可愛げの欠片もない汚れた血脈の末裔へ
どう考えても可愛さの塊なひとに向かって
「可愛げの欠片もない」
などという人は、その人に備わった魅力の欠片も見つけられないでいる。
みじめで、貧乏で、さみしくて、見る目が無い。
でもたぶん「可愛げ」というのは可愛さ、魅力、要するに〝好き〟のベクトルにある言葉選びじゃない気がする。見下しているというか、妙に抑圧的な態度の人が、抑圧したい人間に対して思うんじゃないかな。
従順で、自分の思った通りに行動させたい、こうするはずだと思っているのにそうならないから腹が立つ!普通おかしいだろ、こうするだろ!っていう。
それが満たされていると、可愛げがある。
そこに不満タラタラだから、可愛げの欠片もない、ってことになるんじゃないか。
よく離婚(追放)される前の実父から
「図体ばかりデカくなりやがって」とか「飯ばっかり食ってやがる」とか人権無視の発言を食っていた身としては、そういうのが言外に伝わってくる気がして。
日頃うるさい奴ほど、そいつが無意識に言わないようにしている部分、、またはわざと言ってない部分に隠された迷惑な悪性格が表れている。他人を口うるさく攻撃している間は自分じゃなく、相手の至らなさに他人の関心を向けられると思っているからだ。実際はうるさいそいつの口元からこぼれた言葉が何より雄弁なことをみんな知っている。
弱い犬ほどよく吠える、とは、こういうことなのだろう。
恥ずかしいことこのうえないが、私の実の父親は、そういう奴だった。
そういう人間だった、とすら言いたくないぐらい、あれのことは家族ともニンゲンとも言いたくない。トシを食ったら許せるとか、いつか顔を見ておけばよかったと後悔するとか、何も知らない奴ほどそういう家族の絆っぽいことを言って満足げな顔をしている。
そういうセリフを口からクソにして垂れている自分に酔っているのだ。
私がこうして実父をココで攻撃しているのも、きっと自分の中にアレと似ている部分があって、それを認めたくないからだろう。
可愛げとか要らないから、なるべく温厚で優しい人の血を人工透析で混ぜ込んでほしい。
母方の方はともかく、残り半分は入れ替えたい。
人生ずいぶん違ったろうな、我が家の命運も尽きなかったろうな。
あんな汚れた血さえ入ってこなければ。




