アイツはスタバ、こっちはヌタバ。
物凄い嫌いな奴ってコッチから見て凄いイヤなこと言ったり、したり、悪感情を呼び起こした奴なわけじゃん。悪感情くらいは生きてりゃ沸くじゃん。
でも、こっちから見てすげえ嫌いで超ヤな奴って言っても、実際そいつの方が世間的にはよっぽど立派な暮らし方してることって、よくあること…じゃないですか?
そうでもない?
金持ち喧嘩せず、なんていうから、たぶん経済的な余裕とかあれば大して憎んだり恨んだりなんかしないで済むかも知れないけど、何億円あったって許せない奴も居て。
でもたとえ何億円も持ってたこと無いから許せない奴も沢山いていいわけじゃん。
いいのか?まあいいや。
で許せないなあ、嫌だったなあ、と思ってる間もアイツはプリンとか食ってるよ、って本が前に出ててさ。そりゃそうだよな、と思うけどさ。
そいつがプリン食おうが何をしようが、どうやったって自分の気持ちは晴れないんだよね。不可抗力の物凄い不幸が降りかかっても、それをあざ笑う自分にだって少しは良心の呵責が生まれてしまうわけで。たぶん。
謝ってほしくもないし、生きててほしくもない。でも別にどうしようもない。
そんな胸のモヤモヤを晴らせないまま積もらせて、積もらせて、崩れてもまた積み上げてしまう。積み上げたモヤモヤの柱に寄り掛からないと身が持たないときすらある。
怒りは原動力になる。でもハングリーとアングリーは多分両立しなくて、いつか分離しなきゃならなくなる。そのときにアングリーはカフェインみたいなもので、なんか断ち切り難いし足手まといになるとわかっていても手を伸ばしてしまう。
結局、他人の不幸をせせら笑うよりも、他人の栄光を妬むよりも、自分の現状を嘆く方がラクだしタダだし…なんつーか悪感情って依存性があるというか。
そこで地団太踏んでりゃいいんだから、それ以上のこと出来なくなるんじゃないかな。
ぬた場で泥まみれになって転がってるケダモノみたいなもので、それが習慣であり恒常的に精神に泥を塗りつけて自分で自分を目くらまししている。
アイツがスタバに居るとき、コッチはヌタバに居る。
というわけか。惨めだな、今日も。




