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イエコイ  作者: 我有一轍
二章
11/23

十一話

 帰宅後や夕飯で、美奈星が怯えるほどの衝突はなかった。


 雲雀と葵は、角を突き合わせるような売り言葉に買い言葉を投げ合っていた。

 美奈星にとっては、どちらも猛獣のような存在で、触らぬ神に祟りなしの精神で近寄らなかった。


 ただ、紫織が学校中で光誠のゲイ疑惑の噂があると暴露し、光誠を除く全員がむせることになった。

 当然、光誠は全力で否定していた。



「ふぁ」



 夕飯のあとは眠くなる。

 学習机に広げてある数学の問題集のやるべきところはまだ半分もあるし、英語の復習もしなければならなかった。



「美奈星ちゃん、今日は二番風呂だからね」


「あ、はい! ありがとうございます!」



 油断したところへ、襖の向こうから雲雀の声が掛かり、心臓が飛び出そうになる。


 日高家の風呂は、一人二十分までとなっており、忙しい。

 ゆっくり入るには、姉妹や仲良しなどで相風呂するしかない。

 瑠璃などは誰とでも相風呂をするので、二枠三枠と長風呂することもあった。



「今日は、光誠くんの後か」



 宿題を中断して入浴の準備をしながら独りごちる。


 家族会議の満場一致で、光誠を女子の後に入れないということになったので、少なからずある嫌悪感も我慢だった。



「お風呂はお風呂」



 美奈星は自分に言い聞かせながら部屋を出て、風呂場の脱衣所兼洗面所へ入った。



「ん?」


「え?」



 フラストレーションを抑えていたせいで、中に人がいるかの確認を怠った。


 バスタオルで頭を拭く上半身裸の光誠がいた。



「し」


「あ」



 光誠は、とっさに美奈星を引き込み扉をしめた。


 引っ張られた美奈星は、持っていた着替えを脱衣所へ落とした。


 朝からさんざん二人きりになれる場所や時間を探していたが見つけられなかった。

 ゆっくりとは言い難いが、二人きりになれる場面は降って湧いた好機だ。

 光誠は見逃してはならないと思っていた。



「美奈星」


「う」



 光誠はいきなり唇を奪うことはしなかった。

 熱く湿った体で美奈星を抱きしめている。

 唇に迫る光誠の顔は、キスのことしか考えていない目で美奈星の許可を待っていた。


 狭い空間に湯気が立ち上る。


 風呂場の雰囲気を崩さないオレンジ色の照明。


 家人と扉一枚で隔たれた空間。


 美奈星の緊張は、極限へと振り切っていた。


 告白を受けたからには、こういうこともあると想像はしていた。

 少女趣味と言われても夜の海辺や星空の下に憧れていた。

 こだわればキスは遠のく。

 そこに刺激はなかった。


 光誠に見つめられながら、時間の経過を意識する。

 じわじわと体の奥底から恋人になってなにをするべきかという問いが生まれた。

 このまま何一つ恋人らしいことをせずにダメになる未来もあった。

 姉妹たちを出し抜きたい気持ちも、姉妹たちに先を越されるのではという焦りもあった。


 美奈星は、緊張と焦りの中に、少しだけ興奮を見つけて息を呑む。


 もう考えるのも我慢するのも限界だった。


 それは光誠も同じだと思っていた。


 きちんと恋人になろうと覚悟する。



「いいよ」



 美奈星は体の自由を光誠に委ねる。


 少し上を向いて目を閉じた。


 家に帰宅し食事も終えた後だというのに、美奈星の唇にあるリップの艶めきは落ちていない。


 光誠は改めて、恋人の唇を観察した。

 一秒か二秒ほどで我慢できなくなり、緊張で引きしまった頬を見ながら唇を合わせた。

 つるんとした肌触りのあと、強ばった筋肉が緩むのを感じる。

 今まで感じたことのない唇の熱や震えが新鮮だった。

 このままいくらでもくっついていられそうだった。

 静かな緊張と興奮で胸が高鳴る。

 美奈星を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。


 全身を包まれる感覚に父や母の暖かさを思い出す。

 美奈星が失った暖かさと似ていた。自然と涙がこぼれた。



「美奈星?」



 光誠の鼻に涙が当たり、異変に気づいた。



「平気」


「でも」


「もう行って。誰かに気づかれちゃう」


「あ、ああ」



 光誠は、美奈星の毅然とした態度になにか失敗があったのかと不安になる。

 美奈星の言葉へ素直に従うのが良いと考え、服を着て扉を開けた。



「ありがとう」



 光誠が洗面所を出ようとすると、ふいに美奈星が礼を言った。



「おう」



 光誠は訳もわからず返事をして扉を閉める。


 部屋に戻ったあと、光誠はベッドへ仰向けに倒れ、自責の念に駆られた。

 涙は、光誠に猛省を促した。


 美奈星はシャワーを浴びながら、胸の内にあるモヤモヤがなくなっていることに気づいていた。

 現金な話だった。

 問題はなにも解決していないのに、キスだけで何かが解決した気になっている。


 恋人の証明。


 それがあるのとないのとでは、立場の安定が違った。

 居候や姉のお荷物のような卑屈な心境になることがない。

 堂々と光誠の恋人を名乗れる切り札ができた。

 本当は、こんな考え方をしたくないのだが、家庭内恋愛解禁という異常事態において切り札は必要だった。


 美奈星は、光誠の姉妹たちと渡り合う自信を得た。

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