表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朽ちる  作者: だーいし。
4/6

9

コピー機が無機質に一定の音を立てている様子をただ見つめている。

今、目の前にある光景なんてどうでも良かった。それよりも脳裡に映る昨日の景色のがべったりとこべりついていた。

伏し目になっている雄哉の寂しそうな顔。改札で人混みに紛れていく雄哉の背中。繋がなかった右手。

そんな映像が瞳の中に写っている。


「おい…今日なんか変だぞ。大丈夫か?」

上司にそう問われてようやく現実に戻ってきた。

とにかく悩んだって仕方ない。

今は出来る事をやらなければ。


コピーの終わった書類を持って自分のデスクへと戻る。

ファイルに一纏めにして上司に渡した。

単調な仕事は私を憂鬱から連れ出してはくれなかった。

単調な仕事がしたくてこの職場で事務をこなしているのに、今ではもっと煩わしい仕事をしたいと思っている。

 

人間とは現金なものだな。

私は自分をさり気なく棚に上げてそんなことを思っていた。

 

パソコンに向かい直す。

上司から送られてきている資料をわかり易く纏める。

パソコンがカタカタという音を立てて画面に文字が並べられていく。

曖昧な繋がりばかりで生産性の少ない私とは大違いだ。小さく溜め息を吐いた。


今度はカツカツという音が響いて女性が近付いてくる。

麻美さんの姿だった。大方、飲み物でも取りに来たのだろう。

受付がこの部屋に入ってくる用事なんてそれくらいしかない。


にしても麻美さんは綺麗だな。見れば見る程に吸い込まれてしまいそうになる。

大輝はぽってりとした柔らかそうなあの唇に触れているんだろうか。

麻美さんはあの指で大輝をなぞっているんだろうか。


そんなことを考えていると不意に大輝に会いたくなってしまった。

彼女という理由で大輝と会えることが許されている麻美さんが羨ましくなる。

  

瞬間、麻美さんと目が合った。

僅かな時間だったのに麻美さんは私に微笑んで会釈をした。

特段、深い意味は無いのだろう。目が合ったから挨拶をしたというだけ。


それなのに私の胸には黒いものが渦巻いた。 

麻美さんはただの八方美人で、その中の一方が大輝に向いているだけだ。

本当の意味で大輝を愛してるのは私の方なのに。

 

ー本当にそう思う?

突然、幼い頃の私の声がした。

  

…違う。ちゃんと大輝を見ていなかったのは私の方だ。どちらにもいい顔をしたいのは私の方じゃないか。

私が大輝に感じてる思いは愛じゃない。

 

そんな事ない。私はちゃんと正面から大輝を見ている。

2人で逃げ出せるならどこだって良い。不純かもしれないがこれは愛だ。誰に何と言われようとも。

  

自分の中で正反対にある気持ち同士がぶつかり合っている。

私にはもう何が正解なのか分からなかった。


吐き気がする。

私は思わずトイレに駆け込んだ。

 

そこからは坂道を転がっていくように落ちていった。

上るのはあんなにも大変なのに、落ちるのは面白い程に簡単だ。


体調の悪さを拭い切れずに上司に相談した結果、今日は早退する事になった。

 

理由の分からない突然の吐き気は絶えず続き、ギュッとなにかに締め付けられるような頭の痛みも次第に増してくる。

 

しがみつくような思いで電車に乗って家まで向かった。

最寄り駅を降りた途端、追い撃ちをかけるかのごとく太陽が私を貫く。


駅から5分、家の鍵を開けて我が家へと帰ってくる。

ひどく懐かしいような感じがした。


台所には冷蔵庫にしまい忘れていた牛乳が饐えた臭いを放っていた。


罪悪感と自己嫌悪に苛まれながら流しにそれを捨てて、なかば倒れこむ形でベッドへとなだれ込んだ。痛む頭で未来を選択していく、という簡単そうで恐ろしい問題が私の中で膨らんでいるのを感じた。

いつか見た入道雲みたいだった。



ふらふらとベランダに出る。

思考回路はもう完全止まってしまっているのが自分でも分かった。


駅を降りたときに感じた刃物みたいな陽射しも、この部屋のある5階では吹き抜ける風と程よく混ざって夏特有の爽やかさすらも感じる体感温度だ。

 

空を見上げた。

雲は自由に流れていて羨ましかった。

小さい子供が泣く声が聞こえてくる。

私に泣く権利ない。

すべてから逃れたかった。

雄哉を傷付けたのも、麻美さんに嫌な思いをさせていることも、大輝のことも、

全部私がやってしまったことだ。


まずは右足、そして左足と

腰くらいの高さにある手すりを跨いだ。


手すりの外側にある10cm程の空間に立つ。

さっきよりも風を生々しく感じる。

 

私はゆっくりと目を閉じた。

重心を前方に傾けて手すりから手を離す。

 

心臓は凄まじい勢いで血を送っているのを感じた。本能はこの状況下でも生きることを望んでいるのだろうか。

そんなもの無視をしてしまおう。 

 

私は体を空中へと投げ捨てた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ