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『蝶は灰国に沈む』~二人で一人の旅路~  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第二章 アウス・エーヴィスを目指して⑪

 ラーガはカウンターでいつものように準備し、アストは開店まで部屋にいる。

 セルマはカウンター席に腰を下ろした。

「なあ、もっと子どもたちのためになる支援はできないのか?」

 ラーガは、卵サンドを作る手を止めて、セルマに向き合う。

「難しいところね。あたい一人で決められるものでもないし。でも犯罪は食べ物がないと起きる。だからそうならないようにと、この宿場町連合会で決まったの。この程度の支援が、多方面とのバランスとして落ち着いているの」

(セルマ、アウス・エーヴィスへの願いは、子どもたちを救うことにしたら?)

(それは別だ)

 開店時間が来て客が入り、それぞれが仕事をする。今日はミディも接客を手伝う。

 セルマは皿洗いをしていた。

 ミディとアストの会話が聞こえてくる。

「また見惚れてる」

「何よマセガキ」

「確かにルマーダ兄ちゃんはイケメンだと思うよ。でもお子ちゃまのところあるからね」

 セルマは顔を上げて二人を睨むと、咄嗟に離れてそれぞれ接客に向かった。

(ぷぷぷ。くくく。お子ちゃまセルマたん。出発のお時間、忘れちゃダメでちゅよ)

 それから十二時にかけて徐々にお客さんが増え、セルマもミディもアストも、ラーガの指示に従い、せわしく働いた。

 十二時半になって落ち着くと、セルマは昼食のサンドイッチを持って二階に上がり、一分足らずの早食いをして着替え、ショルダーバッグを抱えて裏口から外に出た。

 裏側は、車が三台停められるほどのスペースがある。

(これで、何もかも……)

(図書館には住んでないよ。お空にいるの) 

 巨大なゼフィルの塔と翡翠色のエパルノーマ城を目印に歩き始める。

(本当はすぐにでも向かいたがったが警備が厳しかったからな)

(それだけじゃないでしょ。二日連続で客とケンカして休みを没収されたの誰?)

 セルマは喫茶店を一瞥した。

(進もう。前へ)

(セルマたん、聞いてる?)

 レインの声が遠い。眩しい空とは裏腹に目には影を落としていた。

 警備が厳しいという理由も客とのケンカも〝もしもアウス・エーヴィスがいないと判明してしまったら〟から遠ざかるためのものに過ぎない。

 メインストリートに出て歩いていると横をトラムが過ぎ去っていく。

(乗ってみたいかも)

(二分くらいだよ。お金の無駄。あ、田舎育ちのセルマたんには始めてなんだね)

 今回は何事もなく図書館の裏側入口にやってきた。

(……レヴニール)

 セルマは自分の胸元を握った。

 雑居ビルのような建物の入口にセルマは入る。

 飲食店の名残がある造りに、役所の出張所が入っており、本の貸し出し、本人確認書類の受け取りが行われていた。

 セルマは奥にあるフロア入口と書かれたスライド式扉を開けて入った。

「す、すごい」

 目の前に広がる光景に思わず声が出た。

 そこは、中央が吹き抜けの二階建ての大ホールであり、両側の壁と中央の広間に本棚が敷き詰められていた。

 室内は薄暗く天井がアーチ状となっている。窓から差し込む明かりが陰影を強めていた。

(本の、トンネル……)

 各所にバランスよくテーブル席があって、座っている人のほうが多い。

 ようやく本を探しに歩き始めた。

 太陽が西に傾き始める。

 セルマは二階の窓際の席に歴史書を集めて読み漁っていた。気になった個所をノートに書き込む。

(もう少し気楽にやろうよ。受験じゃないんだからさ)

 顔を上げると時計の針は四時半。窓の外はまだそんな気配もなかった。

 水筒に入れた紅茶をごくごくと飲んでいく。心地よい冷たさが喉を通った。

(セルマたーん、聞いてますかああ。こういう所では帽子を取るんだよおお)

(黙レイン。取ったらバレるだろ)

 帽子の鍔を後ろにした。

(はぁ。で、ボクが紹介した本はどうだった? 勉強になったでしょ)

 セルマは瞬時に頬が赤くなった。

(黙れ、インッ。ふざけた参考書ばかり言いやがって。私は弟を生き返らせるためにやっている。お前みたいなふざけた心じゃない)

 レインが紹介する本は、すべてアウス・エーヴィスに関する創作物語だった。

(ボクはその後の君の人生を心配したの! 何も知らないから君には勉強が必要だったの。ボク、教師に向いてるでしょ)

(……)

 セルマは歴史書を開いた。

(はい、ちょっと休憩。セルマ、そのノートに子作りの仕方を書いてみて。絵でもいいよ)

(……)

 セルマは歴史書を顔面に近づけた。

(ではまず、A女性士官のベッドシーンを想像してみて。目を閉じて。女性士官が、あっ、あっ、あっ、と上ずる声を――)

(うるさああああああい)

 たぶん、周囲の空気が振動した……。

(み、耳が。わ、分かったよ。静かにしてる。君の休日だから気の済むまで調べなよ)

 数分、歴史書から顔を離せなかった。

 開いている窓から、パンの匂いや車の音が、穏やかな風に乗って運ばれてきていた。

 耳を済ませ、大きく息を吸う。

 ふたたびページをめくっては気になる部分をメモし始めた。

 一時間が流れ、夕方になる。

 手には汗を掻いていた。本の真ん中で、ページをめくる手が止まる。

 胸が苦しかった。

「はぁぁ」

 セルマは椅子に凭れて、木組みの天井を見上げた。

(なんで、載ってないんだ)

 書き込んだ内容はフェングニスの歴史、政治体制が主だった。ノクーヴェの発生に興味が湧いたが、北西による開発実験が原因では? と、その程度に留めてあった。

(これじゃ、本当に受験勉強じゃないか)

(そもそもアウス・エーヴィス自体いなくて、物語だって言ってるじゃん)

(私の村にある歴史書には、ちゃんと書いてあった)

(そのインチキ歴史書には何が書いてあったのさ)

(山で遭難した人の前に、突然食料と不思議な影が現れて、追いかけると、いつの間にか山から下りていた。暑い時期に大陸南部で発生した病気が、まだワクチンが開発されていないのに、病気が消えた。地震で津波が襲ってくるはずだったが海の途中で消えた。戦争を終結させるために体を巨大化して、戦地を踏みつけ兵器を破壊した)

(はぁ。その手の物語はいっぱいあるよ。あのね、前にも言ったと思うんだけどさ、それこそ騙されたんじゃない? もうやめてボクの楽園計画に賛同しようよ)

 セルマは図書館を見渡した。圧倒感を伴って整然と本が並んでいる。

(足りない……。いや、違う。避けられている気がする)

(はぁ。そもそもその歴史書は誰が――あ)

 レインの声でセルマは横を向いた。

 黒髪のポニーテールで、白のブラウスに紺のロングスカートを穿いた妙齢の司書だ。名札には『ユジーヌ』とある。

 視線が合うとユジーヌは微笑み、手にしている紙コップをセルマの近くに置いた。

「これどうぞ」

 飲み物はココアだ。氷が入っていて微かに漂う甘い香りが鼻をくすぐる。セルマは瞬きを繰り返した。

(そこは、ありがとうございます。でも、どうして? でしょ)

「勉強熱心ね。それよりも、この前はすごくカッコよかったよ」

(偽者ノクーヴェと戦ったときだね)

「当然のことをしたまでだ」

「ふふ。本当にカッコいい。で、なんの勉強かしら。受験?」

 ユジーヌがノートを覗いてくる。

「アウス・エーヴィスについてだ」

「あら。子どもたちに読み聞かせするのかな?」

 セルマは窓の外に目を向けた。

 奥に見えるエパルノーマ城の翡翠色が赤い瞳に映る。

「オレの村にあった歴史書が、ここには一冊もない。これだけの本があるのに」

「あなたの探している本はどこで読んだ本なの」

「住んでいた村で、ジャンという人物が書いた史学書だ。その年表にはアウス・エーヴィスのことが書かれていた」

 ココアを口にする。

「ここにある本はすべて、アウス・エーヴィスのことだけが抜かれている。こんなのはおかしい」

(ん?)

 背中に冷たさを感じた。

 振り向くとユジーヌは無表情でセルマを見ていた。

(どうしたのセルマ)

(怖い顔をしてなかったか?)

(え、そうなの)

(なんだ、全方位が分かるんじゃないのか)

(見逃しちゃったかも)

「……そう。残念ね。ここにある本が国のすべてというわけじゃないから、あとで探してみるわね」

 ユジーヌが低い声で言った。

 ノートを閉じて腕を組み、しばらく考え込む。

「なぁ、ジャンって人の本……ジャンという人はいないのか?」

 近くにユジーヌはおらず、本棚にいた。近づいていくとユジーヌは携帯端末をしまって本棚の整理をするふりをした。

 セルマは背後から同じ質問をした。

 ユジーヌが振り向かずに答える。

「え、ジャ、ジャンさん? その名前の人なら聞いたことがあるかもしれないわ。確か、コルセにいる人よ。ただ、作家でなく、作家を目指している人、だったから、同姓同名かも」

「会えるかな」

「どうかしらねぇ。でも行ってみる価値はあるわ。ノクーヴェもコルセまでは侵入しなかったし、何かに守られてるって噂にもなったよ」

 言葉に惹かれ、ユジーヌの隣にいく。

「どうやって行けばいいんだ」

「トラムがコルセ役場まで出ているわ」

 ユジーヌは、まるで別人のように最後まで振り向かずに答えた。

(よし。決まった)

 セルマは本を綺麗に片付けると図書館をあとにした。

 夕焼けと群青が混じる空。

 喫茶店に向かって歩く。

(そういえば、人が人の体内に入り込むってのもなかった。お前が紹介したデタラメな本以外は)

(歴史書と物語を同一視しないでよ。そもそも人じゃなくて、ノクーヴェの中に、でしょ?)

 ショルダーバッグからノートを取り出して内容を見返す。

(王家の本も少ないな。気にしてたんだが)

(ミディも言ってたでしょ。秩序維持法。アストくんにも携帯端末で調べてもらったでしょ)

(アウス・エーヴィスも携帯端末に載っていなかったしな。まあ、携帯端末なんかには期待してないが)

(そんな否定しないでよ。A女性士官よりも過激なイラストはたくさんあるんだよ)

(お、お前が見たいだけだろ)

(ダメだよセルマ。アストくんと二人で興奮しながら隠れて見るんだよ。それが男)

(黙レイン)

(はあ。困ったらすぐそれ)

 午後六時。

 喫茶店に帰ってきた。

 ミディはいなかったがまだ客はいるので、身だしなみを整えて仕事を手伝った。

 夕食後、アストとともに部屋に戻った。

「アスト、携帯端末の使い方を教えてくれ」

「うん。いいけど、今度は何を調べるの」

「コルセについて」

 しかし、いきなり扱えるわけもなく、その晩、セルマはアストに付きっきりで教えてもらい、茶化してくるレインを無視し続け、コルセについて調べた。


 二つの月が雲に隠れた夜。

 山の入口、小高い丘の上に建つ三階建ての洋館。

 その一室で、ギャンダルは檻を見下ろしていた。

 犬。猫。蛇。

 種類も大きさもばらばらの動物たちが、落ち着きなく蠢いている。

 だが、その様子は、普通ではなかった。

 呼吸が荒い。目の焦点が合っていない。同じ場所を何度も引っかく個体もいる。

 ギャンダルはゆっくりと近づき、一本の檻に手をかけた。

「……適応が始まっているな」

 低く、抑えた声だった。

 テーブルの上には、試験管。その中で、濁った黄色の液体が揺れている。ブリューだ。

「動物でこれだ。ならば――」

 言葉は途中で止まる。代わりに、口元が歪んだ。

「……やはり〝あの条件〟ならすぐに反応するのだな」

 ギャンダルはしばらく沈黙し、やがて小さく笑った。

 それは高揚ではなく、確信に近い笑みだった。

「これさえあれば、国をこの手にできる」

 窓の外、闇に沈む森を見やる。

「誰にも見られず、誰にも邪魔されない」

 視線が、再び檻へ戻る。

「いい場所だ」

 動物の一匹が、突然、甲高い声で鳴いた。

 ギャンダルはそれを見て、満足そうに、頷いた。

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