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アナーウェルト

 扉を開けると陽射しを受けた明るい緑が視界に広がった。

 エリムドールは街のはずれに位置している。

 建物の前には芝に覆われた広い庭があり、敷地は牧場を思わせるような白い木の柵で囲われいる。

 敷地を出てすぐ目の前には小川に架かる木の橋があり、その上から覗き込む澄んだ水に小魚の泳ぐ姿がレンの視界に入った。


「マジか……」


 視覚で捉えた学校の裏山とはかけ離れた景色に異世界へ来た事実を受け入れざるを得ないレンだった。


「あそこがメルーボの市街地よ」


 レンはアミカの指さす方に視線を移した。

 視界を遮るものが無い前方には建物の密集する円を描いたような市街地が見える。その面積、建物の高さからそれほど大きな街ではないことは明らかだった。それは間違いなくレンが住む明野町ではない別の街だ。


「ここ、マジで、異世界? か?」


「だから何度も言ってるじゃないの。これで信じたでしょ」


「マジ……」


 青い空に緑の牧草地と黄金色の田園風景は、まるで争いなど必要としない、そんな世界に思える穏やかな景色だった。


 3人は街へと向かった。

 街までは徒歩で約20分。

 石畳の目抜き通りの両脇には、煉瓦造りの商店が軒を連ね、多くの人々が行き交っているが、なぜか賑わいは感じられない。


「街に入ったら感情を出さないように」と雷人に忠告されたように、街の誰一人として笑っている者はいない。

 歩いている者、商店で物を買う者、売る者どちらも無表情なまま生気が感じられないのだ。ただ金を渡し、商品を受け取る。そんな感情の伴わない作業だけが繰り広げられている。


「不思議でしょ?」


「薄気味悪いな……」


「感情が無いの、この世界の人たちには」


「はっ? どうゆうこと?」


「それは……」


「アミカ、人がいない所で話そうか」


 アミカの言葉を遮るように雷人が割って入った。

 3人は街の中央部にある石畳が敷かれた広場のベンチに腰掛けた。ここを起点として放射状に6本の道が広がり円形の街を形成している。広場には時計台のある大聖堂のような建物があり、この街のランドマークとなっている。まるで中世ヨーロッパのような美しい街並みだが、所々に設けられた花壇には、色鮮やかな花の代わりに雑草だけが生い茂っている。

 雷人は警戒するように周囲の様子を見回した。


「アミカはお喋りだな、相変わらず」


「ごめーん」とアミカが舌を出す。


「もう慣れてるから大丈夫だけどね」


 雷人は用心深くもう一度周囲を確認した。


「この世界は数ヶ月前からある男に支配されていて、そいつが世界の感情を消し去ってしまったってわけ」


「どうやって?」


「簡単に言うと喜怒哀楽の感情をゴッデストールってやつに封じ込めて、それをこの世界の何処かに隠したんだ」


「何処かって、何処に?」


「全く見当がつかない。それを探すのが私たちの役目よ」


「それを探す冒険をするってことか?」


「その通り」


「へぇぇ、面白そうじゃん! ゲームみてぇ!」


「そんなに喜ぶ人初めてなんだけど」


「俺たち3人でか?」


「いえ、4人よ」


「4人て? 3人じゃん」


「もう1人いるんだよ、カケルって奴がね」


 雷人の声のトーンにはカケルという男に対する不満が込められているようだった。


「そいつ、今どこにいるんだよ?」


「朝早くから呑気に釣りに行ってるよ」


「呑気に」と添えられた一言で、カケルがどんなタイプの男なのかレンには少しだけ想像できた。


「ところでさぁ、なんでこの世界に花田が関係あるんだ?」


「レン、あれを見て」


 レンは雷人が指差す方向を振り返った。


「見覚えない?」


 レンはそれを間近で確認すべく立ち上がって歩み寄った。

 それは立派な台座の上に立つブロンズ像だった。レンの背丈の3倍はあるだろうか、レンは仰ぎ見るようにしてその顔を確認した。


「えっ? どうゆうこと?」


 全体的に汚れて黒ずんではいるが、その人物が花田だということは一目瞭然だった。

 左手を腰に当て、真っ直ぐに伸びた右手の人差し指。まるで民衆を希望の未来へと導く指導者のような佇まいである。


「なんで、花田?」


「アナーウェルトと繋がった洋館の入口を見つけたのが花田先生で、この世界の発展に貢献したらしい」


「あんな奴がっ?」


「そうらしい」


 雷人はあらためてアナーウェルトの現状を確認するかのように、人気のない広場を見渡した。


「さっき説明したある男っていうのは雨宮文殊という奴さ。そいつが権力者や特別な能力を持った者たちをうまく従わせてアナーウェルトを支配した」


「へぇ、なかなかやり手な奴じゃんか」


「良く言えばそうなるね。けど、彼も僕たちと同じ世界の人間さ」


「どうゆうことだ?」


「僕たちと同じように花田先生が送り込んだんだ」


「裏切ったってことか?」


「簡単に言うと、そうだね」


「最低な奴だな」


 3人がエリムドールへ戻るのと時を同じくして、釣竿と魚籠を両手に持ったカケルが帰ってきた。

「今日は大漁やったよ」と関西弁のアクセントのカケルが下ろした魚籠の中には、大小さまざまな種類の魚が幾重にも重なっている。


「カケル、新しくやって来たレンよ」


「あ、よろしく。僕、カケルな」


「よろしく」


 レンはカケルの大きな腹を見て、パーティーとして一緒に戦うことに不安を感じた。


「てことは、また旅に出なアカンてこと?」


「当り前じゃないの! 一生ここにいるわけ?」


「ここやったら誰にも怒られへんし、食べ物も美味しいし……僕は別にええんやけどな」


 雷人が大きなため息を吐いた。


「とにかく、明日はスペクトの森に行く。久しぶりの戦いだから肩慣らしみたいなもんだ」


「はいはい、わかりましたよ」


「体が鈍ってるわ、きっと。少し体を動かさないとね」


 アナーウェルトにはヒュマニッツヴァーデとモストールヴァーデという領域が存在し、視覚で捉えられる境界線こそないが、人間とモストールの住みわけができている。

 スペクトの森はエリムドールから最も近いモストールヴァーデだ。ゴッデストールはメルーボから遥か遠くにあるモストールヴァーデに眠るとされている。そこのモストールたちはあまりにも強く、誰も立ち入ろうとはしない。


「それにしても大丈夫かいな? 前の奴は口は達者やったけど、すぐに殺されてもうたやんか」


ーーなんだこいつ、ナメやがって


「今までの奴は知らないけど、白鳳の神河レンと言えば泣く子も黙る百戦錬磨の男だからな」


「それなら安心やね、期待しとくわ」


 カケルの差し出した右手をレンは力強く握りしめた。


「イタタタッ、ちょっ!」


 痛みに顔を歪めたのはレンだった。


「ちょっと、カケル! 加減しなさいよ! ホントに馬鹿力なんだから」


「すんまへん、へへっ」


 この4人がアナーウェルトの平穏な日々を取り戻すべく、ゴッデストールを探す旅に向かう。しかし、そこにはレンが想像するよりも遥かに過酷な試練が待ち受けているのだった。


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