自信なんてなくて当たり前だけど根拠のない傲慢さは失いたくない
自信。持ってますか?
愛とマコトのレポーター、サキサカです。
自信なんてずっとない。
ないというか、持っちゃいけない気がしてずっと過ごしてる。何かちょっと図に乗った(と誰かに見なされた)瞬間に見えない釣り天井が降って来てぺしゃんこにされる。
具体的には「調子に乗るな」などという使う側にだけ物凄く便利な言葉を帯びた拳やアンヨが飛んできて顔にも体にも心にも傷とアザを負う。
それが学校や職場や色んな所にいる調子警察みたいな奴の仕業とは限らなくて、和哉君の場合は実の父親だった。だから基本的に四六時中見張られていて、向こうは自覚のない家庭内暴力を振るう理由と合図を手ぐすね引いて待ち構えている。
幼い和哉君がちょっとでもお気に召さない行動や言動を見せた瞬間、馬鹿の瞬間湯沸かし器がニトログリセリンより厄介なシロモノを沸騰させる。そいつの血液。
それが頭に回って元から乏しい理性をすっかり何処かへ飛ばしてしまう。
結果、調子警察による私刑を浴び続けた子供が如何様にして育つかと言えば卑屈、怠惰、悲観、諦念、憤怒、陰惨、憂鬱といった塩梅の感情や感覚にすがって生きることを選ぶのである。
そうじゃない場合もある?そんなものは自分の場所で言え。
私はそうだったんだ。
そういうわけで自信なんか物心つくころには父親から粉々にされ、ひしゃげて、何処と何処をくっつけたって到底元通りになんかならないガラクタみてえになってた。
だから自信なんか、いつまでだっても持ちようがない。
自信を持っていいよ、などと言われても、そのための器なんか一つも残っていない。空前絶後のクソガキ数百人に蹂躙された瀬戸物屋さんより酷い有様。
たったひとりのクソ親のために、心の器を残らず破壊されて、残った破片を拾い集めるその手まで踏みにじられてみればわかる。
自信なんかあったってロクなことはない。
自信がないまま生きるとなんにも出来ない。
生まれた親を怨むしかないし、生きてることを悔むだけで今日が過ぎてゆくのを待つほかない。
自信なんかきっといつも芽生えては枯れてゆくヒトヨタケみたいなもので。
パっと傘を広げたと思えば、また溶けて朽ちてしまう。
その繰り返し。
自信を失ったことに落ち込むことは多分なくて。
それでもまだ自分の生きがいを、夢を、目標を、楽しみを持ち続けられること。
そっちのほうを大事に考えてあげたらいいんじゃないか。
自分のために。これまでの、そして今日まで明日からの。




