☆2話:命がけの恋活パーティー! 侯爵令嬢の揺るぎなき条件
夜空に散りばめられた星々よりも眩い光を放つ、巨大な魔石のシャンデリア。
会場の至る所に飾られているのは、南方の領地から取り寄せられたという、色とりどりの希少な幻影花だ。
王都の夜を優雅に彩る弦楽の調べが、吹き抜けのホールに心地よく響き渡っている。
今日は、数週間前からセッティングされていた夜会――どこぞの伯爵家の長女が、無事に成人を迎えたことを祝うパーティーだ。
会場には、色鮮やかな最高級のシルクや魔蚕糸のドレスに身を包んだ令嬢たちと、仕立ての良い夜会服を隙なく着こなした紳士たちが溢れかえっている。
(はぁ……やっと挨拶の列が途切れたわね)
あたし、デリール・インノクトは、壁際でそっと息を吐き出した。
手には、微炭酸が弾ける琥珀色の果実水が入ったグラス。それを一口含み、本日の主役である見知らぬ伯爵令嬢に向けて、心の中で『へえ、おめでとう』とたった一言だけ、素っ気ない本音を呟いた。
もちろん、先ほどの挨拶の場ではそんな素振りは一切見せていない。
あたしは侯爵家の長女として、純白のレースと金糸の刺繍がふんだんに施された自慢のドレスを優雅に翻し、「本日は誠におめでとうございます。あなた様の輝かしい未来に、星神の祝福があらんことを」と、完璧に飾り立てた言葉と、淑女の微笑みをもって伝えてみせた。
お祝いの品として持参した宝飾品も、インノクト侯爵家の名に恥じない一級品だ。礼儀作法において、あたしに死角はない。
だが、そんな社交辞令の時間など、今のあたしにとっては前座に過ぎないのだ。
挨拶が終わった今、ここからが本番。
言い方は悪いが、男を漁る時間である。
「よし……。あたしの命を懸けた、恋の狩猟ハンティングの始まりよ」
気合を入れたあたしは、扇子で口元を隠しながら、鷹のような鋭い視線で会場をなめ回した。
良い男、権力のある男、そして魅力的な男の傍には、甘い蜜に群がる蝶のように令嬢たちがたくさん集まっている。だから、ターゲットを見つけるのは非常に分かりやすい。
すぐに、会場の少し奥まった場所で、ひと際大きな令嬢たちの輪ができているのを発見した。
あたしは優雅な足取りを一切崩さず、しかし獲物を狙う肉食獣のスピードで、その集団へと接近した。
近くに寄り、中心にいる相手の顔が見えた瞬間。
幼い頃から叩き込まれてきた過酷な貴族教育のおかげで、相手の顔と家紋から、家柄、派閥、領地の特産品などの情報が、自然と脳内に弾き出された。
(あの方は……ローファー伯爵家のご令息、リベルス様ね)
金糸の髪を美しく流し、知的な琥珀色の瞳を持った青年だ。
背も高く、令嬢たちの他愛のない話に相槌を打つ立ち振る舞いも上品で隙がない。
(ふむ、悪くないわ。まずは彼から攻めてみましょう)
あたしは、淑女の完璧な笑みを浮かべて、令嬢たちの輪の最前列へと一歩踏み出した。
「ごきげんよう」
あたしが凛とした声でそう挨拶をするだけで、周りを囲んでいた子女たちはビクッと肩を震わせ、楽しげだった言葉を詰まらせた。
上位貴族である侯爵家の令嬢がいきなり割り込んできたのだ。下位の貴族たちが身分差に萎縮して道を譲るのは当然の摂理である。
身分差を利用した強引な手口だという自覚はある。だが、こっちは文字通り『命』がかかっているのだ。背に腹は代えられない。
そのつもりで、有無を言わさぬ圧を込めた挨拶を入れたのよ!
「ごきげんよう、デリール嬢。まさか、君が僕たちの輪に来てくれるとは思わなかったよ」
周りがモーゼの海のように静まり返って道をあける中、リベルス様だけは動じることなく、優しく微笑んであたしの挨拶に応えてくれた。
(素敵……! 侯爵家のあたしを前にしても堂々としている。少し胸がキュンとしたわ!)
あたしには時間がない。もっと彼を詳しく知りたい、手っ取り早く恋に落ちて『ドキミン』を分泌させたいと思って、更に一歩、彼へと足を踏み出した。
その瞬間だった。
道を譲った周りの令嬢たちが、扇子の陰でヒソヒソと勝手にあたしの噂話を始めたのだ。
「あら……デリール様は婚約破棄されて、お屋敷でふさぎ込んでいると聞いておりましたが。あんなに積極的だなんて、そんな事もないようですね」
「おやめなさいよ。デリール様は、侯爵家という『家柄』のおかげで、お相手はより取り見取りなんですから。きっとタール様との婚約破棄も、ご自分で我儘を仰って決められたのではなくって?」
意地悪な声色で、心無い感想が聞こえてくる。
だが、あたし、デリール・インノクトの心には、そんな小石のような言葉は微塵も響かない。
(まあ! あたしが美しすぎて、そしてタール様という完璧な元婚約者がいたから、嫉妬で狂いそうになっているのね! 可哀想に……!)
侯爵家に生まれたからには、下級貴族からのやっかみや嫉妬を受け流す練習など、息をするのと同じくらい当たり前にこなしてきた。
下位の者が言う事であろうと、……いや、仮にあたしより上の立場である王族が相手であろうと、自分を変えるつもりなど毛頭ない。あたしはあたしだ。
周囲の雑音を完全に脳内からシャットアウトし、あたしはリベルス様に向かって甘く微笑みかけた。
「リベルス様。よろしければ、夜風に当たりながら庭園が見たいわ。エスコートしていただけるかしら?」
そう、ごく自然に彼を連れ出そうとした。
……ここまでは問題ない筈だ。バルコニーに出て、月明かりの下で二人きりでロマンチックな会話を交わし、この人を本気で好きになれるか見定めるのだ。
あたしはリベルス様の腕に自分の腕を絡めようと、そっと手を伸ばした。
しかし。
「――っ」
彼は、あたしの手に触れる直前で、流れるような美しい動作でスルリと身体を躱したのだ。
「……え?」
「デリール嬢。大変ありがたく、身に余る光栄なお誘いなのですが……申し訳ありません。私は、この場を離れられないのです」
柔らかい物腰のまま、しかし明確な拒絶。
「……離れられない?」
「ええ。星が交わるころにもう一度お誘いいただけますと、恐悦至極に存じます」
断られたあたしは、思わず目を見開いた。
(伯爵家の子息風情が、侯爵家であるあたしの誘いを断るですって!?)
内心の驚きと、ほんの少しの苛立ちが湧き上がる。
だが、それを口に出してはいけない事は、貴族の娘として痛いほど理解している。断られたからといってヒステリーを起こすなど、三流のやることだ。
「さようでございましたか。一目会えただけで私は嬉しいので、お気になさらずに……ッ(チッ)」
あたしはスマートな貴族令嬢らしく、扇子の裏でほんの小さな舌打ちを隠しながら、自然と会話が繋がるように微笑んでその場を後にした。
(ん~……明日はお見合いの予定が組んであるけど、今日中にいくつかキープを見つけておかないと不安だわ。だって、あたしの命がかかっているんだもん!)
気を取り直して、次の集団に後ろからそっと混じる。
(さて、どこの誰が人気なのかしら?)
あたしが近づくと、周囲の令嬢たちがあたしの顔と立場を理解してか、さーっと波が引くように空間を開けてくれた。
そうすると、中心でご令嬢たちに囲まれていた背の高い男性と、バッチリ目が合った。
彼はあたしを見ると、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
「デリール! 会場に来てくれるなら、僕が家からエスコートしたのに……。そうだ、さっき庭園を見て来たんだけど、君が好きそうな花が咲いていたよ。一緒に見に行かないかい?」
あたしにだけ、特別に好印象の台詞を言ってくれる男性。
周囲の淑女たちが「まあ!」と羨望の眼差しを向けている。
普通のご令嬢なら、こんな風に特別扱いされればドキドキして頬を染めるのかもしれない。
けれど……あたしは、いたずらが兄弟に見つかったような、ひどく居心地の悪い気分になった。
「あははは……またにしますわ。ごきげんよう」
そう言って、あたしは『ソキュペ伯爵家の次男』であり、あたしの幼馴染であるミハイルの誘いを、食い気味に断った。
「えっ? ちょ、デリール!? 待ってよ、僕じゃ不満かい!?」
後ろでミハイルが情けない声を上げているが、あたしは振り返らない。
(ミハイルがいい奴なのは分かるし、顔だって整っているのは認めるわ。でも、昔からずっと傍にいて、あたしが泥んこになって遊んでたのを知ってるミハイルは……なんか、違うのよねぇ)
家族同然の彼に発情するなんて、それこそ変態チックで無理だ。トキメキとは、もっとこう、未知なる刺激から生まれるものなのだ。
そう考え、あたしは次の集団へと果敢に突撃した。
しかし、どうにもトキメキのスイッチが入らない。
(あの方は……うーん、笑い方が下品ね。あっちの方は……香水がキツすぎるわ)
極めつけは、ある集団の中心にいた、立派なカイゼル髭を蓄えた殿方だ。
話しかけようとした瞬間、彼が自慢のヒゲを指で撫でつけながら、ヒゲが『ピュンッ!』と跳ね上がるのを嬉しそうに自慢しているのを見てしまった。
あれはちょっと……いや、かなり無理だ。生理的に無理だ。
一通り会場を漁り、目ぼしい男性を品定めしたところで、あたしの脳内トキメキ・メーターは一向に上がる気配を見せなかった。
これ以上の収穫は見込めないと判断し、今日はお暇すると決めた。
◇
帰り道。
王都の石畳を走る馬車の中で、ガタゴトという揺れに身を任せながら、あたしは一人で色々と思考を巡らせていた。
(次の恋を探すと決めて、まだ初日! 焦る必要はないわ。……でも、どうしても、完璧なタール様と比べちゃうのよねぇ……)
リベルス様の整った顔を見たときも、ミハイルの優しい声を聞いたときも、心のどこかで『タール様ならもっと……』と比べてしまっている自分がいる。
頭をブルブルと振って、思い浮かんだタール様の美しい銀髪と切れ長の瞳を追い払う。
そういえば、リベルス様に誘いを断られたときのことだ。
『はぁ』と、本日何度目か分からない深いため息を吐く。
(少し、偉そうに言っちゃったかな? もう少し下手に出た方が、相手もエスコートしやすかったのかしら……)
弱気になりかけた心を、あたしは両手でパンッと頬を叩いて奮い立たせた。
(ううん、違うわ! あたしが求めるのは、毎日朝から晩まで汗水流して、頑張って税金を納めてくれる我が領民たちも納得するような、立派な殿方ですもの! 侯爵家の令嬢として、将来の伴侶を厳しく見極めるのは当然だもん!)
妥協して変な男を領地に連れ帰れば、領民たちが不幸になる。それだけは絶対に避けなければならない。あたしの我儘は、インノクト侯爵家の誇りと領民の未来を背負っているのだ。
「……っ、ふぅ、はぁ……」
その時、急に胸の奥がキュッと締め付けられた。
息が少し苦しい。動悸が激しくなる。
(いけない、発作が……!)
あたしは慌てて、ドレスの隠しポケットから一冊の小さな手帳を取り出した。
夜な夜な書き溜めた、あたしの血と涙の結晶。通称、『お薬(完全妄想ノート)』である。
馬車のランプの灯りを頼りに、ページを開く。
『デリール、お前は本当に可愛いな。ずっと私の傍にいてくれ』
脳内で、タール様の魅惑的な低音が再生される。
「はぁん……っ、タール様……!」
胸の痛みがスーッと引き、荒かった呼吸が落ち着いて、代わりに温かいドキミンが体中に行き渡るのを感じた。
(ふぅ、危なかったわ……。でも、いつまでもこの『お薬』に頼っているわけにはいかない)
窓の外、流れる王都の夜景を見つめる。
やるせない気持ちと、タール様への未練を抱きながら、あたしは屋敷へと帰るのだった。
(明日は、最高のお見合いが待っているはずよ……! 絶対に、運命の恋を見つけてみせるわ!)




