☆16話:氷結の檻と、秘められた奇跡
冷たい石壁に囲まれた地下牢。
きつく縛り上げられた麻ロープが手首や足首に食い込み、ピリピリとした痛みが走る。無理やり押し込まれた分厚い布の猿ぐつわのせいで、喉の奥から漏れるのは「んぐっ……、ぅ……」という情けない嗚咽ばかりだった。
(自害すら許されないなんて……! あたしの人生、ここで終わりなの……?)
恐怖と絶望で涙に濡れた視界の隅で、私兵たちが容赦なくあたしの両腕を掴み、乱暴に引っ張り上げていく。
足元は覚束なく、冷えた石畳の上を引きずられるようにして、地下室から地上へと続く薄暗い階段へと連れ出されていった。
湿ったカビの匂いと、鉄錆の澱んだ空気が鼻腔を突く。
だが、階段を半分ほど登ったその時、地下の閉ざされた空間には似つかわしくない、地響きのような激しい音が上の階から飛び込んできた。
――ガキィィンッ!! ズシュッ!! ドンッ!!
「なっ……! 何だ、この物音は!?」
先頭を歩いていたメシャンが驚愕に声を張り上げ、振り返る。
金属同士が激しくぶつかり合う高音、木片が砕ける乾いた破裂音、そして野太い怒号と、獣の唸り声。
それは間違いなく、命懸けの激しい戦いの音だった。
「――敵襲がこんな時に!!」
メシャンの絶叫を合図に、地下通路は一気に混乱の渦へと飲み込まれた。
パニックに陥った私兵たちが慌てて武器を抜こうとするが、狭い階段と通路では身動きが取りづらい。
その混乱を切り裂くように、聞き覚えのある必死の声が上の階から響き渡った。
「デリール!! どこだ、そこにいるのかっ……!!」
(この声は……ミハイル……!?)
驚きで目を見開くあたしの耳に、さらに聞き慣れた、神経質で凛とした鋭い声が重なる。
「邪魔だ、退けっ! アーメーウルフ、行けぇッ!!」
鋭い牙を剥き出しにした王家騎士団のアーメーウルフが闇の中から飛びかかった。
暗い階段のあちこちで私兵たちの悲鳴が上がり、血飛沫が舞う。
隙だらけとなった地下の入口から雪崩れ込んできたのは、ボロボロになりながらも剣を振るうインノクト家の私兵たち、そして先頭に立って敵をなぎ倒していくミハイルとタールその人だった。
「デリールを返してもらうぞ、外道め……!!」
ミハイルの翡翠色の瞳は怒りと焦燥で血走り、手にした剣からは冷気が立ち込めるかのような気迫が放たれている。
その隣で、タールもまた鋭い眼光でメシャンを睨みつけていた。
「バカな……! なぜこの場所がバレた! ここは完璧に秘匿された拠点のはずだぞ!」
顔面を蒼白にして後じさるメシャン。
数に勝るはずの私兵たちは、急襲のパニックとアーメーウルフの圧倒的な戦闘力の前に次々と薙ぎ倒され、瞬く間にメシャンの周囲には数名の取り巻きの私兵を残すのみとなっていた。
形勢は完全に逆転した。
取り囲まれたメシャンは、顔を歪め、ふっと冷笑を浮かべた。
「ふん……。ここまで虫けらどもが這い上がってきたか。だが、無駄な足掻きだ」
メシャンは懐から小さなガラス瓶を取り出し、不気味に笑った。
「本物の魔法をお見せしましょう。我が祖国に伝わる、選ばれし者の奇跡の力をな……!」
彼は瓶の栓を乱暴に引き抜き、中の濁った液体を喉へと一気に流し込んだ。
次の瞬間。
メシャンの身体から、常軌を逸した禍々しい魔力が爆発的に噴き出した。
「グアァァァッ……!!」
彼の絶叫とともに、周囲の空気が一瞬で氷点下へと叩き落とされる。
床の石畳から凄まじい勢いで白い冷気が這い上がり、一瞬にして巨大な氷の塊が天井へと伸びていった。
「なっ……なんだこれ……!?」
ミハイルたちが驚愕して足を止める。
メシャンの両手から放たれた無数の氷の槍が、周囲の空間を切り裂くように襲いかかった。
「避けろっ!」
タールの叫び声に合わせ、全員が四方八方へと飛び退く。
だが、魔法の圧倒的な物量はそれを許さない。メシャンが手を振るうたびに、巨大な氷の壁が周囲を囲むように出現し、出口を完全に塞いでしまった。
「逃がすものか……!」
ミハイルが剣を構えて突撃しようとしたが、メシャンが冷酷に指先を曲げた瞬間、足元の床から弾けた氷の奔流がミハイルたちの足首を絡め取り、一瞬でガチガチに凍てつかせてしまった。
「ぐっ……動けない……!?」
「くそっ、硬すぎる……!」
タールも炎の魔法を試そうと手をかざすが、メシャンの放つ冷気の密度が高すぎて、小さな火種すら生み出すことができない。
瞬く間に、ミハイル、タール、そして駆けつけた私兵たちの全員が、地面から生えた巨大な氷の檻と拘束によって身動きを封じられてしまった。
(嘘でしょ……!? せっかくみんなが助けに来てくれたのに……これじゃあ、全員まとめて氷漬けの餌食になっちゃうわ……ッ!)
猿ぐつわを嵌められたまま、あたしは涙を流しながら頭をぶんぶんと振った。
このままでは、ミハイルもタールも殺されてしまう。
何か方法はないか。あたしにできることはないか。
頭をフル回転させ、絞り出すように思考を巡らせた末に、あたしは決死の覚悟を固めた。
――モゴモゴ、モゴッ!!
「んっ……! むぐっ……!」
拘束されながらも、あたしは全身を激しく暴れさせ、必死に声を上げてメシャンの注意を引いた。
異変に気づいたメシャンが冷ややかに視線を向けてくる。
「おや、まだ大人しくできないお姫様だな。……無能なお仲間に声を掛けたいのですね」
メシャンが合図をすると、傍らの私兵が嘲笑いながらあたしの口から猿ぐつわを乱暴に引き剥がした。
自由になった口で、息を荒げながら、あたしはありったけの威厳と狂気を込めて叫んだ。
「待って……! その人を痛めつけないでちょうだい!」
「何をいまさら。貴女が条件を言える立場と思っているとでも言うのかね?」
「違うわ……!」
あたしは荒い息を整え、必死の演技と真実の混じった脅し文句を叩きつけた。
「あたしが欲しいんでしょう!? 魔力の器であるあたしを、こんなところで傷つけたり、あたしの目の前で大切な人たちを殺したりしてみなさいよ! ……ショックでこの場で自害してやるわ! あたしが死ねば、あんたたちの欲しかった魔力なんて二度と手に入らないんだからね!」
その言葉に、メシャンの表情がわずかに険しくなった。
確かに、彼の目的は『傷一つつけずに魔力の器を回収すること』だ。ここでデリールが自害でもしようものなら、計画は水泡に帰す。
「……ふん。賢いつもりか。だが、選ぶ権利は貴女にはないぞ」
「どうしても私を連れていきたいなら……今すぐその人たちの拘束を解きなさい! 私があなたのおとなしい実験台になってあげるわ! だから……! あいつらを逃がしてちょうだい!」
「デリール、馬鹿なことを言うなっ……!」
「よせ、デリールっ!」
氷で拘束されたミハイルとタールが、同時に必死の形相で叫ぶ。
だが、メシャンは鼻で笑った。
「面白い。そこまで言うなら、慈悲を与えてやろう。……おい、そいつらの最後の別れを許してやれ。どうせ二度と会えぬ仲なのだからな。それにこの情報を持ち帰るのも既に遅いしな」
メシャンの合図で、私兵がデリールを縛っていた縄を解き、歩けるように解放した。
自由になった両手で、あたしはよろよろと足元をふらつかせながら、氷に縛り付けられたミハイルとタールの方へと歩み寄った。
まず、目の前にいたミハイルの前に立つ。
彼の頬には冷気によるかすり傷があり、悔し涙が滲んでいた。
「ミハイル……来てくれて、ありがと」
心からの感謝を込めて、そう囁いた。
ミハイルは唇を噛み締め、「デリール、ごめん……僕が無力で……」と掠れた声を絞り出す。
あたしは彼の肩を軽く叩くと、すぐ隣で身動きが取れなくなっているタールの方へと歩み寄った。
銀糸の髪を凍てつかせ、悔しげに歯噛みしているタール様。
彼の青みがかった冷たい瞳が、まっすぐあたしを見つめている。
「デリール……お前、なぜ……」
彼の言葉を遮るように、あたしはふっと柔らかく微笑んだ。
そして、周囲にいる私兵やメシャンに見えないよう、そっと彼の耳元に顔を寄せた。
「……タール様。私、本当は……」
言葉を続ける代わりに、あたしは背伸びをして、彼の冷たく凍りついた右のほっぺたに、そっと自分の唇を押し当てた。
――チュッ。
「なっ……!?」
タールが目を見開き、驚愕に息を呑む。
周囲の私兵たちからも「おい、何をしている」「早く連れ戻せ!」とざわめきが起こった。
だが、その瞬間だった。
デリールの唇がタールの皮膚に触れた接点から、あり得ないほどの高熱の魔力が一気にスパークした。
「――っ熱いッ……!?」
タールを文字通りガチガチに拘束していたはずの巨大な氷の檻が、一瞬にして沸騰するように凄まじい白煙を上げて溶け崩れ始めた。
それだけではない。タール自身の身体の底から、制御不能の猛烈な紅蓮の炎が爆発的な勢いで噴き出したのだ。
「なっ……なんだこれ……!? 魔法が暴走しているっ!?」
タールは信じられないものを見るように、両目を見開いたが、その瞳には強い光が宿っていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
本作品の連載がストップしてしまい申し訳ありません。
現在は別作品の『魔法少女が表なら、忍びは裏。——国に見捨てられた姉妹は、偽りの聖女を影から狩る』が完結間近なこともあり、そちらに集中させて頂いております。
そちらが完結後には、また連載を続けたいと思います。




