愚痴も相談も前向きだからこそ誰かに聞いてほしいと思う
喧嘩も議論も怒りも悲しみも全部、今よりも状況を良くしたいから湧いて来る力を使うものだ。喜怒哀楽というものは、すべからく生きることに繋がっている。生きてるから笑うし、笑ってるから生きられる。泣くのも怒るのも全部そう。
全部あきらめたら、何も別に聞いてほしいとか話したいとか思わなくなった。
今朝そうなった。友人の顔が浮かんだが、すぐ曇天の干潟に吸い込まれてゆくように
(ああ、でも別にコレどうにか改善しようとか全然思ってないんだオレ)
と思うと同時に消えていった。
どうでもいいんだから、話したり聞いてもらったりする必要もないし、別にこれ以上なにかが今より良くなることも無い、その期待も。
誰かに聞いてほしい、愚痴を言う、喧嘩する、相談、全部わりと前向きなことで、実は相応のエネルギーが必要なのだ。
恋愛でも仕事でも財産でも、諦めるにしてもナンにしても、それは諦めることで前進に繋がるから踏ん切りを付けたくて誰かに聞いてもらう、ということであって。
ハナから諦めのついているものをわざわざエネルギー使って話したり怒ったりしても仕方がない。
なんか本当に
ぷーん
って感じでワイヤーか何かが静かに切れた
張り詰めた滑車から外れた、という方がいいかな
あー、無駄だったんだな。と。
なので、怒りや嘆きよりも、諦めが先に立った。するともう、これをどうにかしようとか言う気にもならなくて。
空虚なぬるい雨に濡れながら一日を過ごし、家に帰ってきた。
からっぽの一日だった。




