トラウマを抱えた猪突猛進タイプの人間が古傷の痛みを時にこらえ時に訴えながら突き進む様
心というものが、どこにあってどんな形なのかわからないけど、完品がきれいな球体だとしたら私のは元々欠けている。いうなれば手負いの心って感じか。
欠けているから何かを注いでもこぼれてしまうし、普段から漏れている。穴の開いた革袋に近いかもしれない。
何かに夢中になることで穴を埋めてたものの、それすらも失い、育ちのなかで負った傷が露呈し痛みが出る。
行動がそのまま心の悲鳴であり頭の中でのたうち回ってる。
のたうち回る、ってイノシシが蒐場で転げ回る様から来てるらしい。トラウマを抱えた猪突猛進タイプの人間が古傷の痛みを時にこらえ時に訴えながら突き進む様は、まさに言い得て妙かも知れない。
これを今日まで(もしくは今日たまたま)読んでくださっている方の中にも似たような人が居るかもしれない。そうだといいな、と少し思っていつも書いている。
誰かのために、とか、元気を与える、とか、勇気を云々…よく商店街プロレスみたいのに謳ってるああいう文句が好きじゃないから真っすぐは言えないけど、役に立ってたらいいなぐらいは思うよ私だって。
ただ、じゃあ、なんでそういうこと真っすぐ言えないように育ったか、まっすぐ思えないタイプの人間になったかと思い返せばガキの時分の育ちなわけで。
その時にデカい穴が開いた心を、ずっと治しようもなく生きてきてしまった。
空いた穴から漏れ出る生命力とか他者愛とか自己愛の善的なエネルギーがとめどなく湧き出ていたうちはいいけど、モノには限りってもんもあるわけで。
で、枯渇してきたエネルギーの穴埋めに代替品を求めたり、逆に身動きが取れず思いが儘ならぬ時には遣り場のないエネルギーを浪費したり、要らないリスクやコストをかけてしまったり。ロクなことにならないうえに予後が悪く誤解も招く。それでも、その時はそうするしか方法がない。
自分の体に傷を負わせるだけじゃなく、友達や自分を好きで居てくれる人に心配かけたり、心に傷をつける場合もある。自分自身の生き方を乱したり、穢れを浴びるたりもする。
総じて自傷行為は基本的にやらない方がいい。やっちゃダメだけど、本人がそれでいいなら仕方がない。そんな感じ。
手負いの心を、手負いのままでも生かしておくためには必要だったというか、必要だということにしてでもそれでやり過ごすしかなかった、とでもいうか。
生かす(バンド天国)って言っても、別に生きていたいわけでもないし生かしてほしいわけでもない。ものすげえ貰い事故で死んだことにも気づかないとか、寝ている間に、とかがベストだけど毎日ちゃんと目が覚めちゃうし事故にも遭わないで生きてしまっている。
自分から死にに行くのはもう少し気分が乗らないといけないんだけど、向こうから死神がネギ背負って歩いて来るならウェルカムかなって。
骸骨車夫の人力車に乗って死者の国へお連れしていただきたいね。
これが恐竜戦隊ジュウレンジャーだってわかる人どれぐらいいるんだろうね。ブライ兄さん。




