第二章 アウス・エーヴィスを目指して⑦
「お呼びでしょうか」
入ってきたジョルヴェリーナにギャンダルがまた指さして怒った。
「キサマああああ。よくも俺の仲間を売ったな」
「仲間? ああ。治安維持省の一部の役人が人身売買を行っていた去年の報道のことですね。よく覚えていましたね」
ギャンダルは顔面を近づける。
「ジョルヴェリーナ、キサマ、この国は王国だぞ。王家こそ法律だ、憲法だ。民間人のキサマが騒ぎ立てるなど国家反逆罪だッ」
「それでジョルヴェリーナ局長」
「はい殿下」
二人はまるで、ギャンダルがそこにいないような雰囲気で話はじめる。
「ギャンダルがやった民間人への暴力の件、あの映像を大きく報道しろ」
「王家の威信に傷が付きますが」
「そうだな。その後のギャンダルについては、これまでの罪状をすべて詳らかにし、国民と同様の裁判を受けてもらう。王家だろうが兄だろうが断罪して国民にせめてもの責任を果たさねばな」
「かしこまりました」
ジョルヴェリーナが去ろうとすると、冷や汗だらけのギャンダルが回り込んで手を合わせて懇願する。
「ま、待ってくれ。は、反省している。た、頼む。許してくれ」
ジョルヴェリーナが何も言わずに無表情にしていると、今度はオルトロスの前にきて同じように懇願する。
「た、頼む。本当に反省しているんだ。そ、そうだ、汚職をやっている議員は他にも知ってる。同じように断罪を。ああいや、許してくれ。俺が、俺が悪かったんだ」
オルトロスは十秒くらい睨み続け、
「コルセに向かってもらう」
と呟いた。
「さ、さすが我が弟だ。よし、そこで静かに暮らそう」
「お前の上官をグナタス教授とし、王国軍情報部特別大将として常駐してもらう」
ギャンダルは声を発さず笑顔で出ていった。
オルトロスは黙って聞いていたジョルヴェリーナに、貸し一つ、と呟いた。
ジョルヴェリーナが去っていくと入れ違いに、呆れた様子のミーファディルがやってきた。
「また許したのですか?」
「子どもは寝る時間」
「カラダはオトナ」
オルトロスは溜め息を吐いた。
「ギャンダルは左遷だ。死ぬまで老人の様子でも見てもらおう。顔も見たくない」
「あの茶髪おかっぱ頭の両方のほっぺにピンクの丸を描けば、お笑い大臣になれます。きっと毎日顔を見て笑ってられます」
少しだけ笑ったオルトロスだが、咳払いして顔を引き締める。
「それで、レインの行方は?」
その言葉が場の雰囲気を一瞬で重くする。ミーファディルの表情は、戦争で敗北しやむをえず撤退を言い渡す司令官のように苦しくなった。
「も、申し訳ありません。まだ、消息を掴めて、いません」
「アイツは、あと三回も力を残している。心が歪んだ奴だ。大勢のところで使われてはひとたまりもない」
「すぐに見つけだし適正に管理します」
「いや、すぐに殺せ」
強烈に睨んでくるオルトロス。ミーファディルは机を叩いて怒った。
「お兄さまッ、レインはっ――」
オルトロスは書類を取って体を横に向けた。
「分かっている。だが、『レインは預かっている。ミーファディルが大量虐殺を行えば解放してやる』って言ったらお前はどうするのだ」
「それは……。というかどうして大量虐殺?」
「アイツの心はあの時のままで止まっている。あの憎悪はワタシの比ではない。感化できるヤツなどいない。危険だ」
「しかし――」
オルトロスは書類から少しだけ視線を上げた。その先には、鱗を纏う、口を大きく開けた怪物の模型があった。大きさは隣の花瓶と同じくらい。
「力を使っていいのは、自分自身を正しく制御できる者だけだ。分かるな」
ミーファディルは机から手を離した。少し気落ちした様子で答える。
「はい。ただ、少し、お待ちください。アタシがレインの心を変えてみせます」
「先に見つけることだな」
「はい。では、お休みなさい。お兄さま」
踵を返したミーファディルが一歩動いたとき、オルトロスはある事を思いだした。
「そうだ。ルマーダというヤツ、本当にお前が推薦したのか?」
「え、は、はい」
また何も言わずにミーファディルを見続ける。オルトロスの癖なのかもしれない。ミーファディルの瞬きが増え、早く答えるように訴えてくる。
「若々しく、見どころがある。顔もいいし、お前のタイプか?」
「え、お、お兄さまのほうがイケメンですわ」
ミーファディルは頬を赤くした。
「もう少し嘘が顔に出ない訓練をしたらどうだ? まあいい、それがお前の可愛いところだ。エポニーヌを呼んできてくれ」
「いじわる」
ミーファディルは去っていった。
十分後にエポニーヌが絵本とシーツを持ってやってきた。
「なんだそれは」
「ミーファさまが『お兄さまがこう言ってました。今日は疲れた。ソファーで寝る。そうだな、エポニーヌの声はよく眠れるから、絵本でも読んでもらおう。エマとおばあちゃんという絵本にしてくれ。エポニーヌにちゃんと伝えろよ、って。よろしくね』と、言われたので」
オルトロスは、アイツめ、と呟いたあとエポニーヌを目の前に来させ、書類を見せた。
「この掃討作戦計画は不満だ。挟み撃ちする前に、正面突破をされるのが先だ。誰が考えた」
「決定は国防長官のムスケルです」
「これだから陰に隠れて指揮するヤツは腹が立つ。ノクーヴェのことを何も知らないのと同じだ。四十後半ならまだ動けると思ったが、おっさんも老いぼれも同じだ」
「口が過ぎますよ。ムスケル長官は誠実な方です」
オルトロスは咳払いする。
「そ、そうだな。さっきの発言は取り消す。それでだ、カヴィリオ総参謀長が意識を取り戻したそうだ。彼を見舞うついでに作戦立案に協力するよう伝えてくれ」
「私が、ですか」
「そうだ」
「お言葉ですが、上官の隊長、グルスキャップ元帥に見舞いに行かせるのが筋かと」
「アイツは北東部防衛に全力を注いでいる。それに、お前はカヴィリオと旧友だろ」
「ええ。幼年学校時代に同じクラスでした。……まあ、オルトロスさまが、それでもとおっしゃるのでしたら」
またオルトロスがじっと見つめるだけだったので、エポニーヌは折れた。
翌朝、エポニーヌが私服で城を出ていくころ、かなり遅めの朝食を終えたミーファディルは自室のシャワーを浴びた。全裸のまま部屋に戻り、壁の隅にある大きな本棚を引っ張った。隠し扉が現れた。防音防壁の二重扉になっていて中に入ると、そこには犬、猫、蛇、カラス、など多くの動物がそれぞれ檻に入っており、わめき騒いでいた。管理は行き届いているが雰囲気は暗く、好きで飼っているという印象は感じられない。
「人目さえなければこんな事をしなくてもいいのに」
ミーファディルはカラスに手をかざすと、自身がカラスになって窓から飛び去っていく。
向かった先は、あの天にまで届きそうな尖塔、ゼフィルの塔だった。
しばらくすると、観光客に紛れて、金髪でシスター服を着た、二つの泣き黒子が特徴のミディが出てきた。
同日。午前九時。
空は透き通るように蒼く、薄い雲と眩しく照らす太陽が、衣替えをした新社会人のように新鮮な夏の気配を醸しだしている。
喫茶店パラシドでは、セルマは外、アストは中から、ともに脚立に登って窓拭きをしていた。
初仕事から数日が経って、アストのほうは顔にあった独特の緊張はなく、慣れた手つきで洗剤をかけてはごしごしと擦っていた。
一方のセルマは緊張した面持ちであまり手が動いていなかった。
「おっはよう」
背後から明るい声を掛けられ、セルマはびくっと体を震わせて驚き、その拍子でバランスを崩して倒れる。が、持ち味の運動神経で地面に両手を突き、両足で脚立を支えた。逆立ちの姿勢のまま顔だけ上げると、両手で口を押え、頬を赤らめるミディがいた。
「ミ、ミディか。お、おはよう」
(大変だ。服がめくれて、大切なぺったんこが)
セルマは焦って片手で服の裾を持って隠した。
(だ、ダメだよ。セルマ、それは女の子がスカートを押さえる仕草と一緒だよ)
(くっ)
仕方なく地面に倒れた。すぐに起き上る。




