褒められ慣れてない人を褒めるには
誉め言葉を誉め言葉として捉えることが難しいというか、素直に受け止められないというか、聞いても心にスッと馴染まないことって誰しもあって。だから程度の差ではあるんだけど、それが極端に苦手だったり受け取りたがらない人も時々いて。
どうしてなのかな、と自分を振り返ってみると、やっぱり内外の見る目の違いなんだなと思って。
要するに褒められるにしても外から見た容貌や成績、振る舞いを称賛されていることが多くて、自分は自分の内面のダメさを知っているわけで。その温度差で先ずきついんだろうなと。何度も言うけど私の場合ならメキシコ行っただけでも凄いよ、本が出ただけでも凄いよ、と言われても〝出ただけ〟〝行っただけ〟ってお前らも思ってるんじゃねえか、と感じるときがあるし実際どうだったのか自分が一番わかってる。
それに、行っただけで凄いなら誰だって飛行機のチケットなんかスマホひとつで買えるわけで。自分が自分として生きてきて自分で自分を〝如何にダメか〟と逆プレゼンすることに関しては右に出る者はいないわけで。
謙遜とか卑下とか自虐でもなく、自分を自分の斜め上から幽体離脱みたく見てても「ダメだこりゃ、早く死ねお前は」と自分に向かって思うくらいで。
プライベートな部分のダメさだけは人に見せたことなんか殆ど無いから、そこに触れられるとどうしたらいいかわからないのではないかな、と。
内面とか性格とか、知らず知らずにじみ出る部分を好かれたり愛されることって照れ臭いし恥ずかしいし、捉えようによっては観察されてるようにも思える。だから言われても気分よく受け止められるかわからないのが当たり前で、観測ロケットを侵略行為だと誤解したペダン星人の気持ちに近い…かもしれない。
自分に余裕のないときに、褒められ慣れてなかったり自分が一番自信なくて自分でも触らないようにしてる部分を出し抜けに言及されたりしたら、驚くし気分害するかもしれないし、それでも相手のことは気遣わなくちゃならないと無意識に自分を押し込めるかもしれないし、何しろストレスがかかる。
褒めてるほうも褒めてるつもりが無かったり誉め言葉に近いニュアンスにどうしてもなりがちだったりするので、お互いに不幸ではある。あるのだが、言われてる側の負担がどうしても強くなるわけで。
だからこんな自分からは、みんなもっと離れてしまえばいいのに…と思う反面、好きな人に好かれない理由もこの辺にありそうで、寂しいやら鬱陶しいやら心細いやら構ってほしいやら。
めんどくせえな!!と自分への罵詈雑言が今日も鳴りやまぬまま俯いている。




