして拒まなかったの?」
裁判は続く。瑠璃は光誠の中にある過ちや弱さを徹底してあぶり出そうとしていた。
「いきなりのことで」
「お兄ちゃんの力があれば簡単だよね?」
キスに至るまでの流れに不自然さを感じているようだった。
光誠は、その前にある葵とのキスを白状しようか迷う。
呆れられるのも嫌われるのも耐えられない。
やっと家族になれたのに意志の弱さで家族をバラバラにしてしまう未来が見えて、それだけは避けたかった。
「なにか隠してる?」
隠してないと言うべきか、あると答えるべきか。
「ルリはお兄ちゃんの家族だよ? 全部教えてよ」
瑠璃の言葉は信用できるのか。
信用しなくていいのか。
もし、信用しなければ、それは瑠璃を家族と認めていないことになる。
そんなことをすれば、瑠璃か光誠は家に居場所がない。
そこまで考えて光誠は覚悟を固めた。
「わかった」
「ルリは、どんなことでも聞くから」
瑠璃も覚悟をしていた。
姉妹とも言える紫織と光誠の間に何があっても受け止めるつもりだった。
紫織が悲しむのも光誠が思い悩むのも見たくない。
ただ、今まで母と暮らしていた寂しさと比べれば、手の届く範囲に家族がいるのは幸せだと言えた。
その家族を守るためなら、瑠璃はどんな努力も惜しむ気はなかった。
「実は、その前に葵さんにキスをされた。二人が浴衣を着て玄関で待っているときだ」
「え、あのとき?」
「そうだ。それを誘導したのは紫織だと言っていた。紫織は、葵姉さんの考えていることがわかるらしい。そのあとで、紫織も同じことを考えているといって」
光誠は、話していてあまりの内容に収まっていたはずの混乱が戻ってくる。
やはり、いくら考えても葵や紫織の気持ちがわからない。
からかわれているのか、真面目にやっていることなのか。
どちらにしても光誠はそれを受け入れられなかった。
美奈星がいるからとかそういうことではなくて、家族として受け入れられない。
「それでキスしたの?」
「そうだ」
光誠は白状できることはすべて白状した。
大きな身体を折り曲げて頭を抱え込む。光誠の望んだ家族からまったくズレていた。
「そっか。葵さんともキスしたんだ」
瑠璃が確認するように独りごちる。
「そうなると、玄関でキスしてたのは、やっぱりみなぽん?」
光誠は苦悩を中断して固まった。まさかそこまで蒸し返されるとは思っていなかった。
「ねぇ、どうなの?」
瑠璃の推理はこうだった。
玄関でキスをした人物がいる以上、光誠にはそういうことを許せる人間がいる。
光誠は葵や紫織とのキスを望んでいなかった。
瑠璃ともキスをしてない。
そうなると、残るのは美奈星だけだ。
簡単な消去法だった。
光誠が、雲雀や月乃に手を出すような素振りはないと、先ほどの盗み聞きで確定していたので瑠璃は自信を持っていた。
「そうだ」
光誠は初めて美奈星との関係を明かした。
これで本当に隠し事はなくなった。
後は、この事実を瑠璃がどう処理するかで光誠の人生が決まるのだ。
「二人は付き合ってるの?」
「ああ。でも、家庭内恋愛禁止だから隠していた」
「そっかー」
光誠の正直な答えに、瑠璃は思案した。
光誠は美奈星との関係を守りたいから隠している。
それに輪を掛けて、光誠を元気づけようと葵や紫織がアプローチを掛けていた。
兄姉妹でキスはさすがにやり過ぎだと思う。
問題は二つあった。
光誠を元気づける必要が本当にあるのかということ。
光誠はすでに恋愛をしている。
あとは美奈星に任せておくだけで父親を失った悲しみは癒えていくと思った。
もう一つは、キスだ。
瑠璃だけがキスをしていない。
プールで紫織とやったのは遊びにも等しいもので、本物のキスではなかった。
姉妹たちに先を越されたことよりも、一人だけ光誠との思い出が少ないことが我慢ならない。
今も弱みにつけ込んでキスをする好機であるものの、それで光誠がさらに落ち込むのは目に見えていた。
「我慢我慢」
瑠璃は念仏のように唱えて、光誠の混乱を解くことにした。
「瑠璃?」
告白してきた男子を拳一つで追い返す屈強な兄が、すがるような目つきで瑠璃を見ていた。
そんな兄は見たくないという気持ちと、頼られることの嬉しさに決意が揺らぎそうになる。
できることならキスで励ましたかった。
「う、うん。葵お姉ちゃんとシオリンのことは気にしなくていいかも。ルリは、お兄ちゃんとみなぽんの恋を応援するよ」
「気にしなくていいってどういうことだ?」
光誠は、瑠璃になにか心当たりがあると思った。
「ルリがなんとかしてみる」
光誠の手を握って、目を見つめた。これでこの場を誤魔化せればなんとかなる気がした。
家庭内恋愛禁止のルールが、一時的に無効となっていることを瑠璃たちは秘密にしていた。
その元凶は、瑠璃の母の羽歌にある。
これは一度、相談しなければならなかった。
「わかった。今は瑠璃しか頼れない」
「ふぅぁぁ」
弱々しい光誠にそんなことを言われると瑠璃は胸が一杯になった。
一杯になって破裂しそうだった。
破裂したらピンク色でハート型の風船が大量に解き放たれるくらい甘美な感覚だった。
「ど、どうした?」
「だ、大丈夫。とにかくルリに任せて」
「ありがとう」
「ふぅぅぁぁぁぁっ!」
瑠璃は、今すぐに光誠を抱きしめて頬ずりしてキスを乱れ打ちしたかった。
「本当に大丈夫か?」
「うん、大丈夫だから、おやすみー」
瑠璃はこれ以上光誠と一緒にいてはおかしくなると思い、握っていた手を離す。
顔が熱くなり、頭がぼーっとしていた。
カラオケボックスで光誠の目を見ながら歌ったときの興奮に似ていた。
屋上で光誠に抱きしめられたときの緊張に似ていた。
とにかく甘い。甘すぎるのだ。
瑠璃の身体は、瑠璃の歌は、光誠に捧げても良いとさえ思えるほど殉教な気持ちにさせた。
瑠璃が部屋から出て行くと、光誠はベッドへ戻った。
瑠璃が座っていた部分が暖められていて、不愉快でないものの違和感がある。
瑠璃に話したことで頭や胸を重くしていた不安が、ほとんどなくなっていた。
最後に見せた珍妙な振る舞いがどういうものなのか判然としないが、光誠の心は軽くなっていた。
光誠は部屋の明かりを消して横になる。
瑠璃の暖かさを余計に意識した。
それが懐かしく感じて不思議だった。
その懐かしさがなんなのか思い出そうとして、幼い頃に雲雀に寝かしつけられていたことを思い出す。
誰にも言えない恥ずかしい思い出の一つだ。
雲雀と瑠璃は姉妹だ。
雲雀に育てられた光誠が、瑠璃の体温で安心を感じるのはそのせいだと結論が出たところで、心地よい睡魔が訪れた。
お調子者の妹に感謝しつつ、眠りについた。




