異世界
花田はテーブルに両肘をつき、まるでひと昔前のアイドルよろしく両手のひらの上に顔を乗せた。
「行ってもらいたい所があるんだよね」
ニコッと微笑み、僅かに顔を傾ける花田。
「どこにだよ?」
「いい所だよ。キミは喧嘩、好きでしょ?」
「好きってわけじゃねぇし」
「またまたぁ! けど、強いでしょ?」
「負けたことはない」
花田はパチンと指を鳴らし「そう、それ」とウィンクしてレンを指差した。
背が低くおかっぱ頭に無精ひげ、無駄にまつ毛の長い細く垂れ下がった目。その男の西洋人かぶれしたような仕草が鼻につく。
「じゃ、お願い聞いて、ねっ」
教師という立場、そして、この停学というレンにとって不利な状況を最大限に活用しようとする花田であった。
「なんでお前のお願い聞かなきゃなんねえんだよっ」
「騙されたと思ってさぁ、課題をするよりよっぽど楽しいと思うよ」
「けっ! 停学処分で楽しいことなんかあるのかよ」
「それがねぇ、あるんだよね」
花田は再びレンに向けてウィンクをした。レンはもはや怒りを通り越して呆れた。
「じゃあ、もし俺がそのミッションを達成したら、可愛い女の子紹介しろよな?」
花田は満面の笑みを浮かべて親指を立てた。
重大なミッションと言いながらも花田の説明は曖昧なものだった。
古く錆びかけた鍵を手渡し、それでとある建物の扉を開けろと。そこが異世界への入口だという。
その先のことは……
「行ってみればわかるよん」ということだった。
ーー40半ばのおっさんがふざけたこと言いやがって
レンが通う白鳳学園の裏には険しい山がそびえている。木々が鬱蒼と茂り、少し足を踏み入れると昼間でも日差しが遮られて薄暗い。花田の言うとある場所というのは、生徒たちが『立入禁止』を命じられている所だった。
山上の方から流れる小さな川に沿って30分ほど歩くと、古びた三角屋根の大きな洋館が不自然にあることは学校の皆んなが知っていた。黄土色の壁に茶色い三角の尖った屋根。木製の雨戸は全てが閉じられていて壁の大部分には縦横無尽に蔦が絡みついており、その佇まいから住人がいないことを知ることができた。
その洋館の扉こそ花田の言う『入口』だった。
そこは白鳳の生徒たちに代々伝わる心霊スポットで、夏になると立入禁止を無視して肝試しに行く者が後を絶たない。
洋館までは険しい山道を登って行く必要があり怪我をする生徒も多かった。中には行ったまま帰ってこない者がいて、夜になると悲痛な声が聞こえるなどという噂もある。
それが事実なのか、険しい山に立ち入らないための作り話かはわからない。いずれにせよ洋館には近寄るなというのが以前からの決まりだ。
レンにとって、この罰はある意味でイベントのようなものだった。噂の洋館の中がどうなっているのか興味があった。
ーーどうせ停学ならすることもねぇし
昼間の山道は意外と容易く洋館まで辿り着くことができた。日が高い時に見るその佇まいは、不気味さよりもむしろ趣きのある立派なものに感じられた。
レンはとりあえずぐるりと建物を一周してみた。
レンはここが異世界への入口などとはハナから信じてはいない。それよりも、こんな罰を言い出した花田の頭がどうかしてしまったのではないかと心配した。
扉の前に立つレン。木製だが重厚感があるのは、その大きさだけではなく色がくすんで黒みがかっているからだろう。装飾が施されたアンティークな取手もそれを増強させていた。
ーーどんなオチが待ってるんだか
レンは期待に胸を膨らませ、ズボンのポケットから鍵を取り出した。
洋館に相応しいレトロな鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくり回すと「ガチャッ」と大袈裟な音を立てて開いた。
「開いた……」
そっと扉を開ける……ギィィィっと鈍く錆びついた音が響く……すると、暗いはずの中から光が漏れ始めた……少しずつ強さを増す光……
レンは目を細めながらゆっくりと足を踏み入れようとしたが、さらに一瞬の強い閃光が走り、目が眩んだレンの意識は朦朧とし始めた……
そして、レンは気が付くとベッドの上に横たわっていた。
レンは体を起こすより先に、冷静に今こうしている理由を考えた。
最後に残る記憶。それは扉を開けて眩しい光に包まれた瞬間で、そこから先のことは思い出せない。
次にベッドからゆっくりと体を起こして部屋の中を見回した。
花田の説明が事実ならば、ここは異世界のはずだ。
8畳ほどの広さの洋室。高い天井に張り付いた大きな扇風機がウィンウィンと音を立てながら回り、レースのカーテンが掛かる出窓からは光が射し込む。窓の下には木の机と椅子。机と横並びに天井まで届きそうな背の高い本棚があり、辞書のような大きく厚い本が隙間なく並ぶ。
廃墟と思っていた古びた洋館の外観と中のギャップにレンは違和感を覚えた。
レンがそんなことを考えていると、部屋のドアがゆっくりと開いた。ドアの向こうには人の気配が感じられる……




